失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第14章 想像できない未来に向けて

265:結論と母を前にして

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「え、ちょっと待って!?先輩、素質が消えるって、どういう事ですか!?」
「な、何だと!?」
「「「ロザリア様!?」」」

 広い円筒形の部屋の中で、瞬きを繰り返す前方のパネルから降り注いできた言葉に、美香達は思わず耳を疑う。部屋の中に居る全ての面々が食い入るように見つめる中、前方のパネルが再び瞬いた。

『結論から言えば、カエリアの暴走を止めただけでは、寒冷化を止める事はできなかった。中原を含むこの世界の全ての素質を停止し、MAHOのエネルギー消費を抑える。それが、寒冷化を食い止める唯一の方法だ』
「そんな…」
「レティシア、この声、シュウヤ殿だよな?何故、彼がロザリア様と一体化しているのだ?彼の言葉は、何を意味しているのだ?」

 柊也が齎した結論に美香が呆然とする傍らで、理解が追い付かないフリッツがレティシアに尋ねる。フリッツのみならず、聖王国、教会の高官達に取り囲まれ、レティシアは自信なさげに答えた。

「私も半分も理解できていないのですけれども、シュウヤ殿は現在、ロザリア様の『かんりしゃ』という地位に就いております。その権限を用いてロザリア様の力を借り、遠方からの声を此処に届かせているようです」
「か、『かんりしゃ』とは一体なんだ!?」
「それより、何故素質が消えなければならないんだ!?」
「ちょ、ちょっと、皆さん、お待ちいただけませんこと?」

 鬼気迫る表情の男達に詰め寄られ、レティシアは思わず両手を上げ、仰け反ってしまう。パネルを凝視していた美香が振り返り、フリッツ達に説明した。

「神話で語り継がれてきた、三姉妹とガリエル。実は両者は血を分けた兄弟であり、三姉妹ではなく、四姉妹。そもそも両者の間に、争いは存在しなかったのです」
「「「な、何だって!?」」」
「本当ですか、陛下!?」
「はい。ガリエルの本当の名は、カエリアと言います」
「カエリア様…」

 いきなり長年信じてきた神話を根底から覆され、フリッツ達は狼狽する。衝撃のあまり彫像と化した高官達は、続けて放たれた言葉に止めを刺された。



「――― そして、ガリエルの仕業とされた、中原に迫る寒冷化の波。それは、私達が日常で使用する素質の濫用に因るものであり、素質を強制的に停止する他に解決策がないというのが、先輩の出した結論です」



「…そ、そんな…」
「素質がこの世界から無くなってしまうだなんて…」
「中原は、どうなってしまうんだ…」

 幾人もの高官が床に膝をつき、頭を抱え始める中、美香は再び前を向き、光り輝くパネルに語り掛ける。

「先輩、どう転んでも、他に手がないという事ですね?」
『ああ、そうだ。エミリア、サーリア、カエリア。ロザリアを除いた全ての地域を犠牲にしても、寒冷化は止められなかった。このまま指を咥えていると、十数年後には作物に影響が出て、早ければ孫の代には中原が氷漬けになる。古城、5年で素質の無い世界に耐えられるよう、社会を作り替えるんだ』
「…わかりました。先輩の力をもってしてもそこまでが限界と言うのであれば、仕方ありません」

 瞬きを繰り返すパネルに向かって美香は頷き、後ろを振り返って未だ呆然としているフリッツに声を掛ける。

「…お父さん」
「…し、しかし…」
「やるしか、ありません。この世界を救う、唯一の手段です」
「…」

 度重なる美香の呼び掛けにも、フリッツは答える事ができず、思わず言い淀んでしまう。すると美香は後ろを向き、光り輝くパネルを背にして姿勢を正し、呆然としたままの一同を見渡して宣言した。



「――― 神話の時代から続く戦いに終止符を打ち、中原を守る最後のチャンスです。皆さん、どうかご自身の子や孫の幸せを守るため、私に力をお貸し下さい」

 そう締めくくると、一同に深々と頭を下げる。高官達は誰一人声を上げる事なく、瞬きを繰り返すパネルの光を受けて輝く、流れるような黒い髪を見つめていた。



 ***

『そんなわけだ、古城。後、何かあるか?』
「先輩、一つお願いがあるのですが」
『何だ?』

 話を締めくくろうとしている男を呼び止め、美香は背後に並ぶ高官達が注目する中、胸元で両手を組み、神を仰ぎ見るような姿でパネルに向かって懇願する。



「できれば、帰り際、なるべくハヌマーンを殺さないようにしてもらえますか?」



『え?何で?』

 パネルの男のみならず高官達も一様に驚きの表情を見せる中、美香は淡々とした様子で言葉を連ねる。

「実はあの後、ハヌマーンと誼が結べまして。もしかしたら、戦いを終わらせる事ができるかも知れないんですよ。なので…」
『…ああ、わかったよ。なるべく避けて通るわ』
「すみません、よろしくお願いします」

 再び瞬くパネルに向かって、美香が頭を下げる。その後ろ姿を見ながら、高官達は自分達の主君のもう一つの顔を思い浮かべ、感慨に浸っていた。



 自由奔放で笑顔がまぶしい、艶やかな黒い髪の三女、サーリア。



 幾つもの偶然と奇跡によって、美香はハヌマーンからサーリアの生まれ変わりとして認められ、崇拝されるようになった。だが、彼女の生き様を見ていると、その見立ては決してハヌマーンの思い違いではないと、高官達は次第に感じるようになっていた。

 例え和平の目があったとしても、高官達であれば、何のエビデンスもない今の時点であのような配慮は示さなかったであろう。だが、彼女は躊躇いもなくその事に言及した。その一つを取っても、高官達はハヌマーンという存在との隔意を未だ拭えないのに対し、美香は存在を受け入れている。

 頂点に立つ者としては、甘いのかも知れない。だが、それで、構わないではないか。



 頂点に立つ者が甘い夢を見せてくれるからこそ、自分達は厳しい現実に挫ける事なく、希望をもって歩んでいけるのだから。



 ***

『それじゃぁ、古城。俺達はこれから中原へと戻る。また近くまで来たら、連絡するから』
「はい、わかりました、先輩。道中、気を付けて下さい」
「ロ、ロザリア様っ!今しばらくお待ちを!」

 別れの挨拶を交わしていた二人に切迫した声が割り込み、美香が振り返ると、枢機卿の一人が決然とした表情を浮かべていた。

「猊下、如何なさいましたか?」
「ロザリア様っ!最後に一つだけ、お教え下さい!」
『はい、何でしょうか?』

 枢機卿の鬼気迫る表情に美香は疑問を感じ、声を掛けるが、彼は美香に答えず前方のパネルを凝視したまま、これまで心の中で目を背け蓋をしていた疑問を口にする。



「――― 陛下は、ミカ様は本当に、私達人族の『母』でございますか?」



『…』

 枢機卿の質問を理解した途端、その場に居た全ての面々が、一斉に前方のパネルへと目を向ける。



 コジョウ・ミカは、この世界に住む全人族の母である。



 その言葉は、ハヌマーンの襲撃を受け、王家という精神的支柱を失った人々が縋りついた、最後の希望であった。この一言がなければ、王家を失った人々は一つに纏まる事ができず散り散りになり、ハヌマーンの前に無残な屍を晒したであろう。あの一言がなければエーデルシュタインは崩壊し、生き残った貴族達が次の覇権を狙って、血みどろの内戦を繰り広げたかも知れない。

 だから、その言葉は決して嘘ではないと、信じたい。



 ――― だけど、その言葉は、本当なのか?



 誰もが心の中で蓋をしてきた質問が目の前に突如現れ、一同は縋るような目を、前方のパネルへと向ける。

 やがて、永遠にも似た一瞬が過ぎた後、パネルが再び瞬きを繰り返し、男の声が円筒形の部屋の中に響き渡った。



『――― ええ、本当です。古城美香、あなた方が”ロザリアの御使い”と呼ぶ彼女は、紛れもなく、あなた方全人族の”母”です』



「…あ、ありがとうございました!ロザリア様、本当にありがとうございました!」
『じゃあな、古城。またな』
「はい。先輩もお元気で」

 レティシアが内心で胸を撫で下ろす中、美香が前方のパネルに向かって別れの挨拶を述べ、壁一面を彩る光が鎮まっていく。やがて入ってきた時と同じ、薄暗い部屋へと戻るのを見届けた美香は溜息をつき、部屋を出ようと身を翻したが、そこで思わず足を止めてしまった。

「あ、あの、皆さん、どうなされましたか?」

 美香の目の前で、部屋の中に居た全ての高官達が、跪いていた。フリッツも、アデーレも、ヴィルヘルムも、テオドールも、教会の枢機卿も司教達も、全てが美香の前に跪き、首を垂れて繰り返し胸元で印を切っている。その異様な光景に思わず面喰う美香の許に、質問を投げかけた枢機卿の声が流れてきた。

「…誠に申し訳ありません!陛下の神格を疑い、貶めるような真似をいたしまして!しかし、どうしても、この目で確かめたかったのです!この罰は如何様にも、お受けいたします!」
「い、いえ、猊下、お気になさらず。お願いですから、どうか頭をお上げ下さい」
「あ、あぁぁ…陛下…」

 美香は慌てて床に膝をつき、平伏する枢機卿の両手を取って頭を上げさせる。枢機卿は「母」に手を取られた事に感激し、薄っすらと頬を染めて滂沱の如く涙を流しながら、歓びの声を上げる。

「陛下、私めは、今生の世において『母上』にまみえる事ができ、もう何も思い残す事はございませぬ。私めは勿論、この場におります全ての者が!陛下から生を賜った事に感謝し、残りの人生を賭けて御恩返しさせていただきます事を、此処に宣誓いたします!」
「え?えっと、あの、その、猊下、ちょっと落ち着いて?」

 枢機卿のみならず、後ろに傅く司教達も皆感涙にむせび、聖王国の高官達も首を垂れたまま胸元で印を繰り返し切っている。アデーレとレティシアが顔を伏せて笑いを堪える中、美香は目の前で跪く一同の頭を見渡し、顔を引き攣らせていた。
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