私は、御曹司の忘れ物お届け係でございます。

たまる

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嵐の夜の前に

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 歩美が何度も一緒に泊まるとかいろいろ言ってきたけど、それは断った。
 アパートまでの道のりで、急に雨がポツポツと降り出してきた。空のどんよりとした灰色の雲が、まるで自分の気持ちを責め立てるように広がりをみせた。雨に濡れるのは一向に構わない。ただ、雨脚がひどくなってくるようだったが、走る元気もなかった。

 どうせびしょ濡れになるんだ。かまわない。
 ただ、その雨から沁みる冷たさが返って心地よかった。

 だれもいないアパートに帰る。

 そう言えば、このアパートも大原所有って言っていたな。春には出なくてはならない。しかも、仕事を辞めるとなると、アパートを借りるか、またはちょっと早まって、白石先生のマンションにお世話になるかもしれない。

 はあ、また引っ越しやら何だと大変そうだ。
 頭の中でお金の勘定をしてしまう。仕方がない。そうしなきゃ、生きていけない。

 あ、でも白石先生がいるか……。

 相手にどこまで頼っていいのか分からなかった。だって、白石先生の私生活なんて知らないのだから……。
 なぜかプロポーズを承諾していないのに、いろいろと考えてしまう自分がいる。
 でも、深く考え込みたくないので、まず、お風呂を沸かして長くお湯につかった。足が十分伸ばせることなんて出来ない、昔ながらの箱型風呂だが、かなり気に入っている。お湯に浸かりながら、能天気に白石先生と結婚したら、どうなるんだろうとシュミレーションを考える。やっぱり、七瀬君には悪いが、白石先生の方が条件がいい。だって、一応、社会人なんだから、白石先生は。しかも白石先生は自分の恩人だ。先生の窮地を助けられるなら、それはするべきだと思った。

 あ、私、漬物とか煮物とかは得意なんだけど、先生に似合いそうなオシャレな献立は苦手だった。

 これは嫁としてはまずいなーっと考える。

 あれ、いま、自分が重要な事を忘れていたことに気がついた。
 白石先生、本当の夫婦になりたいって言っていた。そっか。先生とキスとか、いや、もっとすごい事しちゃうんだ。考えてみて顔が赤くなる。お湯の中に頭を沈めた。ぶくぶくと気泡が口から出て来た。溺れそうだ。

 先生との行為を想像したからではなかった。ある人を思い出してだ。ハッと自分の体を見た。腕や足にあの赤いマークがまだ生々しく残っていた。もちろん、背中や首にもついているのだろう。その場所を触るとなぜか目頭が熱くなった。

 今晩、停電するかもしれないような悪天候になるようだった。外で誰かが、きっとしまい忘れたプラスチックのゴミ箱が転がっていく音がする。完全に嵐の夜になりそうだった。

 風呂から上がってパジャマに着替えた。雨が叩きつける音がトタン屋根に鳴り響き、うるさいので気晴らしにつけたテレビの音響を上げた。一応、停電に備えて懐中電灯を手元に置く。テレビの画面の端には悪天候のために電車や飛行機の運休情報が流れていた。

 おバカなバラエティー番組を見ながら、冷凍してあったご飯を解凍した。食欲もなにもする気がおきないのだが、停電したらもっとまずい。まずは腹ごしらえだ。それだけでは体にさすがに悪いと思い、漬物と一緒に食べる。栄養価は、まあ今日は見逃してほしいと、自分で自分に謝る。食欲が元々無いからそれだけで、お腹も心もいっぱいだ。
 テレビの画面に映るハチャメチャな事をしている人たちを見ながら、外から見たらこんな馬鹿げたように見えることでも、プロという意識をもってやっているんだろうなと感じた。

 ああ、私の仕事もこんなものかな。
 側からみたら……忘れ物お届け物係なんておかしいもんね。
 でも、仕事と言われる以上、自分は頑張ってやっていたつもりだった。
 その先の思考が止まる。これ以上は考えたく無い。
 まさか全て嘘で、全て虚構で、全て仕組まれていたら……。

 私は?
 でも、おかしい。
 いまそんな負の感情に浸っている場合ではないのだ。
 今日、多分自分の人生で、もっともすごい事が起こっていた。
 二人の異性に告白、いや、プロポーズまでされたのだ。

 ありえない!

 本当なら酒でも飲んで祝うべきだ。ただし、そんな浮いた金は美代にはなかった。七瀬君には悪いが、白石先生との結婚は悪くないと思っている。もう自分は21歳だし、未成年ではない。先生は結婚しても学生は続けてもいいと言っているし。かなり、経済的に楽になるだろう。

 あ、仕事辞めろって言われたな。

 全くしないのも問題だ。まあ学生の間は、バイトを違うのを探すかどうにかしよう。その辺はよく言われるが夫婦間での話し合いだ。あれ、やっぱり私、白石先生との結婚に前向きなのか?
 自分で自分の気持ちが分からなくなっていた。

 テレビの中の芸人の笑顔がなぜか急にとても嘘くさいような物にみえた。
 グダグダと考えていたが、見ていたテレビも見終わり、この嵐の中でどうやって寝るか考えた。

 わたし、やっぱりもうだめだ。会長の顔を見たら、多分、拒絶さえ難しい。辞表って、手紙で出来るの? でも、まだバイト扱いだったよね。わたし……。

 前の二つのバイトとも電話口で解雇されたようなものだった。

 そっか電話口ってもあるな。かなり覚悟を持って電話した。

 「ただいま電波の届かない地域におられるか、電源が入っておりません。メッセージを……」

 あー、やっぱり電源入ってないよ。まあ、それを指摘するのが、わたしの仕事だったもんね。留守電メッセージに入れるかと腹を決める。仕方がない。

 「蓮司会長。お電話で申し訳ありません。土屋美代です。一身上の都合、貴方のお忘れ物お届け係を辞めたいのです。またご連絡します。失礼いたします」

 電話を切る。手が震えていたことに今、気がついた。
 腰から力が抜けて、畳の上に座り込んだ。

 終わった……。
 終わったんだ……。

 でも、降りしきる雨が、これから、本当の嵐が自分に差し迫っていることを教えていたことに、美代は全く気がついていなかった。
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