51 / 89
第3章 明日を願う「白氷」の絶唱
51.刻限
しおりを挟む『くろ、おはよう』
支度を整え、早朝にわざわざ部屋まで運んできてもらった朝食をレインと2人並んで黙々と食べていたタイミングで、京さんが挨拶してくれた。
『おはようございます』
俺は木苺のジャムが塗られたトーストを咀嚼しながら目蓋を閉じ、挨拶を返した。何だか話したいことがあるようだ、返事を待つ。
『その……気分はどう? 魔糸の感じとか』
『? 特別悪いというわけでは。
……ただ、良いとも言えません。周囲の魔力に影響されているのか、魔糸が普段より言うことを聞きやすいような気がするんです』
『……そうなんだ。大事な日に普段と調子が違うのは、確かに良いことじゃないよね』
落ち込んでいる、みたいだ。
落胆するのも仕方がない。俺はまた、自ら危険に飛び込んでいるから。
目蓋を開き、きのこのポタージュをスプーンで掬う。流石はオウゼ最高の宿、馴染み深い料理にも高級感がある。
『京さん。同じ「転生者」相手に、俺の力がどこまで通用するのかわかりません。でも、今回は自力で……いいえ、仲間の力も借りて、全員で生き残ります。必ず』
京さんが深く息を吸い込み、長く吐き出す。
『君の実力を疑ってるわけじゃないよ。僕が止めなければ……いや、何でもない。
とにかく、今から言うことをよく聞いて』
力強い声。最近記憶が鮮明になったからわかったことだが、こういう声を出すとき京さんは、彼の幼馴染と同じくらい頑固になる。
俺は思わず、食器を置いた。
『戦闘中でもそれ以外でも、僕が退いてと叫んだら退く。そう約束して欲しいんだ。
……約束。ううん、違うな。
これは……君に対する宣言だ。従ってもらえなければ、僕は無理矢理にでも君を止める』
一瞬たりとも気を抜くな、鈍間が。
まだ懐かしいとも思えない師匠の怒鳴り声が、耳の奥で鋭く響いた。こう言われるとき俺は、何らかの理由で呆然としている。
「……大将? まだ残ってますよ。アンタが食事を残すとか割と不吉なんで、ちゃんと綺麗に食ってください」
「え、……あ、ああ。大丈夫だ、絶対に残さないから」
慌てて、トーストの残りを口に押し込む。
……流石に大きすぎた、噛むのが大変だ。
リスみたいになってんな、とレインが呆れたような声を漏らす。修行の休憩中に、尻尾のふさふさしたリスが、頬がぱんぱんになるほどに口の中に木の実を詰めていく様を、師匠と一緒に見守ったことがある。
どんなメニューでも惚れ惚れするほど綺麗に食べるレインの横で、行儀が悪くてすまない。でも今は……
『……理由を、教えてください』
『君を護るためだよ。それから、笑わないで欲しいんだけど、さ……この世界の未来を護るためでもある。これ以上は、言えない』
俺と京さんは、同じ身体を共有する同じ人間だ。
でも、思考は別々に存在して。
……懐かしい約束を思い出した。
『京さんはおれじゃない。
同じように、おれは京さんじゃない』
同じなのに、違うから。だから俺は自分のことなのに、京さんの抱えている苦悩が、わからない。
【ティア】
白状します。
昨夜はあんまり、眠れませんでしたっ!
温泉にはゆっくり浸かったのですが……あたしの中でのんびりさんと緊張さんが睨み合った結果、緊張さんが勝っちゃったみたいで。
でもお食事は、夕ご飯も朝ご飯もしっかり食べられました!
あたし達は馬車に揺られながら、作戦の流れを再確認しました。それからは、いつもはたくさんお話をしてくれるフィーユちゃんもレインさんも黙り込んでしまって。
クロさんは……
俯いたまま目だけちろりと上へ動かして、盗み見てしまいました。お綺麗なお顔は窓の方を向いていて、ちょっぴり窓さんが羨ましくなって。でも盗み見を続けていると、景色を眺めているわけじゃないことに気付きました。
メメリカさんのことを考えていたのかも知れません。あたしが昨日、お布団の中でずっと考えていたみたいに。
お馬さん達の息遣い、蹄が力強く大地を駆けていく音、車輪がきしきしと小さく鳴りながら転がっていく音。
静かだなあ、と思いました。
当たり前のことですが、独りでいたら他の方の声は聞こえません。自分の心の声だけに、ずっとずっと耳を澄まし続けるのは……あたしだったら、とても苦しいです。
だって、あたしは……自分のことが、あんまり好きじゃないから。クロさん達と出会うまでは、失敗したらどこまでも落ち込んで、成功しても信じられなくて。
結界さんに映る、猛吹雪の幻。
あの光景を思い描くたびに、ちょっとだけあたしの心に似てるなって。め、メメリカさんにお伝えしたら、図々しいと思われちゃうかも知れませんけど……!
本当に本当に図々しいけど、こんなあたしでもメメリカさんにしてあげられることが、あるんじゃないかな、って。
そう思うと……もちろん緊張はしてるんですけど、不思議と怖くはなくて。
「出発」の場所に辿り着いて。コーラル隊長さん達、王国軍の小隊と調査団の皆さんが、ずらりと並んで待機するのを見て。
あたし達カルカギルドから来た四人で、丸くなって最後の打合せ! ってなっても、情けなくぶるぶるすることはありませんでした。でもその、ぷるぷるはしましたけど……う、うぅ、あたしの弱虫ぃ~!
「もう、4人で受ける初依頼なのにステップ飛ばし過ぎじゃない? ……なんてね、反省会はお仕事が済んで、思う存分温泉に浸かったあと! ティアちゃん行くわよ、温存してた大浴場!」
フィーユちゃん。練り込んである風属性の魔石……翠色の粒が煌めく武器の棒を組み立て、それを後ろに回した両手で斜めに構えています。
「は、はいっフィーユちゃん! あ、あの……メメリカさんも一緒に、温泉に入れないでしょうかっ!? 名家さんのご令嬢さんでも、その……すっごくお疲れだと思いますしっ!」
あたしも含め4人とも、夏空の下できっちり防寒具を身につけています。ふふ、何だか不思議な気分です。
「おっと、そいつは最高のアイデアだよ、いやあ~楽しみだなあ!
あ……悪かったよフィーユちゃん、部屋の隅に溜まった綿埃を見るような目で見ないでくれ……ほら、大将! アンタが主役なんですから、なんか場が締まること言ってください!」
レインさんは紫色の宝玉が輝く銀の指輪を、右手の人差し指にはめています。この指輪は魔導具で、なんと、しゅっとしていてかっこいい弓さんに変身します。
「うっ……やめてくれ、それはこの結界を破ることより遥かに難易度が高い……! と、とにかくみんな、命を最優先に。生き残ってオウゼへ……カルカへ帰ろう」
良かった、いつものクロさんだ!
別行動ではありますが……クロさんと一緒に戦うのは、ギルドに入会して2日目にフィーユちゃんと3人で受けた、リャニール山でのお仕事以来になります。
クロさんの魔法が素晴らしいことは、胸が痛くなるほどにわかっています。でも……それでも手を伸ばして、お役に立ちたい。
クロさんが、コーラル隊長さんと目を合わせてはっきりと頷きました。
コーラル隊長さんが、あたしには持ち上げることさえ難しそうな両手持ちの大剣を身体の正面に掲げます。少し持ち上げてから、その重みを使って切っ先を足元に突き刺しました。
どん、という鈍い音。
それこそが、合図でした。
「……メメリカさん、すまない。
あなたの世界に、亀裂を入れる」
クロさんが、お顔の前で握り込んだ右手にぎゅっと力を込めます。するとその手が燃え上がって……ううん、じっと見つめると、炎を掴んでいることがわかりました。
学者さん達が息を呑む音、逆に息を吐く音が聞こえました。お気持ちはわかります。大きく膨れ上がっているわけではないのに、ものすごい早さで研ぎ澄まされていくような、そんな感覚がするのです。
そして、
「……はッ!」
右腕を前へ突き出して、放ちます。
炎の球は、残像が見えるほどの速度で結界さんを貫きました。
当然、それだけでは終わりません。空いた穴からぴきぴきと亀裂が広がって、ぼろぼろと破片が落ちては消えて……レインさんが頭を下げなくても通れるくらいの、丁度いい大きさの穴ができあがりました。
すごい……! どれくらいの炎で撃ち抜けば、どれくらいの亀裂が生まれて、最終的に穴の大きさがどれくらいになるのかを計算したんだ……!
ティアが凡才なだけかも知れませんが、たとえ計算ができても、計算通りにできるのはすごすぎることです!
「行こう」
クロさんは短く告げて、迷いなく結界さんの中へと進んでいってしまいます。
その背中に手を伸ばすことはしません。あたし達は同じ場所にいて、同じ方を向いているのですから。
あたし達は歩き始めました。
夏の中の、小さな冬へと。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
165
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる