あやかし漫画家黒川さんは今日も涙目

真木ハヌイ

文字の大きさ
16 / 62
2 黒川さんは売れてない

2-4

しおりを挟む
 その後、二人はすぐにアパートを出発して菱田出版に向かった。折りたたみ式の台車と紐を紙袋に入れて携えて。

 時刻はすでに午後六時半になっており、八月の終わりのまだ暑い季節とはいえ、日は落ちかけていた。ただそれでも、日光が苦手だという黒川は、日傘をさして雪子とともに並んで歩いた。

 日傘男子というとなんだか最先端のオシャレ民族のようだが、日傘に貧乏臭いジャージ姿なのでオシャレもクソもなかった。単に日光に当たりたくないモヤシ系男子であった。まあ、正確には闇属性の妖怪なのだが。

「でも、こんな夕方に会社に行って大丈夫なんですか? 明日の昼間のほうがいいんじゃ?」

 駅まで歩きながら、雪子はふと黒川に尋ねた。

「ああ、そのへんは大丈夫ですよ。僕の担当の編集さんはだいたい毎日、正午すぎに出社して、日付けが変わる前後くらいに退社するのが勤務スケジュールらしいですから。むしろ、夕方の今のこの時間が、勤務時間のゴールデンタイムでしょう」
「なるほど……」

 大手出版社の社員の勤務時間って。やはり普通じゃない業界なのか。

 二人はそのまま、電車を乗り継ぎ、都心からやや離れた場所にある菱田出版の本社に向かった。

 雪子は、途中、電車の中で黒川が持っていた「月刊サバト」を読んでみたが、普通の少年漫画雑誌のようだった。少なくともマニア系ではない。ただ、「ひょっとこリーマン」は巻末に四ページしか掲載されてなかった。月刊誌でたったの四ページて。刺身のパックに入っているツマみたいな存在の漫画ようだった。

 やがて、電車は目的の駅に着いた。着いたころにはすでに日は落ちていて、黒川は日傘を折りたたんで紙袋におさめていた。

「……い、いよいよですね」

 黒川は会社のすぐ前まで来ると、いったん足を止めて、社屋を見上げた。そして、急に近くの植え込みに腰を落としてしまった。

「黒川さん、早く中に入りましょうよ」
「……いや、まだ心の準備が」

 見ると、その痩せぎすの体は小刻みに震えており、顔は真っ青で、目も落ち着きなく泳いでいる。どうやら、完全に怖気づいている様子だ。

 ここまで来ておいて、いまさらそれは無いだろう。

「ほら、行きますよ!」

 と、雪子はその肘をつかんで、強引に立たせた。彼女にしてみれば、黒川の心情などどうでもよく、ただ早く用事をすませて帰りたいだけだった。

 と、そのとき、出版社の正面出口から一人の男が出てきた。社員ではなさそうで、ラフなポロシャツとジーパン姿の地味な感じの若者だった。その表情はひどく暗く、姿勢もネガティブ全開の猫背だ。

 男は、雪子たちの存在にはまったく気づいてなさそうで、会社を出て数歩歩いたところで重くため息をついて立ち止まり、ポケットからスマホを取り出して、誰かと電話し話し始めた。

「……うん。やっぱ無理だった。ボツくらっちゃったよ」

 どうやら、彼は菱田出版に何かの原稿か企画を持ち込んで、出版を断られた帰りのようだった。なるほど、それであんな暗い表情を……。

 と、そこで、

「はっはっは。ボツを食らって、あんなに落ち込んでいるとは。なんてかわいそうな人なんでしょうね!」

 雪子と同様に男の事情を察したらしい黒川が、急に口を開いた。その口調は実に楽しげで、顔つきも、さっきまでとはうってかわって、生き生きとしている。目なんかもう、すっごいキラキラ輝いている。

「なんですか、その顔? 人の不幸がそんなに楽しいんですか?」

 さすがに軽蔑せずには入られない雪子だったが、

「いやあ、あの人の人生の幸福とか不幸とかはどうでもいいですよ。そんなもん、考え方や気の持ちようでどうにでも変わるものですからね。それよりも、今、あの人が放っている、とてつもない暗鬱な空気。マイナスパワーの感情。それが実にすばらしい! 僕、ああいうの大好物なんですよ!」

 なんか、ますます悪趣味なことを口走っている暗黒妖怪である。しかも、とてもうれしそうに。

「赤城さん、この場合、僕がそれを食べちゃっても別に問題ないですよね?」
「え? この場合って?」

 どの場合? つか、食べるって何?

「いいですよね。どうせすぐに他の感情で上書きされて消えちゃうものでしょうし」

 黒川は舌なめずりをしながら言うと、直後、何やらその場で大きく息を吸い込んだ。いや、吸い込んでいるのは空気じゃなくて、なにかこう、くらーい感じのもやっとしたものだった。そう、近くの男の体から放出されているそれを吸い込んでいるのである。

 やがて、

「……あ、あれ? なんだか気持ちがすごく軽くなったような?」

 落ち込んでいたはずの男の表情が一変し、とても明るいものになった。

 そして、

「まあ、よく考えたら菱田出版なんて、最近ろくにヒット飛ばしてないオワコン企業だしな! 断られてむしろよかったよ。他にも出版社はいくらでもあるしな、ハハハ!」

 いきなり超ポジティブになってそう言い放つと、彼は電話を終えて、軽い足取りで去っていった。

「……へえ、黒川さんは人の絶望の感情を食べることも出来るんですね」

 雪子は感心した。もしかして、この生き物、すごく人の役に立つ存在なのでは? ちょっぴり見直してしまう。

「いやあ、僕はただ、目の前においしそうなものがあったから、食べただけですよ?」

 黒川は男の絶望を食べたことで、すっかり元気を取り戻したようだった。さっきまでの不安はもうどこにもなさそうだった。マイナスにマイナスをかけるとプラスになるみたいな現象だろうか?

「じゃあ、黒川さん、私たちもそろそろ中に入りましょう」
「そうですね」

 今度は彼は素直に雪子の言うことを聞いた。二人はそのまま菱田出版の正面玄関から中に入った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

女性が少ない世界に転生した控えめ伯爵令嬢、なぜか五人の婚約候補に選ばれて少しずつ恋を知っていきます

ノッポ
恋愛
女性が極端に少ない異世界に転生した私は、気づけば伯爵令嬢になっていた。 前世は日本で普通に生きていたせいか、貴族令嬢らしい強気な振る舞いがどうしても苦手。 社交界デビューを迎えても、「どうして私が選ばれるの?」と戸惑うばかりだった。 けれど今年デビューする高位令嬢はわずか三人。 家同士の思惑も重なり、騎士団長家の息子、宰相子息、魔術師団長の息子、幼なじみの侯爵子息、そして英雄騎士―― 五人の若きエリートとのお見合いが次々と始まってしまう。 遠慮がちで控えめな性格は、この世界では珍しく、気づけば少しずつ距離を縮めていく彼ら。 異世界での恋愛に戸惑う日々。けれど出会いを重ねるたびに、私は少しずつ変わっていく――。 女性希少世界で、自分の幸せを選べるようになるまでの逆ハーレム恋愛ファンタジー。

異世界ママ、今日も元気に無双中!

チャチャ
ファンタジー
> 地球で5人の子どもを育てていた明るく元気な主婦・春子。 ある日、建設現場の事故で命を落としたと思ったら――なんと剣と魔法の異世界に転生!? 目が覚めたら村の片隅、魔法も戦闘知識もゼロ……でも家事スキルは超一流! 「洗濯魔法? お掃除召喚? いえいえ、ただの生活の知恵です!」 おせっかい上等! お節介で世界を変える異世界ママ、今日も笑顔で大奮闘! 魔法も剣もぶっ飛ばせ♪ ほんわかテンポの“無双系ほんわかファンタジー”開幕!

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

異世界召喚されたけどスキルが地味だったので、現代知識とアイテムボックスで絶品料理を作ったら大商会になっちゃいました

黒崎隼人
ファンタジー
手違いで剣も魔法もない異世界に召喚された、しがない日本のサラリーマン、湊カイリ。 彼に与えられたのは、無限に物が入る【アイテムボックス】と、物の名前が分かる【鑑定】という、あまりにも地味な二つのスキルだけだった。 戦闘能力は皆無。途方に暮れるカイリだったが、異世界の食事が絶望的に不味いことを知り、大きなチャンスに気づく。 現代日本の「当たり前」の知識は、この世界ではとんでもない「宝」なのだと! 「醤油?味噌?そんなものがあれば、この世界の食文化はひっくり返るぞ!」 ひょんなことから出会った没落貴族の美少女・リリアナと共に、カイリは現代知識と地味スキルを駆使して屋台から商売をスタート。 絶品料理で人々の胃袋を掴み、さらには便利な生活用品を次々と発明していく。 伝説の神獣の幼体「フェン」やドワーフの鍛冶師など、頼れる仲間たちも加わり、彼らが立ち上げた「サンライズ商会」は瞬く間に大躍進! 迫り来る悪徳商会や腐敗した貴族の妨害も、現代のマーケティング術と知恵で痛快に打ち破る! これは、平凡なサラリーマンが異世界の常識を覆し、食と生活に革命を起こして一代で大商会を築き上げる、痛快成り上がりファンタジー! 美味しい料理と、もふもふな相棒、そして仲間との絆。 人生、逆転できないことなんて何もない!

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

処理中です...