ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第一章 14歳の真実

6 覚悟

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 通夜の翌日、葬儀と火葬を終え骨壺になった美咲を抱いて加藤は自宅マンションに帰ってきた。

 狭い和室、妻の仏壇の前に美咲の位牌と骨壺を並べる。
 マンションには加藤の両親も付いてきていた。加藤の両親は二人ともまだ70歳手前で、健在である。
 眼の中に入れても痛くないと言っていた孫娘を突然失った悲しみで口数も少ない。
 あるいは、40歳にして早くも妻子に先立たれた息子にかける言葉もないといったところか。
 父が重い口を開く。

「仁、お墓はどうするんだ?」

「まだ決めかねているんだ。古川のお義父さんは、美緒と一緒の墓に入れたらどうかと言ってくれているんだけど」

 古川というのは加藤の亡き妻、美緒の旧姓だ。美緒が病に倒れた後も、忘れ形見の美咲がいたので義父母との付き合いは続いている。

「古川さんがそう言ってくれているなら、俺もそれに賛成だ」

「うん、美緒と一緒の墓に入れたほうが美咲も喜ぶような気はするよ」

「じゃあ、そうさせてもらえ。まだこんなことを言うのは早いとは思うが……仁、お前はまだ四十だ。お前はもう一度、お前の人生を生きるんだ」

「まだそんな気分にはなれないよ、父さん」

「そりゃそうだろう。あくまでこれから先の話だ。俺たちくらいの歳なら話は別だが、仁、今のお前の歳から、後ろだけ振り返りながら生きていくのは苦行だぞ」

「まあ、おいおい考えるよ」

 加藤は、美咲が自殺である事実を両親に告げられずにいた。
 ましてや義父母に言えるはずもない。

 親族には、美咲は友達の家からの帰り道で事故にあったと説明している。
 それも、美咲の不注意による事故であると。
 そうしないと、親族は相手方である中西に怒りの矛先を向けてしまう。

 父らがそれをそのままの意味で受け止めているとは思えないが、義父母を含め、親族は誰ひとり加藤に追及してくることはなかった。
 皆、大人であり、思いやりがあるのだ。いつか加藤が自ら真実を明かすまで、敢えて聞かずにおくのだろう。

「じゃあ仁、そろそろ引き上げるが……あんまり思い詰めるなよ」

 そう言い残して、父と母は帰っていった。


 ひとりになった加藤が妻子の位牌を前にして胡座をかき、在りし日の妻と美咲に思いを馳せていると、インターホンが鳴った。

 誰かが線香をあげに来たのだろう、加藤が玄関先に出ると、そこにいたのは岩崎だった。

「お疲れだったな。一段落ついたか」

「まあ……な。上がってくれ」

 加藤は岩崎を招き入れ、位牌のある和室に案内した。
 岩崎は線香をあげ、目を瞑って手を合わせる。
 加藤はその間にコーヒーを淹れる。
 エアコンが効いた和室に、ダイニングの方からコーヒーの香りが広がった。

「コーヒーでいいだろう?」

 加藤がコーヒーを注いだカップを和室の座卓に並べてからも、岩崎はそのまましばらく動かず、二つ並んだ若すぎる遺影を見つめていた。

「おい岩崎、もういいぞ。……ありがとう」

「ああ」

 岩崎はゆっくりと体の向きを変え、座卓で加藤と向き合い、コーヒーを啜った。

「俺のせいで週末まで潰れてしまったな」

「いや、どのみち仕事をしてただろう。刑事ってのもなにかと忙しいんだ。ありがたいことにな」

「そうか、そうだろうな。俺はこのまま年が明けるまでは休みになった。初七日もあるし、手続きもあるからな。これまで働き詰めだったから気が付かなかったが、俺ひとり居なくても職場は回るんだな」

「加藤、それは俺も……というか誰だって同じだ。確かに俺には俺の仕事があるが、俺じゃなきゃいけないというものはひとつもない。いなけりゃいないで誰かがやるだけだ。それは署長だって、総理大臣だって同じじゃないのか?」

「確かにな。……人に仕事が付くんじゃなくて、立場に仕事が付くんだな」

「特に、組織の中で働く者ならな」

「家庭に原因がないと言ったが、なんだか自信がなくなってきた」

「心当たりが見つかったか?」

「いや、これというものはない。ないんだが、これまで美咲が生きてきた環境は幸せだっただろうか、と考えてしまってな」

「今からそんな調子じゃ心配だな。加藤、酷なようだが警察としては美咲ちゃんの自殺が犯罪に起因するものかどうかという点だけは早急に見当をつける必要がある。犯罪が絡む可能性が大なら、素早く捜査に取りかからなくちゃ証跡は刻一刻と消えていくんだ」

「ああ、分かった」

「……加藤、率直に聞くぞ。お前、自殺の原因をどこまで追い求める?」

「どこまで、とはどういう意味だ?」

「そのままの意味だ。いろいろ調べて、いろいろなものが出てきたところで、それを見て俺たちは『多分こういうことだったんだろう』と想像することしかできないんだ。唯一、本当のことを知っている美咲ちゃんはもう……鬼籍に入ったんだ」

「じゃあ、俺が納得できるまでだ。岩崎、なにも俺はお前……いや警察に、俺が納得できるまで付き合ってくれとは言わない」

「警察が手を引いても、自分が納得できるまでは一人でも続ける。そういうことか」

「もちろんだ。俺が納得できなければ、この先俺が生きていく自信がない」

「加藤……言っておくが、いい話が出てくることはないんだぞ。最後まで棘の道だ。おそらくな」

「その覚悟はできている。俺は美咲の死に正面から向き合う」

 加藤は岩崎の目をしっかりと見据えて言った。
 岩崎はその眼光を見定めるようにして見つめ返す。

「……分かった。じゃあ俺なりに真相を追求させてもらおう。加藤、やめ時はお前が判断しろよ。お前が納得すればそれがやめ時だ」

「了解だ」

 加藤の覚悟を確かめて、岩崎はどこかへ電話をかける。

「ああ俺だ。還して構わない遺品を持って加藤の家に来てくれ。うん、ああ……それでいい」

 電話を終えた岩崎に加藤が訪ねる。

「誰か刑事を呼んだのか?」

「ん? ああ、昨日通夜に連れてきた富永だ。遺品をいくつか持ってこさせる。ところで加藤」

「なんだ?」

「中西のことはどうする」

 ……そうだった。事故には相手がいたのだ。
 しかもこの状況では、トラックを運転していた中西は今回の件の一番の被害者だ。
 中西にも家族がいるだろう。加藤は今更ながらに中西を襲った不運に思い至った。

 少し考えてから、加藤は言った。

「自分よりむしろ中西さんという人のことが心配だ。中西さんが俺に会ってくれるというなら、俺の方はいつでもいいと伝えてくれ」

「それはいいが、お前の親族の反応はどうなんだ?」

「俺の両親を含めて親族には美咲の不注意による事故だと言ってある。中西さんに矛先が向くようなことはさせない」

 岩崎の顔に複雑な表情が浮かぶ。

「相変わらずだなお前は。気が利きすぎる。……これじゃ逮捕するまでもなかったかな」

「……どういう意味だ?」

「いや、たまにあるんだよ。撥ねた方にほとんど過失がない重大事故というのが。その場合、その場で逮捕するかどうかという判断要素のなかに、逮捕してやった方が撥ねた方に利するかどうか……というのが入ってくる」

「つまり、遺族から隔離してやるということか」

「そうだ。遺族の感情は、相手が逮捕されたという事実をもって、ひとまず納得する。一方で、撥ねた方は警察署の留置場にいるから、通夜、そして葬儀という地獄の糾弾の場に立たなくて済むんだ。正当な理由でな」

「なるほどな。確かに、通夜までに親族全員を納得させられていたかどうかは判らんな。……昨日の富永君の所見といい、思った以上に警察の仕事はデリケートなんだな」

「そうだ。……ま、俺は単純だがな」

 その時、インターホンが来客を知らせた。
 加藤が玄関に向かう。

「……こんにちは」

 そこにいたのは、昨日、美咲の遺体を視た若い女性刑事、富永だった。
 加藤の後ろから岩崎が富永に声をかける。

「おう、やっと来たか。よし、バトンタッチだ」

「はい、了解です」

 岩崎が帰ろうとするので、すかさず加藤は口を挟む。

「おい岩崎、まさか帰るのか?」

「何がまさかなんだ? 俺は帰るぞ。ここはこいつに任せる」

「いや、いくら刑事とはいえ若い女性を一人置いていくのか? 間違いがあったらどうするんだ」

 岩崎は声を出して笑った。そこで富永が言う。

「そのときはそのときですよ、加藤さん」

「……富永、社交辞令って知ってるか?」

「はい、もちろん」

「じゃあ、よろしくやってくれ」

「はい、了解です」

 岩崎は後ろ姿で片手を挙げて帰って行った。
 ……なにを格好つけているんだ、あいつは。
 加藤はそう思ったが、岩崎のその姿は様になっていた。


 岩崎を見送った加藤は、今度は富永を招き入れる。
 富永は「失礼します」と言って、脱いだ靴をきれいに揃えた。
 加藤は富永を和室に案内してから、ダイニングでコーヒーをもう一杯注いで和室に戻る。

 和室に戻ったとき、富永は、先刻の岩崎と同じように遺影を見つめていた。


「……若すぎますよね、二人とも」

「ああ、我が家族ながら悲しすぎる遺影だと思う」

「この部屋は、客間……ということになるんですか?」

「いや、客なんか来ることはない。ここは妻の仏壇を置くための部屋だった」

「このマンションは賃貸、ですよね?」

「そうだよ。私の部屋と美咲の部屋、それと仏壇を置くのに丁度いい小さな和室があったのでここに決めたんだ。……言われてみればちょっと珍しい間取りかもしれないな。3DKは」

「そうですね。それに……ええと」

「ん?」

「加藤さんは、その……偉い官僚、ですよね?」

 富永の言葉に加藤は苦笑いする。

「……もっといいところに住んでると思ったのか?」

「はい。勝手なイメージですが」

「たしかにあんまり家賃は高くない。そして給料もあんまり高くないんだ。国家公務員だからね。そうだな……歳も同じだし、岩崎と同じくらいの収入だろう。たぶん」

「そうなんですね。お仕事は比べ物にならないくらい大変そうですけど」

「そんなこともない。ひとりの人間にできる仕事なんて結局は限界があるんだ。それに適性もあるだろう。私にはたぶん岩崎の仕事は勤まらない」

「……そうですね。課長はたしかに激務です。よく体が保つなと思います……近くで見てて。……加藤さん」

 富永が居住まいを正す。

「はい」

「本題に入ります。課長の下命で、私が美咲ちゃんのことを担当することになりました。改めてよろしくお願いします」

 富永が座卓に名刺を差し出したので、加藤は手に取り確認する。

   東警察署 刑事課強行犯係
     巡査長  富永 可奈子

 若く見えるが意外と古風な名前だ。
 巡査長ということは、岩崎が昨日言ったとおり、それなりの経験を積んでいるということだろうか。

 加藤の表情から読み取ったのか、富永が言う。

「加藤さん。今、いったいこいつは何歳なんだと思ったでしょ?」

「ん? ああ、いや……」

「26歳です。刑事になってからは3年になります」

「そう……なんだ。富永君、と呼んでいいのかな。もっと若いと思っていた」

「はい、よく言われます。……童顔なんですかね。富永君……ですか。そうですね、職場ではみんな呼び捨てなので新鮮です」

 加藤と富永は、しばらくお互いの仕事の苦労話を交わした。
 刑事の特性か、富永は驚くほどの聞き上手だった。

 ひとしきり愚痴に花を咲かせたあと、富永が改めて切り出す。

「加藤さん、それで……美咲ちゃんのことなんですが」

「うん」

「うちの交通の係長が今日の午前中に学校に行ってきました」

「そうなのか?」

「はい。学校としても生徒にどのように説明するかの意思統一が必要みたいで、あ、でも心配しないでください。事故の原因のことは触れていません。あくまで不慮の事故として説明しています」

「そうか」

「それで……ですが、その係長に、美咲ちゃんがどのような生徒だったのか、それとなく先生方に聞いてきてもらっています」

「ほう」

「美咲ちゃんは、学校ではかなりの人気者だったみたいです。あっさりとした性格で運動もできて、男子からもモテていたみたいです」

「……そうなのか?」

「はい。ですが、女子からの人気が圧倒的に勝っていたみたいです。同級生と、下級生の女子」

「それは……友達が多かった、ということなのか?」

「まあ……そうですね。ですが同性の下級生からの人気というのは、この年代特有の、ちょっと特殊な意味を持ちます」

「……と、いうと?」

「つまり簡単に言うと、憧れ……です。熱烈なファンみたいなものですね。美咲ちゃんにラブレターを出す女の子も多かったみたいです」

「女の子から? ……ラブレター?」

「はい。素敵な同性に対する恋のような感情は、中学生の女子には珍しくないんですよ。異性の恋人ができる前の女の子には。まあ、男子が子供っぽく見えるというのも一因なんでしょうけど」

「ああそうか、女子の方が精神的な成長は早いというからな。しかし、それにしても……」

「まあ、それだけ学校では輝いていたということですね。あと、勉強面なんですが、1学期の期末テストから急に学年の上位に躍り出て、2学期もそれを維持していたので、先生方は、文武両道で人望もある美咲ちゃんが次の生徒会長になると睨んでいたようです」

 加藤は、誰か別の子の話を聞いているような心持だった。

「まあ、美咲の成績が急に上がったことは知っていたが、そんなに友達がいたとは……正直言って知らなかった。いや、学校での美咲をほとんど知らなかったということか」

「そうですか。……加藤さん」

「ん?」

「美咲ちゃんは学校でたくさんの友達に囲まれていた。これは事実のようです。その中で、何かは判らないけれどショックな出来事があって、衝動的に自殺をした。……もしかしたら、このままこれ以上のことをあえて知らないでいるのが一番良いのかもしれません」

「一番良いというのは、父親である私にとって……という意味で?」

「……はい。ここから先はきっと、加藤美咲という一人の人間の秘密を暴いていく作業になります」

「岩崎にも言ったが、このままでは一人遺された私自身がこの先を生きていく自信がない」

「……分かりました。止めたいときはそう言ってくださいね」

「岩崎と同じことを言うんだな、君は」

「課長もきっと加藤さんが傷を負うことを心配しているんだと思います。心から」

「いや、私のことは気にしないでくれ。私はできる限りすべてを知りたい」

「……了解しました。課長からは『3日間やるからお前は3日で加藤美咲になれ』と言われていますので、全力でやります」

 加藤は、富永の目に覚悟の光が宿ったのを感じた。

「ああ、よろしく頼む」

「ではまず、いくつか遺品をお返しします」

 そう言って富永は、黒い学生カバンと鍵束、それと青い携帯電話機を座卓の上に並べた。

「衣類などは、まだ交通事故の検証に使いますので証拠品として今しばらくお預かりします。今日持ってきたのはこれだけです。私がひととおり確認したところではヒントになりそうなものは見当たりませんでした。あとで加藤さんも確認してください。それで、この携帯電話なんですが……」

「ああ、これは美咲の携帯電話だ」

「それ、子どもケータイ……ですよね」

「そうだ。妻が死んで美咲が鍵っ子になったときに買って、そのままだ」

「美咲ちゃんは新しい携帯電話を欲しがったりしなかったんですか?」

「しなかった。まあ、いずれは新しい携帯電話を欲しがるだろうなとは思っていたが、美咲から言い出すまではこれでいいだろうと考えていた」

「……そうですか。この型の子どもケータイではたしか、発信先も限られていて、送れるメッセージも定型文だけですよね」

「そうだ。でも、これはこれで美咲も重宝していたはずだ。毎日これで私と連絡を取っていたし、定型文だけのメッセージも意外と便利だった」

「はい、確かにそのとおりみたいです。履歴を確認させてもらいましたが、事故のあった日も加藤さんとメッセージをやりとりしていますよね」

 加藤は、美咲が使っていた青い携帯電話機を操作して最後のメッセージを確認する。

 〝今日は待ってなくていいから先に寝とけ〟

 〝はーい。気を付けてね(´▽`)〟

 〝二次会に行くことになった。早く寝ろよ〟

 そうだった。一昨日は岩崎に誘われて二次会に行き、そこで事故の急報を受けたのだ。

 しかし、笑顔の顔文字が入った美咲からのメッセージは、陽気に見えるがよく考えてみれば定型文なのだ。
 このメッセージを加藤に送信したとき、美咲がどのような気持ちでいたかは窺い知れないのだ。
 このとき既に、美咲は死ぬつもりであったのだろうかと、加藤は早くも胸が痛みだした。

「通話の履歴もメッセージも、事故の前数日は加藤さんとのやり取りだけでした。加藤さん、次に部屋を見せてもらっていいですか」

「ああ、もちろん」

 加藤は富永を美咲の部屋に案内した。
 部屋に入り、加藤は閉じられた青いカーテンを開ける。
 師走の穏やかな午後の日差しが部屋に差し込む。
 富永は部屋の中央に立ち、くるりと回りながら部屋の中にある木枠のベッド、広い机、天井近くの高さまである本棚などを眺める。

「素敵なお部屋ですね」

「そうか?」

「あの……加藤さん」

「ん?」

「次は美咲ちゃんの部屋を見せてください」

「……富永君、なにを言ってるんだ? ここが美咲の部屋だ」

「え? ……ここは加藤さんの部屋じゃないんですか?」

「なんで私の部屋に案内する必要があるんだ。ここが美咲の部屋だ」

「ここが……美咲ちゃんの、部屋……」

「そうだ。……ん? どこかおかしいのか?」

 富永は改めて部屋を見渡してから、戸惑ったように言う。

「いえ、なんというか、雰囲気が子供らしくないというか……落ち着いているというか、その……失礼しました」

「そうなのか? ……まあ確かに、他の子と比べたことなんかないからな。これが普通だと思っていた」

 富永は気を取り直した様子で、本棚から確認を始めた。

 その眼光は一瞬で刑事のものに変わっていた。
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