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case1 A区――地図の順に辿ると、一人消える。
第五章 平乃台|夜のない時間
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これは、福岡県のとある政令指定都市A区を地図順に辿る記録である。
順路は偶然ではない。入口から出口へ、通過点から通過点へ。
読み進めるたび、同行者は減る。
注意:章と章の間に挟まる《移動記録》は、必ず飛ばさずに読まれたい。
そこで人数が調整される。
平乃台には、夜がない。
……そう言えば、観光案内の誇張と聞こえるかもしれない。
だが、誤解してはならない。
夜が来ないのではない。
夜へ入っていく道そのものが、この土地には存在しないのだ。
私は平乃台へ向かった。
僧根干潟を離れた頃から、時間の輪郭がぼやけていた。
時計の針は規則正しく進むのに、日付がまったく変わらない。
暗闇に向かうはずの空は、逆に白んで薄く伸び、
夜という概念がこぼれ落ちるように消えていく。
カルスト台地は、月を必要としない明るさだった。
白い岩肌が、光を返すというより、
こちらの視界から光を奪って代わりに何かを押しつけてくるようだった。
ひたすらに歩いていても、自分が重力で地面に接しているのか、
それとも誰かの手で吊られているのか判断できなかった。
……影が、基準にならない。
影が出るはずの場所に、……何もない。
何もないはずの場所に、薄い人の形が立っている。
私は考えるというより、考えさせられていた。
此の数日、通ってきた場所は「数」によって調整されていた。
人数、声、足跡。
欠ければ補われ、余れば削られる。
そういう「秩序」が働いていた。
……だが、平乃台にはその秩序そのものがない。
数えるための基準点が消えている。
だから、調整ができず、あらゆるものが零れ落ちる。
調整できない場所は、出口になる。
出口であり、入口でもある。
広大なカルスト台地の岩の裂け目の奥に、ぽっかりと開いた窪地があった。
中央には朽ちた標識。
幾度もなく風に削られつつ、尚かろうじて読める文字が一言だけ残っている。
《立入禁止》
理由は書かれていない。
書いても理解されないと分かっていたのだろうか。
其の窪地に足を踏み入れた途端、世界から音が砂のように落ちた。
風が止み、足音が止み、服の擦れる感覚すら消えた。
……代わりに、自分の心臓の音だけがやけに近くで響いている。
胸の内側ではなく、耳のすぐ後ろで鳴っている。
……そこで気づいた。
視界の片隅に、こちらを見つめる何かがいる。
人影。いや――
……私だった。
数歩先に、確かに私が立っていた。
ふと振り返ると、後ろにもいる。
左右の岩の表面にも、薄い膜のような私が張りついている。
どれも、瞬きもせず、同じ呼吸もしない。
ただ、こちらの動作を真似ているだけだ。
理解した、というより理解させられた。
ここは、揃わなかった数が均等に割られる場所だ。
――干潟で溶け残った私。
――地下通路で返事をしなかった私。
――団地で埋められなかった私。
……それらの端数が、ここで細かく分割される。
私は歩き続けた。
周囲の“私”が、触れるたび岩に吸い込まれ、無音のまま崩れ落ちていく。
冷たく、軽く、まるで影の皮膚を剥がすように。
恐怖は湧かなかった。
恐怖を感じる“領域”が、剥ぎ取られていった。
しばらくすると、一つだけが残った。
それが現在の私なのだと、どこかで納得した。
空が白み始める。
夜が明けるのではない。
夜へ辿り着けなかった時間が、途切れたまま朝に接続される。
平乃台では、夜の存在そのものが無効化されている。
気がつくと、私は台地の駐車場に立っていた。
観光客の車が並び、喧噪が戻っている。
時計を見る。
正常な時刻だ。
それでも――私は振り返らなかった。
振り返れば、割り切れなかった“私たち”の残りが、いまだ窪地の縁で、
こちらの動きを真似しようとしている気がしたからだ。
________________________________________
《移動記録Ⅴ》
平乃台を下る。
地図は、完全に白紙になった。
……だが、戻る道だけは分かる。
数が合ったからではない。
……数を持たなくなったからだ。
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順路は偶然ではない。入口から出口へ、通過点から通過点へ。
読み進めるたび、同行者は減る。
注意:章と章の間に挟まる《移動記録》は、必ず飛ばさずに読まれたい。
そこで人数が調整される。
平乃台には、夜がない。
……そう言えば、観光案内の誇張と聞こえるかもしれない。
だが、誤解してはならない。
夜が来ないのではない。
夜へ入っていく道そのものが、この土地には存在しないのだ。
私は平乃台へ向かった。
僧根干潟を離れた頃から、時間の輪郭がぼやけていた。
時計の針は規則正しく進むのに、日付がまったく変わらない。
暗闇に向かうはずの空は、逆に白んで薄く伸び、
夜という概念がこぼれ落ちるように消えていく。
カルスト台地は、月を必要としない明るさだった。
白い岩肌が、光を返すというより、
こちらの視界から光を奪って代わりに何かを押しつけてくるようだった。
ひたすらに歩いていても、自分が重力で地面に接しているのか、
それとも誰かの手で吊られているのか判断できなかった。
……影が、基準にならない。
影が出るはずの場所に、……何もない。
何もないはずの場所に、薄い人の形が立っている。
私は考えるというより、考えさせられていた。
此の数日、通ってきた場所は「数」によって調整されていた。
人数、声、足跡。
欠ければ補われ、余れば削られる。
そういう「秩序」が働いていた。
……だが、平乃台にはその秩序そのものがない。
数えるための基準点が消えている。
だから、調整ができず、あらゆるものが零れ落ちる。
調整できない場所は、出口になる。
出口であり、入口でもある。
広大なカルスト台地の岩の裂け目の奥に、ぽっかりと開いた窪地があった。
中央には朽ちた標識。
幾度もなく風に削られつつ、尚かろうじて読める文字が一言だけ残っている。
《立入禁止》
理由は書かれていない。
書いても理解されないと分かっていたのだろうか。
其の窪地に足を踏み入れた途端、世界から音が砂のように落ちた。
風が止み、足音が止み、服の擦れる感覚すら消えた。
……代わりに、自分の心臓の音だけがやけに近くで響いている。
胸の内側ではなく、耳のすぐ後ろで鳴っている。
……そこで気づいた。
視界の片隅に、こちらを見つめる何かがいる。
人影。いや――
……私だった。
数歩先に、確かに私が立っていた。
ふと振り返ると、後ろにもいる。
左右の岩の表面にも、薄い膜のような私が張りついている。
どれも、瞬きもせず、同じ呼吸もしない。
ただ、こちらの動作を真似ているだけだ。
理解した、というより理解させられた。
ここは、揃わなかった数が均等に割られる場所だ。
――干潟で溶け残った私。
――地下通路で返事をしなかった私。
――団地で埋められなかった私。
……それらの端数が、ここで細かく分割される。
私は歩き続けた。
周囲の“私”が、触れるたび岩に吸い込まれ、無音のまま崩れ落ちていく。
冷たく、軽く、まるで影の皮膚を剥がすように。
恐怖は湧かなかった。
恐怖を感じる“領域”が、剥ぎ取られていった。
しばらくすると、一つだけが残った。
それが現在の私なのだと、どこかで納得した。
空が白み始める。
夜が明けるのではない。
夜へ辿り着けなかった時間が、途切れたまま朝に接続される。
平乃台では、夜の存在そのものが無効化されている。
気がつくと、私は台地の駐車場に立っていた。
観光客の車が並び、喧噪が戻っている。
時計を見る。
正常な時刻だ。
それでも――私は振り返らなかった。
振り返れば、割り切れなかった“私たち”の残りが、いまだ窪地の縁で、
こちらの動きを真似しようとしている気がしたからだ。
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《移動記録Ⅴ》
平乃台を下る。
地図は、完全に白紙になった。
……だが、戻る道だけは分かる。
数が合ったからではない。
……数を持たなくなったからだ。
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