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第3章 明日を願う「白氷」の絶唱

53.明日を願う「白氷」の絶唱

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 斜面を下ることで勢いを増し、俺達を飲み込もうとする白氷の波を、紅炎の波で相殺する。冷気と熱気、両極端の混ざり合った猛風が身体を揺さぶる。

 メメリカさんの『願い』は変わらない、自分以外の人間を排除することだ。しかし、その手段は「無害」の領域をとうに越えた。

 主たるメメリカさんのために、彼女の魔力は何としても『願い』を叶えるつもりでいる。

 追い詰めた者として、抗わなければ。メメリカさんを殺人者にはさせない。俺は死なないし、俺の仲間も死なせない。

 王国軍の皆さんを結界外部に配置してもらえて良かった。護るものは少ない方が良い、選択肢が増えるから。

 ……でも。

『でていって』
『わたしは悪くない』
『わたし以外の存在は必要ない』
『わたしにかかわらないで』
『他の人間は嫌い』
『わたしに他の色を求めるな』

 メメリカさんの声なき叫びが、白い花火のようにひっきりなしに明滅している。

 魔糸の流れ、読み取るまでもない。ノイズは昨日より格段に増えているが、攻撃のためには大量の魔糸が同方向へ向かわなければならない。

 迎撃に散り、ほつれて動きの緩慢になった魔糸、その「大多数」が再びひとつに纏まる。熱気を振り切るように蛇行し、その頭を地面に打ち付けた。

 次は、下から来る。

「フィーユ!」

 失礼にならないかを思考している暇はない。魔糸を両脚へ集中させ、幼馴染の身体を抱き寄せて跳躍。同時に迎撃用の火球を生み出す……可能な限り、多く。

 追尾するように、美しく透き通った氷柱が無数に地面を突き破った。

 浮遊のときが、終わる。重力に従ってやるものかと、前方を視認する。丁度いい、蕾を模した氷刃が向かって来る。炎の豪雨を降らせながら、左の手のひらを蕾へと向け、

「空中戦なら、私がやるっ!」

 フィーユが先に武器を横へ振り抜いた。

 瞳と同じ翡翠色をした猛風を蕾へ投じて破壊。俺達2人の身体は、反動で後方へ飛ぶ。

 軌道の先は氷柱攻撃の安全圏。だが雪しかない。衝撃を緩和する結界を、

「私がやるって、言った、でしょッ!」

 着地点に魔法陣が浮かび上がる。

 花には花を、か。むくりと顔を出した蕾は、すぐさま幾重にも花弁の重なった大輪を花開かせる。実体は無いが、接触すると落下速度が大幅に緩んだ。俺達2人に押し潰された雪が、ずぐっという鈍い音をたてる。

 咄嗟に俺の背を下にしておいて良かった。俺の重みでフィーユを潰さずに済んだから。

 防寒具越しにも伝わる、氷雪の冷たさ。すぐに立ち上がった幼馴染の手に助け起こされながら、

「フィーユ」

 防御性能に特化した結界を張る。地中からの攻撃も防ぐため、球状に魔糸を巡らせた。

「はっ、はっ……防護結界? ティアちゃん達が辿り着くまで、ここで攻撃を凌ぐつもりなの? 確かにメメリカさんの意識は、こちらに繋いでおけていると思うけれど、」

「どうか、話を聞いてくれ」

 俺から顔を逸らし、平静を装った言葉を継いでいたけれど。乱れ始めた魔糸も、浅く荒くなった呼吸も、誤魔化すことができていない。

 繋いだままの手。ほどかなくてはとそっと引いたが、フィーユはぎゅっと力をこめる。

「……わかってる。
 きみの言いたいことは……痛いほど、わかっているわ」

 白い魔糸の奔流が結界を攻撃している。叩き割ろうと、引き裂こうと、消し去ろうと、がむしゃらに。酷く焦燥したそれに、最早知性は欠片も感じられなかった。

 そう。焦燥しているのだ。

 それが意味するのは、メメリカさんの体力が限界に近いということ。

 魔法の素養を眠らせた状態で生まれた彼女は、自らの強すぎる『願い』をコントロールする術を知らない。つまり、自分の限界を把握できていない。

 だから、作戦はなるべく早く開始しなければならなかった。

 ここへ実際に立ち入ってみて、彼女が『願い』に食い殺される寸前の状態だと知った。このままでは、明日を迎えることさえできなくなる。撤退の道を選んではならない。

 それに、この程度なら耐えるのは容易い。
 ……通常の状態なら。

 常より魔糸が言うことを聞きやすいという状況。多数決としてではなく、一糸ごとの向かう先まで掌握してしまうほどに鋭敏になった感覚。そのせいで、視覚を用いて読まずとも、メメリカさんの悲鳴が脳内に響くようになっていた。

『わたしの世界からでていけ』『あいして』『かなしい』『理解してあげられるのわたしだけ』『くるしい』『邪魔をするな』『どうか、あしたを』『わたし以外要らない』『わたしの明日を』『さびしい』『わたしを愛して』『他の世界のことなんて知らない』『夢から消え去れ』『どうか、どうか、どうか……』

『どうか、許して。
 彩雪とわたしだけの、残酷じゃない、明日を……』

 『願い』が響くたび、頭が激痛が走る。
 研ぎ澄まされているがゆえに意識が濁る。

 無様な。持ち込んだ薬の中に、魔糸循環を「鈍らせる」ものは無かった。

 何が紅炎なのか、何が零級なのか。
 幼馴染の願いさえ叶えてあげられない大馬鹿野郎に、魔導の最高峰の座は相応しくない。

 ……違う。

 職級が相応しいかどうかなんてどうだっていい。今はただ、ただのクロニアとして、フィーユの命を護らなくては。

「結界を出て欲しいとは言わない。召喚魔法の維持に専念して欲しい。
 ここには俺が……」


退しりぞいて』


 目を、見開いた。
 京さんの声、この言葉。

 時間が凍りつき、巻き戻る……
 今朝の約束、宣言へと。

 戦闘中でもそれ以外でも、京さんが退いてと叫んだら退く。従わなければ、無理矢理にでも従わせる。

 魔糸の掌握権が俺の手から離れてしまう。魔法が扱えなくなっても剣がある、だが俺は『銀星』ではない。剣一つで『転生者』に対抗できる筈がない。

 速やかに撤退しなければ、フィーユとともに。

 だけど、メメリカさんはどうなる?
 ティアとレインを、置いていくのか?

 頭の中が、真っ白になる。

 空白を埋めるように再び響いた京さんの声は、とても柔らかなものだった。

『大丈夫、間に合ったよ』

 ……あ、あれ?

 真っ白。本当に、真っ白だ。
 メメリカさんの声が聞こえない。結界への攻撃もぴたりと止んでいる。

「く、クロ! 結界をいて!」

 激痛の余韻に脳が痺れている。茫然と、フィーユに言われるままに結界を消した。

 感じるはずのない日差しの眩しさに、はっと上空を仰ぐ。山を丸ごと包んでいたメメリカさんの結界が、天辺から崩壊を始めていることに気づいた。

「…………綺麗だ」

 蒼から剥がれ落ちていく結界の欠片は、京さんの記憶の中に鮮明に残る桜……ソメイヨシノの散る姿に似ていた。

『ふふっ、「彼女」が残念がってるからわかったんだ。僕が止めなくて済んだのは……君の幼馴染が、ぎりぎりまで君の負担を減らしてくれたおかげだよ』

「フィーユの、おかげ……」

 そのとき、ベルトに装着していた通信機が熱を放った。戦闘で壊れていなかったことに安堵しながら、通信開始のスイッチを押す。

『あ、ああああのっ! あたしの声聞こえますかっ、クロさん、フィーユちゃん!?』

「聞こえるわ! 結界の瓦解を確認したけれど、そちらの状況は?」

『え、えっと……その、レインさんはお休み中なんですけど、あたしもレインさんも、メメリカちゃんも無事ですっ! 

 でも、メメリカちゃんも疲れ切っちゃってて……先にコーラル隊長さんに連絡させていただいて、迎えに来てくださるようお願いしちゃいました!

 お2人は、ご無事ですかっ!?』

「……ああ、無事だ。ティア、ありがとう。レインにも、ありがとうと伝えてくれ」

『え、えへへへ……はいっ! 夢の中まで届くように、大きな声でし~っかりお伝えしておきますっ!』

 ……願いを、間違えたかも知れない。

 調査団のテントにて合流することを約束して、通信を切った。

『訂正。みんなのおかげ、だね。
 拠点に帰り着くまでが作戦だよ、くろ』

 京さんの言葉に心の中で頷いて、今度こそ、フィーユの瞳と向かい合おうとした。けれど叶わなかった。幼馴染が、まさしく突風のような勢いで、俺の胸に飛び込んできたからだ。

「やった! やった、やったぁ、良かったよお……みんな、ちゃんと無事だった! 私っ、最後まできみと一緒にいられた! きみの役に、立てた……!」

 幼い頃に戻ったように、爪先で小さく跳ねることで無邪気に喜びを表現しながら、安堵のあまり泣きそうな声で紡ぐ、半年だけ歳上の幼馴染。

 今だけは幼少の頃のように。
 その身体を抱き締め返して、

「今回も、助けられた。ありがとう」



 夏の雪山での物語はまだ続く。
 孤独な少女を救ったのは、紅炎でも、黒矢でもなく……
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