ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第一章 14歳の真実

7 当惑

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 富永は、天井に近い高さと大人二人分ほどの身幅がある本棚……そこに並べられた本のタイトルを一冊ずつ確認する。

 ……小説は著名な作家のものが多い。
 純文学や家族ドラマが多く、職業ものもある。
 職業ものには官僚を扱った政治的なものや教育現場が舞台となったもの、警察ものもある。
 警察ものの中には富永が読んだことのある本もあった。
 それは推理小説の体をとっているが、どちらかというと警察組織のリアルな人間模様を重点的に描いたものだったはずだ。

 小説が並んでいる右側には新書や専門書の類いが並んでいる。「少年犯罪の現状」「神経医学の未来」……。
 他には「化学入門」「基礎生物学」「数学の不思議」……。これらは「入門」とか「基礎」などと謳っているが、大学生、それも理系の学生が一年生の初めに買わされるような本だ。

 雑誌もいくつかある。……「財政界ジャーナル」「月間正論」……。
 どうやらこの大きな本棚は、父親と共有のものであるようだ。
 この中で美咲ちゃんが読んでいたのはどれだろう。
 富永は加藤に尋ねることにした。

「……かなりの蔵書ですが、どれが美咲ちゃんの本ですか」

「全部だ」

「え?」

「ここにある本は全部美咲のものだ。美咲が自分で選んで買った」

「いや、でも……中学生が読むような本じゃないですよ。どれも」

「中学生が読むような本……とはどんな本だ?」

「ええと、今で言うとライトノベルとか学校恋愛ものとか、部活ものとか……。そうだ、漫画ですよ。漫画が一冊もありません」

「漫画か……。そういえば小学生の頃は読んでたな。だが中学生になってから美咲が漫画を読んでいるのは見てないな、言われてみれば」

 富永は当惑する。……どうやら加藤美咲という人物を普通の中学生として捉えようとすれば見誤るようだ、と。あらためて室内を見渡す。

 やはり最初の印象のとおり、女子中学生の部屋とは思えない。
 反射的に父である加藤の部屋と思い込んでしまったが、よく見るとそれとも違う。綺麗すぎるのだ。
 いや、綺麗というか……そうだ、生活感がないのだ。
 ここで一人の人間が寝起きし、勉強をしていたという雰囲気がない。
 あまりに無機質だ。そして徹底的に片付いている。

 ……ホテル。そうだ、ビジネスホテルにチェックインして初めに部屋を一瞥した感じに似ている。

 部屋で唯一出しっぱなしなのは、机の上にある小さな置物のようなものと洒落た雰囲気の……金魚鉢、のようなものだ。

「……美咲ちゃんは綺麗好きだったんですね?」

「いや、性格は大雑把だった。でも……そうだな、この部屋はいつも片付いていたよ」

 大雑把……。この部屋からは想像できない。
 そう考えながら富永は机上の置物のようなものを手に取る。

「これは……なんですか?」

 それは手のひらに収まる大きさで、メッキが施された金属製の飾り物だった。
 雄雌を表す記号である♂と♀の2つのパーツが絡み合っていて、♂が銀、♀が金色をしている。

「ああ、それは知恵の輪だよ」

「知恵の輪……。外れるんですか、これ」

「もちろん外れる。慣れれば意外と簡単だよ」

 加藤が手のひらを差し出したので富永がそれを手渡すと、加藤はカチカチと音をたてながら、ものの10秒ほどで外してみせた。
 加藤は2つに分かれたその知恵の輪を富永の手に返して言う。

「なかなか洒落た知恵の輪だろ? こういうのを確か……なんとかパズルというんだが、なんだったかな」

「これ、加藤さんが買ってあげたんですか?」

「うん。いつだったかな。2、3年前に美咲とどこかの本屋に行ったとき、レジの近くに置いてあったんだ。結構な種類があったんだけど、美咲がそれに一目惚れしたんだ」

「そう……ですか」

 2、3年前ということは美咲ちゃんは当時まだ小学生だ。
 この知恵の輪は確かにお洒落で、飾り物として悪くはない。

 しかし何種類もある中から、この♂と♀が絡み合っている知恵の輪に一目惚れしたのか……。
 大人がみればセックスを連想するが、美咲ちゃんはどうしてこれを選んだんだろう。

 富永は次に、同じく机上に置かれている金魚鉢を見る。
 こちらも洒落たデザインで、よくある球状の金魚鉢を15センチくらいの厚さに切り落としたような、前後に大きく平面を持つ形だ。
 鉢というよりは水槽に近い。お洒落だが問題はその中身だ。
 底から中程の高さまで土が敷いてあるだけのように見える。

「……これはなんですか?」

「オオクワガタだ」

「え?」

「オオクワガタのつがいが入っているんだ。今は冬眠中だけどね」

 女の子の部屋にクワガタ……。
 普通だろうか。思わず富永は考え込む。

「確かにこれはちょっと変わった趣味かもしれないが、美咲は小さい頃から虫が好きだった。夏はよく虫採りに連れていったもんだ」

「そうなんですか……」

「それに、このマンションはペット禁止なんだ。だけどクワガタなら問題ないだろう。意外と可愛いし、3年くらい生きるから、ちょっとしたペットだよ。美咲はよく手のひらに乗せて眺めていたよ」

「女の子って普通、虫とか苦手じゃないですか?」

「そうかもしれない。たしかに美咲はあんまり女らしくはなかった」

 あんまり、の一言で済むのだろうか。
 きっと岩崎課長は、女性ならではの感性を期待して私にこの任を与えたのだろうと富永は理解していた。
 しかし、この部屋を見るかぎり加藤美咲という子は、富永が抱く女子中学生のイメージとはかけ離れている。
 このままこの部屋を調べても人物像を掴める気がしない。

 ……これは仕切り直しが要る。

「加藤さん、ひとまず和室に戻りましょう」


 和室に戻って、富永はもう一度美咲の遺影を見つめた。
 遺影から受ける美咲の印象は……可愛らしく明るい女の子、だ。
 やや垂れた二重瞼、通った鼻すじ……。
 まだあどけなさを感じさせるが、将来は間違いなく美人になっていただろう。
 遺影の写真は夏に撮られたものだろうか、遠慮なく日焼けしているので活発な印象も受ける。

「富永君、どうしたんだ? 部屋はもう見ないのか?」

 怪訝な顔で加藤が尋ねてくる。
 富永は正直なところを答えることにした。

「あの……なんというか、美咲ちゃんは私が持っている女子中学生のイメージとずいぶん違うみたいなので……」

「そうなのか?」

「はい、ですから部屋を調べる前に、ここで少し美咲ちゃんのことを教えてください」

「ああ、分かった。じゃ、まあ座ろうか」

「はい」

 そうして富永は再び、和室の座卓で加藤と向かい合った。
 美咲ちゃんの部屋よりもこの四畳半の和室の方がよっぽど生活感がある……。
 富永はそう思った。

「……学校からの情報では、美咲ちゃんは友達が多くて、運動も勉強もできる優等生タイプのように思ってました」

「確かに運動はよくできた、と思う。テニス部でどれだけ頑張ってたかは知らないが」

「……知らないんですか?」

「ああ、部活の話をした記憶がほとんどない」

「さっきは言いませんでしたが、美咲ちゃんは夏に県大会で入賞して、関東大会では全国まであと一歩というところまで勝ち上がったんですよ」

「……初耳だな。なんで何も言わなかったんだろう」

「そして夏の大会で3年生が引退するとき、部長になってもらいたいと強く頼まれたみたいですが、これを固辞しています」

「……まあ、あんまり柄じゃないだろうな」

「そうでしょうか。ちなみに断った理由は、毎週火曜日と木曜日は塾で部活を休むから、ということだそうです」

「……美咲らしいな」

「どういう意味ですか?」

「あいつは塾になど通っていない。おそらく部活をサボるための嘘だよ」

「塾に……通ってない?」

「そうだ」

「でも実際、火曜日と木曜日は部活に出ていなたったみたいですよ」

「まあ、サボりが半分、買い物が半分ってとこかな」

「買い物?」

「うん。富永君、美咲は確かに中学生だったが、我が家においては主婦でもあったんだよ。私も帰りが遅いしね」

「あ……」

 そうか、言われてみれば確かにそうだ。普通の中学生とは違う。
 学生と主婦、二足の草鞋を履いて、苦労しながら学校生活を送っていたのだ。
 しかし勉強はよくできたらしい。
 いや、たしか成績が急に上がったのは1学期の期末テストからという話だった。

「なんで美咲ちゃんは、急に勉強を頑張るようになったんですか?」

「ああ、それは違うんだ。急に勉強するようになったわけじゃない。それまでは手を抜いていた……というより、意図的にテストの点を抑えていたんだ。これは岩崎にもちょっと言ったんだけどね」

「テストの点を、意図的に、抑える?」

「なんでそんなことを……と思うだろ?」

「……はい」

「あいつは小学校のころに4回転校している。私の仕事の関係でね。そんな中で、目立つことが嫌いというか、面倒くさいと思うようになったみたいだ。どうせすぐ、二度と会わない関係になるんだから、とね。テストの点は、本気を出せばいつでもそれなりにとれていたはずだ」

「じゃあ本当は、以前から勉強はしていたんですか?」

「小学校のころから本ばかり読んでたから、だんだん本の内容も高度になっていたが、学校の勉強は……どうかな。あまりしていなかったんじゃないかな」

「ちなみに、ここ最近のテストの……例えば学年での順位とかはどれくらいだったんですか?」

「たしか学年で3番とか4番だったと思う。それ以前はちょうど真ん中辺りの130番とかだったな」

「1番じゃないんですね」

「私も同じことを美咲に聞いた」

「美咲ちゃんは、なんて?」

「『1番をとるには、そのための勉強が要るみたいだよ』って言ってた」

 そのための勉強……。つまり裏を返せば美咲ちゃんはわざわざテストのために勉強したりしなかった、ということか。

「……もしかして、美咲ちゃんは天才だったんですか?」

 加藤の顔に複雑な笑みが浮かぶ。

「いや、比較対象が無いから何とも言えないが天才などというものではなかったよ。小学生のころ、あまり友達をつくらずに本ばかり読んでいたから、そのせいだろう」

 ……比較対象が無い、か。あえて比べるとすれば父親である加藤さんの学生時代だろうけど、加藤さんは高級官僚……。おそらく東大を出ている。普通の物差しにはならない。
 勉強せずに学年上位なら、私の感覚では充分に天才の類いだ、と富永は思う。
 富永は質問を変えることにした。

「美咲ちゃん、お小遣いはいくらだったんですか?」

「ない」

「え?」

「さっき言ったとおり、美咲は主婦でもあったんだ。毎月、一定額を美咲の通帳に振り込まれるようにしていた。美咲はその範囲内で、生活費をまかない、欲しい本や服なども買っていた」

「一定額って、いくらですか?」

「毎月7万円だ。足りないときはその都度私が手渡ししていた。この額は、美咲が中学生になったときに、私と美咲で3ヶ月くらい様子を見ながらちょうどいい金額を決めたんだ。光熱費と家賃は含まないから、主に食費と日用品にかかる金だね」

「そうですか……」

「ちなみに美咲は、私の月収も我が家の貯蓄額も知っていた。金銭感覚だけは間違いなく大人に近かったはずだよ」

 大人だったのは金銭感覚だけだろうか……。
 少なくとも読んでいた本は大人、それもかなり知識のある人が読むような本が本棚を埋めていた。

 加藤さんは比較対象が無かったというけど……。
 比較対象……そうだ、加藤さんは二人目の子をもうけようとしなかったのだろうか。


「そういえば、美咲ちゃんは一人っ子ですね」

「ん? ああ……そうだね」

「加藤さんはもう一人くらい子供が欲しいとは思わなかったんですか?」

「流れたんだ。……二人目は」

「流産……ですか?」

「うん、美咲が6歳くらいの頃にね。妻も美咲も、そして私も、みんなで美咲の弟の誕生を楽しみにしていた。思えばあの頃が一番幸せだったかもしれない」

「男の子……の予定だったんですか」

「うん、後期流産だったんで性別も判っていた。名前まで決めていたんだ。流産したあと、位牌も作った。妻のとなりにある小さな位牌がそれだよ」

 言われて富永は仏壇を見る。そこには加藤の言うとおり、奥さんの位牌の横に、ひとまわり小さな位牌があった。

「司くん……というんですね」

「そうだ。司が流産したときは、しばらく家族みんなが暗かった。妻も美咲も、晩ごはんの時に悲しくて泣きだしたりした。妻は年齢的にまだ出産できたが、そのうちにガンになって、子作りどころではなくなった」

「……それは、なんというか……」

「ああ、不運が続いた。妻は2年ちょっと闘病して、死んだ。妻が危篤になったとき、私は国外に出張していて間に合わなかったが、美咲が妻を看取った」

「奥さんがそんな状態でも海外出張があるんですか?」

「仕方がないんだ。いつ急変するか分からないといっても闘病は二年続いていたし、仕事を辞めることもできなかった。美咲は小学校から駆けつけて、母親と最期に話をすることができた」

「そう……なんですか」

「妻は最期に『お父さんをよろしくね』と言って、美咲の手を握りながら笑顔で息を引き取ったそうだ。そういえば、今回の美咲も似たような死に際だった」

 座卓に視線を落として語る加藤の目が潤む。そして富永は考える。
 母親の死、流産した弟、4回の転校……。
 目立つことを嫌っていた……。中学校では多くの友達がいたようだが、それ以前の加藤美咲の少女時代は、死、そして孤独が近くにあったようだ。
 父親がしっかりした人なのが唯一の救いだったのか、自暴自棄にならずに思春期を迎えたようだが……。
 いや、結果的には自殺してしまったのだ。この美咲ちゃんの成育環境は、今回の自殺にどの程度関係があるのだろう。

「失礼ですが……美咲ちゃんは難しい年頃でしたが、その……お父さんとの会話、というか親子関係はどうだったんですか?」

 加藤は少し考えてから、言った。

「悪くはなかった……と思う。難しい年頃と言うが、私から見た美咲は、大雑把でズボラ、およそ女らしくなくて、変に大人びていて、そうだな……男友達と暮らしているみたいだった。一緒にテレビを観たり、小説の批評をしたり、時々親子でカラオケにも行ったりしていた」

「一緒にって……。どんなテレビを観るんですか?」

「ニュースとかドキュメントとか歌番組とか、あとは……そうだな、美咲はお笑いも好きだった」

 お笑いが好きだったのか。富永はここにきてようやく、加藤美咲の中学生らしいところを聞いた気がした。

「テレビを観ながら、どんな話をしていたんですか?」

「人の頭を文系とか理系とかで分けるのは好きじゃないんだが、美咲の思考は常に科学的だった。同じテレビ番組を観ても、抱く感想は私と全く違うんだ。時折、名言のような……そうだな、美咲語録とでもいうような言葉を吐いていたよ」

「……どんな名言ですか?」

「最近だと……。例えばアメリカで起こった銃乱射事件のニュースを見て『人類にとって一番の不幸は、知性を持ったことだね、きっと』と言った」

「……どうしてそうなるんですか?」

「私にはなんとなく解ったよ。他には、先端科学のドキュメントを見て『すごいけど、人類にも種としての限界があるだろうね』と言ったり、お笑いを見て『この人たち、ほんとに頭の回転が早いよね』と言ったり、まあ、そんな具合だった。本を読んでもそんな感じで『微分積分やべえ! 数学すげえ!』とか『エネルギーの等価性はいいけどさ、アインシュタインが考えた式って、ほんとは適当なんじゃないの?』とか言っていた。広島の原爆で失われた質量が0.7グラムというのが腑に落ちなかったらしい」

「……変わってますね。たしかに」

「関心事が違う方向を向いていたんで、私にとっては、いつも新鮮な話し相手だったよ」

 やはり断じて普通の中学生ではない。いわゆる「中二病」とも違う。言うことが単に生意気なのではなく、ちゃんと奥行きがあるのだ。
 そして、論理的というより哲学的なものの言い方だ。悟っている感じもあるがアダルトチルドレンとは違う。
 人物像から自殺の原因を手繰るのは無理かもしれない……。

「そういえば、どの辺が大雑把でズボラだったんですか?」

「ええと、食事はスーパーの惣菜が多かったな。あと美咲は、自分の部屋以外はけっこう散らかしていたんだよ。それに事故の前の日も、エアコンが効いているとはいえ、風呂上がりにパンツ一丁でウロウロしてたから注意してやった」

「そうなんですか」

「そうなんだ。『年頃なんだからブラジャーくらい着けろ』と言ったら、『なんの年頃よ』って言い返された」

「え……上半身は裸だったんですか?」

「そうだ」

「……胸、ありましたよね」

「あった。小振りだが」

「…………。」

「どうした富永君、私は別に性的な目で美咲を見たことはないぞ」

「はい……。でも、さすがに……」

「私はいつも注意していた。だが美咲はお構い無しだった。だから大雑把だと言ってるんだ」

 富永はますます解らなくなってきた。加藤美咲は相当に聡明で、大人びた内面を持っていた……。
 そして、影をまとった小学生時代の雰囲気は中学生になって一変し、多くの友達に囲まれて楽しい学校生活を送っていた。……表面的には。
 そうだ、特定の恋人はいなかったのだろうか?

「美咲ちゃん、彼氏とかはいなかったんですか?」

「いなかった、と思う。ついこの前、美咲に『お前、彼氏とかいないのか?』って聞いたときは『は? いらないし』と言ってたぞ」

 容姿に優れ、運動もできる大雑把な天才……。
 人を惹き付けるには申し分ないキャラクターだ。

「お父さん。ほかに何か、美咲ちゃんのことで参考になること、ありませんか?」

「ああそうだ。べつにフォローするわけではないが、美咲は優しい子だった。私の健康をいつも心配してくれてたよ。疲れてダイニングのソファで寝てしまったら毛布を掛けてくれたし、『あんまり無理しちゃだめだよ』なんて、女房みたいなこともよく言っていた」

 ……大人だ、完全に。おそらく学校のクラスメイトのほとんどは、美咲ちゃんの話し相手にもならなかったのではないか。
 それでも人気者だったのは、それを補うだけの処世術をも備えていたということだろう。

「お父さん、じゃあもう一度、美咲ちゃんの部屋を見せてください」

「……分かった」

 これで加藤美咲に関する情報はかなり手に入れた……はずだ。
 富永は意を決して再び美咲の部屋に入った。
 もう一度蔵書を眺めてみる。
 やはりこれは「大人の本棚」だ。
 小説は上品なものが多いが、なにぶん大人向けなので、自然に性的な描写も含まれる。富永が挑戦しようとして諦めたような難解な作家の本もある。
 この本棚を見ていると、なんだか美咲ちゃんよりも自分の方が幼いような気さえしてくる。
 政界、財界関係の本や雑誌も多いが、これはお父さんの影響か、もしくは美咲ちゃんがお父さんを理解しようとして読んでいたのかもしれない。

「お父さん、次は机を見てもいいですか?」

「ああ、どうぞ」

 椅子に掛けるとよく判ったが、この机は広い。
 子どもの学習机ではない。そして綺麗に拭きあげられている。

 両袖にひきだしがあるので、富永は左側から開けてみることにした。何か日記のようなものがあれば、重要なヒントが見つかるかもしれない……。
 しかし、左側の最上段に入っていたのは、大量の手紙だった。富永はそれがどのようなものかをすぐに察知した。
 これは……ラブレターだ。ざっと見積もって50通以上ありそうだ。
 今どき、紙のラブレターをこんなに貰う子がいるのか……。この携帯電話全盛の時代に。
 富永はそのうちの一通を開いてみる。どうやら下級生からのもののようだ。


  1年5組の横田花蓮です
  かっこよすぎる美咲せんぱい
  友だちになってください
  せんぱいのためならなんでもします
  よろしくおねがいします


 これは……脈なしだろうな、と富永は思った。
 手紙の末尾にはメールアドレスも記載されていたが、この幼稚な文章、歪んだ字で書かれた下級生女子からの恋文に、加藤美咲が返事を書くことはなかっただろう、おそらく。
 富永は徐々に、加藤美咲なる人物を掴みかけている感触があった。この大量の手紙の中には、何か手がかりになるものも含まれているかもしれないが、この場で一通ずつ内容を改める時間はない。

「お父さん、ここにある手紙、お借りしてもいいですか?」

「ん? ああ、構わない」

「ありがとうございます」

 左側のひきだしの二段目、三段目は文房具とアクセサリー類が入っていた。
 アクセサリーは特に高価なものはなく、普通の中学生らしいものだった。
 次に富永は右袖のひきだしを開けようとした。
 だが、ひぎだしには鍵がかかっていた。

「こっち側は鍵がかかってますね」

「さっき返してもらった鍵束に鍵があるんじゃないか?」

「ああ、そうですね」

「いま持ってくる」

「すみません」

 加藤は和室に戻って鍵束を持ってきた。それを受け取った富永は4本ある鍵のうち、2番目に小さい鍵を鍵穴に差し込んで回した。
 何が入っているんだろう……。少しの緊張を覚える。

「あれ?」

「どうした、何が入っていたんだ?」

「……空っぽ、です」

「空っぽ? 何も入っていないのか」

「はい。……2段目も、3段目も空です」

「妙な話だな」

「ええ、何が入っているのかちょっと怖かったんですが、何も入っていないのも怖いですね」

「……さすがの美咲も、鍵をかけておきたいもののいくつかはあってよさそうなものだがな」

「ええ、そうですよね。……ん、なんかちょっと変わった匂いがします。お父さん、これ、何の匂いでしょう?」

「ん、どれ……これは、化粧品かなにかの匂いじゃないのか?」

「化粧品……。そうですね、そう言われればそんな感じもしますね。だけど私はあんまり馴染みのない匂いです」

「私にも判らん。判らんが、気になるな」

「ええ、気になりますね。お父さんは、このひきだし、こそっと覗いたこと、ないんですか?」

「ない」

「そうですか……」

 いったい、ここには何が入っていたんだろう。
 そして、なんで空っぽになっているんだろう。
 何か意味があるのか……。
 今考えても判りそうにないので、富永は続いてベッドやクローゼットを調べたが、とりたてて変わったものは見当たらなかった。

「結局、気になるのは空っぽのひきだし……ですね」

「そうだな……。それにしても物が少ないな」

「ええ、もっと、こう、ごちゃごちゃしているものだと思います。……普通の女の子なら」

「まあ、美咲は変わり者だったからな」

「お父さん、この家にはインターネット、ありますか?」

「ああ、ダイニングにパソコンがある。これは私と美咲と共用だった」

「ちょっと見せてもらっていいですか?」

「ああ、見てくれ」

 加藤は富永をダイニングにあるパソコン机に案内した。富永はメールやサイトの閲覧履歴、検索履歴を調べたが、特に不自然なものは見当たらなかった。
 履歴をこまめに削除した形跡もないので、このパソコンで、なにか危険なサイトやいかがわしいサイトを見ていたことはなさそうだ。

「お父さん、このパソコンは、ケーブルでインターネットに繋いでいるんですね?」

「ああそうだ。いまどきちょっと時代遅れかもしれないが、無線環境はないんだ」

ということは、美咲ちゃんは、仮にタブレットパソコンなどを持っていても、通信できる環境にはなかったということか……。そろそろ切り上げ時か。

「お父さん、ありがとうございました。さっきひきだしに入っていた手紙だけ、署に持ち帰らせてください」

「ああ、分かった」

「それと、なにか気が付いたことがあったら、いつでも連絡してください。さっきお渡しした名刺に、私の携帯電話番号もありますので」

 しまった……。まだ名刺というワードは禁句だったかもしれない。
 富永は加藤の顔色を見る。

「了解だ。なにか思い出したら電話する。……それと、富永君」

 思わずドキっとした。

「……はい」

「途中から、私のことをお父さんと呼んでいたぞ。いや、べつにいいんだが」

 なんだ、名刺という単語に引っかかった訳ではないのか。富永は胸をなでおろす。

「そういえば、そうですね。すみません」

「いや、いいんだ。むしろその方がしっくりくる」

「そうですか?」

「うん」

「じゃあ、お父さんも、私を可奈子ちゃんと呼んでもいいですよ」

「それは……考えておく」

「はい、よろしくお願いします。じゃあ、ひとまず失礼します」

「ああ、気を付けて」

「はい」

 富永は、加藤の視線を背中に感じながらマンションを後にした。
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