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第1章 出会いと再開
第3話 規律の裏側
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午前の巡回が始まる前、監視棟の廊下には鉄の匂いが漂っていた。
錆びた扉の軋む音。囚人たちの低い声。
そのどれもが、グレイフェル監獄という場所の“現実”を思い出させる。
ノアは無意識に拳を握った。
今日の巡回は、看守長カイと共に行う。初めての実務だ。
隣を歩くカイの横顔は、いつも通り冷たく整っている。
感情の影が、まるでない。
「囚人棟の東側を回る。異常があれば報告しろ。」
カイの声は短く、低く響いた。
ノアは小さく頷き、後をついて歩く。
鉄格子の向こうでは、囚人たちの視線が一斉に彼らを追った。
睨みつける者、鼻で笑う者、無表情のまま座る者。
そのすべてを、カイは淡々と見回していく。
ある独房の前で、囚人が鉄格子に手をかけ、叫んだ。
「おい、看守! 水が出ねぇ! 昨日からずっとだ!」
カイは一瞬立ち止まり、表情を変えずに近づいた。
「規定通り、報告書を出したか?」
「そんなもん、昨日頼んだのに来ねぇんだよ!」
「確認する。部屋から離れろ。」
短い命令。冷たく聞こえる声。
囚人は舌打ちし、しぶしぶ後ずさる。
カイは錠を開け、給水管のバルブを点検した。
わずかに水漏れの跡。すぐに工具を取り出し、修理を始める。
ノアはその動きを息を飲んで見ていた。
(……本当に自分でやるんだ)
看守長自らが、囚人の部屋を直すなんて普通はありえない。
…数分後、蛇口から水が勢いよく流れ出す。
囚人は驚いたように目を見開いた。
「……助かったよ」
カイはその言葉を無視し、無言で錠を閉める。
ただ、扉を閉める直前、ほんの一瞬だけ言葉を残した。
「次からは、壊れる前に報告しろ。凍え死ぬぞ。」
その声は、冷たくも、奇妙に柔らかかった。
ノアはその響きに、小さく息を止めた。
怒鳴りつけるでもなく、同情するでもない。
ただ、そこにあるのは“人として扱う”まなざし。
巡回のあと、ノアはカイに尋ねた。
「……さっきの囚人、助けたんですね。」
「助けたわけじゃない。施設の維持管理の一環だ。」
淡々とした返事。
けれどその口調に、ほんのわずか、温度があった。
「イリアスも……そんな人でした。」
不意に口をついて出た名前に、カイの指がわずかに止まる。
「兄は、囚人に優しかった。怒る時もあったけど、最後は必ず言葉で終わらせてた。今のカイさんを見て、少しだけ思い出しました。」
カイは答えない。
ただ、沈黙のまま廊下の先を見つめていた。
ノアはその背中を見つめながら、ふと思う。
(この人は冷たいんじゃない。きっと……痛いんだ。)
夕刻、監獄の灯りがひとつ、またひとつと点く。
鉄格子の影の中、ノアは気づいていた。
カイの中には、誰よりも深い“人の温度”があるのだと。
それを見せないように、凍らせているだけなのだと——。
——その静寂を、遠くから見つめる瞳があった。
監視塔の陰、灯りの届かない通路の奥。
黒い制服の男が壁にもたれ、二人を見下ろしている。
ダリウス=ローヴァン
その表情は読めない。
ただ、低く短く息を吐く。
「……少しずつ、動き出しているな。」
灯りが揺れ、影が床を横切った。
その瞬間、静かな監獄が、ほんの少しだけ“ざわめき”を孕んだ。
錆びた扉の軋む音。囚人たちの低い声。
そのどれもが、グレイフェル監獄という場所の“現実”を思い出させる。
ノアは無意識に拳を握った。
今日の巡回は、看守長カイと共に行う。初めての実務だ。
隣を歩くカイの横顔は、いつも通り冷たく整っている。
感情の影が、まるでない。
「囚人棟の東側を回る。異常があれば報告しろ。」
カイの声は短く、低く響いた。
ノアは小さく頷き、後をついて歩く。
鉄格子の向こうでは、囚人たちの視線が一斉に彼らを追った。
睨みつける者、鼻で笑う者、無表情のまま座る者。
そのすべてを、カイは淡々と見回していく。
ある独房の前で、囚人が鉄格子に手をかけ、叫んだ。
「おい、看守! 水が出ねぇ! 昨日からずっとだ!」
カイは一瞬立ち止まり、表情を変えずに近づいた。
「規定通り、報告書を出したか?」
「そんなもん、昨日頼んだのに来ねぇんだよ!」
「確認する。部屋から離れろ。」
短い命令。冷たく聞こえる声。
囚人は舌打ちし、しぶしぶ後ずさる。
カイは錠を開け、給水管のバルブを点検した。
わずかに水漏れの跡。すぐに工具を取り出し、修理を始める。
ノアはその動きを息を飲んで見ていた。
(……本当に自分でやるんだ)
看守長自らが、囚人の部屋を直すなんて普通はありえない。
…数分後、蛇口から水が勢いよく流れ出す。
囚人は驚いたように目を見開いた。
「……助かったよ」
カイはその言葉を無視し、無言で錠を閉める。
ただ、扉を閉める直前、ほんの一瞬だけ言葉を残した。
「次からは、壊れる前に報告しろ。凍え死ぬぞ。」
その声は、冷たくも、奇妙に柔らかかった。
ノアはその響きに、小さく息を止めた。
怒鳴りつけるでもなく、同情するでもない。
ただ、そこにあるのは“人として扱う”まなざし。
巡回のあと、ノアはカイに尋ねた。
「……さっきの囚人、助けたんですね。」
「助けたわけじゃない。施設の維持管理の一環だ。」
淡々とした返事。
けれどその口調に、ほんのわずか、温度があった。
「イリアスも……そんな人でした。」
不意に口をついて出た名前に、カイの指がわずかに止まる。
「兄は、囚人に優しかった。怒る時もあったけど、最後は必ず言葉で終わらせてた。今のカイさんを見て、少しだけ思い出しました。」
カイは答えない。
ただ、沈黙のまま廊下の先を見つめていた。
ノアはその背中を見つめながら、ふと思う。
(この人は冷たいんじゃない。きっと……痛いんだ。)
夕刻、監獄の灯りがひとつ、またひとつと点く。
鉄格子の影の中、ノアは気づいていた。
カイの中には、誰よりも深い“人の温度”があるのだと。
それを見せないように、凍らせているだけなのだと——。
——その静寂を、遠くから見つめる瞳があった。
監視塔の陰、灯りの届かない通路の奥。
黒い制服の男が壁にもたれ、二人を見下ろしている。
ダリウス=ローヴァン
その表情は読めない。
ただ、低く短く息を吐く。
「……少しずつ、動き出しているな。」
灯りが揺れ、影が床を横切った。
その瞬間、静かな監獄が、ほんの少しだけ“ざわめき”を孕んだ。
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