拝啓 殿下。どうぞ離縁書にサインをしてください。

たまる

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逃げたのはよかったのだけれど…

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 誰が追ってきそうだったけれど、早足で逃げ去ったわ。
 すばやくに近場の小部屋に駆け込んだと見せてその部屋付きのバルコニーから外に出たわ。
 こういう時に正妃って立場は楽ね。
 顔を合わせただけでみんな衛兵はどいてくれるから。

 えーと、えーと。
 なにか生き物はいないかなと思ったの。

 正直、焦っていたわ。
 
 にんじんが迫ってくるのを感じたから。

 ああ蚊はまずいわ。
 なんだか地面からふわふわと浮いてしまう自分になりそうだったし。
 どれもやっぱりイマイチそうだったわ。夜の生き物は虫が多いのよ。
 どれも会話ができるような高等動物はいないし、しまったなと思ったわ。
 今回はもしかして離縁書が自分がいない間に渡されるかも知れないので、少し高等な生き物を得たいと思ったの。

 そんなときちょうど黒猫が通ったの。
 おおおお!

 なんてタイミング。
 
 自分の目を猫に合わせるの。
 身体に血が逆流する感覚を得たわ。

 そして、自分と猫をさっとたの。

 猫と魔女。
 昔から相性はバツグンよ。

 桃色のフリフリドレスを着た自分が背筋をピンと張り直したわ。
 中身は猫ね。
 
 ああ、でも外から見る、このドレスを着たわたしは最悪のルックスよ。
 昔のアイドルみたい。

 童顔に、ピンクのフリルってちょっと犯罪的だと思うの。
 全く自分の理想と違うし、改めてがっくりするけど仕方がないわ。
 ただでさえ大き過ぎる瞳が、可愛らし過ぎるドレスに包まれて、なんだか甘ったるい顔になり過ぎている。

 まあここを去ったらもうちょっと大人びた服を着たいと思ったわ。
 もしかして、あの魔女おきまりの黒服って、童顔を隠す為のものかも知れないわとでさえ思ったわ。
 ママもいつまでたっても若くて綺麗なままだし。

 一応、ここを離れる前に元猫の自分に話しかけたの。

「いい? 変なまねはしないことよ。『いいえ、はい、わかりません』で答えなさい。わかった?」
「…はい」

 そのあと、どこへ行くかを彼女に説明したわ。
 あのカーテンの中に隠れていれば問題はないはずだから。
 
「けっこうだわ! では解散ね。あとで呼んだらここにくるのよ。私は夜の庭を散歩してくるから…」

 そうやって猫の私と、私になりきった猫は別れたの。
 目の端に誰かが姫である自分を迎えに来ていたわ。
 ギリギリセーフだったみたいね。

 夜の庭で遊びに遊んだわ。
 猫の体は軽いから、いろんなところを飛んだり跳ねたりして楽しかったこと。
 思わず貴族の逢引に出くわしたりして、驚いたり、驚かせたり。
 夜の生き物たちとも戯れもしたわ。

 かなり遊んでしまっていたの。
 夜空は甘い花の匂いや虫の囁きで満ちていて、ワクワクしてしまったわ。

 ふと顔を上げたらね。
 深い藍色の夜空に白いシルクのような輝きの月が雲から顔を出し始めたの。

 月に向かって呟いたわ。

「─ダメよ。私のことに干渉したら、絶交だからね! パパ、わかっている? 何が起きても自分の責任だから!」

 ゆっくりとした動きの雲がまた月を隠したの。
 ほーんとにね。

 子離れしないから…パパは。
 ちょっと用心の為に、仕掛けはしたわ。
 これをすると、パパは自分の行動が見えないの。

 魔女のママでも出来ないらしいんだけれど、子供の私は出来るの。

 パパから見えなくする方法。

 を終えて、宮殿を覗いたら、巨大にんじんケーキらしきものが撤去される様子が見えたわ。
 かなり危なかったわ。
 ケーキを片付けるのなら、パーティーは終わりってことでしょ?

 さあもう帰ろうかと思っていたの。

 それは…突然だったの。
 体に異変を感じたのわ。
 あっと思う刹那、何かとてつもない刺激を肌にね。

 すぐにその刺激が渦を巻いて、熱に変化して、身体中を支配したわ。
 思わず猫の自分がよろめいたわ。

 初めて味わうような感覚よ。
 叫びたい気持ちを必死で抑えたわ。
 まずいと思ったの。

 きっと本体、つまり自分の体に何かが起こっている。
 こんなことは今までになかったけれど、本体がつまづいて転んだり、怪我したりするとその異常がこちらにも伝わってくるのよ。しかも、今回は相性の良い猫。

 伝わってくる感覚がまるで薄皮一枚の差にしか感じないわ。
 困った感覚を頑張って閉じ込めて、猫のわたしは走ったわ。
 途中地面になんども足を止めたわ。

 急いで、バルコニーに戻ったの。
 でも自分の姿はなかったわ。
 当たり前ね。きっとまたあの広間に戻ってあのカーテン越しに戻るはずだったのだから。

 ちょうど広間に続いているテラスに出る人たちがいたの。
 それに紛れて猫の私が広間に入り込んだの。
 誰も自分には気がつかないわ。
 声が聞こえてきたの。
 少しでも何かを起きたのかを探る為にね。

 え、魔法で探れって?
 
 だから言ったでしょ?
 なるべく魔法は限界まで使わないのよ。
 まあにんじんは別だからね。
 それに猫の自分にも防衛本能は付いているの。
 敵意を持った誰かが攻撃してきた場合、それなりの反応はできるようにしてあるわ。

 ただ敵意を持たない何かが…自分を襲っている?

 仮説を立てながら、令嬢たちの間を通って行ったわ。

 すると全く平凡でつまらない人々が噂話をしていたわ。

「すごかったですわね。あの殿下の剣幕…」
「まさか、あのお人形様の姫君が、あんなはっきりと殿下を拒否したの、私、初めて見ましたわ」
「それに、あの殿下のお顔…拝見していて、こちらの方が…辛くなりましたわ」

 え、何したの?
 猫の私。
 円満離婚を期待していたのに、ここで泥沼してどうするんですか!!と思ったわ。

 急いで猫の自分は、人間の自分を探したの。 
 悠長に人間のふりをしている暇はない感じがしたわ。
 やはりこの身体のあちこちに感じる異変はただ事ではないと思ったから。

 はこの宮殿にはいると感じたわ。
 
 身体の奥から感じる得体の知らないものは、波が重なるように自分を支配し始めたわ。
 その正体を知りたいがままに、猫の自分に呪文をかけたわ。

 『私を私に連れていきなさい…』





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