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第2章 月夜を仰ぐ「碧水」の本音
25.軍師様のお宅にて
しおりを挟む「ぐっ……駄目だ、まだ寝惚けている……レイン、悪いんだがこの家の庭を貸してくれないか? 500回ほど素振りをすれば、きっと」
「やっぱり清々しいほどの脳筋じゃねえか、シャワー貸すんでそれで起きてください。冷たいのじゃ駄目ですよ、ちゃんとあったかいの出るんで。使い方わからなかったら呼ん……いや、粉砕されたら困るな、説明するんでついてきてください」
「脳筋……」
こっそり肩を落としながらついていき、教わった方法でお湯を出してシャワーを浴びた。ちゃんと教わっておいて良かった。
目は覚めたが、やっぱり身体の動きは鈍っている。うう、身体を動かしたい……このままでは、次に師匠と顔を合わせたときにどんな罵詈雑言を浴びることになるか……
浴室から出ると、脱いだ制服が、乾燥させた植物で編まれたカゴごと忽然と姿を消していて、代わりに丁寧に折り畳まれた着替え一式が置かれていた。
……この、触れた指が、何の引っかかりもなくするりと流れる肌触りの良さ。恐らく、俺が普段着ているものとは確実に違う……値段が。下着さえも全然違う……本当に着ていいんですかと訊きたいが、訊いたら怒られそうなので、黙って思い切りよく身に纏った。
至れり尽くせりというか、レインは他に身支度用品の一式も用意してくれていて、俺は何もかもさっぱりした身体で元の部屋へ戻った。レインはベッドの横に置かれた四人掛けのテーブルに向かって、片肘をついて本を読んでいた。集中している。
「あの……」
「は!?」
木椅子をガタリと鳴らし、こちらを見る。一瞬、大きく鋭くなった瞳から力が抜け、レインははあ~と思い切り溜息をついて、
「なんで全く足音鳴らさないんだよ……魔糸も読めねえし、暗殺者かと思ったじゃないですか!」
「ご、ごめん……って、暗殺? レインは、誰かに狙われているのか……?」
レインは視線を斜に流し、
「狙われてたとしても、アンタよりはマシですよ」
「……えっと……長期間ベッドを占拠してしまい、ごめん。着替えとか、色々ありがとう」
「どういたしまして、それ一式あげます。自分以外の野郎が一回着た服、着るつもりはないんで」
「え!? で、でもこれ、かなり高……」
「要らねえなら捨てます。あ、でも……ちょっとサイズ大きいみたいですね」
得意げに目を細めて、にしし、と笑う。
……どうしてだろう。俺が目を覚ますまでに言葉を交わしていたレインとは、雰囲気が少し違っているような。くつろぐことのできる自室にいるからだろうか?
具体的に、どう違うんだろう。
俺は首を傾げる。
「どうしました?」
「え、……あ。その……何の本を、読んでいるのかと」
レインは、虚をつかれたような表情を浮かべた。そしてはっと手元の本に視線を落として、すぐさま閉じた。柔らかな紙束が空気を吐き出す、ぱたむ、という可愛らしい音が響く。
どこか拗ねたような調子で、
「……ただの、くだらねえ兵法書ですよ」
兵法。レインは、登録戦闘員として戦う以外に、陣頭指揮の術も学んでいる……ということか。カイグルスの思考を完全に読むことができたことも、こうやって多様な知識を身につけているからなのかも知れない。
ふと思う。俺は、一般書庫で読むべき本さえまともに選ぶことができない。けれどレインのように博識な人物の導きがあれば、依頼を受けながらも効率的に勉強を進めることができるのでは?
「突っ立ってないで、どこかに座ってくださいよ。昼餉の前に、顛末をさくっとお伝えしておきます」
俺は慌てて、レインの斜め前の椅子に腰掛けた。
「……そうか。魔物を、創造……息子を昇級させるために、本当、に……」
「念の為言っておきますけど、アンタの……サリヤさんの魔法での『再現』は罪に問われません。再現した魔物を、罪のない誰かにけしかけない限りはね」
ハーバルさんの喫茶店「鈴の小道」でフィーユが青褪めた意味を、俺はようやく理解した。
魔物の創造が重罪であることは、「再現」の魔法を教わったときに、師匠から説明を受けたので知っていた。
ガレッツェの両親が犯したのは、カイグルスのための罪で。カイグルスが求めなければ、犯されなかっただろう罪で。
『愛ほど、人を愚かにするものはないのさ』
レインの言葉が、耳の奥で蘇る。
上唇がやけに重く感じた、けれど問わずにはいられなかった。
「……俺たちは、罪を重ねさせてしまったのか?」
「そういう考え方もできますね。でも少なくともアンタたちは、ティアちゃんや、カイグルスに虐げられてきた他の子たちのために報復し、横暴な態度を改めさせたかっただけだった。結果として家ごとひっくり返っちまったわけだが……ま、あくまでもカードを選んだのは向こうですし? アンタらに罪はありませんよ」
あんたらは、とレインは言う。なんとなくではあるが……彼の言うそれに、彼自身は含まれていない気がする。
「カイグルス・ガレッツェは、親と一緒に裁きの場へ。子分のギージャ・ペドリーや、ガレッツェの研究所で事情を知る人間も……国軍は滅多なことでは動かないが、一度動き出したら徹底的にやる連中だ、お咎めなしじゃ済まないでしょうね。当然ギルドの方にも手が入る。依頼完了を報告しに行ったら、ちょっとした騒ぎになってましたよ」
他人事のように、レインは肩を竦める。
「まあ、アンタらが想像してたよりずっと大事になっちゃいましたが……オレたちは勝った。カイグルスやギージャがオレたちに危害を加える心配は、綺麗さっぱり消え去ったわけです。ティアちゃんは王子様として立派に役目を果たしてくれましたよ。アンタがティアちゃんと、他人も他人だったオレを信じて……先生様役と眠り姫様役を引き受けてくれたおかげでね。
本当に、ありがとうございます、大将。
……いや。紅炎・準一級、クロニア・アルテドット殿よ」
握り込んだ右手を腰の後ろへ回し、親指を隠して他指は立てた左手を、右肩に当てて25度の礼。
あの頭の回転の速さ、博識さ。
この、礼の仕方。
やっぱり、レインは……
ティアとレインを普段使っている訓練場へ案内し、ティアに紫影との戦い方や、継戦時間を伸ばすためのコツなどを伝授した、その帰り。
我が家に戻ると焼き菓子の良い香りが、門柱の辺りまでふよふよと流れ出ていて……扉を開けると、エプロン姿の母さんが微笑んでいた。母さんが作ってくれたチョコレートクッキーを、3人で食べた。
ティアは恐縮してなのか、一口分が非常に小さく、サクサクサクと可愛らしい音を立てながら一生懸命に菓子を満喫していた。
そしてレインは、クッキーを絶賛し、母さんを絶賛し、母さんとの縁をもたらしてくれた女神様に祝詞を捧げた。
ティアの振舞いに癒され、レインの振舞いに頭痛を覚え、懐かしいクッキーの味が嬉しくて、何とも複雑な状態にひっそりと陥る俺の横で、母さんは楽しげに笑っていた。
そして、2人が帰った後に、母さんは俺に尋ねたのだ。
「ねえ、クロニア。あの、レインさんって子……一緒に入会試験を受けた子なのよね?」
「え? ええと、試験会場ではっきりと視認したわけではないけれど……俺と同期なことは間違いない。故郷は、カルカより東とだけ教えてくれたんだけど」
「カルカより、東? ……ふふっ、そう。言葉遣いや仕草を見ていて、ちょっぴり不思議に思ったのよ。あの子、とっても面白い子だけれど、とっても育ちの良い子なんじゃないかって。でも、その言い方……ふふふ」
母さんは、それから少しの間、とっておきの秘密の宝物を見つけた少女みたいに笑っていた。
「なーんて、ちょっと畏まりすぎましたかね。野郎相手に何やってんだか……大将、魔法で女の子になれません?」
「……そういう魔法は教わったことがない」
「ですよね、残念だなあ本当に。んじゃ、話も済んだんでどっかで昼餉だ。奢りますよ、何か食べたいものあります? それか大将おすすめの店……は、ないか~」
「お、おすすめの店くらいある! 近所の薬屋はかなり品揃えがよくて、各属性攻撃を受けた場合の処置に最適な薬をいくつも」
「ひ、る、げ、って言ったの聞こえてました? 全く、マジでとんでもねえな」
「ゔっ……れ、レイン! 出発の前に訊きたいことが……レインは、本当は、」
と、そのとき。
入口の扉が、盛大に開け放たれる音が聞こえた。思わず腰に手を伸ばす、が……そこに剣はない。退路なし、この室内でどれほどの規模の魔法を使えるか即座に計算を始める。
そうして俺たち2人が揃って身構える中、聞こえてきた声は、
「こんにちは~、勿論いますよね~、お邪魔しま~す!」
「ひゃああ!? フィ、フィーユせんぱ……いやあのっ、フィ、フィフィフィ、フィーユちゃん!? いきなり入っ……ノックとかしなくて良いんですかあ!?」
「大家さんから鍵を勝ち取ったんだからこっちのものよ! さあついてきて、私が先陣を切るわ!」
そして、賑やかな足音を伴って現れる2人の少女。
「れ、レインさぁん……すみませぇん、ティア、フィーユちゃんに、ここのこと教えちゃいましたぁ……」
突然の来訪者の正体は、大きな紙袋をぎゅっと抱き抱えながら、半泣きで縮こまるティアと。
「ふふふっ……どう、レインくん? カルカにいる限りは、どこに隠れようと無駄……受付嬢には、何でもお見通しなのよっ!」
ティアが持っている量の5倍ほどの荷物を器用に持ちながら、豊かな胸をむんと突き出して不敵に笑うフィーユだった。
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