上 下
131 / 169
第六章

131:それ、別れ際に言うことかよ

しおりを挟む
「藤井久子を刺した罪は消えないんだろ。大人しく刑に服して、五年、十年?外に出てきて俺は何をしよう。目標なんて何もない」
「それは、自分で考えなきゃ。救世教団にいたときも、脱会してからの十数年も、ずっと尚は洗脳状態だった。救世教団の教えがこうだったから、今はこうする、こうしない。たぶん、そういう思考だったと思うんだ。でも、完全に洗脳は解けた。生きたいように生きて」
 時雨は尚にリュックを手渡してくる。
 手が抜けそうになった。
「何これ。重っ。金塊でも入っているのか?」
「買い取ってあった君の不幸をギャンブルに。そして、換金した」
「さっき、しばらくいなかったのってそのせい?ひでえ」
 尚は自分でも驚くほど明るく笑っていた。
 時雨との別れは刻々と近づいてきているようだ。
 身体が辛くてたまらない。
 息をするのも苦しい。
 子供みたいに地団駄を踏んで、一緒にいたいとすがってしまいそうで、尚はそれを絶対に避けたかった。なぜなら、時雨はどうやっても尚から離れていく。最後冷たくされるより、あっさりした別れを選んだ方が思い出としては美しい。
 これまで生きてきて、いい思い出自体が少ないのだから。
 きっと誰かを好きになることは今後無いだろうから、一生に一度の記憶は綺麗なままにしておきたい。
 だが、
「腎臓を献金させられた不幸も、左目を献金させられた不幸も換金したから」
と言われ、正気でいられなくなる。
 時雨を激しく問い詰めていた。
「それは買い取れなかったじゃないのかよっ!!」
「どうして復元していない日の記憶まであるの?」
「知らねえよ。でも、あんた、確かあのとき、こう言ったよな。その不幸に、値段は付けられない。可哀想すぎるからって」
「また、あんた。ちゃんと名前で呼んで」
「どうせ忘れる男なんか、あんた呼ばわりで十分だ」
「……元気でね」
「さっさといなくなれ」
「リュックの中には相当の額が入っている。足がつくような紙幣じゃないけれど、一気に口座に入れると、怪しまれる。神様の世界でも人間の世界でも、税務署は目を光らせているから」
「それ、別れ際に言うことかよ」
「生きていく上で重要でしょう」
「あんたとは、話が通じない。最初から最後までっ!」
「そうだね」
 時雨が牡丹一丁目を暗闇に戻した。
 そして、闇に、扉のような大きさのを指先で描いて白い空間を作り出す。
「ここから人間の世界に戻れる」
「何で、そんなにあっさり言うんだ」
「狭間に居続けて、いいことなんかない」
 促されても動けない。
 尚は時雨に背を向けた。そして、手を差し出す。
「何かくれよ」
「思い出にってこと?あげたって忘れちゃうんだよ?」
「じゃあ、神様スタンプ」
「あれは尚にはもう必要ない。生きている内に特大の不幸に巻き込まれたら、今度は別の神様が担当することになると思うから、本当に僕と出会うことはもうないよ」
「いいからくれって。さっきのぐちゃぐちゃの使い古しでいいから。なあ」
 手に紙が握らされた。
 尚はそれを時雨に背を向けたまま開く。
 シワの目立つ神様スタンプは十日間の思い出が詰まっている。
 あれだけあったドクロマークのほとんどが消えてしまっていた。
 尚は扉を無視して闇雲に歩き出す。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

腐違い貴婦人会に出席したら、今何故か騎士団長の妻をしてます…

BL / 連載中 24h.ポイント:30,797pt お気に入り:2,240

【完結】ナルシストな僕のオナホが繋がる先は

BL / 完結 24h.ポイント:681pt お気に入り:1,587

最上級超能力者~明寿~【完結】 ☆主人公総攻め

BL / 完結 24h.ポイント:937pt お気に入り:375

痴漢冤罪に遭わない為にー小説版・こうして痴漢冤罪は作られるー

ミステリー / 連載中 24h.ポイント:753pt お気に入り:0

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:171,153pt お気に入り:7,831

乙女ゲーム関連 短編集

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,640pt お気に入り:155

処理中です...