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第2章 月夜を仰ぐ「碧水」の本音
19.灰の上に愛を咲かせて
しおりを挟む愛しい愛しい、カイグルス。
アンナと私に、女神様が授けてくださった天恵。金銭による価値では決して測れない、かけがえのない宝物。
アンナが小さなお前を抱き上げて笑い、母乳の香りを漂わせるお前も笑ってくれたとき、私はこの世に生きる喜びを、全て手中におさめたような気持ちになった。
愛しい愛しい、カイグルス。
賢い子、お前の言うことは全て正しい。悪いのは、魔導の素養をお前にあげられなかった私たちだ。
本当にすまなかった。罪滅ぼしというわけではないが、私にできることなら全てを果たすよ。何でも私たちに言ってご覧。
お前が危険な目に遭わないように、お前が皆から尊敬され、皆から愛されるように。お前が進むための道は、私たちが作るから。
愛しい愛しい、カイグルス。
もうじき、我が父から受け継いだ財は尽きてしまうだろう。しかし、お前がそれを気に留める必要はない。たとえ、私たちがこの街を追われることになろうとも、お前が幸せでいられるのなら、そんなものは些細なことなんだ。
愛しているよ、カイグルス。
永遠に、愛している。
たとえお前が、私たちのことを、
まるで愛していなかったとしても。
【ティア】
レインさんの心音が、聴こえます。
そして、カイグルスさんとギージャさんが怒って叫ぶ声も。
あたしは、レインさんがいる塔に対して、カイグルスさんとギージャさんの丁度反対側に回り込んでいました。
よーく、耳を澄ませて。
紫影さんには、心臓がないだけじゃなくて、お顔そのものがありません。本当に、影のようなぼんやりした姿をしていて……それでも、微かにお声を発するんです。
はっ、はっ……って。女の人が頑張って走った後に、苦しくて短く息を吐くみたいな、声。
カイグルスさんたちに引き付けられて、この周りを漂っているけれど、紫影さんたちはカイグルスさんに近づけていない。
レインさんに、見られているから。
そして……塔という大きな目隠しがある以上、もしカイグルスさんがこちらを向いていても、大丈夫。
でも……
「……あたし、やっぱり、駄目だなぁ……」
走り終えて休憩までしたのに、心臓がばくばくしてる。足も……あたしは王子様なんだって何度言い聞かせても、震えちゃう。
クロさん。あなたが傍にいてくれたら、と思っちゃうあたしは……本当に……
『駄目じゃない』
はっと、思い出しました。胸ポケットに手を入れて、指先にぶつかったものを取り出します。
碧色の、ブローチ。
「クロさん……っ!」
あたしはぎゅっと、両手でブローチを握りしめて……制服の胸の辺りに、その宝物をつけました。
……やっぱり、不思議。
身体が温かくなる。足が軽くなる。
大丈夫。
どんなに弱くても、どんなに駄目でも。あなたの指で触れてくれた宝物が、あたしに勇気を与えてくれます。
濁った空に、両手を高く突き出して。その腕をまっすぐ左右に広げて。自分を抱きしめるように腕を交差させながら、時計回りに一回転。
橙色の丸い光が、あたしを包み込んでくれました。大丈夫! 防御魔法は、成功!
しばらくの間、さようなら。
灰色の世界さん。
深呼吸をしてから、あたしは目を閉じます。思い出の中で先生が、魔法の練習中に歌ってくれた……その歌が、頭の中で流れ始めます。
まずは、ちょっと大きめに陽動魔法を放つ。それで、紫影さんたちを引き寄せる!
はばたく鳥の動き……両腕をぱたぱた上下する。ハンドサイン……右の人差し指で上を、左の人差し指で下を指す。湖面に広がる波の動き……前方で手首を交差、下から体の外側へふわりと半円を描く。左足を半歩分前へ出して、少し屈んで、跳ねる!
あたしの魔力が広がっていく、これも成功! 獲物さんが傍にいるのに近寄れなかった歯痒さからか、紫影さんたちはすぐにあたしの方へ近づいてくる……!
レインさんの方へ行っちゃわないか不思議でしたけど……レインさんは手を横にひらひらしながら仰っていました。
『だーいじょうぶ。オレの視線って便利でさ、めちゃくちゃ嫌いな努力を結構して練習したから、自分自身のことも視られるんだよ。だけど……そんなに心配してくれるなんて、ティアちゃんはオレのことちょっと好き……な~んて、自惚れてもいいかい? ははははは~』
……鏡を使うんでしょうか?
わかりませんでしたけど、レインさんのことは勿論、好きです。仲間ですから。
あわわ、思い出している暇はありませんでした! ここからは、お、おこがましいにも程がありますけど……あたしが主役の舞台!
「あたしは……この勝負で、生き残る!!」
【???】
「…………すげえな」
思わず、声を漏らした。
通常の視界にいるカイグルスとギージャの苛立ちようが、では勿論ない。「特殊視野」で視ている、ティアちゃんの方だ。
あの子は、大将との短い稽古を経て、紫影へと対策と併せて、力の抜き方を学んだ。
根っからの真面目さ、己の魔力量への過小評価、戦闘経験の浅さ、敵を前にした焦り。
この辺りの原因によってあの子は、初依頼のときに場に相応しくない高火力魔法をぶっ放し、感覚のぶっ飛んだ大将にさえ「やりすぎじゃないか?」と思わせたらしい。ティアちゃんに話を聞く限りでは、まあ大将の方がナチュラルにやりすぎ、イカれすぎだけど。
どうやら記憶力が相当良いらしく。力の抜き方を覚え、視覚を捨てて得意分野の聴覚で場をおさえた、ティアちゃんの動き……
ぴょんぴょんと軽やかに跳ね回り。躍動感に溢れる数々のポーズ……両腕両脚、耳のてっぺんから爪先の先の先まで、伸ばし方も曲げる角度もばっちり決まっている。
敵が放った紫電の光線。足を前方へ高く振り上げ、軌跡に伸びた橙糸の先で、ぶわっと開いた花がそれを相殺する。
そしてお返しにと、右足左足の順に素早く跳ねて後退しながら、天に伸ばした両腕をふわっと振り下ろす。それをトリガーに急速に育った植物の棘蔓が、その真上にいた紫影に絡み付き、えげつない力量で締め付け……一つ目の魔石が灰の上に落ちた。
膨大な魔力量……スタミナを活かし、小~中規模の魔法を的確かつ継続的に打つ。「特殊視野」で覗き見ている光景は、極めて短期間に生死を繰り返す大地みたいだ。
廃棄エリアで花を咲かせるとは。ティアちゃん、きみを主役に選んでよかったよ。
堪えきれずくくっと喉を鳴らしながら、立ち上がる。もう監視は要らない。『王子様とともに邪を滅ぼす』……その誓いを果たすことに致しましょう。
ポケットから取り出した「指輪」を、天に放り呟く。
「真なる姿を顕現せよ」
紫色の輝きを放ちながら降ってくる、雷のごとくシャープな弓。うんうん、流石は相棒だ、すぐさまこの手にしっかり馴染む。
フェオリアにて創られた魔導具のひとつ。値段をつけるなら、カイグルスの指輪を全部並べたってまだ足りねえだろう。「オレ」がカルカへ持ち込んだ、唯一の遺産だ。
選ぶ矢は……氷属性にしときますか。
矢は魔法陣による自前の創造だ。この身体に流れる『三色の魔糸』のうち、白を選んで手元に集中。
はー、氷で出来たもんは綺麗だが、手袋はめてんのになお冷てえ。『複数持ち』だから、極めたところで大将みたいに「炎効きません」とかにはなれねえのが目に見えちゃってるからなあ。
天に目掛けて、弓を引く。
特殊視野で標的を補足。良いね、早くも3体に減ってるな。
張り詰め。見定め。
「……ここ、ッ!」
放つ。
白い閃光は淀んだ色の空に潜み、速度をまるで落とさないまま……可愛らしく「終焉の舞踏」を演じる王子様に、夢中になりすぎたひとつの影を射抜く。
物理法則に支配された、通常の弓では叶わない奇襲。この技を見たことのある者は少ないが、見た者は大体こう言う。
デタラメだ、と。
その度に「オレ」はこう笑う。
デタラメを可能にするのが、魔法だろ。
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