監禁

穏人(シズヒト)

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 お兄さんが戻ってこないので、私はその間に改めて部屋を見ることにしました。なんとかあの部屋から出られないかと思ったんです。部屋は畳の部屋でした。さっきも言ったように、その上に布団が敷いてあって、その周りにゴミ袋が溢れるようにありました。一応片付けようという気があるのか、部屋の隅に寄せるようにゴミ袋が積んであって、だから部屋の隅からゴミ袋があふれているように見えました。窓にはカーテンが中途半端に引いてあって、カーテンに隠れていない場所から光が部屋に射していました。
 手と足はやっぱり結束バンドで縛られていました。はい、手は後ろの方で。外れないかと思ってあれこれ動いてみたけれど、バンドと腕や足が擦れて痛くなるだけでした。猿ぐつわは外れているけど、これもさっき言ったように、声を出したらお兄さんに気付かれるだろうことは簡単に想像できました。
 何か使えそうなものはないかと辺りを見てみましたけれど、あるのはさっきも言ったとおり。お兄さんが置いていったお菓子の袋と、沢山のゴミ袋ぐらい。あのゴミ袋を開けたら、何か使えそうなものが入ってないかな。そう思って一番近くにあるゴミ袋を掴んでみようと思いました。
 でもその時、足音が聞こえたんです。慌てて部屋の入り口を見ると、暗い廊下の向こうから足が近付いてくるのが見えました。すぐに身体を縮めました。部屋に入ってきたお兄さんは私を見ると、私の猿ぐつわを外していたことを急に思い出したみたいで、もの凄い形相で私に襲いかかろうとしました。
「大声出したりしないです!」
  私は大声にならないように、けれどお兄さんに聞こえるように、細心の注意を払ってそんなことを言いました。お兄さんの手はもう私の頭に触る直前でした。お兄さんが止まってくれるよう、私は必死に言いました。
「大声出したりしないから……猿ぐつわはやめてください……」
 お兄さんはそれでも私を見下ろしていたけれど……丁度光の当たらない所にいるお兄さんの目が、それでもギラギラと光っているように見えました。私は「本当です、大声出したりしないから……」と今度は小さな声で言いました。それはもしかしたら上手いやり方ではなかったかもしれないけれど、でも、どうしたら十歳の女の子が、誘拐されて上手なやり方を思い付くことができるでしょうか。自分ならもっと上手くやれるという人がいるのなら……やってみせてほしい。私と同じ十歳の女の子になって。
「……本当に?」
 私の言葉に、お兄さんはぽつりと言葉を返しました。私はこくこくと頷きました。でも、お兄さんは疑っているようでした。
「本当に、本当に、大声を出したりしない?」
「しません。絶対に、絶対に。だから、口に布なんて入れないでください……」
 心からそう言いました。命の危機を感じているのに、大声を出してみようなんてちっとも思えませんでした。お兄さんはそれでも私のことをじっと見下ろしていたけれど、急ににこっと笑いました。正確にはにこっと笑おうとしたんだと思います。それぐらい、その笑顔は下手くそな、気味の悪い笑顔でした。
「そう、そう、そっか、そうしてくれると嬉しいな。絶対、大声なんて出さないでね。大声なんて出されたら、僕どうしていいのかかわからないから」
 私は何度も頷きました。とりあえず状況はひとつだけ改善しました。とは言ってもひとつだけで、しかもあの部屋から出るために必要なものには結びつきませんでしたけど。
 それでお兄さんが出て行ってくれれば良かったのに、どうしたのか、お兄さんはそのまま私をじいっと見下ろしていました。一体どうすればいいのかわからなくて、私は考えて、やっとこう言いました。
「お兄さんは誰ですか?」
 聞いても仕方なかったかもしれないけれど、お兄さんに聞くべきことなんてちっとも思い付きませんでした。お兄さんは目をぱちぱちさせて、首を上に傾けて、しばらく考えたみたいな様子の後に言いました。
「君を捕まえた人……かな?」
 名前を言うつもりはないのか、お兄さんはそんなどうしようもないことを言いました。ここで「名前はなんですか」と聞いたら、答えてくれるのか。怒り出してしまうかもしれない。それに、聞いたところで多分何の意味もない。
 とは言えこのままお兄さんに見られているのも嫌な気持ちだったので、どうにかこの状況を変えられないかと思いました。考えて考えて、そう言えば、お菓子の袋をお兄さんが持ってきたなと思い出しました。
「あの……さっき持ってきたお菓子の袋、私に持ってきたヤツですよね……? ……食べてもいいですか?」
 お兄さんはそれでようやくお菓子を思い出したようで、お菓子の袋に目を向けて、「あ、ああ、そうだね」と袋の方へ移動しました。ゴミ袋の中に埋もれたお菓子の袋を持ち上げて、そして袋を持ったまま私の傍にしゃがみました。
「私、自分で食べたいので、手のヤツだけ外してもらってもいいですか?」
 またお願いしてみたら言うことを聞いてくれるかも。そう思ってお願いすると お兄さんは私の腕を見て、私の顔を見て、また考えるみたいに首を横に傾げました。必死に頼めばまた聞いてくれるかも。けれど私が言うより先にお兄さんが言いました。
「それは駄目。食べたいなら僕が食べさせてあげる。ほら、口を開けて。あーん」
 お兄さんがお菓子をつまんで私の口に持ってきました。口の方に視線を寄せると、間が黒く汚れているお兄さんの爪が見えました。正直嫌だと思ったけれど、「爪が汚いから嫌です」なんて言ったら一体何をされるかわからない。
 仕方なく口を開けてみると、口の中に、甘さと油っこさのあるお菓子の味が入ってきました。黒くて固くてカリカリしていて、おばあちゃんに前に貰ったことのあるお菓子の味に似ていました。おばあちゃんはいっぱい食べなさいと笑って言っていたけれど、ドーナツやケーキの方がよっぽど嬉しいと思っていました。その時のことを思い出しながら食べていると、次のお菓子が口に運ばれ、私はそれを食べました。また運ばれました。また食べました。そんなことを何度も繰り返し、お菓子の袋の中はついに空っぽになったようでした。お兄さんは空になったお菓子の袋をぐしゃぐしゃと丸めると、その辺にあるゴミ袋の入り口に押し込みました。お菓子とは言え何かを食べたせいか、前より少し心……? っていうのに余裕が生まれたように思いました。それは勘違いだったのかもしれないけれど。
「お兄さんは……どうして私を捕まえたんですか?」
 お兄さんの目がゴミ袋から私の方に移りました。その、光の当たらない目の色にゾッとしました。薄暗いからそんな風に見えたのかもしれないけれど、真っ黒で、でも綺麗な黒じゃなくて、それこそ腐ったゴミの浮いてる川みたいな、そんな汚い黒でした。
 お兄さんが私の傍にまた、しゃがみ込みました。私は何かされると思って咄嗟に身体を固くしました。お兄さんは私に顔を近づけてこう言いました。
「僕を救ってほしくて」
 お兄さんは立ち上がると、ふらふらと部屋を出て行きました。お兄さんがいなくなったのにはほっとしたけれど、気持ち悪さはちっともいなくなってくれませんでした。
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