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第2章 月夜を仰ぐ「碧水」の本音
16.紫糸にかかる
しおりを挟む再び、喫茶店「鈴の小道」にて。
「『紫影』?」
ようやく俺を解放し、ミルクをたっぷり、角砂糖を一つ入れたコーヒーで口内を湿らせたフィーユは、翡翠色の瞳をまたたかせた。
「ちょっと待って。紫影と戦う訓練って……紫影討伐の依頼なんて今日まで出されていないし、滅多に出されることもないのよ? それに、どの依頼を選ぶかについては、完全に向こうに委ねているんでしょう?」
そう。そう思い込んでいるからこそ、カイグルスは勝負に乗ってきた。
レインは、困惑するフィーユを鑑賞するかのように紫色の瞳を細め、
「フィーユちゃん、手品って知ってるかい?」
『え? 本物の魔法があるのに、手品もあるの?』
「……!」
驚きの声を上げたのは「京さん」だった。動揺のあまり、丁度ソーサーに戻したカップが少々派手な音を立ててしまった。
やっぱり、会話の流れをしっかり聞いているようだ。俺が見聞きしているものを、「京さん」も俺の内側から同じように体験しているのか?
『じゃー「マジシャンズセレクト」ってやつかな……あっ、しくったな、また聞こえちゃってたか……ごめん、すぐに引っ込むよ』
ひ、引っ込む? どこに?
見えない背を探して思わず目蓋を閉じる。そして念じる。
『待ってくれ、「京さん」は俺と自由に会話ができるのか? 俺から「京さん」と話をするにはどうすれば良い、何か条件が必要なのか……?』
……彼との話し方を間違っていたのか、次に聞こえたのはフィーユの言葉だった。
「手品……知っているわ。魔力を使わずに『奇跡』を起こしてみせる、パフォーマンスの一種よね? 以前カルカに寄った旅芸人の一座が、召喚の魔法陣を用いずに、帽子の中から白鳩を飛ばすのを見たことがあるわ。でも、それとこの件と何の関係があるの?」
「もうひとつ。事務職員の専用書庫にある、登録戦闘員別の依頼受諾記録『登録番号 三五八八』を確認してみることをオススメしておこう。フィーユちゃんなら、面白いことがわかると思うぜ。あ、一介の戦闘職員が専用書庫に出入りしていた件については、不問で頼むよ」
「カイグルスの依頼受諾記録を?
…………まさか、個人の力でそんなこと……個人? いいえ違うわ、彼には後ろ盾が……でも……う、嘘でしょう?」
フィーユが青褪めている。すっかり置いて行かれている俺とティアをよそに、軍師は鋭い犬歯をにっと見せて笑った。
「これは自論なんだが……愛ほど、人を愚かにするものはないのさ。大将は特に、しーっかり覚えといてくださいね?」
約束の日が訪れた。
カイグルスとギージャが、勝負のために選んだ依頼を発表する日。不愉快だが、敵対している五人を臨時の「パーティ」として届け出て、依頼を受諾したい旨を受付窓口で告げる。そしてその足で、戦場へと向かうことになるだろう。
「た、たのも~っ!」
男二人が正面扉を開け放つなり、レインに教わった「挨拶」を叫びながら、ティアがロビーへ飛び込んでいく。
レインとともに後に続くと……カイグルスはギージャを傍らに配置し、足を組んでソファに座っていた。指輪だらけの手には、紙が一枚。
誘い出す台詞は不要だった。盛大に鼻を鳴らして立ち上がったカイグルスが、大股でロビーの中央までやってくる。
夏の日に涼風を欲するようにリクエストを揺らしながら、
「よお、獣ども。あまりにも遅えもんだから、恥を晒すのにビビって逃げ出しちまったのかと思ったぜ」
「? 約束の時間通りのはずなんだが……多忙と言っていた割に随分と余裕があるんだな」
純粋に不思議に思ったことを小さく呟いた。カイグルスはそれを聞き咎めた上に激しく気分を害されたようで、盛大に舌打ちし、
「せいぜいお仲間を信じてピィピィ強がってろよ、お、ひ、め、さ、ま。俺様が直々に、たっぷり、ゆっくり、じっくり可愛がってやる……そのツラで女じゃねえのが残念でならねえよ」
「お、そいつは同感……じゃなくて。通行の邪魔になるんでさくさく行きましょう、アンタらが選んだ依頼書を見せてくれます?」
カイグルスは口端を歪め、依頼書を高く放った。
ひらひらと舞って軌道が読めなかったので、周辺の魔糸の流れに細工をして手元に引き寄せ、その内容に目を通す。ティアが素早く身を寄せてきたので、一緒に読めるように位置を下げた。
……正直なところ、驚いた。息を呑む音が聞こえたので、ティアも同様だったのだろう。
全て読み終えたタイミングで、レインが俺の手からひらりと依頼書を取る。内容を自ら確かめる意図は勿論だが……恐らく、表情の変化が分かりやすい俺達から、カイグルスの視線の的を移すためだ。
「討伐任務ですか。条件は六級以上なんでクリア、と。どれどれ、お相手は……ん? 珍しいですね、『紫影』なんて。場所は隣街アンゼル、悲運にも十五年前に『大禍』を食らった『廃棄エリア』ですか。成る程……確かに珍しい魔物だが、ここならまあ、ああいう不気味なもんが発生しても納得ですね。
依頼人はカルカの商人、ねえ……名は聞いたことがありませんが、例に倣って自治体が復旧を諦めてる廃墟街のために少なくない金を払うなんて、よほどの善人か、あるいはこの地に縁があって、どうしても諦めきれないのか……」
「随分と要らねえ舌が回るな、新人。依頼人の素性なんざ、どうだって構わねえだろ? 俺様がてめえらと勝負してやるのに相応しい依頼が、偶然転がり込んできたんだ。リクエストを見つけたコイツと、見つけさせた俺様の有能さに、這いつくばって感謝しやがれ!」
偶然? 違う。最早、偶然では片付けられないんだ。
カイグルスが選んだ魔物も、戦場も、勝利条件も……細かな文言以外の何もかもが、レインが書いた「脚本」通りだった。
カイグルスは気づいていない。「紅炎」という称号に意識を引かれすぎて、俺よりも遥かに厄介な人物を、敵に回してしまっていることに。
そしてもしかすると、最後まで気づくことができないかも知れない。ほつれた先の先まで緻密に計算され尽くした、紫色の糸の存在に。
「討伐対象は5体だ。多くを狩った方が勝つ、頭の弱い獣でも理解できる、至ってシンプルなルールだ。連中が落とす魔石の数を、てめえらが負けた証明にする。二度は説明しねえ……お望み通り、さっさと依頼受諾に移ろうじゃねえか」
カイグルスは、大袈裟にマントをはためかせて、俺達に岩石のような背を向けた。
彼についていこうと前へ出た、俺の左手を小さな手が握る。振り向くと、ティアが必死にカイグルスの背を睨みつけていた。
人を睨むのに慣れていないんだろう。まばたきが上手くできないのか、琥珀色の瞳には薄らと涙の膜が張っていた。張り詰めていた表情を緩めて、俺がそっと手を引くと……ティアは繋いだ手にもう少しだけ力を込めて、俺よりも前へ出て歩き出した。
彼女を支えているのは、恐らく、レインのあの台詞なのだろう。
『お姫様は塔の上に囚われながら、王子様のために祈りを捧げた。狩人は放った矢で塔までの道のりを拓き、王子様とともに魔王と戦う誓いを立てた。
お姫様の祈りを受けた王子様は、己の小さな姿を恥じることをやめた。お姫様を救出するため、小さきを虐げる邪を除くため、正義の鋒を塔へと向けた。
……この舞台の主役は他の誰でもない、きみにしかできないんだぜ。ティアちゃん』
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