失われた右腕と希望の先に

瑪瑙 鼎

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第14章 想像できない未来に向けて

270:二色の宴

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「お、おい…あれ…」
「き、来た…」

 重厚な、しかし些か不揃いな街壁の上で、数人の兵士達が緊張の面持ちで言葉を交わす。兵士達の視線は壁の向こうに広がる荒れ地に縫い付けられ、彼らは聞かれる恐れがないのにも関わらず身を寄せ合い、声を低めた。

 かつて壁の向こうには青々とした草原が広がり、地平の彼方に見える森まで続いていたが、一昨年を境にしてその光景は一変していた。緑一色だった地面は灰色と茶色の土によって塗り潰され、最近ようやく緑がかつての繁栄を取り戻そうと侵攻していたが、未だ道半ば、地上には灰と茶と緑の斑模様が描かれている。その地面の上には三色に彩られた巨大な「皿」が一枚置かれ、その咢に相応しい供物が載せられる日が来るのを待ち続けていた。

 その「皿」の中心に、50頭ほどの集団が佇んでいた。彼らは人族よりも体格に優れ、全身が茶色の長い毛に覆われている。彼らの手には太い棍棒や大剣が握られ、それを片手で軽々と肩に担いでいた。

 ハヌマーン。ガリエルの尖兵と呼ばれ、中原に住む三種族にとって不倶戴天とも言える、永遠の敵。

 だが、街壁に佇む兵士達は、その仇敵を前にしながら、これまでとは異なる行動を取った。緊張で身は固くなっている。片時も目も離そうとはしない。だが、そこから先の行動が、これまでとは違った。

「…鐘は鳴らすなよ?いいか、鐘は鳴らすなよ?急いで陛下にお知らせするんだ!」
「「はい!」」

 分隊長がハヌマーンに目を奪われたまま低い声で厳命し、二人の兵士が後方へと駆け出して行く。残された兵士達は、皆思わず武器を構えようとする衝動を必死に抑えながら、遠くに見える仇敵の一挙一動を漏らさぬよう、食い入るように見つめていた。

 やがて、兵士達の視線の先で、数頭のハヌマーン達が手に持つ武器を上に掲げ、兵士達が身構える。歯が欠けるほど食いしばる兵士達の視線の先で、ハヌマーンの武器が、彼らの頭の上で大きく左右に揺れた。

「…おい、誰でもいい。旗を揺らせ!」
「はい!」

 分隊長の言葉に、一人の兵士が傍に掲げてあった軍旗を掴み、左右に振って大きくはためかせる。分隊長は兵士が振る旗の前で両手を掲げ、掌を大きく上下に動かした。

 伝わってくれ。これでわかってくれ。

 分隊長は、ハヌマーンの言葉が分からない。ハヌマーンの風習も知らない。だから、彼の伝えたい事がこれで相手に伝わっているか、見当もつかない。もしかしたら、反対の意味に取られていないか?まさか、この行動が相手の侮辱に繋がっていないか?分隊長は不安のあまり顔を強張らせ、額に汗を浮かべながら、肩の上に掲げた両手を大きく上下に動かし続ける。

 やがて、分隊長の視線の先で、何頭かのハヌマーンが頷くような仕草を見せ、次々と地面に腰を下ろしてくつろぎ始める。それを見た分隊長は大きく息を吐き、顔から汗を滝の様に流しながら、石畳の上にへたり込んだ。



 ***

 街門の内側は、異様な緊張に包まれていた。多くの市民や兵士達が詰めかけ、互いに顔を寄せてひそひそと言葉を交わす。彼らの前には大勢の騎士が立ち並び、人々の群れを抑えながら、時折警告の声を上げる。

「街壁の上には登るな!静粛にしていろ!」

 やがて人々の前に馬に乗った一人の騎士が現れ、先触れの声が聞こえて来た。いつもとは異なり、威圧を伴う言葉が響き渡る。

「これより、陛下がお見えになられる!しかし、決して声を上げるな!ハヌマーンを刺激するんじゃないぞ!?」

 馬に乗った騎士が通り過ぎた後、100名程の人馬の集団が人々の前に姿を現した。彼らの多くは鎧に身を包み、緊張の面持ちで前方を凝視している。彼らは10輌程の荷馬車を連れ、その荷台には多くの樽や壺が積まれていた。

 人々は集団の先頭を歩く一人の女性の姿を認めると、次々に跪き首を垂れる。女性は艶やかな黒髪をなびかせ、黒髪の男と虎獣人、金髪の女性を従え、街門へと進んでいく。いつもであれば女性の行く先々で湧き上がる歓呼の声は鳴りを潜め、ひそひそとした騒めきだけが、周囲に漂っていた。

 やがて女性が街門の前へと到着すると、黒髪の男が近くの騎士に命じる。

「中央街門を開けよ」
「はっ!」

 男の声に騎士が応じ、やがて重厚な木で作られた街門が、軋みを上げながら開かれた。



 ***

 美香は、背後から注がれる大勢の視線を一身に受けながら、街門の外へと踏み出した。その後を、レティシア、オズワルド、ゲルダ、そして100名の騎士が後を追う。騎士達は皆ハヌマーンの挙動を警戒し、いつ異変が起きようとも対処できるよう身構えていたが、先頭を歩く美香だけは一人のほほんとした表情を浮かべ、無警戒にハヌマーンへと近づいた。

「サーリア〇$!」
「サーリア〇$!」

 美香の姿を認めたハヌマーン達は皆一斉に平伏し、大粒の涙を流しながら繰り返し頭を下げる。その姿を見て、騎士達が驚きの表情を浮かべて次第に警戒を緩める中、美香がハヌマーン達を見渡して、口を開いた。

「…あれ?ゴマちゃんは?」
「〇×□$$ △÷ サーリア〇$ □**@\× □□△#$$ ゴマチャン〇$ □%%& $〇〇 ×%&&\…」

 美香の言葉を受け、一番手前で平伏するひと際大きなハヌマーンが頭を上げ、身振り手振りを交えながら意味不明の言葉を並び立てる。美香は、頭に大きな傷のある、個体判別できる数少ない供回りの手の動きを暫く眺めていたが、やがて表情を曇らせた。

「…そっか、ゴマちゃん、調子悪いんだ?来れなくて、残念だね」
「□\\〇□ &%×〇〇 △$ サーリア〇$ @△〇$$#…」

 美香の言いたい事が通じたのか、供回りのハヌマーンは恐縮したかのように会釈を繰り返す。やがてハヌマーンは腰の辺りをまさぐると小物を取り出し、両手で押し戴くように美香の前に差し出した。

「+**〇$%% △× ゴマチャン〇$ $$△◇□ &&$〇 #× サーリア〇$ □▽##〇…」
「え?これを、私に?」

 美香は手を伸ばし、ハヌマーンの手の上の小物を摘まみ上げる。それは細い紐に結わえられた、純白の毛の房だった。

「…ありがとう。ゴマちゃんに大切にするね、って伝えておいて」
「%%〇 #$ サーリア〇$」

 美香はハヌマーンに微笑むと、その場で首に手を回し、紐を首の後ろで結ぶ。やがて美香が手を下ろすと、供回りのハヌマーンは美香の胸元を飾る白毛を見て、嬉しそうに何度も頷いた。

 背後に傅くハヌマーン達が自分の胸元をガン見している事にも気にせず、美香は後ろを向いて、背後で酒樽からエールを注いでいた騎士達に声を掛ける。

「それじゃ、皆さん、お願いできますか?」
「はっ!ただいま!」

 騎士達は規律正しく一礼すると、一人の騎士が駆け寄って美香にエールが並々と注がれたジョッキを手渡す。美香はジョッキを受け取ると、身振り手振りでハヌマーン達を立ち上がらせ、ジョッキを供回りのハヌマーンに手渡した。

「はい。どうぞ」
「%%〇 #$」

 恐縮した体でハヌマーンがジョッキを受け取ると、美香は再び背後の騎士からジョッキを受け取り、1頭ずつハヌマーン達に手渡していく。照れているのか、恐縮しているのか、それでもハヌマーン達は一様に美香から素直にジョッキを受け取り、やがて騎士達も含めてジョッキが行き渡ると、美香はハヌマーンと人族に二分された集団の中心で、ジョッキを高く掲げた。

「それじゃ、再会を祝して、乾杯!」
「「「乾杯」」」
「「「×□○○ サーリア〇$ #$$&〇 ▽%%\!」」」

 堅苦しい騎士達の唱和とは対照的に、ハヌマーン達が勢い良く雄叫びを上げ、荒野の真ん中で異様な酒宴が始まった。



 酒宴は、完全に二分されていた。そこかしこに木箱が置かれ、その上に干し肉やチーズ、果物が乱雑に置かれた会場で、騎士達は後方に固まってちびちびと酒を飲んでいる。その彼らの視線の先では、美香とレティシアが木箱に腰を下ろし、オズワルドやゲルダと共にハヌマーン達と向かい合っていた。

 騎士達とは異なり、ハヌマーン達は美香の前に群がって地面に座り、楽しそうに酒を飲みながら、通じない言葉を捲し立てている。それに対し美香は、ハヌマーンの言葉が分からないままニコニコと笑顔を浮かべ、うんうんと頷いていた。

 レティシアは美香と並んでにこやかに相槌を打っていたが、後ろでたむろする騎士達を一瞥すると、溜息をつく。そして、美香に顔を寄せると手で衝立を立てて、小声で話しかけた。

「ミカ、…」
「ん?何?…」

 目の前でごにょごにょと話す二人を、ハヌマーン達が興味津々で眺めている。やがて美香が笑いを堪えながら腰を上げ、後ろで固まっている騎士達に声を掛けた。

「誰か、そこのリュートを奏でていただけないかしら?」
「わ、私が!」

「聖母」の歓心を買いたいのだろう、即座に一人の騎士が荷馬車に駆け寄り、荷台に積まれたリュートを手にすると美香の傍に腰を下ろして弾き始める。リュートから軽やかな音が流れ始め、ハヌマーン達の興味がリュートに流れたところで、レティシアがジョッキを傾けるオズワルドの肩を掴んだ。

「オズワルド、今日は大人しくしていてよ?」
「?」

 レティシアが発した意味不明の言葉に、オズワルドが眉を上げる。そのオズワルドの視線の先で、美香が騎士達に向けて微笑んだ。

「どなたか、私と踊って下さらない?」



「へ、陛下、私と!」
「いや、是非ともこの私と!」

 音楽が途絶え、リュートを奏でていた騎士が愕然とした表情を浮かべる中、他の騎士達が一斉に立ち上がって、美香の前へ我先に群がる。美香は笑いながら、一人の騎士の手を取った。

「よろしくお願いしますね?」
「は、はい!」

 美香の眩い笑顔を受け、騎士は顔から湯気を立て、日頃とはかけ離れたガチガチな動きで美香をエスコートする。奏者の心が乗り移ったかのような沈んだ楽曲が流れ、レティシアに押さえつけられたオズワルドが下唇を突き出す中、美香と騎士はギクシャクした踊りを披露し、その二人の踊りをハヌマーンが体を揺らしながら眺めていた。



 やがて楽曲が終わり、美香が騎士と手を繋いだまま大きく身を翻すと、ドレスの端を摘まんでハヌマーンに深く頭を下げる。すると、ハヌマーン達は次々に拳を掲げ、美香に喝采の雄叫びを浴びせた。

「〇△▽%&& ×\◇ サーリア〇$!」
「▽○○&& サーリア〇$ #〇□◇!」
「ありがとう!」

 美香がハヌマーン達に向かって手を振っていると、何頭かのハヌマーンが腰を上げて、美香の前に整列する。それを見た騎士の幾人かが思わず身構えたが、ハヌマーン達は気にも留めず、美香に力瘤を見せつけるとそのまま足を上げ、腕や首を回して、パントマイムの様に踊り出した。

「〇□$$% ×△# 〇◇\\\ &&& $$$ ▽○○!」
「◇%%% &&& @@@ ◇×!」
「◇%%% &&& @@@ ◇×!」

 目の前で繰り広げられる筋骨隆々、毛むくじゃらのパントマイムに、美香は手拍子を打ち、笑みを浮かべながらリズミカルに体を揺らす。その後姿に、騎士達もやがて手を叩き始め、宴は次第に盛り上がりを見せていった。
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