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第3章 明日を願う「白氷」の絶唱
50.前夜
しおりを挟む【メメリカ・彩雪】
悪い夢を見た。
白雪で作ったベッドの上で、起き上がる。駆け回った後のように、心臓が高く叫んでいる。咳は出ないけれど、呼吸が浅く荒くなっていて、苦しい。
大丈夫、何の音もしない。
わたしだけの世界は、今宵も凪いでいる。
たとえ記憶にありありと残っている出来事だったとしても、今のは夢。あの人達はここにはいない、いないの……
毎日毎日、ひたすらに前を見続けることを強制する、小さな箱の形をした牢獄。
そこに集められた全員に、平等に与えられた机と椅子。わたしの居場所にだけ置かれた花瓶。
路傍から摘み取ってきたのだろう、名前もわからない「白」く小振の花が一輪、「白」い牛乳か何かが入っていたらしい硝子瓶にくったりと凭れかかっていた。
始業時間を報せるチャイムも、くすくすと嘲笑する声を掻き消してはくれなかった。
目を逸らすことも逃げ出すこともできず、わたしは椅子を引いた。
『早く成仏しなよ、幽霊ちゃん』
平等に無表情なはずの木の座面には、ラメ混じりの「白」いペンでそう書かれていた。見て見ぬふりのできない大きさで。
いつものこと。いつものこと。
「白」く曇った空の下、わたしは家へと歩く。俯いて、どこへも寄ることなく、作業のように淡々といつもの道をなぞる。
一軒家の正面から見える、2階の姉の部屋。「白」い灯りが灯っていた。
玄関扉の前で鞄を開けて、いつも鍵を入れてあるポーチを探してみて気付く。今朝は鍵をかけた記憶がない、きっと自室に置き忘れたんだ。
お父さんもお母さんも、夜までお仕事で留守。チャイムを鳴らしても、姉は出ない。
家族に連絡する用途にしか使っていないスマートフォンを取り出して、家族の連絡先しか登録していないメッセージアプリを開いた。
最後に連絡を取ったのが2ヶ月前の姉に、辿々しくメッセージを打って送信する。
『鍵を忘れてしまいました。
お願い、開けて』
3分後に、返信があった。
『じゃあ何か面白いこと言ってよ。
幽霊ちゃんには無理だろうけど』
「白」い雲が、暗い色に。
やがて雨が降り出した。今はもう、雪の冷たさでさえ平気なのに……その日の雨は、凍えるように冷たかった。
ふー、ふー、と。いつの間にか、噛み締めた歯の間から熱い息が漏れ出していた。
彩雪。さゆき、さゆき、さゆき。
ねえ、どうして、死んでしまったの?
彩雪、悪いのはあの人達だよ。彩雪はちっとも悪くない。彩雪が死ぬ必要なんてなかった、死ぬべきなのはあの人達だったんだ。
謝れ。せめて夢の中だけでも彩雪に謝れ、いつか彩雪に強制したように、両膝と両手を地面について謝れ、謝れ、謝れ……!
わたしの中で、渇望していた黒が膨らんでいく。
かつてのわたしに、今の力があったなら。わたしの望む世界を創って、護り続ける力があったなら。そうすれば、夢の中でわたしを嗤ったあの人達を。わたしを追い詰めたあの人達を。
わたしの唇が、動く。
わたしを、ころした、あの人達、に。
『愛して、欲しかった、のに』
ぼろぼろと、透明な涙が、黒い感情に震えていた手のひらに落ちる。わたしの世界でたったひとつ、人肌ほどの熱を帯びたもの。
ああ。そうだった。
彩雪が溶けていったわたしには。
「白」いものしか、作れないんだ。
【ベルスファリカ・リグ・ラーヴェル】
アストリテ・フォン・ラーヴェルは、あくまでも容姿に限っての話だが、ラーヴェルの3人兄弟の中で最も亡き母上に似ている。つまりは「稀代の」がつく美男子だ。
『見目麗しい男にはロクな奴がいない』、というオレの持論における論拠の半分は、あの男にあると言っても過言ではない。
兄上は、どうしても文句を言わなければ気が済まなかったオレに、満面の笑みを浮かべてハグの挨拶を迫り、仕方なくそれに応えてやると、
『ベル……些か痩せたのではないかな? 危惧していた通りだ、細やかな人柄のお前に平民の食事は合わないのだよ。兄に任せなさい、シェフを3人ほどカルカへ遣わせよう』
『笑えねえ冗談は止めてください』
『冗談? この兄の、大切な弟を想う気持ちが冗談なわけがないだろう? お前を笑わせたいのなら、近頃王都で名を馳せている旅芸人の一座でも引き連れてくるというものさ』
真顔でこう言いやがった。
早くも会話に疲弊したオレは、さっさと言いたいことだけ言って背を向けた、のだが。
世間知らずの大貴族様の振りをして、きょとんとして頷くだけだったあの男は、
『ゲームは順調のようだね、ベル』
オレの背に、囁くように告げた。
『この双眸で確かめた甲斐があった。あの方はお前に相応しい、本物の「紅炎」だ。対局の刻が訪れるまで……くれぐれも、丁寧に躾けて差し上げなさい』
お眼鏡に適って良かったよ、面はもしかするとアンタより好みかもな。
……なんて、笑えねえ冗談を吐くつもりはなかった。オレは黙ってその場を離れ、宿の部屋に帰り着くまで溜息さえ漏らさなかった。
躾けろだと、気色悪い。
クロニア・アルテドットは、怪物だ。
『転生者』を相手にする。
捲ってみれば予想通りのカードだ。だが、だからと言って楽観できるわけじゃない、ぐっすり眠れる方がどうかしている。単純な難易度で表すなら、三級でさえ心許ないレベルの依頼だ。
まさしく、『紅炎・零級』の実績として相応しい。そして、オレにとって絶好のチャンスでもある。しくじるわけにはいかなかった。
「……フィーユちゃんもティアちゃんも、ちゃんと寝付けてるかなあ。ねえ大将、心配なんで見に行ってもいいですか?」
起きてるな。
そう確信したから、オレは灯りを消した天井に声を放り投げた。
しかし、どうも様子がおかしい。
逆に女の子に失礼だろってくらい馬鹿紳士なこの人なら、疲れ切っていても確実に動揺し、オレを止めるべく言動するだろう。
それが、妙なほどに緩慢な仕草で窓側のベッドから抜け出したと思えば、黙り込んだままゆらゆらと窓辺へと歩いて行く。乱雑に切り揃えた黒髪が、僅かな光を流星のごとくに流して。
窓硝子に映ったその表情は見えない。
ただ、懐かしい旋律を奏でるような声で呟く。
「……さゆき。
……しろ。……く、て。……られ、な……」
サユキ?
聞き慣れない単語だ。誰かの名前か?
それに……白く、何だ? 聞き取れなかったことが惜しい。
どうやら、寝惚けているだけって雰囲気じゃねえな。
オレは片膝を立てて起き上がり、
「クロニア?」
念のため、ポケットに収めておいた指輪……得物である魔導具に人差し指を触れさせながら呼びかけた。
「それ」はまず横顔を晒す。紅色の視線を先に寄越しながら、やがて正面から対峙した。
目の前にいるのは怪物だった。まばたきひとつで他を圧倒できる、人より高次元の何かだった。
構成するあらゆる線が美しく、艶やかで、それでいて酷く冷たい。
眼差しで語っている。お前には、欠片も興味を抱いていないのだと。
「それ」が一歩前へ、出た。途端に……
何かに裾を引かれたように、ふらっと後ろへよろめく。数秒前に出た一歩分後退することで、倒れそうになるのを堪え、驚きのままに辺りを見回す。
「……っ! あ、あれ?
ええと……レイン? その……ごめん。ちょっとだけ、目が覚めてしまって」
夜闇の中に月光のように浮かび上がった頬。ふにゃっと力の抜けるような笑い方で、「変わった」とすぐに勘づいた。
咄嗟に一手。
さっきのは手を出したら負けていた、だがこっちは、
「何てお呼びしたら良いのかわかりませんが、一個質問させてください。どうしてアンタらは、別々のままでいるんです?」
強めの口調で、真っ向から揺さぶりをかける。
ははっ、やっぱりちょろいな! 表情を引き締めようとし過ぎだ、動揺をまるで隠せてねえ。なるほどね、善人の内側にまた善人ありってわけか。
「……ご、ごめん。何のことだか、わからない。びっくりさせてごめん、本当に……ぼ、俺は、もう休むから!」
はじめましての挨拶をする前に、そいつはベッドのブランケットの中へ逃げ込んだ。雷霆の音に怯えるガキみたいに丸くなっていやがる。当分眠れやしないだろうな。
まあまあ、追及はこの程度で。
……だが、どういうことだ?
天井を眺めながら、新たに湧いた疑問を脳内で転がしてみる。あくまでも転がすだけ。答えを導き出すにはあまりにも材料が足りないが、片隅に置いておくのは勿体無い。
転生先、転生元。
そして先程の、「仲間」さえも眼中にない「もう一人」。
クロニア・アルテドットの中には……
もしかすると、3人いるのかも知れない。
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