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1巻
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そうして抱き締められる日々が続き、僕は五歳になった。
もちろん修業ばかりしている訳ではなく、字の読み書きの勉強をしたり(するフリ。何せ前世と同じ日本語だから)、街へ外出したりすることも増えた。
通りを歩いていると、大人達が僕に頻繁に話しかけてくれる。
「リュー君、今日も可愛いわね!」
「おつかいね? これオマケしておくからね」
この世界は街ぐるみで子供を見守る慣習があるのかもしれない。
前世では人見知りだった僕だけど、こうして大人や子供と分け隔てなく接しているうち、社交性が身についてくる。愛想というか何というか、人付き合いの楽しさが分かるようになってきたなと思う。
家の近所で、同じくらいの年齢の友達を作って遊んだりもした。
友達とクタクタになるまで遊ぶ。そんな経験も前世では滅多になかったために、精神年齢が飛び抜けて高い僕でも、自然に友達とはしゃぐことができた。
今ぐらいの年頃では、男の子同士の遊びというとどうしてもチャンバラごっこになりがちだ。剣と魔法の世界であるから尚更かもしれない。
身体強化しておけば怪我はしないとはいえ、武器の扱い方が全く分からないのは問題だった。
それこそ、剣の握り方からして右手と左手どっちが上? というレベルである。
怪我はしなくても服はボロボロになる。友達にいいサンドバッグにされた末に帰ると、出迎えてくれたアンジェルが眉をひそめて呟いた。
「このままではいけませんね……」
アンジェルは魔法だけでなく武術にも長けているらしい。その翌日からすぐに、身体強化を行使した上での戦闘術を教えてくれた。
本当に何者だよこの美少女メイド……。
一方、剣や弓矢、槍など家にある武器については、ロマンスグレーの執事ことフィルマンから一通り扱い方を習った。
物腰柔らかなおじさんというイメージだったんだけど……フィルマン、お前もか。
今の僕の身体では、短剣であってもロングソードのような大きさだ。しかし身体強化をしているおかげで、重さは全く感じなかった。
アンジェルとフィルマンの教えを忠実に守って日々の稽古をしていると、すぐに戦闘術が身につき、戦いごっこでも、相手に怪我をさせることなく上手く勝てるようになった。
気付くと僕は友達の中心人物、いわゆるガキ大将的ポジションに落ち着いてしまっていた。
そしてその友達の中には……。
「兄貴、今日こそ負けねぇぞ、俺と勝負しやがれ!」
「マクシム、それ毎日言わないと気が済まないのか?」
のちに勇者として見出される、マクシム・ブラーバルも含まれる。誰が兄貴だよ、勇者に兄貴分がいていいのか?
正義を愛する男の子、マクシム。いずれ勇者になる……はずの男。
アンヌの場合は、身分の差がある以上、会いたくても簡単には会えない。でもマクシムは僕と同じ平民なので、外を何度か出歩いているうちに出会うことができた。
あれは僕が五歳になってすぐの頃だ。
日課の稽古が終わった後に街中を散歩していると、同じ年くらいの男の子達が輪になって何かしているのを見つけた。その中心には、痩せっぽちの男の子と、その子を背中に隠した、やたら目力のある傷だらけの男の子がいた。
その目力のある男の子こそが、マクシムだった。
彼は痩せっぽちの男の子がいじめられているのを見つけ、正義感からその子を守ってやろうとしたらしい。けれど、多勢に無勢でマクシムが一方的にやられている状況だった。
そこに通りかかった僕はさすがに見ていられず、いじめていたクソガキ達を片っ端から殴りつけていったのだ。
助けたことは後悔していないけれど、そのことをきっかけに、僕はマクシムから兄貴と呼ばれるようになってしまった。
「兄貴は弱い者を笑わないし、強い者にも屈しない。兄貴こそ正義だ。だから俺は兄貴に付いていく。そしていつか兄貴に負けないくらい強い男になるんだ!」
いや、僕なんていつかどころか簡単に超えてもらわないと困るんだよ。マクシムに魔王を倒してもらって、そしてアンヌを幸せにしてもらわないと。
そのために僕ができることなら、何だってするつもりだからね。
戦闘術を教わってしばらくした頃、稽古のレベルが引き上げられることになった。
「リュー坊ちゃまはとても強くなられました。そろそろ街の外へ出て、実際に魔物と戦ってみましょう」
五歳の子供を街の外へと連れ出して、魔物と戦わせると言う美少女メイド。
少し考えればおかしいと思うところだけど、僕には魔法も戦闘術もめきめきと腕が上がっているという自覚があった。
自分の実力を試してみたいという気持ちが大きくなっていたのも事実だったので、僕はアンジェルの言葉に頷き、一緒に家を出た。
僕が生まれたこの街は、トルアゲデス公爵領の領主が住んでいるだけでなく、複数の教育機関を抱えることから学園都市と呼ばれている。
魔物の侵入を防ぐ高い城壁に囲まれているため、街の出入りには東西と南にある城門を通らなければならない。
今回は東の城門から街の外へと出る予定だ。街の中を往来する乗り合い馬車で城門に向かう。
「少し街の外へ出掛けます」
城門に着くと、アンジェルが僕を含めて二人分の身分証を、門の脇にいた衛士へと手渡した。あ、このおじさん、お父様のお友達だ。
「おやおはよう、ロミリオんトコの三男坊じゃないか。メイドとお出掛けか?」
「はい、街の外を歩いてみたくて」
修業の一環で魔物を倒しに行きます、と言ってしまうと話がややこしくなりそうだったので、適当に誤魔化すことにした。
アンジェルが何も言わないところを見ると、この判断は正解だったようだ。
「そうか、リュドヴィックは礼儀正しいやんちゃ坊主で通ってるしな。外に出てみたい年頃になったか。だが、最近は魔物の数も減ってきているとはいえ、全くいない訳じゃないからな。アンジェルだったか、気をつけてやってくれよ」
「ご忠言、しかと心に刻みました」
礼儀正しいやんちゃ坊主ってどんな子供だよ。
それはともかくとして、魔物の数が減ってきているというのは意外だ。定期的に討伐隊でも出しているのだろうか。
ゲームの序盤ではバシバシ弱い魔物を狩って、レベル上げをしていたんだけどな。
「あ、そうだ。どなただとは言えないが、今日辺り高貴なお方がこの街に帰ってこられるかもしれない。もしそれらしい馬車を見かけたら、道の脇に控えるんだぞ」
高貴なお方か。この街には公爵家以外にも沢山貴族が暮らしているようだし、高貴な方々の出入りもそこそこあるんだろう。
僕達は衛士のおじさんにお礼を告げ、城門をくぐって街の外へ出た。
ここから先で経験することは、何もかも生まれて初めてのことだ。街中は自分の庭感覚で走り回っているけれど、城門の外は未知の世界である。
広大な草原の中には、馬車が四台は通れそうな広い街道がある。非常に見晴らしがよく、見渡す限り魔物もいないようだ。
「リュー坊ちゃま、あちらに見えます森まで走ります。あの森には騎士が単独で倒せる程度の魔物しかいないそうなので、今回の修業にはうってつけですよ」
指を差されてやっと分かる距離に、確かに森が見えた。五キロくらいはあるだろうか。五歳の子供の足では数時間掛かるであろう距離だ。
しかし、僕とアンジェルは身体強化魔法が使えるので問題ない。
前世では適度な運動さえも制限されていたから、ただ走るだけで楽しくてしょうがなかった。風が頬を撫でる感覚も心地よい。
もちろん街中では目立つし危ないので、身体強化して走り回るようなことはしない。だが街道から外れた森の中なら、人に迷惑や被害が及ぶ心配もないだろう。
そうして十分くらい走ったところで、森の入り口に着いた。
こんなに長い距離を走ったのは初めてだけど、意外に疲れはなかった。
さあ初陣だ、早く戦ってみたい!
「リュー坊ちゃま、あの小さな人型の魔物がゴブリンです。一体だけなら弱いですが、群れで行動する知能があるために、少しだけ厄介な相手です」
アンジェルが指差した先に、肌が緑色で背丈が僕くらいの小さな生き物を見つけた。薄汚れた布を身に纏っている。
あれがゴブリンか、リアルで見たら気持ち悪いな。いや、可愛い姿で出てくるゲームなんてそうそうないだろうけど。
「今は一体しかいないようです。どうしますか? まずは私が倒すのを見ておかれますか?」
「ううん、僕が倒すよ。でもいきなり剣で斬りかかるのは怖いから、ここから魔法で狙おうと思う」
「なるほど。ではやってみてください」
今回は武器としてショートソードを持ってきた。盾や鎧などの防具は子供サイズのものがないのと、アンジェルが必要ないというので持ってきていない。
さて、魔法で倒すのはいいが、どうやって倒すかが問題だ。魔力を火に変えて放つか、水に変えて水圧で切断するか。それとも鋭い風を吹かせて切り裂くか。
近頃の稽古ではアンジェルも難しいレベルを要求してくるしなぁ……そうだ、最近教えてもらったあれを試してみよう。
僕は集中して、ショートソードへと魔力を流す。
自分以外の人や物体に魔力を伝えるのは非常に難しい。大事なのは、ショートソードが自分の身体の一部だとイメージすること。
慎重に十分な魔力を纏わせた後、力強く振り下ろし、刃からその魔力をゴブリンへと飛ばす。
一瞬ののち、スパンとゴブリンの胴体が左右真っ二つに切り裂かれた。
〝魔刃〟が成功したようだ。
「さすがはリュー坊ちゃま、とても上達されましたね。ですがお気をつけください。物陰で見えなかった数体が出てきました」
仲間の突然の死に気付き、新たにゴブリンが三体現れた。本能のまま叫ぶことはせず、冷静に辺りを見回して仲間を攻撃した者を探すその姿には、確かに知性を感じる。
「キー! キー!」
やがてこちらに気付き、まっすぐ向かってきた。僕はすぐさまショートソードに魔力を流し、次は横一文字にゴブリン達目掛けて魔刃を放つ。
近くの木々をなぎ倒しながら、魔刃はゴブリン三体をまとめて切り裂いた。
これで全部みたいだ。
「お見事です。ですが、木々を倒さぬよう微妙なコントロールが必要ですね。今の三体を倒すだけであれば、あの攻撃範囲では広過ぎます。もう少し接近してから攻撃を放つのが最善でした」
そう言いつつも、微笑んで僕を抱き締めてくれるアンジェル。嬉しいけど、戦闘の直後に抱きつくのはちょっと無防備過ぎないだろうか。
実戦経験も殺生も、今回が初めてだ。
魔物を殺したことに、自分が思っていた以上に動揺しないのは、アンジェルに抱き締められているからだろうか。それとも、心のどこかではこれがゲームの中の出来事だと思っているからだろうか。
そんなことを考えながら柔らかい感触に埋もれていると、遠くでガラガラと、何か大きなものが倒れるような音が聞こえてきた。
「アンジェル、何だろう今の音」
「リュー坊ちゃま、行きましょう」
さっきまでと打って変わって真剣なアンジェルの声に、胸騒ぎがした。
森の外へ出たところで、街道から外れた場所に、煌びやかな馬車が横転しているのを見つけた。ハーネスが切れたのか、馬が狂ったようにあらぬ方向へ走り去っていく。
そしてその馬車の周りを、ゴブリン達が囲んでいた。
じりじりと馬車へ詰め寄っており、そこから少し離れたところでオークが雄叫びを上げている。どうやら馬車を横転させたのはあのオークのようだ。
そしてオークの近くには、兵士らしき人達の無残な遺体が転がっていた。魔物の死体ではなく、人間の、人間の……!
「リュー坊ちゃま」
気遣うようなアンジェルの声を聞く前に、身体が動き出していた。
僕は無言のまま、ショートソードでバサバサと馬車の周りのゴブリンを斬り捨てていく。
この感情は、憎悪だろうか? 恐怖でないことは確かだ。
オークが僕達の姿を見て、のしのしと大股でこちらへと近付いてきた。あれが来る前にゴブリンを片付けないと!
すると、アンジェルが加勢して素早く残りのゴブリンを葬ってくれた。
残る危険はオークのみだ。
敵を睨みつけ、今にも走り出そうとしていた僕の手を、アンジェルが掴む。
「リュー坊ちゃま、オークの体格を考えると、剣で直接斬りつけるのは少々危険です。魔刃を飛ばすか、他の魔法を放つのがよろしいでしょう」
この状況すらも、僕の修業の一環にするつもりらしい。アンジェルの実力なら、オークなどすぐに倒せるのだろう。
そのアンジェルが、僕にもオークが倒せると判断したということか。
横転した馬車の中にはまだ人がいる様子だ。僕達で馬車を守らないと。
オークの身長は二メートル以上あるが、身体強化した足で跳び上がれば首に剣を突き入れることはできそうだ。
でも僕は今日初めて魔物と戦ったばかり。
時々自分が五歳であるという事実を忘れそうになるが、その油断が命取りになる可能性もあるのだ。ゴブリンとの戦闘とは違い、経験不足からオークに後れを取るかもしれない。
ならば、魔刃を放ってオークの首を飛ばすのが一番安全な戦い方ではないだろうか。
ここまで考えて、僕は頭に血が上っていたことに気付かされる。アンジェルが引き止めてくれて助かった。これはゲームの戦闘ではない、自分に降りかかっている現実なのだ。
あくまで冷静に。焦ってはいけない。そう意識しながらショートソードに魔力を流す。
と、オークが地面に落ちている拳ほどの石を投げつけてきた。
僕の後ろには馬車がある。避けることはできない!
咄嗟にショートソードの腹で石を打ち、そのままオークへピッチャー返し!
石は見事にオークの顔にヒット。野球なんてしたことはなかったけど、何とかなった。
オークが怯んでいる隙に、僕は魔刃を飛ばす。
やったか⁉
しかしオークとてじっとはしていない。寸前でかわされてしまった。
攻撃を受けたことで向こうの警戒も強くなって、避けられやすくなっているのだ。
ならばと僕は、右手で剣を構えたまま、左手に魔力を集中させる。
イメージするは氷の槍。地面から一瞬で突き出る氷ならば、オークも避けられないだろう。
すると自身の足元に集まる魔力に勘付いたのか、オークが飛び退く。魔力操作が遅いせいで気付かれてしまった。
でも問題ない、突き出す方向を変えればいいだけだ。
発動させる瞬間に、左手首をクイっと持ち上げる。地面を突き破っていくつもの氷の槍が飛び出した。ドシュッという音と共にオークの身体や首元に穴が開き、頭が胴体にさよならも言わず転がっていく。
ふぅ……何とかなったか。
僕がオークの相手をしている間に、アンジェルは馬車の中にいた人を救出していた。
現れたのは高貴そうな服装のご婦人と、娘さんらしき女の子。衛士のおじさんが言っていたのは、この方々のことだったのだろうか。
「あぁ、助かりました! 突然魔物の群れが街道に立ち塞がったのです。どうにかこの森まで逃げてきたのですが、護衛の兵士達が犠牲になってしまいました……」
少女を抱き締めて、ご婦人がほろほろと泣く。取り乱すことはないが、かなり動揺しているのが分かる。
胸に抱かれたままの少女は、あまりのショックな状況に声も出ない様子だ。目を丸く見開いて、僕達を見つめている。
馬車が横転した際に頭を打ったらしく、二人とも額に血が伝っていた。
馬は逃げ、馬車も壊れて動かせそうにない。かといってここにいれば、また魔物が襲ってくるかもしれない。
どうしたものか。ひとまず、先に治癒魔法をかけておこう。
「とりあえず頭を見せていただけますか?」
僕はそう言って、ご婦人の胸に抱かれた少女の頭を見る。
うん、おでこが軽く切れているだけみたいだ。魔力を手に集中させて傷口にかざし、塞いでやる。
ご婦人の方も同様で、すぐに治癒させることができた。血を拭き取れるように、持っていたハンカチを魔法で出した水で濡らし、渡しておく。
「魔物に襲われて疲労困憊のご様子。しかし馬もなく、ここに留まるのは危険です。徒歩にて移動致しましょう」
辺りを警戒しつつアンジェルはそう言うが、魔物に襲われたショックから、お二人は膝をガクガクと震わせている。この状態で歩いて五キロの距離を帰るのは難しいだろう。
そうだ、ここは抱っこしていくしかない。僕はお二人に向き直って言った。
「まだご自分の足で歩いて帰るのはお辛いかと存じます。不本意な形になるかとは思いますが、我らにその身をお任せ願えませんでしょうか?」
僕が提案したのは、お姫様抱っこだった。身体強化魔法を使えば、抱えたまま走って学園都市まで帰ることができる。
おんぶでも良かったんだけど、さすがにドレスで着飾った女性を背負うのは躊躇われたのと、お嬢様を少しでも元気づけられればと思っての提案だ。
「アンジェル、お願いできるかな」
「畏まりました」
ご婦人はアンジェルに任せ、僕はお嬢様を抱き上げる。
「わぁ、すてき……」
小さく、感嘆するような声が聞こえた。
ふふっ、やっとお嬢様が喋ってくれた。
「お嬢様、僕のような者が王子様役では不足でしょうが……しばしの間、この大役をお任せくださいませ」
「とんでもございません、ワタクシのおうじさま。よろしくおねがいいたしますわ」
まだ二、三歳だろうに、立派なレディのような言葉遣い。よほど高貴なお方らしい。
「お二人は魔法をお使いなのですね。そのお歳でこれほどの使い手、さぞ名高いお家なのでしょう。どちらのご出身かしら」
ご婦人はいくつか貴族家を挙げて僕に問いかけられる。
「いえ、僕はノマール士爵家三男のリュドヴィックと申します。父は公爵領をお守りする騎士でございます」
「まぁ! ロミリオ様のご子息でいらしたのね。そう言われれば、お顔立ちがよく似ておられますわ。目元もジュリエッタにソックリ。……そうですか、良いお方に救われましたわね。これも精霊のお導きなのかしら」
おや、どうやらこのご婦人は僕の両親のことをご存知らしい。貴族の集まるパーティーなどで、面識があったのだろうか。
「申し遅れましたね、私はマリー・エレオノール・カトルメール=トルアゲデスと申します」
ん……? このおばちゃん今何つった? トルアゲデス?
「そしてこの子は娘のアンヌです」
アンヌ? 今、僕がお姫様抱っこしているお嬢様が、アンヌ……? え、マジで⁉
「おみしりおきを、リュドヴィックさま」
ニコリと笑って僕を見上げるお嬢様。もとい、アンヌ・ソフィー・リフドゥ=トルアゲデス。
僕の腕の中にいたよ、憧れの悪役令嬢が……。
それから僕とアンジェルは、お二人をお姫様抱っこしたまま学園都市へと走った。可能な限りアンヌの頭を揺らさないように速度を抑えたので、酔わせてしまうことはなかった。
アンヌは腕の中から僕を見上げて「まほうはいつからつかえるのですか?」「ワタクシもつかえるようになりますか?」と興奮した様子で僕を質問責めにしてくる。
先ほどまで怯えきっていたのが嘘みたいだ。キラキラと目を輝かせつつ、興奮からか頬を赤らめている。可愛いなぁ……女の子もやっぱり魔法に憧れるのだろうか。
さすがにこの格好のまま城門をくぐると公爵家の威光に影を落とすことになりそうだったので、公爵夫人には少し離れた草原で降りていただいた。
アンヌは無事に帰ることができた安心感からか、ひとしきり僕に質問すると、腕の中で寝てしまった。今もスヤスヤと天使のような寝顔を見せてくれている。
こんな可愛い寝顔の天使が、本当に悪役令嬢になってしまうんだろうか……。
「リュー坊ちゃま、こちらでお待ちいただけますか? 私が城門の衛士様に知らせて参ります。馬車を用意してくださるでしょう」
「分かった、頼むよアンジェル。公爵夫人、このメイドを使いに出します。しばらくこちらでお待ち願えますか?」
「ええ、分かりました」
公爵夫人が頷く。先ほどの衛士さんなら、亡くなった兵士達のことも含めて、諸々の手配をしてくれるだろう。
アンジェルが走り出し、あっという間に城門へ着いたのを見ながら、公爵夫人が話しかけてきた。
「私達は王都からの帰りだったのよ。普段なら何の危険もない馬車の旅だったはずなのに。突然オークが現れて、森へと逃げたのですが振りきることができず、ゴブリンにまで囲まれてしまいました。どうにか娘だけでも逃がせないかと考えていたところで……本当に助かりました、お礼を申し上げますわ」
そう言うと、何と公爵夫人は僕に頭を下げた。
「そんな! 頭をお上げください。たまたま修業している時に大きな音が聞こえたものですから、見に行ったら馬車が倒れていて……」
「大事な一人娘が無事だっただけでも、感謝すべきことなのです。このことは夫である公爵にきちんと伝え、お礼をさせていただきますわ。何かお望みはあるかしら?」
それじゃあ僕をアンヌの教育係にしてください! などと言えるはずもない。そもそもたった五歳の僕が、アンヌの教育係になんてなれる訳ないもんな。
でもせっかく会えたのにな、と思っていると……。
「おかあさま、あのおはなし、このおかたがよろしいですわ」
ん? アンヌ起きてたのか。それにしても、あのお話とは何だろう?
「あらアンヌ、女の子じゃなくてもいいのですか?」
「はい、このおかたがいいのです。おうとにおられるかたがたはイヤですわ」
それを聞いて、公爵夫人は何やら考え込んでおられる。はるばる王都まで、一体何の用事で出掛けていたのだろうか。
でもこれは僕が聞いていい話なのか、とアンヌを抱えたまま突っ立っていると、学園都市の城門から煌びやかな馬車が向かってくるのが見えた。
後ろには馬に乗った兵士達もおり、それらを先導してアンジェルが走ってきている。
「どうやらアンジェルとやらが上手く手配してくれたようですね。リュドヴィック、あなたも一緒にあの馬車に乗ってくださるかしら?」
あれじゃアンジェルが追い回されてるみたいだな、などと馬鹿なことを考えていたら、公爵夫人から思わぬお誘いを受けてしまった。
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