憧れの剣士とセフレになったけど俺は本気で恋してます!

藤間背骨

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第6話

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 森の中に剣戟の音が響く。
 湖のほとり、少し広めの開けた場所で狼とヘラジカの鎧を纏った二人は剣を交えていた。

 襲いかかる剣を戦斧で払い、返す手で胴を薙ぐ。
 すぐに反応したディヒトバイは戦斧を弾くと、唯一露出しているクエルチアの目元に向かって突きを放つ。
 真っ直ぐに向かってくる剣をクエルチアは角で絡め取った。
 兜についたヘラジカの大きな角は飾りではない。上手く使えば武器にもなる。
 一瞬の慢心、それが事実慢心であったことにクエルチアが気がついたのは、剣を掴む力がやけに弱かったからだった。
 角に取られた剣は呆気なくディヒトバイの手を離れ、予想以上の軽い手応えに大振りになったクエルチアの横っ面に、ディヒトバイは体を独楽のように回転させながら二発の蹴りを叩き込む。

「っ……!」

 頭蓋を揺さぶられ体が脳の制御を離れる。足払いに気付いた頃にはもう遅く、クエルチアは地面に倒れこむ。
 駄目押しのように顔のすぐ脇に先程払った剣が突き刺さり、降参だと両手を上げた。

 まだまだ学ぶべきことがある。自分の失敗を反省するようにクエルチアは目を閉じる。
 自分には経験と技量が足りないと、クエルチアは常々思っていた。
 ディヒトバイの持つ長い経験からもたらされる技量、剣を囮に使ったり手数の不足を足技で補ったりする発想力、それを実行に移す大胆さを見習おうと思っても、一朝一夕で追いつけるようなものではない。
 踏んできた場数が違うのだ。
 それを補えるとしたら、今のようにがむしゃらに手合わせを重ねるしかなかった。
 ディヒトバイは倒れたクエルチアに手を差し出す。一瞬迷ってからクエルチアは手を取った。

「飯にするか」
「はい」

 ディヒトバイの提案に、クエルチアは頷いた。

 闘技場で目玉のカード扱いされている二人は毎日リングに上がるわけではなかった。
 週に一度戦う以外は自由に行動が許され、三日程度なら街の外に出てもいい。

 だからといって別段やることもなく、手が空いたときは人手の必要な雑役を手伝うか、こうして二人で遠乗りに出かけるのである。最初に誘われたときは何事かと思ったが、要するに体の慣らしに付き合えということだった。

 地に突き刺さった剣を抜き、歩きながらディヒトバイは真紅の鎧を解く。
 全身が赤い光に包まれたかと思うと、その光は剣に集まって鞘となった。
 鎧の下から現れたディヒトバイの姿は薄手の臙脂の上衣に、黒革のズボンと膝丈のブーツ、それを覆い隠すような丈の長い黒のコートを身に着けていた。

 ディヒトバイは横倒しになった木に腰掛ける。
 隣を示され、自分がぼうっと突っ立っていたことを思い出しクエルチアも鎧を解く。
 戦斧と紺色の鎧が青い光に包まれると、瑠璃色の石がついた腕輪になった。
 その下は騎兵の着るような丈の長い黒のジャケットと揃いの布のズボン、革のブーツという出で立ちだ。
 目元まで覆うような黒のマスクが目立つ。
 つかず離れずの距離をとってクエルチアはディヒトバイの横に座る。

「ほら」

 ディヒトバイから手渡された紙包みを受け取るときに軽く指が触れた。
 それだけでクエルチアは顔が熱くなる。
 戦う度に体を重ねているというのに、こういう触れ合いにはまったく慣れなかった。
 クエルチアの心情は幸いにしてマスクで隠され表に出ることはなかった。
 表情を隠すためにマスクをしているわけではないが、顔色を読まれないのは十分に益のあることだった。
 こんなことでいちいち心を乱していると知られたら、触れあうことすら避けられそうだ。
 
 戦っているときはいいのだ。
 隙があれば殺されそうなほどのやり取りの中でそんなことを考えている余裕はない。
 しかし、一度戦いから外れてこと日常に至るとてんで駄目なのである。
 何をしていてもその姿を目で追ってしまうし、今も横に座るだけで緊張してしまう。
 彼の後ろに撫でつけた焦げ茶の髪、たまに額にかかる後れ毛を整える仕草が好きだ。
 節くれ立ち、筋の浮き出た手で紙包みを開ける手つきがいいとか、サンドイッチにかぶりついて物を咀嚼し、飲み下す度に動く喉元に色気を感じるとか、口髭についたソースを指で拭って、それを舐め取る仕草など――。

「食わねえのか」
「え、あっ、はい!」

 黄金色の目に見つめられ、クエルチアは紙包みすら開けていなかったことに気付く。
 マスクを取り、雑念を振り払うようにクエルチアは食べることに集中した。
 豚肉とソースを絡めた根菜を挟んだサンドイッチは、作ってから時間が経っても味を落とすことはなかった。

 人と金が集まるからなのか、闘技場で出されるものはどれも美味だった。
 小さい頃は生きることで精一杯でいつも腹を空かしていて、人一倍大きな体に見合うだけの食事などなかなか得られなかった。
 歳を重ねて一人前となってからも腐りかけたものを口にすることなど日常茶飯事で、まともな食事をとれるようになったのは傭兵になってからだ。
 魔鎧を手に入れてからは腹いっぱい食べられるようになった。
 好きな人の隣で食事をするのが嬉しいと知ったのは、つい最近だ。

「……おいしい」
「美味いよな」

 口からこぼれた言葉に答えが返ってくるとは思わず、むせそうになるのをなんとか堪えた。
 普段から口数少なく、他人との付き合いも最低限のディヒトバイにまさか自分が思ったことに同意されるとは意外すぎて、それだけで頭がいっぱいになってしまう。
 サンドイッチの味は途中からわからなくなった。

 彼にとってはほんの戯れなのだろうが、その戯れがどれほどクエルチアの心を乱すか。
 それが知れたら話しかけることもなくなるだろう。
 サンドイッチを食べ終わり口元を拭ってマスクをつける。
 食べるために仕方がないとはいえ、できることなら外したくはない。
 ディヒトバイと交わるときも外すが、それは暗い部屋の中だからだ。

「それ、いつも着けてるな」

 今日のディヒトバイは口数が多かった。それでも二言だけのことではあるが。
 予想外の問いにクエルチアは言葉を失くす。
 いくら大好きな人であろうとこれだけは触れてほしくなかった。

「顔に傷があるんです。あまり見られたくない」

 言いながら左の頬に触れ、マスクの下にある傷跡をなぞった。
 ほとんど消えかかっているが、ほんのわずかでもこの傷は意識したくないものだった。

「そうか。悪い、変なこと聞いたな」

 少しの間を開けて出した答えに、ディヒトバイも少しの間を開けて答えた。
 その後は言葉もなく、ただ風景を眺めていた。湖に鳥や鹿が水を飲みに来たり、魚が跳ねたりするのをぼうと見ていた。
 言葉を交わすこともなくただ隣にいるだけだが、こうしてディヒトバイと二人で過ごす時間はまるで逢瀬のようで、気恥ずかしいが心地よい時間だった。

「続きをやろう。できるか」
「はい」

 言ってディヒトバイが立ち上がるとクエルチアも続いて立ち上がった。
 共に鎧を纏い距離を取り、得物を構えて対峙する。

 ――これだ。

 狼の姿をした鎧越しに伝わる気迫。
 それこそ狩りをする狼のように、追い詰めたものは逃さないという意志の剣を突き立てられるように感じる。何度対峙しても慣れることはない。
 狼の黄金色の瞳で見つめられてしまったが最後、獲物は千々に引きちぎられるほかないのだ。

 自分の場合、それが体ではなく心だったのだろう。



 夕焼けに照らされながら二人は闘技場へ帰ってきた。
 闘技場を囲うように設けられた外壁の大きな門を潜ると、闘技場の裏手の荷下ろし場に出る。
 一日の終りに追われ人がごった返している脇を馬を降りて進み、馬小屋に向かい馬を返す。
 炊事場にいる女中に昼食の礼を言って自室に向かった。

 城塞を改築したこの建物は三つの棟に分かれていて、大きな東棟は闘技場に関わる人が集う仕事場、南棟は闘士や関係者の宿舎、西棟は闘技場のオーナーと来訪客、クエルチアとディヒトバイが寝泊まりする場所になっていた。
 同じ闘士であるのだから部屋は南棟でいいと言ったのだが、稼ぎ頭にはいい思いをさせなきゃとオーナーに言われて西棟で暮らしている。
 確かに、死ぬような思いで特訓をして、自分目当てに客が来るようになっても雑魚寝ではやっていられないだろう。
 名を上げればいい暮らしができる、それを原動力に闘士たちは今日も鍛錬に励んでいる。

 来客を招くことがあるからか西棟の入り口には常に衛士が控えている。
 二人は自分より体の小さい衛士に会釈し西棟の中に入る。
 西棟の一階と二階はホールになっていて、居住区は三階から上になる。
 ぐるりと孤を描いて伸びる階段を登り、広間を通り自室に向かう。

「お疲れさん」

 ディヒトバイがクエルチアに声をかけ部屋に入る。
 それを見送ってからクエルチアも自室に入った。
 水筒しか入っていない鞄を机に放りベッドに倒れ込むと、派手な音を立てて軋んだ。

 リングで戦うときは緊張し死地に晒され精神が昂ぶり、その流れのままディヒトバイと夜を共にするから意外と疲れは感じない。
 しかし今日のように遠乗りして一日中剣を交えるとなると、帰ってくるのがやっとというほどに疲れがたまる。
 馬に揺られながら何度睡魔に襲われたかわからない。
 ここから起き上がって、南棟の風呂に行って、食堂で夕飯を食べ――。
 やることはまだまだあるものの、眠気で勝手に閉じる目蓋には逆らえずに意識が溶けた。


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