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第2章 月夜を仰ぐ「碧水」の本音
27.君は知らない
しおりを挟む【藤川京】
『よし、ロペイル牛シチューの仕込み終わりっ! 次はサラダをぱぱっと……』
『フィーユちゃん、まぜまぜ終わりましたっ! 色の具合はどうでしょうか……?』
『どれどれ~? うん、綺麗な飴色、火加減ばっちり! キッチンでは料理したことないって言ってたけど、慣れたらできるじゃない! 慌てすぎて砂糖の袋をぽーんって放っちゃって、レインくんが真っ白になっちゃったときには、どうしようかと思ったけど……』
『うぅ、レインさんには本当に申し訳ないことをしちゃいましたぁあ……お洗濯はティアがちゃんとして、ちゃんと弁償しなきゃ……うぅぅっ、すみません、ドジでグズで本当にすみませぇん……。
で、でもっ、それから失敗してないのは、新記録、というか……! お母さんのお料理をお手伝いしてて、よかったです……えへへ』
『ううっ、はにかんだ笑顔が可愛いわっ……ティアちゃんは落ち着いたらちゃんとできるのよ? 大事なのは、一生懸命やろうとする気持ちを、一歩退いたところから冷静に眺めること!』
『え、ええと……一生懸命なティアを、冷静に眺めるティア……あ、あたし、ふたつにわかれなきゃ駄目ってことですかぁ!?』
楽しそうだ。
僕はくろと視覚を共有して、女性2人がお料理に奮闘する姿を見ていた。微笑ましい、というか、頑張れーって応援したくなった。
ピンクブロンドの髪をポニーテールに結い上げたフィーユちゃんの白エプロンも、ティアちゃんのフリルが沢山あしらわれたピンクのエプロンも、どっちもよく似合ってる……多分選んだのは、フィーユちゃんの方。
ふふ。飛んできた砂糖の袋を、頭で見事にキャッチして、真っ白になったレインくんと、必死に後片付けするくろ……悪いけど、かなり面白かったな。
僕は目を閉じる。
次に開くと、そこは自室。
でも、文机からは置き物のPCを消して、白と青のチェック柄のテーブルクロスを引いた。フォークにスプーン、それからお箸も忘れずに。祝勝会が始まったら、僕も一緒に、ご馳走をいただこうと思って。
あ、乾杯のグラスを忘れてた。
何を飲もうかな。炭酸は好きじゃないから烏龍茶……いや、ほんの少し特別感を出して、オレンジジュースとかどうだろう。
……あんまり特別じゃないかも。じゃあ、マンゴージュース。これにしよう、うん。
うーん、と身体を伸ばす。
生きていた頃と、あまり変わらない五感。くろの身体を一度だけ……「乗っ取って」しまったときの感覚を思い出しても、五感の営み自体にはそれほど差がなかった気がする。まあ、殆ど動かすことは叶わなかったけど。
『京さんは、この身体を、使えないんですか』
そう言ってくれるくろは、優しい。
でも、僕は……
「その子を返せ」
間近に迫った銀の煌めきに、全身から嫌な汗が噴き出した。
お父さんが亡くなってから、くろは尚更熱心に修行に挑むようになった。それを踏まえて、にはなるけれど……その日の修行は、特段いつもと変わらなかったと思う。思うと言うのは、僕は大体、くろが訓練しているときに視覚を共有しないから。
僕は恐らく、刃物で刺されて殺された。
犯人の顔は覚えてない、すぐに逃げ去ってしまったから。痛みにのたうち回ることもできないまま、自分の最期の言葉さえ何なのかわからないまま、僕は死んだ。
復讐したいとは思わない。あの「誰か」が僕を殺したかったのか、他の誰でも構わなかったのかは、わからない。でも、僕はもう死んでいる。復讐しようにもその術がない。逮捕されていて欲しいと願うことしか、できない。
僕の家族や幼馴染は、もしかすると、復讐したいと考えているかも。
……そうじゃなければ、いいな。転生をしていなかったら、心配のあまり化けて現れていたかも知れない。
まあ、そういう理由で、僕は刃物を見るのが怖い。テーブルナイフでさえ無理。くろもせんせいも、剣を使う。だから僕は「自分」の修行から目を背けている。
でも、その日。
過酷な修行を重ねたせいかな。くろは魔法を使った直後に意識を失った。そして、原因は全くわからないけれど、僕が外に出てしまった。
濃厚な緑の香り、異世界のもののはずなのに懐かしい虫の声、ぱりっと乾いた夏の空気……そういったものと一緒に僕を出迎えたのが、
「3度目は言わん。その子を、返せ」
サリヤせんせいだった。
汗の球のひとつも浮かべていない、痩せこけ、血の気のない頬。切長の三白眼は冷凍室より冷たく、僕がくろではないことを完全に見透かしていた。
僕は彼が怖かったし、
「……っ、あの……ご、ごめんなさい、その剣……刃物を、僕に向けないでください……」
首元に容赦なく突きつけられた鋒が。今にも自分の精神が決壊し、わけのわからないことを叫び出すのではと、そう思うほどに怖かった。
「貴様は何だ」
「何だ」って、何だ!?
僕は激しく狼狽えながら、
「藤川、京……くろの、ぜ、前世にあたる、者です……」
重要な情報をすぐさま差し出した。
けれどせんせいは、凍てついた表情も眼差しも、僕に突きつけた剣の角度も、微塵も変えることなく吐き捨てた。
「『転生者』は皆、法螺吹きだ。自らの素養に箔を付ける、そのために揃って詐欺師へと堕ちていく馬鹿どもだ。
だが。その子が薄汚い法螺を吹くとは到底思えぬ。もう一度だけ問おう。貴様は何だ? 己が精神を人間に潜ませ、隙を窺い自由を喰らう魔物の類か」
沈んでいく陽の橙光をその背に。
ああ、怖いな。すごく怖い。恐怖が塊を成して喉につかえて、呼吸が上手くできない。
でも。この人は……
「……信じてもらえなくても、仕方ない、です。僕は……いつも、隠れてるから」
「何故」
「……あなたたちから、くろを、奪いたくないんです。だって、」
僕は両親よりも先に人生の舞台から降りた。めちゃくちゃに溺愛されていたわけではないけれど、それでも、愛されている自覚はあった。朝ご飯は一緒に食べていたし、サークルには入っていなかったから、夕ご飯も大体一緒だった。
「ずっと一緒に過ごしてきた、大事な人が……ある日突然、別人になってしまったら……僕だったら、悲しいから」
せんせいはやっぱり、表情筋を殆ど動かさなかった。けれど、重たげな剣をすっと引いて、鞘に収めてくれた。
安堵のあまり力が抜けすぎて、身体が液体になるかと思った……原型のままくろに返さなきゃなのに。
「は、はぁ~……ありがとうございます……どうにかして戻りますね、本当になんで出てきちゃったんだろう……」
「ひとつ、問いたい」
顔を上げると、せんせいはいつの間にか、僕に背を向けていた。空っぽの右袖が、涼やかになりはじめた風に揺れていた。
「女神は、存在するのか」
いつの間にか、ぽかんと口を開けていたことに気づいて、僕は慌てて唇を結ぶ。
「『転生者』は女神の声を聞く。風の噂でそう聞いた」
僕は知った。
この人は、本当に『転生者』じゃないんだ。素晴らしい素養を持って生まれたのは確かだろうけど……それを毎日、毎日、磨き上げて、叩き上げて……そうやって、天辺に登り詰めた人なんだ。
僕は答えを探した。でも、それより先に、
「存在するのか。ならば……
何故、罪なき者に惨い死を与える」
「……せん、せい?」
「何故、斬っても斬っても戦はなくならぬ。何故、祈っても祈っても魔物は現れる。人の業だと言うならば……罪の所在を問わずにはいられぬのも、また人の業」
静かな言葉だった。雨垂れが土の色を変え、染み込んでは褪せていく、みたいな。
「何故だ。何故、幾千を屠った私ではなく……愛も心も知らぬ私でなく……何故、ロッシェを……『お前たち』の父親を、奪い取った」
後悔も、憎悪も、憤怒も、悲哀も。
何もかもをどこかに置いてきてしまったような声で、淡々とせんせいは問うた。
「私がその子に、何を与えられると言うのだ。死と親しむあまり、生を忘却した私が、何を……」
先生は、少し顔を上向けた。
「答えられない」僕は、俯いて……
「……答えられぬなら、話は終いだ。
母親の元へ連れて行く。その間に、隠れ家に戻る方法を探せ」
案の定、僕らの身体は疲労のあまりに上手く動かなかった。先生は僕らを背負い、黙り込んだまま、小枝を踏む以外には足音も立てず、森の小道を進んだ。
僕はその間に眠りに落ちて……気づけば、自分の部屋にいた。そして、目を覚ましたくろは、全く覚えていなかった。
僕を信じて晒してくれた「英雄」の本音を。
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