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ウンディーネ編
第百八話 宙の旅
しおりを挟む空に浮かんでいたはずの雲がすぐ目の前にある。その雲を船はあっと言う間に突き抜けてしまった。
「ど、ど、どこまで行くのーッ! このままじゃ、本当に宇宙まで行っちゃう!?」
わたしはまだ空気があるうちにと、思い切り息を吸い込んで止めた。そうこうしている間にも、船はビュンビュンと風を切る。瞬きをしている間に、青かった空が黒い夜になっていた。
もう船は水の流れに乗っていない。スピードが緩やかになってきた。
「ふう、やっと落ち着きましたわね」
「わたし、吹き飛ばされるかと思った」
――ルーシャちゃん! エルメラ!! 喋ったら息が! 息が!!
「どうしたんだ、ユメノ。リスみたいな顔をして」
イオが私の膨らんだ頬を指でつつく。プシューっと、わたしの口から空気が漏れてしまった。
「何するのよ! せっかく溜めた空気が抜けちゃったじゃない!」
叫んでしまったので、慌てて口を押える。無駄な抵抗と思いつつやってしまう。
「ああ。そう言えばユメノが空には空気がないとか言っていたな」
――そう言えばじゃないよ! ここ絶対、エベレストより高いよ!?
ルーシャちゃんが手を広げて仰ぎ見た。
「でも、平気ですわ」
「もっと上なのかな」
ルーシャちゃんたちは普通に話している。わたしも口を押えていた手を恐る恐る離した。地上のときと一緒で、全く息苦しくない。
「大丈夫みたい……。まだ、そんなに上空じゃないのかな」
わたしは甲板から頭を出して船底を覗き込んでみた。みんなもどれどれと覗き込む。
「ヒッ!」
次の瞬間、あまりの高さに引きつった声が出る。
あれだけ広かった精霊の海がピンポン玉ぐらいに小さい。丸く大きな大陸は、それが手のひらに収まってしまいそうなほど小さくなっていた。周りは所々に小さな島はあるものの、青い海が広がっている。海の端は霞んでしまって見えない。
「この世界って平らなんだ……」
わたしのつぶやきに返事はなかった。みんな、初めて見る景色にぼんやりと魅入っている。
後ろからサラマンダーが声を掛けて来る。
「美しいであろう。来てよかったと思わないか」
「確かに綺麗だけどさ。これだけ高いのにどうして息が出来るの!?」
普通なら成層圏を抜けているだろう。さすがに息が出来るはずがなかった。
「ユメノは風情がない。我ら自然界の四人の精霊の王がいるのだぞ。下界と同じ環境を作ることなど造作もない」
「そういうもん?」
でも、確かに水や風があれば空気は作れそうだ。それに船は宙に浮いているけど、重力も関係ないみたい。シルフとウンディーネ、ノームも甲板にやって来た。
「上手くいったね」
「精霊の海を溶かせるのは、一度きりでしたのでよかったです」
「それで、船はどちらに向かわせますか」
わたしたちは宙を見上げる。月を目指して来たのだけど、周りは暗闇で星の光が点在している。月の影も形もない。
「さすがに当てもなく、さ迷う訳にはいかないよね」
エルメラが不安そうにつぶやいた。確かに準備はして来たとはいえ、何か目印でもないと船も進められない。
「宙に来たら手がかりぐらいあるかと思ったが……」
「何もありませんわね」
うーんとわたしたちは悩む。本当に月は影も形も無くなったのだろうか。
「でも、太陽はあるね」
わたしはひと際眩しく輝く太陽を指さす。きっと遮るものが何もないからだ。
「太陽があるのに、暗いのは妙な感じだな」
「太陽とは反対側に行ってみる? そうしたら月があった場所にたどり着くかもしれない。もしも月があればだけど」
この世界の天体がどうなっているかは分からないけれど、それぐらいしか思いつかなかった。
「うむ。太陽は昼に出て、月は夜に出るものだからな。月があるとしたら、太陽から一番遠い場所であろう」
サラマンダーも頷いたことで、船は太陽に背を向けて進むことになった。
黒い闇の中、船はシルフが起こした風を受けて進む。
進行方向がよく見えるようにと、大きなランプにサラマンダーが火を灯した。船首にぶら提げているが、何かがあるようには見えない。
「ユメノ。ご飯出来たよー」
ジッと前方を見張っていたわたしをエルメラが呼びに来た。
「うん。今、行く」
船旅を始めてから、たぶん七日ほど経った。
けれど、宙の旅は驚くほど穏やかだ。障害物もなく、舵を切るのも精霊たちがしてくれる。見張りも交代でしているから、それ以外は自由時間だ。みんな、本を読んだり、ぼんやり星を見つめたり。もちろんトレーニングは欠かさずしているけれど、わたしがこの世界に来てから、ここまでのんびりしたのは初めてだ。
それに時計もない上に、ずっと夜だからどれぐらい時間が経ったかも分からない。なんとなくの時間でご飯も食べていた。
「精霊も全然出てこないね」
「確かに。なんだか、張りがないのう」
スプーンで具をすくいながらぼんやりとつぶやくと、サラマンダーが同意する。サラマンダーも、よく甲板であくびをかいていた。ルーシャちゃんも手を止める。
「本当にこっちで良いのですかしら」
でも、いまさらUターンなんて出来ないし、他に当てもない。エルメラが上を見て言う。
「でも、最初の場所となんだか違うよ」
「なんだか、ですか。エルメラさま」
ウンディーネにエルメラはうんと頷く。
「いつも精霊を感じるときより、ぼんやりとしているけれど、何かを感じるよ」
周りは変わらず夜が広がっているだけだけど、妖精のエルメラには何か感じるみたいだ。
「それってすごく手がかりになるんじゃない?」
イオも同じように思ったみたいだ。
「それならば、さらに進んでみるしかないな。エルメラ、何かを感じ取ったらすぐに知らせるんだ」
「うん。分かった」
それから、三日ほど経った頃だ。エルメラが唐突に叫ぶ。
「ちょっと待って! 精霊の気配がすごく濃くなってきたよ!」
みんなが慌てて甲板に出て来る。だけど――
「……何もないよ?」
船首まで駆け寄って眼を凝らしてみるけれど、前方にはやっぱり暗闇が広がっているだけだ。
「おかしいな。確かに精霊の気配が濃くするんだけど……。いつもと雰囲気が少し違うけど、確かに精霊の気配がするんだよ?」
エルメラも高く飛んで周りを見る。
「ここではないのかしら」
イオが後ろを振り返った。
「いや。周りをよく見てみろ」
船の後ろに何かあるのだろうか。でも、振り返っても同じに見える。
「何もないよ?」
「後方には星があるのに、前方には星がない」
「「「え!」」」
わたしたちは前と後ろを交互に見た。イオの言う通り、これまで遠くに見えていた小さな光が船の先からは消えていた。ノームが真剣な顔をして言う。
「大地の気配もします。月があるのは間違いありません。光が遮られているようですね」
「やはり闇の精霊が関わっているのでしょうか」
ウンディーネもジッと前を見つめている。月の光が闇に遮られて月が無くなって見えていたのだ。
しかも、エルメラが精霊の気配を感じている。なら、闇の精霊が深く関わっていてもおかしくない。
「それじゃ、準備をして慎重に船を進めよう」
船はさらにゆっくりと進む。
「……なんだか、一層暗くなってきたね」
後ろを振り向いても、もう星は見えない。黒い霧の中をかき分けるように船は進む。近くにサラマンダーがいるから、船の上は足元が見えるぐらいには明るいけれど、船の外の様子は全く分からなかった。ルーシャちゃんが心配そうにつぶやく。
「こんなに闇雲に進んでも大丈夫ですかしら」
確かに座礁でもしたら、わたしたちは動けなくなってしまう。こんな所に助けなんて来ない。イオは船首の一番前で先を見つめる。
「せめて、もっと進行方向の視界が良ければいいんだが」
船首に下げられているランプでは、照らす範囲も限られていた。
「そうだ! ホムラ、フォームアロー!」
わたしはホムラを呼び出して、弓に具現化させる。
すると、サラマンダーが顔を寄せて来た。
「どうするつもりであるか、ユメノ」
「うん。サラマンダーの周りは明るいでしょ。つまり、炎なら明るく照らせる。だから、炎の矢を放って周りに何があるか確かめてみるの!」
「なるほど。弓矢なら遠くに飛ばせる。考えたな、ユメノ」
でしょ!と言いながら、わたしはより船の先端に近づき矢をつがえる。
「もっと明るく照らして」
静かに矢に向けて言うと、つがえていた矢が三本になった。一気に解き放つ。
バシュッ
風を切る音がした。白い炎の矢は辺りを照らしながら、より遠くへ。そして、大きな岩に当たって弾けた。
「あれが月の地面みたい。近づいてみよう!」
再び炎の矢で辺りを照らしながら、わたしたちはゆっくりと船を岩場まで進める。
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