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第2章 月夜を仰ぐ「碧水」の本音

33.水さえ飲み干す炎の中で

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「はっ……はっ……はっ……」

 魔力充填。

 何波目を迎撃したのか、わからない。ただ、見渡す限りに大量の魔石が遺された地面は、碧色に染まっていた。

 わかったことが、2つある。

 1つ目。「大禍」が発生させた雲。激しく叩きつけるように大粒の雨を降らせるもの。

 この雨が、魔物を発生させることはない。だが、発生した魔物を俊敏にするなどの補助効果は持っている。

 だから、「大禍」の核が魔物をばら撒きうる全範囲を覆う、ドーム型の結界を展開した。さほどの強度は持たせていないが、雨を防ぐ程度ならば十分だろう。

 2つ目。「大禍」が断続的に発生させる、大地を灰に染める破裂は……同威力の魔力塊を投じれば、防ぐことができる。

 透魚が、霧鮫が、水属性のあらゆる魔物が、何度も何度も襲い来る。

 だけど、師匠せんせい。あなたが教えてくれたから……俺は、全てを絶やし、背後にあるものを護り続けることができる。

 『剣』。紅の軌跡を描いて滑空し、主として透魚を殲滅。

 『波』。振り抜く高さにいる魔物を一掃。

 『縮』。『波』を逃れた霧鮫等と、純なる水の炸裂を抑えるため、一度に10連程の弾丸を創造し、撃ち続ける。

 屠って、屠って、屠って。
 ……現れたか。

 魔物の王たる種……竜だ。

 「碧竜」。

 4本足の寸胴な体格で、他の竜に見られる翼はない。彼らの世界である水中においては俊敏な動きが可能だが、陸上での移動には向かない。しかし、全身を覆った碧く煌めく鱗により、防御力が極めて高い。

 更に特徴的なのは、長い頸部が3本あり、顔も3つ持っていると言うこと。

 頸部は常時、水の渦を纏っている。触れれば人間の皮膚など瞬時にずたずたになるほどの水流であり、その魔力をすぐさま、水属性の光線に変化させることができる。

 竜は特別な魔物だ。最も生物に近い種と呼ばれ、長寿であり聡明である。

 しかし「大禍」によって生み出されたそれには、一級さえも脅かすほどの、本来の知性は備わっていないだろう。

 1体ならば、冷静に戦術を詰められる。だが、複数体を同時に相手取るとするなら……

 『結』。

 左手を真横に伸ばす、その動きで。雨を防いでいた結界、俺の後方を護る部分の強化を行う。

 そしてここより魔力充填を継続。意識して充填のスイッチを押す必要性を消去。全方位に魔糸を走らせ続ける、全身強化。

 地面を蹴り、初めて前線を上げる。透魚たちの最期の水飛沫を躱し、水の炸裂に、圧縮した火炎球を指の僅かな動きで飛ばしながら、この戦場で最大の難敵へと突進する。

 3つの顔が、同時に咆哮する。呼応するように他の個体も、この窮屈な結界を破らんとばかりに叫び上げる。

 短い前足がどんと大地を踏み鳴らす、その動作により、弧を描いた水の刃が複数発生。俺は高く跳躍してそれらを避け、渦を光線化させようとする中央の顔に向かって、

「あぁアッ!!」

 右腕を叩き付けるように上から振り抜く。

 右腕を取り巻いていた紅の魔糸が、「碧竜」の首を護る水渦以上の、猛烈な回転数を誇る渦となって「碧竜」の顔面を、鱗に覆われた身体を、轟音を立てながら削り取っていく。

 複数体を同時に相手取るとするなら……連発することから逆算して「出して構わない」最大火力で以て、短期決着を狙うのみ。

 炎渦をぶつけた風圧を利用し、俺の身体は後方へと飛ぶ。

 そのときに気づいた。
 俺の右腕が、燃えている。

 身体は熱いが、特段そこから強い熱を感じるわけではない。レインに貰った服の袖が焼け焦げていくということもない。ただ……初めての現象だ。

 着地の衝撃に怯んだその刹那、その地点。足元がかっと紅く光り、生まれた小さな火がすぐさま火炎となって広がる。

 何かが狂い始めた予兆なのか。
 それでも、

「はっ……はっ……、ッ!」

 止まるな。次だ、走れ。

 『剣』を展開し、『波』で更に減らし、『縮』を撃ち、竜を潰す。「大禍」をここで喰い止める、そのために、走れ。

 碧竜の水刃が来る、躱して、


 『必要ない』


 躱さずに、走り続ける。
 間近に迫った水刃が、にわかに勢いを殺され、ふわっと蒸発する。


 『貴方は炎なのだから』


 甘美な、女性の声。

 炎のように艶やかなのに、
 風のように涼やかな。
 水のように透き通り、
 大地のように豊かな。

 ……足を、止める。

 気づけば、どこもかしこもが燃えていた。
 忙しなく喘ぐような、自分自身の呼吸の音。

 よろめいた身体を大地に縫い付けるために、右足でどんと大地を踏み締める。

 たったそれだけで、良かった。

 火炎が、代わりに怒ってくれる、走ってくれる。紅蓮の荒波となって、無差別的に脅威を排除してくれる。

 竜の影がどろりと溶けて、何の影も、なくなった。

 「大禍」の核と2人きりだ。
 虚な目で、「視認できるようになった」それを、眺める。

 ……ここは、紅い。


 『貴方は炎。わたくしの、愛しい炎』


 雷のような激情。
 氷のような寂静。
 眠る前の虚のように、懐かしい……


『くろ、待って、』

「この、大馬鹿者がッ!!」

 誰かに、背を強く掴まれた気がした。

 そして、ばっしゃあああああ、と。

 突然、バケツを……いや、浴槽をひっくり返したような大量の水が降ってきて、俺は頭からそれを被った。

 俺は、間抜けにまばたきを繰り返す。見えないはずのものが、元通り見えなくなった。

 その代わりに、いなかったはずの人物が……大音声の主が、俺の前に立っていた。

「『大禍』と単独で渡り合う術は教えたが、単独で渡り合えと教えたわけではない! 生き残りたいのではなかったのか! 貴様は貴様のまま在り続けたいと、阿呆の一つ覚えのようにそう望んでいたのではないのか!」

「……師匠せんせい……」

 踊り続ける紅に、銀髪を染めて。眉を吊り上げ、三白眼をかっと見開いた鬼の形相で。

「どうして……来て、くれたんですか……」

 サリヤ・スティンゲール。
 カルカの『英雄』が、立っていた。
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