失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第14章 想像できない未来に向けて

264:破滅の間際

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「わかった、ありがとう」
『どういたしまして、マスター』
「トウヤ、結論は?」

 再接続が完了し、繋いでいた手を離して思い思いに動き出したガイドコンソールに、柊也が頭を下げる。シモンがき立てるように問い掛けると、柊也は顔を上げ、結論を述べた。

「中原を含む、全世界の素質を止める。それが唯一の解決策だ。そうすれば寒冷化を食い止められる上に、サーリアとエミリアを通常モードに戻し、緑を回復する事もできる」
「世界から、素質が…消える…?」

 確信をもって断言した柊也と異なり、シモンは呆然とした表情を浮かべていた。



 素質。

 ロザリア様の恩恵と言われるこの力が、ガリエルの侵略から中原を守り、生活を支えていると言っても過言ではない。素質は魔物から身を守る強力な武器となるだけでなく、飲み水を生み、火を容易に起こし、物流を助け、怪我人を治してくれる。素質を得るには金貨5枚の喜捨が必要で、中原で素質を持つ者は少数派ではあるが、その者達がまさに中原の屋台骨を支えていると言えよう。

 その素質が、全て失われるのだ。それを知った途端、中原が大混乱に陥る事が、容易に想像できた。シモンは柊也に再考を促すように、もう一度尋ねる。

「…他に方法は、ないのかい?」
「ない。エミリアとカエリアをセーフ・モードにしても、収支が合わなかった。サーリアがすでにスリープ・モードになっている以上、ロザリアの管轄地にメスを入れる他に方法がない」
「だ、だが、素質が消えるとなると、中原は大混乱に陥るぞ?魔物の攻撃から身を守る術は失われ、飲み水にも苦労する事になる。大勢の人々が、路頭に迷う事になるぞ?」
「仕方あるまい。このまま寒冷化が進み、地球が氷漬けになるよりは、マシだ」

 シモンの縋るような声にも柊也は動じず、撥ねつけるように断言した。だが、言い過ぎたと感じたのだろう、やがて柊也は表情を和らげ、シモンを安心させるように笑みを浮かべる。

「大丈夫。素質が無くなっても、人々は生活していける。現に大草原では一切素質が使えないのにも関わらず、エルフは立派に生きているじゃないか。それに、即座に止めるつもりはない。素質の無い生活に備え、社会を変革させるのに必要な猶予は作るつもりだ」
「しかし、それでも魔物の攻撃が…」
「素質が失われるのは、魔物も同じだ。これからは魔物と対峙しても、ブレスに怯える必要はなくなる。ロックドラゴンなんて、あの岩盤が無くなれば、ただ図体のでかい、鈍重な蜥蜴でしかなくなる。瞬く間に捕食され、真っ先に絶滅するだろうな」
「…」

 柊也の意図した穏やかな笑みを目にしても、シモンの表情は晴れない。無理もない。21世紀に例えれば、温暖化を食い止めるために、電気・ガス・水道、全てストップさせると言っている様なものだから。

「サラ」
『はい、マスター』
「寒冷化の進行度合いを教えてくれ。このまま寒冷化が続いた場合、中原と呼ばれる地域に深刻な影響が出るのは、いつ頃だ?」

 柊也は不安気な表情を浮かべるシモンから視線を外し、ボクサーの上を歩き回る赤い蜥蜴に尋ねる。蜥蜴は、空中を泳ぎ回る人魚を捕らえるかのように長い舌を伸ばしながら答えた。

『寒冷化が現在”中原”と呼ばれる地域の生態に深刻な影響を及ぼすのは、今から71年後。最も早い想定で46年後となります。なお、その予兆とも取れる冷害は13年後に発生し、37年後には常態化すると予想されます』
「かなり切羽詰まっているな…」
「そんな…」

 サラの答えに柊也は顔を顰め、シモンは思わず両手で口を覆ってしまう。柊也は顔を上げ、目を見開いたままのシモンに断言する。

「シモン、本当に待ったなしだ。このままでは、我々の子や孫の世代が中原で生きていけなくなる。逆に考えろ。ギリギリ間に合ったと喜び、子供達のために手を打つんだ」
「わ、わかった」
「今は酒が入っちまっているからな。一眠りして酒を抜いてから古城達に連絡を取り、情報を共有しよう」
「あ、ああ」

 気持ちを切り替えて立ち上がった柊也の後を追い、シモンは目を覚まそうとしないセレーネを片腕で抱えると、ボクサーの中へと入って行った。



 ***

「ええと、ヴェルツブルグの経度は大体香港の辺りだから…時差は16時間ってところか?」

 ベッドの上で胡坐をかいた柊也が、指を折ってヴェルツブルグの時刻を逆算する。ボクサーの中で一眠りした柊也達だったが、浴室ではしゃぎ過ぎて疲れていたのだろう、酒のせいもあって目が覚めた時には夜の7時を回っていた。上部ハッチを開けて外の様子を窺おうとしたセレーネが悲鳴を上げ、慌ててハッチを閉じた。

「つ、冷たぁぁぁぁぁいっ!ト、トウヤさん、外、寒いってもんじゃないですよっ!?」
「え?ウンディーネ、今、外の気温、何℃だ?」

 柊也の呼び出しに、青い人魚が空中を泳ぎながら答える。

『ただ今の気温はマイナス31.9℃、北西の風、風速21.2mです』
「げ。移送命令止めるの、明日にすれば良かった。失敗したなぁ…」
「そうですよ、トウヤさん。また外に出られなくなっちゃったじゃないですか…」

 バツの悪そうな表情を浮かべ、頭を掻く柊也を見て、セレーネが口をすぼめる。柊也はセレーネの視線から逃れるように目を逸らし、ベッドの上を這いまわる赤い蜥蜴に声を掛けた。

「サラ、ロザリアのメインシステムと、回線を繋いでくれるか?」
『畏まりました、マスター』

 女性の声と共に赤蜥蜴が動きを止め、淡い光を放つ。やがて、赤蜥蜴の体内から狼狽える男の声が聞こえ、柊也はその男に向かって声を掛けた。

『…ロ、ロザリア様…!』
「そこのあんた、聞こえるかい?」
『ははぁぁぁぁぁっ!ロザリア様のご聖言、この私めの耳にしかと届いております!』

 明らかにその場で平伏しているであろう、感極まった男の声に、柊也は思わず渋い顔を浮かべながら言葉を続ける。

「古城美香という、若い女性を連れて来てくれないか?ロザリアの御使いでもある彼女と、話がしたいんだ」

 美香の場合は、氏名より「御使い」の名の方が広く知られているだろう。そう思った柊也は引き合いに出したが、男の返答は予想外のものだった。

『へ、陛下でございますか!?畏まりました!すぐにお呼びいたします!』
「え、陛下?何、アイツ、今『陛下』なんて呼ばれているの?」
『は、はい!ハヌマーンの攻撃で潰えたエーデルシュタイン王家に代わり、現在は陛下が新たな王として、この国を治めております』
「古城が王だってよ…すげぇな」
「ああ」

 僅か10ヶ月で後輩が王にまで上り詰めた事実に、柊也とシモンが顔を見合わせる。柊也は再び赤蜥蜴に顔を向け、男に語り掛けた。

「わかった。とにかく、古城を連れて来てくれ。3時間もあれば大丈夫か?」
『は、はい!問題ございません!』
「わかった。じゃぁ、3時間後に」
『畏まりましたぁぁぁぁぁっ!』

 淡い光が鎮まり再び動き出した蜥蜴を見ながら、柊也が宣言する。

「サラ、3時間後に呼んでくれ。シモン、セレーネ、その間に食事にしよう」



「5」
「ダウト」
『マスター、間もなく3時間が経過いたします』
「うぅぅ、何でわかるんですかぁ?」

 サラがベッドの上でトランプに興じていた柊也を呼び、柊也は「5」が4枚並んだ手札を脇に置いて振り返った。

「サラ、回線を繋いでくれ」
『畏まりました』

 目の前で再び輝き始める赤い蜥蜴を見つめながら、柊也は思案に沈む。ヴェルツブルグの面々をどうやって説得するか、それはまだ決まっていない。だが、場を制するためにも、第一声はこれしかない。柊也は目を剥き、瞬きを繰り返す蜥蜴に向かって、渾身の一言を放った。



「――― え?これ、もう中継繋がっているの?スタジオの古城さぁん、聞こえますかぁ?」



『ちょっと、先輩!いきなり私にしか通じないボケかまさないでよっ!』
『『『ロザリア様っ!』』』
「トウヤ、君って人は…」

 蜥蜴の体内から甲高い女性の喚き声が聞こえ、シモンがこめかみに指を当てて顔を顰める。だが、持ち球はこれだけではない。

「私は今、アメリカのモンタナ州、カエリアの地に来ております。気温はマイナス30℃、あまりの寒さに、この通りバナナで釘が打ててしまいます」
『先輩、余計な事言わないでよっ!先輩の余計な一言が、聖書に記されちゃうんだからぁ!あああっ!みんなタンマ、今のナシで!』
「あ、やっべ」

 自信満々、ノリノリで堂々と言い放った柊也だったが、泣きべそめいた後輩の忠告に、思わず口を噤んでしまう。いくら会心のボケとは言え、聖書に記され未来永劫語り継がれては、自分が暗黒面ダークサイドに堕ちてしまう。

「…っと、話が脇に逸れちまった」
『初めから前に進んでいませんけどね』

 柊也は後輩との漫才を切り上げ、前触れもなしに、いきなり言葉の爆弾を放り込んだ。



「――― 5年。5年で、この世界から全ての素質が消える。古城、それまでに中原を纏め、将来に備えろ」
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