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第3章 明日を願う「白氷」の絶唱
41.お車をご用意しております
しおりを挟むオウゼへの出発は、翌日だった。
俺がレインから話を聞いた、翌日の午前中だった。
俺は「撤収」後ただちに、薬屋を経由して家へ帰り、押入れにしまい込んでいた防寒具を引っ張り出した。
炎を操る魔導士なのだから、寒さは火炎の熱で凌げるのでは? と思うかも知れない。
確かにそうだ、常に熱塊を生み出しておけば快適にはなるだろう。ただ……解除魔法を受け付けない奇妙な結界、これを破ったときに何が現れ、何が起こるのかわからない。備えは可能な限り厚くすべきだ。
魔糸循環を滑らかにするものなど、戦闘におけるコンディションを整えるための薬剤は常備している。薬屋で購入したのは、一定期間氷属性魔法や、寒さへの耐性をつけてくれる薬剤だ。
久々に父さんの書斎の扉を開けたのは、大きめの鞄を借りたかったから。
「大禍」の一件で支払われた額は……具体的に言うなら、特別な贅沢をしなければ5年ほど依頼を受けなくても暮らしていける、それほどの大金。望めば新調はできたけれど、初めてカルカを遠く離れるのだ。俺は鞄というよりは、お守りが欲しかった。
背中で扉を閉め切ってから、少しの間ぼんやりとしていた。父さんが使っていた机を撫でる。ひやりと冷たい、けれど埃は一切ない。母さんがこまめに掃除しているからだ。
木の仕切りによって作られた簡易本棚。数えるのに両手の指で足りるだけの蔵書、見るだけで中身を全て思い出せる背表紙。一度もページを開いたことのない、父さんの日記。
そして、家族写真。
1枚目は若き日の母さんと父さん……街一番と評判だったらしい美人と、勇敢でほんの少し不器用で、笑顔もぎこちない戦士のツーショット。
2枚目にはこの家を背景に、きょとんとした幼い俺を抱いて笑う母さんと……すっかり笑顔の上達した父さんが、写っている。
紺色のカーテンが両脇に留められた窓。そこから差し込む日差しが、寂しくなるほどに生活感のない部屋の陰影を浮かび上がらせている。
父さんは行動の人だったから。部屋にこもっている時間があるならば、庭に出て剣の素振りをするのに費やそうという人だったから。
父さんは炎属性の魔力を有していたけれど、その量は魔法を殆ど使えないほどに少なかった。4年が経過した今、父さんの魔糸は、どんなに心の目を凝らそうと見えない。
それでも、ここには確かに父さんがいた。家に帰ることができた夜には欠かさず、少しだけこの書斎で……恐らく、日記を書いていたのだと思う。
「少しだけ、借りる。大事に使うから」
目当ての鞄を手に、部屋を出ようとドアノブに手をかける。
『昇級、おめでとう』
父さんの声が、聞こえた気がした。
唇を噛み締める。
今回の依頼内容、そして明朝発ち、少しの間家には帰れないことを告げると、母さんはやっぱり悲しげな表情をした。
けれど、顔を左右に振ってその表情を払い、それまで不安定だった感情を凪がせて微笑んでくれたのだ。
『あなたが今ここにいてくれるのは、サリヤさんのおかげでもある。あの方には本当に、どんな言葉を捧げたらいいのかわからない……
けれど、クロニア。あなたは、ちゃんと私の元へ帰ってきてくれた。だから……笑顔でお仕事に送り出そうと思うの。忘れずに『行ってきます』と言ってね、そうすれば……薄情な私も、あなたを信じることができる』
母さんは今、ロペイル牛のシチューを作るための食材を買いに出掛けている。慌ただしくなってしまい申し訳ないが……英気を養って欲しいと望んでくれることが、嬉しい。
「……行ってきます」
父さんの書斎から出た。
父さん、ありがとう。昇級したよ。師匠が導いてくれたから、これ以上登ることができない高さまで辿り着いた。
でも。あなたは今も眩しくて。
向かい合って誇ることは、まだ、できそうにない。
翌日。
いつものように、我が家の石造の門柱に寄りかかって待っていてくれたフィーユと、集合場所であるギルドの正面扉の前へと向かった、のだが。
俺は、流石に怒っていた。
道中でフィーユから聞いたのだが、フィーユとティアがレインから受けた説明は、案の定というか、俺が依頼を受けることを前提としたものだったらしい。
しかも。しかも、だ。
あの依頼が、誰の手にも取られなかったのは確かだが。遠方のカルカギルドのリクエストボードにまで貼り出されたのは、どうやら「紅炎魔導士・零級」、つまり俺が受諾することを期待してのことだったようで。
そんなことは、一言も聞いていない!
ここは毅然として苦情を申し立てなければならない。俺にしか頼めないのならば依頼は受けるし、レインにはいつも大変お世話になっている、むしろお世話にしかなっていない。それでも……ギルドの登録戦闘員には、戦わねばならないときがある!
フィーユの分の荷物も持ちながら、俺は具体的にどうレインに文句を言うべきか考えていた。
まず、相手が先に到着していたら「待たせてすまない」から始まり。俺達の方が先に到着していたら「おはよう、良い天気でよかった」から始まり……
そんな感じで考えているうちに、角を曲がり、集合場所が見えてきた……のだが。フィーユと俺は、ほぼ同時にその場で硬直、立ち止まった。
「……フィーユ? その、世間知らずで申し訳ないんだが……遠出のときにはラピットではなく、いつも『あれ』が……?」
「そ、そんなわけ、ないでしょ……私だって久しぶりに見るわよ!
これで確信したわ……レイン・ミジャーレくん、あの人は絶対に、ただの厄介な新人戦闘員じゃない……」
口止めされているから言えないが、正解だ。レインは王国軍の要、軍務卿ラーヴェル様の実子。つまりは大貴族様なわけで……
整然と並び立つ姿からよく躾けられていることがわかる、純白の美しい身体と巨翼……「天馬」達。
御者として運転席に座っているのは、王国騎士らしき2名。そして客席である円形の車体は、風属性の魔石をふんだんに使用したと思われる翡翠色に輝いている。
先に到着していたらしいレインが、こちらに右手を振っているのを目視し……俺達はこれから、既に衆目を集めている『あれ』に乗らなければならないのだと再認識した。
……ど、どうしよう。
あまりの衝撃に、折角考えていた苦情文を忘れてしまった……。
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