ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第二章 暗躍するもの

1 密談

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 途中で幾人かの同僚に声をかけられながら、加藤は久しぶりの自席である国連政策課長席に着く。
 溜まっている仕事は思ったより少ないようだ。加藤が机の上の書類を確認していると、部下たちが机の前に並びだした。
 加藤のすぐ下の立場である補佐の一人が代表して挨拶をしてくる。

「おはようございます、加藤課長。その、なんと申し上げでいいのか……大変でしたね。ご自宅の方はもう大丈夫なんですか?」

「ああ、うん。みんなには迷惑をかけたな。ありがとう」

「はい、やっぱり課長がいないと大変でした。今年もよろしくお願いします」

「ああ、こちらこそ。……今年は忙しいからな」

「そうですね。まあ、お隣ほどではないと思いますが」

「……そうだな。さあ、もういいぞ、みんな仕事に戻ってくれ」

 部下たちは揃って一礼して持ち場に戻った。確かに今年は忙しくなる。
 国連の非常任理事国として二年間、日本の存在感を示さなければならないからだ。
 隣の安保政策課や企画調整課ほどではないが、例年よりも忙しくなることは間違いない。

 よし、行動開始だ。加藤は頭の中で段取りを確認し、ひとつ深呼吸してから自席を立った。そして直属の上役である局長、内野の執務室のドアをノックする。「どうぞ」と秘書の声が返ってきた。

「失礼します」

 内野局長は加藤を認めると、席を立って迎えてくれた。加藤より10歳ほど年長で恰幅のいい局長はゆったりと加藤に歩み寄り、加藤の肩に手を置く。

「加藤さん、大変でしたね。自慢の一人娘だったのに……。ほんとにとんでもない奴だ。簡単に若い命を奪って……」

 局長は美咲を轢いたトラック運転手、中西のことを言っている。
 すぐに釈放されたとはいえ、中西は現場で逮捕されたのだから、あの事故に対するイメージはこれが一般的だろう。加藤は少し胸が痛んだ。

「いえ、ご迷惑をおかけしました。今年もよろしくお願いします。早速なんですが、局長はもう麻尾さんのところに挨拶に行かれましたか?」

「ん? いや、まだだ。午前中に行こうとは思ってる」

「私もご一緒させてください。わざわざ通夜に足を運んでいただいたので、お礼を言いたいと思いますので」

 局長は軽くうなづいて「そうか……そうだったな」と言って一寸考える。そして秘書に言った。

「おい、大臣室の待ち時間を聞いてくれ」

 言われた秘書はすぐに電話で総務に確認する。どうやら今なら空いているらしい。

「お、空いてるらしいぞ、加藤さん、今から行こうか?」

「はい、ありがとうございます」

 煩わしいが仕方がない。だが局長の頭越しに大臣に会うわけにもいかない。加藤は内野と並んで大臣室のある総務課に向かった。


 大臣室は本当に空いていた。めずらしいことだ。局長と加藤は待たされることなく大臣室に入る。
 外務大臣……麻尾五郎は席に着かずに部屋でストレッチをしていたようだ。両手を組んで背伸びをしたまま入室者を認めると、笑顔で迎えた。

「ああ内野さん。明けましておめでとう。ん、加藤君じゃないか。……そうか、今日から復帰か」

「はい。お忙しいのにありがとうございました」

「うん。内野さんのところは忙しくなるな。今年もよろしく頼むよ。加藤君も、大変だろうけど、あまり無理せずやってくれよ」

「はい、ありがとうございます」

 そう言いながら加藤は、気をつけの姿勢のままで、右に立つ内野に見えぬようにして左手の人差し指を立てて左右に振る。それに気が付いた麻尾が加藤の顔を見たので、今度は内野の方に流し目をする。
 勘の良い麻尾のことだから、これで分かってくれるはずだ……。麻尾は自然な素振りで右手を小さく上げた。
 ……よし、伝わった。

 麻尾はそのあと少し内野と話をし、加藤は内野に連れられて退室した。そして加藤は自席に戻る。

 席に戻って20分ほど待ったとき、加藤の机上の電話が鳴った。ディスプレイの表示は「大臣室」となっている。

「はい、加藤です」

(たまには一緒に昼飯を食おうじゃないか。……仕出しだけどな)

「はい、喜んで」

(じゃ、昼休みにまた来てくれ)

「分かりました」

 よし、上手くいった。昼休みならたっぷり一時間近くある……。加藤はもう一度頭の中を整理しながら午前中を過ごした。


「めずらしいじゃないか。加藤君はこういうコソコソしたのは嫌いだったろ?」

 人払いをして、割り箸を割きながら麻尾が切り出した。大臣との密談……ここが初めの関門だ。

「ええ、慣れないことをするのは、なんというか……恥ずかしいですね」

「よっぽどのことだろう。で、何の話なんだ?」

 麻尾は鰆の西京焼きを口に運びながら尋ねてくる。……大丈夫、麻尾さんはロマンチストだ。
 加藤は自分を励ましながら用件を切り出す。

「大臣、実は……娘が人質に取られました」

 麻尾の箸が止まる。

「娘って……。加藤君のところは、その……一人娘、だったろ?」

「はい、そうです」

「……何を言ってるんだ?」

「うちの娘……美咲が事故に遭って息を引き取った直後に、電話がかかってきたんです。アメリカのIT企業から」

「……続けてくれ」

「はい。もう一度娘と話したくないかと聞かれたので、たちの悪い悪戯だと思って適当に受け答えをしたら、結果として、娘の脳をさらわれました。娘の脳は、今でも蘇生可能な状態で保存されています」

 あまりに突拍子もない話に、麻尾が疑問を投げる。

「それは……まやかし、じゃないのか?」

「もちろん私もそう思いました。ですが年が明けてすぐ、私は実物を見ました。……この眼で」

「……本当なのか」

「はい、本当でした。娘の脳は、娘が息を引き取ってすぐに、そのインターネット屋から派遣された医療チームによって、脳停止しないように酸素を供給されながら摘出されていました」

「そんなことができるのか? 本当に」

「私も半信半疑でしたが、技術的には充分に可能みたいです。ご丁寧に摘出から保存までの一部始終のドキュメント映像も見せられました」

「それは……不謹慎だが気になるな。その映像」

「まず、心臓マッサージを続けながらあざやかな手際で頭部を切開して脳を摘出し、すぐさま内頸動脈と椎骨動脈にパイプを繋いで輸血用の血液を送り込んでいました。……生体と同じ圧力とリズムで」

「うん」

「そうして血流を確保しながら運搬して、研究所に着いたら今度は保存用の不凍液に浸して、動脈からもその不凍液を送り込みました」

「なるほど」

 大臣の箸は止まったままだ。食事に適さない話題だが、それが理由ではない。激しく興味を引かれているのだ。信じてもらえるか……。

「脳内の血管すべてにその特殊な不凍液が行き渡ったら、今度は徐々に冷やしていきました。そうして腐敗しないようにして保存されています。娘の脳は」

「……それは本当に活きているのか? いや、蘇生可能なのか?」

「その映像では、脳の表面に貼った電極で脳波も記録していました。運搬しているときの脳はもちろん生きていましたし、冷却の過程でも脳波の反応がありました。そして、冷えると共に脳の活動が鈍くなっていきました」

「つまり、本当に生きてるってことか……」

「どうやら本当らしいです。今は眠っている状態……。そう言われました」

「いや、しかし……そういう保存ができるとしても、それが蘇生できるかどうかは違う次元の話じゃないか?」

 当然の疑問だ。加藤も村田に同じことを尋ねていた。

「私もそう思いました。そして同じことをその村田と名乗る男に聞きました」

「そいつは、なんて答えたんだ?」

「現代の技術では、人として蘇生する術はない。そう言われました」

 麻尾はうつむいて空を見つめ、加藤の言葉の意味を考えている。

「……つまり、人外であれば蘇生は可能、そういうことか」

 ……やはりこの人は凄い。加藤はこの災難にあって、麻尾という大臣に仕えていた幸運を実感した。
 しかし、まだ気を緩める時ではない。

「はい、その脳と意思疏通を図るだけなら、試す価値がある手段はいくつかある。そう言われました」

「……そうか。それで、敵の目的はなんだ?」

 敵……敵か。そうだ、明確に意識したことがなかったが、村田という人間……いや、村田が属する組織は紛れもない敵なのだ。
 人の不幸に乗じて不当な利益を得るだけの存在……。麻尾が敵と断じたお陰で加藤の胸に勇気が湧いた。

「はい、娘の脳を保全し続ける条件として、私はその村田という男と定期的に会い、その時に独り言を言ったり、忘れ物をしてくれと言われました」

「うちの機密……か」

「はい」

「この話、犯罪ではないのか?」

「それが……法的には問題ないんです」

「そうなのか? 何の罪かはよくわからんが立派に犯罪の臭いがするぞ」

「申し訳ありません。私は、この誘拐劇のどさくさに一枚の書類にサインしてしまいました」

「……なんの書類だ?」

「おそらく村田の会社の息がかかったところだと思いますが、娘の遺体の一部を検体として医療法人に差し出すという内容の同意書でした」

「つまり、その脳をどうしようが敵の自由、ということか」

「はい。そうなります」

 麻尾は天井を仰いだ。「ひどい話だ……」と嘆いている。


「……加藤君」

「はい」

「私に話したということは、加藤君としては敵の思惑に乗るつもりはない……。そういうことだな?」

「はい、そうです」

「じゃあ、どうする」

「娘を救い出したい。そう考えています」

「ん? その顔は、何か作戦があるのか?」

 加藤は少し間を開ける。
 ……話は理解してもらえた。だが、ここまでは単に事実を語っただけに過ぎない。
 本当の勝負はここからだ。……美咲。
 どうなるかは判らないが、このロマンチストな大臣の懐の深さを信じて、自分の思いをぶつけるしかない。
 他に道はない……。加藤は軽く息を吸い込んで本題に入る。

「……大臣」

「よし、聞こうか」


「大臣は、豊臣秀吉の朝鮮出兵をどう評価しますか?」
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