団長、それはやり過ぎです。

たまる

文字の大きさ
上 下
2 / 46

始まりは小さな親切から

しおりを挟む
 ディアナ・シントロスキー伯爵令嬢は、その領地では『麗しの姫』と影で呼ばれるくらい、その御身がとても麗しく、その金色の髪の毛はまるで黄金の糸、その透き通った肌は、この世の者と思われぬほど、美しい令嬢だった。
 
 ぷくっと可愛らしい唇を膨れさせて、自分の乳母であった白髪交じりの女、アリス・ストラムに話しかけていた。
 ここは王宮騎士団の厨房入り口だった。
 騎士団にいる兄に差し入れを持ってきた帰りに、厨房で働いているはずのアリスのその様子を見に来たのだ。

「大丈夫よ。ばれないわよ。だって、夜食当番ってほとんどないんでしょ? それに、あなたの連れのリチャードが厨房担当の調理人なんだから、私ならできるわ」
「ディアナお嬢様!! そんなことがばれたら、私、どうしていいのかわかりません」
「だったら、急に誰を代わりによこすの?」
「そ、それは……」

 王宮騎士団の専属メイドとして働いているアリスは困窮していた。いきなり故郷の父が危篤だと手紙で知らされた。知らせの日づけを確認し、今行けば父の最後に間に合うかもしれないとアリスは考えていた。
 それを読んでいた最中に、元自分の職場のお嬢様が訪ねてきたのだ。
 アリスは昔、ディアナ・シントロスキー伯爵令嬢の乳母であった。
 でも、年齢と共に、この王立騎士団の厨房のリチャードという調理人と一緒になり、近くにいたいという理由で、この仕事に転職したのだ。

 ただ、父の危篤に駆けつけるのには問題があった。ここの王立騎士団には変わったサービスがあって、夜食当番というものがあった。
 まあ簡単に言えば、お腹が減った騎士達に夜食を運ぶというものだった。
 その交代になりそうな者が、今日に限ってみな休みをとっており、代わりが今すぐ見つかりそうになかったのだ。
 いまから、市井まで行って代わりを見つけるのは、遅すぎる。
 自分の実家の村まで行く、辻馬車に間に合わない。

 だからと言って、目の前のお嬢様の意見を聞くわけにはいかなかった。
 
「そんな若い女性を騎士団、しかもディアナ様のような高貴な身分の方を行かせるだなんて、もし旦那様に知れたら、私は殺されます!」

 ディアナはやさしくその年老いたアリスの手を取る。
「アリス。私にとってあなたは第二の母のようです。あなたが困って苦しんでいるのに、なぜここで手を差し伸べられないのでしょう」

 この王宮勤めには厳しいルールがある。欠勤にもかなり細い罰則があった。騎士団という王立の要の現場であるため、出入りが激しいと困るという理由から人選も厳しい。そこで働けるというステイタスから、働きたいものが殺到しているのに、現状は、採用される人数はとても少なかった。しかも、その雇われる者は、若い女性がほとんどいないという傾向があった。であるから、万年人手不足だった。それでも、騎士団はなぜか多くのメイドたちを雇うことには消極的だった。

 年をとったアリスは、最近休みがちで、とうとう昨日では、騎士団の管理を任されている総監督のメイド長から今月はあと一回でも無断欠勤したら解雇、とまで通知をもらっていた。
 あと、一年間、勤めあげれば、おめあての年金がもらえるとあって、それは年をとってきたアリスにとっては、自分の年金と老いた父親の命を天秤にかけるようなひどい行為だった。

「だいじょうぶ。アリス。私なら変装は意外と得意だし、一晩だけだから、なにもないわよ」
「お嬢様……」

 このとき、彼女らは、これから起こる事件を全く予測していなかった。
 このディアナの勇敢な、そして無防備な優しさが彼女の運命を狂わしていくことなど。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

短編集(SF・不思議・現代・ミステリ・その他)

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:228pt お気に入り:1

貴方にはもう何も期待しません〜夫は唯の同居人〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:3,621

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:39,072pt お気に入り:5,331

異世界迷宮のスナイパー《転生弓士》アルファ版

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:113pt お気に入り:584

処理中です...