神明の弁護者

鐘古こよみ

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12・宮廷医師の証言(2)

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「あなた、いつからロザリンデ様の味方になったのよ」
 思わず恨み言をつぶやくと、アンルーは僅かに肩をすくめて言い足した。

「だからといって、やはり王女が犯人だと考えるのも疑問が残る。状況から言えば第一の容疑者かもしれないが、動機が見えてこないのでな」

「さっきから言っているじゃない! 王位継承権を剥奪されると知って、衝動的に陛下を刺したのよ!」
 アンルーを睨みつけ、ロザリンデは縛られた男に指を突きつけた。
「だから神が、その男に毒矢を与えたのです!」

「……衛兵隊長、王妃様を落ち着ける場所へ。その暗殺者も然るべきところへ」

 疲れた声でザビドが命じ、ロザリンデは暗殺者もろとも礼拝室から連れ出された。
 喚きちらす声が遠のいていき、静かになった空間に、気を取り直すような医師の咳払いが響く。

「失礼。王女の動機ということですが……わたしは一つの可能性を考えております」

 状況からして、黒衣の青年がこの場のまとめ役らしいと当たりをつけたのだろう。
 彼は最初からアンルーに向かって提案した。アンルーも当然のように頷く。

「聞かせてくれ」
「陛下を短剣で刺したのが王女殿下だとして、起因はあくまで陛下の病であり、王女殿下に殺意はなかった、という考えです」

 この突飛な発言にはエゼルディアを含め、その場の全員が瞠目した。

「気丈に振る舞ってはおいででしたが、陛下のお体は限界に近づいていました。
 痛み止めや咳止めなどあらゆる薬を使い、ごまかして生活していたに過ぎません。
 咳き込んだ拍子に喀血することも増えておいででした。当然、ひどく苦しむことも……もしや王女殿下は、その場面を見てしまったのではないかと」

 一同を見回し、医師は痛ましげな表情で続ける。

「人間には殺す慈悲がありますな。馬が行軍中に脚の骨を折ったとき、乗り手は馬がそれ以上苦しまないよう、首を切って安らかにしてやる。まだ命があるのに一見残酷なようだが、それは慈悲でしょう。陛下を馬にたとえるようで、不敬ですが……」

「……つまりあなたは、こう言いたいのか」
 アンルーは何かを読み上げるような口調で言った。

「王女の目の前で国王が発作を起こし、激しく喀血した。驚いた王女は父のあまりに辛そうな姿を見て、思わず短剣を手に取った。そして苦しみを終わらせたと」

「感傷的に過ぎる考えだと、わかってはいますが」
「しかしそれなら王女は、最初からそう言うのでは?」

 ちらりと視線を寄越され、エゼルディアは思いっきり首を横に振った。
 慈悲の心で父を殺すなどとんでもない。自分がそんな行動を取るとは思えないし、そもそも礼拝室へ入ったときには、父は既に死んでいた。
 医師の推理はとんだ的外れと言うしかない。

「人間の記憶とは、実に曖昧なものです。心もまた、思うほど強いものではない。
 王女殿下は相反する自分の行動と心を許容できなくなり、部分的な記憶喪失に陥ったのかもしれません。実際にそうした症例はいくつか存在します。
 人は忘れてしまいたいほど辛くひどい体験をしたとき、積極的にその記憶をなくすことができるのですよ」

(記憶喪失? 私が?)
 エゼルディアは唖然と医師を見つめ、自分の記憶を改めて探り直した。

 衛兵たちに敬礼され、礼拝室の扉を割ると、見慣れた室内風景の中に一点だけ違うところがあった。最初は何かわからなかったが、それは血に塗れて床に倒れ込む父の姿で――。

(その後の記憶は確かに曖昧だわ。動揺していたから。でも)
 苦しみを終わらせるために父を殺す。そんなことはありえないはずだ。

 妙な嫌疑を払うべく、父の最期の姿をもう一度克明に思い浮かべる。
 病の発作でひどく苦しんだ痕跡はあっただろうか。
 それを見て、思わず短剣を手にしてしまうような。

「……確かにお父様は、口からも血を流していたわ。短剣で刺されたせいだと思っていたけれど、もしかしたらその前に、大量に血を吐いていたのは事実かも」

 言葉を選びながら慎重に告げると、アンルーは僅かに目を見開いた。

「そうか。喀血が先だとしたら……」
 医師に向き直り、口早に尋ねる。

「先ほどの仮定から察するに、あなたは、国王は短剣で刺されるより先に喀血をした、と考えているようだな。刺されたのはあくまでその後だと」

「ええ。しかし、直接的な死因が病か短剣かは、今となってはわかりません」

「喀血が先だと考えた根拠はなんだ?」

「短剣が心臓だけを貫き、肺や他の器官を傷つけていなかったからです。
 あのように大量の喀血は通常、肺などの呼吸器を傷付けることで起こります。
 それに陛下のご遺体には、抵抗した痕跡が見られませんでした。正面から刃物で襲われたら、普通は手や腕に、自分を庇おうとした痕が残るものです。
 しかし陛下の手は、血に濡れているだけで、傷痕はなかった」

「刺し傷による喀血とは考えにくい上に、喀血で意識が不明瞭になっていたときなら、抵抗できなくてもおかしくはない、ということか」

「しかし喀血が先かどうか、抵抗の痕跡があるかどうか、そんなことは大した問題ではないでしょう。問題は陛下が刺されたという事実ですから……」

 アンルーは嘆息して頭を振った。

「いや、それはかなり重要な証言だ。喀血が先なら、国王は病によって死んだとの見方ができる。すると短剣で刺した犯人の候補が、一人増える」
「増える……?」

 医師は目を丸くし、近衛兵たちは顔を見合わせた。成り行きを見守っていたザビドが、彼らを代表するかのように口を開く。

「教えていただきたい。それは一体、誰なのです」

「単純な消去法だ。王妃が礼拝室を出た後、国王は近衛兵と会話をした。
 次に礼拝室に入ったのは王女で、このときに国王の死が確認された。
 次いで駆けつけたのは大神官と近衛兵たち。
 この中で王女の他に、国王に短剣を突き刺す機会があったのは……」

 アンルーは眼差しをまっすぐにその人物へ向ける。
「自分でわかっているだろう。あなただ」

 視線を追ってエゼルディアは、息を呑んだ。

 ザビドが粛然とした面持ちで、そこに佇んでいた。
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