華間 -カカン-

8ツーらO太!

文字の大きさ
23 / 30

第二十二話:本当の脅威

しおりを挟む
 立羽たてはは平地にぬかづき「申し訳ございません」と繰り返す二人の使蟲間しちゅうかんを、母にも似た哀れみの目で見下ろした。そばに跪き、彼らの頭にそっと手を置く。

「よく耐えた。すまない……」

 自らが放つ芳香の脅威を知らない夜華やかへの配慮が足りず二人を苦しめたのは、自分の落ち度だと立羽は思っていた。挙句、夜華を叱責し、まだ十六年しか生きていない幼い心を傷つけてしまった。そのせいで、目に見える範囲にとどまっているだろうと予想した彼の姿はどこにもない。

「すぐに夜華君を探す。手伝ってくれ」

 使蟲間たちは顔を上げ、唇を引き結んで頷いた。女児と青年の顔にはまだ疲労の色が残っている。二人の今の状態は、たとえるならば強い催眠から無理やり目覚めたようなもの。

 先ほど夜華が頭のサークレットを外したとき、瞬時に広まった暴力的な芳香は、二人の本能をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。そして欲求を膨張させ、彼らの足を芳香の発生源へと向かわせた。

 大量の蟲たちが平地に押し寄せてこなかったのは、この先の登山の道程を見越して彼らが事前に駆除していたからだ。それが思いもよらず功を奏した。

 彼らがふらつきながら平地に現れたとき、衣服の袖に隠れた彼らの腕にはいくつもの歯形があった。自分自身を噛むことで急激に増幅された食欲と性欲に耐えていたのだ。一歩間違えれば彼らは、凶暴な蟲と化して夜華に喰らいついていたかもしれない。

 しかし、理性と使蟲間としての矜持はすんでのところで彼らを野生から引き戻した。

 彼らは史上最大の誘惑に対して五感のすべてを閉ざすようにうずくまり、嵐が去るのを必死に待った。そうして共食いすらすることなく、ほとんど痛みに近い欲を制したのだ。

蜻迅衛せいじんえ換身かんしんできるか」
「はい」
「ならば東へ飛べ。私は西へ行く。網玲もうれいは平地から下、麓のあたりまで網で探れ。消えた方角からして下山している可能性はないとは思うが、念のためだ」

 了の返答ののち、網玲は網を張る蟲術の詠唱を始め、蜻迅衛は蜻蛉とんぼの姿に換身して東へ飛び去った。立羽も蝶に姿を変えて西へ飛ぶ。
 探知用の鱗粉を薄く振りまきながら、目と鼻と耳を研ぎ澄ませて夜華の気配を探る。

 夜華がサークレットを外した影響は、立羽の身にも起きていた。外すのを見た瞬間、反射的に羽衣の袖で鼻と口を塞いだが、芳香とは単に吸い込まなければいいというものではない。

 網玲と蜻迅衛より夜華の近くにいたこともあり、受けた威力は絶大だった。人界で初めて会った時の、かそけきそれとは比べものにならない。白華山はっかざんの大気はよほど夜華の身体に合ったのだろう。

 立羽は今、五感が鈍っていた。目はかすみ、鼻は普段の半分も利かず、耳鳴りが止まないうえに手足は痺れている。だが使蟲間たちの前で弱音は吐けない。少し経てば感覚も戻るだろうから、それまでは気力で持たせるのだ。

 林間を縫うように飛んでいた立羽は、草の踏み折られた跡を見つけた。多足の蟲が胴をずるように移動する跡とは違う。点々と小さく続くそれは、二足の足跡だ。
 これだ、と立羽は思い、跡の行く先を追いかけた。跡は白華山の上方へ向かって進んでいた。

 胸騒ぎがした。何か見えたわけでも聞こえたわけでも香ったわけでもない。第六感的な感覚。

 果たしてそれは的中した。足跡を追い、林間から断崖絶壁に臨む高地へと飛び出したとき、視界の端に鮮やかな緑色が映った。
 心拍数が一気に上がり、立羽は換身を解いて地に降り立つ。

翠鎌すいれんッ……」
「これはこれは立羽殿。見つかってしまいましたか」
「なぜ貴様がここにいる!?」

 色つき蟲間ともあろう者が他国の修行山に忍び込むなど、おおやけに知れれば一大事だ。緑国に侵略の意思ありとして、正当な理由のもと兵を挙げることもできよう。
 もしも赤女王が、病床に伏せていなければ。

「道に迷いました、では済まされんぞ翠鎌」
「そのような見え透いた嘘をつきはしませんよ。ただ正直に申し上げましょう。私は夜華を求めて来たのです」
「なぜ夜華がこの白華山にいると思う。いや、なぜ思ってここへ来た?」
「それをお話ししてもよろしいですが……今となってはどうでもよいことでしょう。先ほど放たれた強烈な芳香、よもやこの白華山のみにとどまるとは思いますまい。ただの蟲や蟲間ならいざ知らず、色つき蟲間たちは気づいたことでしょうね」

 立羽はぐっと奥歯を噛んだ。
 そう……何よりも恐れていたこと。それは芳香に酔った白華山の蟲どもが押し寄せてくることなどではない。もっと先。

 この世のすべては形を変えていくだけで、この世から消え去るわけではない。氷が解ければ水になり、蒸発すれば大気の一部になるように、芳香は、匂いとして感知できなくなったその先でも存在し続けている。

 その存在は、研ぎ澄まされた色つき蟲間たちの第六感に必ず引っかかる。
 あの瞬間、夜華間が華界の赤国にあるという事実は、確信でないにせよ、他の六国に知れ渡ってしまったのだ。

 六国の使者あるいは国軍が、その詳細を問うべく赤国にやって来る。
 この翠鎌のように、侵入して探ろうとする輩も出てくるだろう。
 間もなく、赤国は荒れる。

「だから何だ」

 立羽は内心の焦りを悟られぬよう気丈に声を張った。

「誰が来ようと何が来ようと、排除するのみだ――縛粉ばくこ
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

チート魔力を持ったせいで世界を束ねる管理者に目を付けられたが、巻き込まれたくないので金稼ぎします

桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。 交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。 そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。 その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。 だが、それが不幸の始まりだった。 世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。 彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。 さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。 金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。 面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。 本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。 ※小説家になろう・カクヨムでも更新中 ※表紙:あニキさん ※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ ※月、水、金、更新予定!

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

レベル1の地図士は、世界の裏側を知ってしまった

あめとおと
ファンタジー
異世界に転移した主人公が得たスキルは【地図作成】。 戦闘能力ゼロ、初期レベル1。 冒険者ギルドでは「外れスキル」と笑われ、 新人向けの雑用クエストしか回ってこない。 しかしそのスキルは、 ダンジョンの隠し通路、未踏破エリア、消えた古代文明の痕跡まで“地図に表示する” という、とんでもない能力だった。 生き残るために始めた地味な探索が、 やがて世界の秘密と、国家すら動かす大冒険へ――。 これは、 戦えない主人公が“冒険そのもの”で成り上がる物語。 同作品を「小説家になろう」で先行配信してます。

異世界で魔法が使えない少女は怪力でゴリ押しします!

ninjin
ファンタジー
病弱だった少女は14歳の若さで命を失ってしまった・・・かに思えたが、実は異世界に転移していた。異世界に転移した少女は病弱だった頃になりたかった元気な体を手に入れた。しかし、異世界に転移して手いれた体は想像以上に頑丈で怪力だった。魔法が全ての異世界で、魔法が使えない少女は頑丈な体と超絶な怪力で無双する。

優の異世界ごはん日記

風待 結
ファンタジー
月森優はちょっと料理が得意な普通の高校生。 ある日、帰り道で謎の光に包まれて見知らぬ森に転移してしまう。 未知の世界で飢えと恐怖に直面した優は、弓使いの少女・リナと出会う。 彼女の導きで村へ向かう道中、優は「料理のスキル」がこの世界でも通用すると気づく。 モンスターの肉や珍しい食材を使い、異世界で新たな居場所を作る冒険が始まる。

異世界に転生した俺は英雄の身体強化魔法を使って無双する。~無詠唱の身体強化魔法と無詠唱のマジックドレインは異世界最強~

北条氏成
ファンタジー
宮本 英二(みやもと えいじ)高校生3年生。 実家は江戸時代から続く剣道の道場をしている。そこの次男に生まれ、優秀な兄に道場の跡取りを任せて英二は剣術、槍術、柔道、空手など様々な武道をやってきた。 そんなある日、トラックに轢かれて死んだ英二は異世界へと転生させられる。 グランベルン王国のエイデル公爵の長男として生まれた英二はリオン・エイデルとして生きる事に・・・ しかし、リオンは貴族でありながらまさかの魔力が200しかなかった。貴族であれば魔力が1000はあるのが普通の世界でリオンは初期魔法すら使えないレベル。だが、リオンには神話で邪悪なドラゴンを倒した魔剣士リュウジと同じ身体強化魔法を持っていたのだ。 これは魔法が殆ど使えない代わりに、最強の英雄の魔法である身体強化魔法を使いながら無双する物語りである。

クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる

アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

おっさん冒険者のおいしいダンジョン攻略

神崎あら
ファンタジー
冒険者歴20年以上のおっさんは、若い冒険者達のように地位や権威を得るためにダンジョンには行かない。 そう、おっさんは生活のためにダンジョンに行く。 これはそんなおっさんの冒険者ライフを描いた生活記である。

処理中です...