目が覚めたら宿敵の伴侶になっていた

木村木下

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 翌日は、朝から変だった。
 初日に撥ねつけて以来いつもは呼ぶまで来ないモルガナ夫人が、まだ眠っている俺の部屋のドアを叩いたのだ。その上、具合が悪いといった設定を守って黙って返事をしないでいると、こちらの了承もなくずかずかと入り込んでくる。
「勝手に入りやがって、気が変になったのか?」
 寝台に伏せていた体を勢いよく起こして怒鳴ると、部屋の入り口にはモルガナ夫人だけではなく、もうひとり男が立っていた。
 ぴたりと体が固まる。
 男は涼しい顔をしていた。おおよそ感情の起伏と言うものが見られない。青みがかった白い、ゆとりのある服を着て立っている。ユエ・オーレルだ。俺は震える指で男を指さし、モルガナ夫人に言った。
「おい、その、そいつを、……そいつを今すぐ部屋の外へやれ。俺の部屋に許可なく入るな」
「具合が悪いと聞いたから、様子を見に来た」
 低く、川のせせらぎのようで耳に心地いい声だ。
 俺はユエを無視して彼の隣の老女に「早く追い出せ、もう、お前はいてもいいから、その男をどっかにやれ」と命令した。モルガナ夫人は目をつむって聞こえないふりをしている。
「元気そうだ。一緒に朝食を食べよう。夫人、彼の支度を手伝ってあげてください」
「かしこまりました」
 ユエが静かな動作でこちらに背を向け、自主的に部屋を出ていく。ぱたん、と音を立ててドアが閉まり、俺は寝台に倒れこんだ。動悸が激しい。頭を抑えると、こめかみが汗でぐっしょりと濡れていた。
「まあ! フォランさま、お部屋が泥だらけではありませんか。おみ足も! 一体何があったのです? 旦那様にお支度に時間がかかると申し上げなくては」
 俺の命令は無視した夫人が、ユエの指示通り手早く俺の支度を整え始めた。見上げた忠誠心だ。
「俺が朝食に行くと思うのか? 勝手に食ってろ。人間同士でな」
「フォランさま、嬉しくないのですか? 以前はフォランさまこそ、旦那様とお食事を共にしたいとご希望だったではないですか」
「嬉しいわけがあるか! 俺は食事もあの男も嫌いだ」
 ユエと食卓を共にしたいとは、シルヴァ・サリオンの気が知れない。俺は断固拒否の姿勢を示し、着替えさせようとしてくるモルガナ夫人の手を避けてシーツを肩まで引き上げた。
「でも、お約束した食事の日ですわ」
「……」
 そうだったか? 俺は以前食事をしたのはいつだったか数えてみた。確かに、そろそろ食べる頃合いかもしれない。言われてみれば、どことなく体がだるい気もする。
「部屋で食べる」
「すでに用意しております。フォランさま、約束を破るおつもりですか?」
「……」
 ユエと顔を突き合わせて食事をするのと、一度した約束を破るのと、どちらが嫌か天秤にかけ、約束を破る方が嫌だと感じたので、渋々シーツから出て着替え始める。モルガナ夫人が指示するとすぐに湯を張った盥をもったトアが部屋にやってきて、泥だらけだった俺の足を洗った。
 寝間着を脱ぎ、適当に選んだ薄紫色の服を着て広間へ向かうと、ユエ・オーレルはすでに席に着いていた。まだ湯気の立つティーカップを静かに口に運んでいる。俺は彼の耳に届くようため息をつきながら椅子に座った。
 長方形の机を二人で使うのだからどう考えても向かい合う辺に座った方が広くていいのに、なぜか隣り合う辺同士に椅子が置いてある。この屋敷の使用人は頭が悪いのか?
 しかも、またパン粥だ。
 シルヴァ・サリオンの体でいる限り一生このパン粥を食うはめになるのか? 俺は跡形もなく消え失せてしまった自分の体を思い出し、憂鬱になった。
 木の匙を持ち、こちらを見てくるユエを無視して粥をぐるぐるとかき混ぜる。仕方なく一口食べると、山羊の乳を吸って膨れたパンが口の中で潰れた。
「なぜパン粥を?」
 無視して食べることに専念する。幸い、パン粥には限りがあり、初日にぶちまけられたことを恐れた給仕が最小限をよそっているので、匙を動かし続ければいつかなくなる。
「フォ……」
 軽率にもフォラン、と口にしかけた夫人を睨みつけて黙らせる。夫人は咳払いしてから「シルヴァさまは」と言い直した。
「ここのところ食が進まず、胃の負担を考え優しい食事をご用意しております」
 優しい食事? まずい食事の間違いだろ。匙を投げたくなる衝動に耐えながら頭を振り、ふと俺に用意された食事とユエに用意された食事が違うことに気づいた。
「そうか」
 ユエは納得したように頷くと、小さな声でなにかを夫人に言い付けたようだった。
 ユエの前に置かれた皿を見ながら、そういえば他の人間が物を食べるところは初めて見ることに気づいた。じっと見ると、どうやら彼の皿には、卵を炒ったものや、山羊の乳でどろどろになっていないパン、野菜などが載っていることに気づく。
 俺は衝撃を受けた。そういったまともな食べ物は全く異なる世界である日本にしかないと思っていたからだ。てっきり、この世界にはパン粥しかないのかと思っていたが、違うのか? 世界が違うから、食うものも違うかと思った。というか、普通の料理があるなら、なぜ俺には出さない⁉
 憤っていると、カートを押して部屋に戻ってきたモルガナ夫人が別の皿を置いた。
 見ると、皿の上にはいくつかの果実が並んでいた。どれも森で口にしたことのある、慣れた果実だ。俺は匙を放り投げた。
 さっそく果実をつまんで口に入れようとして、忘れないうちにユエを睨んでおく。
「まともな食い物があるなら最初からそれを出せよ」
 ユエは「分かった」とうなずき、視線で俺に果実を早く食べるように促した。
 赤く丸い実を口に入れ歯で噛むと、すぐに表皮が弾けて中の果汁が溢れた。じん、と体に栄養が染み渡るのを感じる。
 自覚していなかっただけで、体は飢えていたらしい。あっという間に皿に乗った果実がなくなる。シルヴァの体で初めて感じる満腹感だ。
 腹がいっぱいになると、急に眠気が襲ってきた。口に手をあて、大きくあくびをする。
 もう部屋に戻る、と言うと料理に口をつけたばかりだったユエは頷き、こう言った。
「夕食も一緒に」
 正気か?

 食事の効果はすぐに表れた。明らかに調子が良い。
 たしかに、毎日食事をとった方がいいというのは本当のようだ。僅かだが力が戻ってきたのを感じた。
 広間を出てすぐ、飾られていた花に近付く。切られてから数日たったのだろう、元気を失いつつある葉にふっと息を吹きかける。
 すると萎れていた花はみるみる息を吹き返し、葉も花弁も瑞々しい潤いを取り戻した。満足してうんうんと頷き、自室に向かって歩こうと体の向きを変える。
 すぐそばにユエ・オーレルが立っており、ぎょっとして体が強張った。
 彼は俺をじっと見ていた。まるで夢を見ているかのように陶酔した視線だ。かつ、皮膚の下まで探ろうとする意志も感じる。
 なんだ?
 まさか、こんなに早く正体がばれたわけではあるまい。俺は少し考えてから、シルヴァ・サリオンらしい振る舞いをするべきかと思い、かなり努力を要したがユエに向かって笑いかけてみた。
 ユエが信じられないものを見たように目を見開く。
「あなたは、」
「ユエさま!」
 彼が何か言おうとした時、階段の下から声がかかった。見ると、ユエの専属騎士、ノクトが一階に立っていた。彼は軽い足取りで階段を上り、ユエに向かって頭を下げ、次いで俺を見て目を丸くした。ユエと俺の顔を交互に見やる。
「えっ、まさか、一緒にお食事を?」
「うん。何か急ぎの用か?」
 ノクトがこちらを気にしながら頷く。重要な話でもあるのだろうか。別に興味はないが、視線の望み通りに立ち去ってやるのが癪だったので腕組みをして居座る。ノクトは戸惑い、ユエの顔色をうかがいながら言葉をつづけた。
「実は、国王がリューフェイの開発についてお話があるとユエさまをお呼びです」
 ユエの眉が片方だけぴんと上がる。彼は不快そうに眼をすがめた。
「また? 断ったはずだ。もう何度も」
「今回の計画はきっと気に入るからどうしてもと……、クレアさまも話だけ聞いてやってはどうかと、先ほど言伝がありました」
「……クレア妃が?」
 クレアの名前が出たとたん、ユエの顔色がさっと変わった。ノクトが頷くと、ユエは小さく嘆息して後ろで腕を組み、ゆっくりと階段の方へ歩き出した。その背中を見ながら、俺はおろかな人間たちの計画をあざ笑った。
 リューフェイの開発だと?
 この俺がいない間、どういうわけか全く手を付けなかったようだが、やはりな。森を見ると木を切らずにはおれないのが人間どもだ。だが、俺が帰ってきた以上、あの森に手出しさせる気は毛頭ない。
 今すぐにでもユエを殺して――と考えたところで、肝心の体が見つからないという事実が重くのしかかった。
 おそらく、焼失したわけではない。もし体が重大な損傷を受ければ、魂も完全に無事ではいられない。体と魂は相関の関係だからだ。俺の魂が無事だということは、どこかに体があるということだった。
 問題はどこにあるのか、そして誰によって隠されたのかだが……、後者はもう分かっている。十中八九、ユエ・オーレルの仕業だ。
 あの森にいたことこそが証拠だ。リューフェイの森は持ち主にしか立ち入りを許さない。
 ユエが森に入れた理由はだいたい分かっていた。忌々しいにもほどがある。
 自室に向かって歩きながら、とにかく体を取り戻さなければならないと決意した。が、正直ユエが体を持っているなら話が違ってくる。当初考えていたほど簡単にはいかないだろう。
 シルヴァ・サリオンの体の期限という問題もある。なんとか隙を見て手がかりがないか屋敷を探すしかない。
 部屋の前まで来ると、ドアに凭れている子供がいた。トアだ。仕事をひと段落させてから来たようで、俺が近づいてくるのに気づくと興奮に頬を赤くして立ち上がった。
 俺はまじまじとこの子どもを見た。
「師匠?」
「お前、ユエの部屋の掃除もするか?」
「はい。するけど……」
 トアが眉をひそめる。俺は何度も頷きながら部屋に入り、一度出てきてトアへ逆立ちを続けるよう言いつけ、また部屋に入った。

 寝台の上に座り気を練っていると、いつの間に時間が流れたのかモルガナ夫人が夕食だと呼びに来た。
 目覚めて以来、一日に二度も食事をしたことなどない。俺は閉口したが、朝に食べた果実の味を思い出し、あれなら食べてもいいかと広間に行くことにした。
 席に着くと、透明なガラスの小さな皿がいくつかおいてあり、中には果実が盛られていた。まあ、悪くない。俺は椅子に座ると、部屋にユエが入ってくるのを待たずに食べ始めた。
 モルガナ夫人はもの言いたげな目で俺を見たが、逆になぜ待ってやると思うんだ? 広間に来ただけひざまずいて感謝するべきだろう。
 八割ほど食べ終わると、焦った様子のユエが外套も脱がずに広間に入ってきた。
 彼は息を荒げながらも俺がまだ食卓にいるのをみると表情を緩め、ゆっくりとした所作で椅子を引き、腰を下ろした。
「遅れてすまない」
 俺は返事をせず、つまんでいた果実を口に放り込み咀嚼した。
 ユエが外套を脱ぎ、従僕に手渡す。見ると、それはノクトだった。専属騎士だったはずだが、身の回りの世話までするのか。
 彼は俺の視線に気づくと、にっこりと笑った。無視して水を飲む。
 ユエは話しかけるでもなく、じっと俺を見てから自分も食事をとることにしたようだった。ノクトに帰ってもいいと声をかけ、自分で茶器を傾けている。
 夫が食事に口をつける前に皿を空にした俺は、さっさと部屋に帰ろうと立ち上がった。言葉よりも雄弁な視線が体を追ってくるのを感じるが、答えてやる義理はなかった。
 ユエの意志が強そうな眉は平素常に平衡を保っており、感情の起伏が感じられない。
 広間の扉を閉めると、外にはまだノクトが立っていた。まだ帰っていなかったのか。彼は出てきたのが俺だとわかると、人懐っこく「こんばんは」と声をかけてきた。
「一緒に食事をするなんて、いつの間にそんなに仲良くなったんですか? すごいな」
「仲良く? 目が腐ってるのか? お前の主人に飯くらい一人で食えと言え」
 ノクトは俺の返事を聞くと口をあんぐりとあけて驚いて見せた。察するに、シルヴァ・サリオンにこんな物言いをされたことがないのかもしれない。
 が、さすがは騎士と言うべきか、ノクトはぱっと表情を変え、俺に食い下がってきた。
「まあまあ、ユエさまが今日お食事に間に合わせるためにどんなに頑張ったか知ったら驚きますよ。ほとんど走って帰ってきたんですから」
 どおりで汗だくだったわけだ。
「それに、少しは仕事を調整するこっちの身にもなってくださいよ。ユエさまの予定が変わるってことは、俺の予定も変わるってことなんですから」
 ノクトは肩をすくめてやれやれ、と頭を振った。主人相手とは違い、シルヴァに対してかなり親しげだ。俺は腕組みをして男を眺めた。長く黒い髪を後ろで結って、手には黒い皮手袋、目元にはかすかにそばかすが散っていた。八重歯が人懐こい印象だ。
「ところで、あんなに無関心だった旦那様の御心を掴むなんて……、もしかして弱みでも握ったんですか?」
「弱み?」
「はは、冗談です。大英雄ユエ・オーレルに弱みなんて……」
「そんなもの、千年前から分かってる」
「……え?」
 分かっているが殺せないから厄介なのだ。俺はため息をつき、顔を強張らせるノクトを置き去りにして部屋へ戻った。
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