ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第二章 暗躍するもの

2 初恋

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 三上修一は最前列の最右翼、学級委員席からクラスメイト達を眺めていた。

 新学期、2年3組の教室は今までにない特別な雰囲気だった。クラスの主役……いや、ディレクターがいないからだ。
 加藤さんという大きな存在が欠けて、みんなどのように振る舞うべきか判らないみたいだ……。
 これからこのクラスはどうなるんだろう?
 ……まあ、クラスが落ち着くよりも三学期が終わる方が早いかもしれないけど。

 加藤さん……。先月、平日の夜に突然の訃報はSNSに乗ってきた。母の携帯電話にも連絡が来たが、それも保護者でグループを作っているSNSだった。
 普段は下世話な陰口の場になっているSNSで加藤美咲の死が伝えられたことに三上は激しい憤りを覚えた。
 しかし、一部を除いて多くの人はそれについて特に違和感を抱いていないようだった。麻痺してる……みんな。それとも僕の感覚がズレているのか。

 とにかく、くだらない噂話の間隙に加藤美咲の死が挟まれている携帯電話の画面が許せなかった。
 それ以来、三上はSNS上であまり発言しないようになった。
 このままじゃ友達がいなくなるな……。三上はそんなことを考えていた。

 加藤さんの机には花が置かれている。
 ドラマみたいだ……。三上はその花を見るたびにそう思った。
 クラスメイトが死んだときは机に花を活けなさいという決まりでもあるんだろうか?

 ガラガラッと引き戸が開いて先生が入ってきた。学級委員である三上は号令をかける。「起立、礼。着席」と。
 先生は黙って教室を見渡してから言う。

「みんな、おはよう。休みは……いないな。体調が悪い人はいないか?」

 みんなが沈黙で答える。
 先生は軽くため息をついた。

「……やっぱり暗いな。加藤のことは本当に悲しいと思う。先生も悲しい。だから悲しむなとは言わん。むしろ力いっぱい悲しんであげてくれ。そして大事なのは忘れないことだ。無理して加藤の話をタブーにすることはない。悲しい出来事があった、それは事実なんだから。……その上でみんなの生活は続いていくんだ。みんな、いいな?」

 みんなはまだ沈黙している。決して先生が嫌われているわけじゃない。先生の言葉にシラケているのでもない。……静かな混乱。そんな感じだ。
 先生は「みんなで少しずつ日常を取り戻せばいいんだ」とホームルームを締めた。


 再び沈黙が教室を包む。先生の言葉を咀嚼している人もいるだろうし、単にまわりを牽制しているだけの人もいるだろう。
 僕は……どちらとも言えないな。

 こんなとき、学級委員としてなすべき行動があるとは思う。でも、もともと僕は学級委員を務める柄じゃないんだ。加藤さんが決めた配役……三上は脚本家を失った自分の立場を憂いていた。

 このクラスにスクールカーストなるものがあるとして、加藤さんは明らかにその枠外……カースト図を俯瞰する立場にいた。
 クラスのみんなが加藤さんの決めた配役に従って生活している……そんな感じだったのだ。
 しかもみんながその役割に満足していたので、クラスは明るく、楽しい雰囲気だった。
 おどけた役もいれば、オタク趣味で固まる者もいる。ちょっとワルを気取った奴もいるが、それすら加藤さんに認められた役どころだったので、クラスでも居心地が良さそうだった。みんなにちゃんと居場所があるキャスティングだった。
 そして僕は、その加藤さんに贔屓されていた……。

 学級委員を決めるとき、加藤さんの「三上くんしかいないでしょ。優しいし、賢いし」という鶴の一声で満場一致だった。
 学級委員という役割の本質から考えるなら、加藤さんがなるべきだったのに。
 過ぎた役……。僕じゃ役者不足だよ、加藤さん。
 僕の正体は、勉強しか取り柄のない小心者なんだから……。自分の一人称でさえ「僕」と「俺」とを相手の顔色によって使い分けるような、そんな情けない男なんだから。

 そうやって主体性のない自身の情けなさを噛み締めていた三上ではあったが、そんな三上にもひとつだけ、絶対に譲れないと思っていたことがあった。
 それは、加藤美咲に対する切なる恋心……三上にとっての初恋であった。
 自分に欠けているものをすべて備えているような加藤美咲は三上の太陽であり、強烈な憧れだった。
 顔や声、そして仕草まで、全部が眩しく三上を惹き付けた。
 ……あまりの眩しさで直視できないほどに。
 加藤美咲を想い、眠れぬ夜を過ごしたことも一度や二度ではない。加藤美咲を想って、ひとりベッドで自分を慰めるのは三上の日常の一部だった。
 そして片思いのまま突然に終った初恋の深傷で、ある意味三上の心は重体だった。
 あの加藤さんが不注意の事故で死ぬなんて……。
 三上の心はその事実をとても消化できないでいた。


 授業中も、三上は生前の加藤美咲に思いを馳せる。
 オクテで、まともに女子と話ができない三上に、加藤美咲はしょっちゅう話しかけてきた。
 僕は加藤さんに気に入られていた。その自覚はあった。
 三上は、二年生になってすぐの4月、加藤美咲の方から話しかけてきたときのことを思い出す。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「ねえ、三上くん。私、加藤っていうの。よろしくね」

「知ってるよ。同じテニス部なんだから」

「でも、練習は別々じゃない。一緒にすればいいのにね」

「……いや、一緒じゃなくていいよ」

「えー、なんでよ?」

「恥ずかしいから。……いろいろと」

「そうなの? ……まあいいや。それよりさ、私、三上くんと同じクラスになって、とっても嬉しいの。ねえ、メールアドレス教えてよ」

「……いいけど、なんで?」

「仲良くなりたいからに決まってるじゃない。……ダメなの?」

「いや……そうじゃなくて、なんで僕と同じクラスで嬉しいのかなって…」

「……それ、聞いちゃう?」

「……言わなくてもいいけど」

「あのね、三上くんって私のお父さんにすっごい似てるんだ」

「オヤジくさい……ってこと?」

「違う違う。えっと、そうね……私のお父さんの中学生のころって、絶対こんな感じだったんだろうな……って。思うのよ」

「それって、言葉にするとどんな人?」

「……そこまで聞いちゃう?」

「……いやならいいけど」

「そうね……ええと、すごく勉強してて、優しくて……そして」

「……そして?」

「気が小さくて。違う?」

「うわあ。はっきり言われたのは初めてだ……」

「ひひひ。でも好きなのよ、そういう人。ねっ? いいでしょ? 教えてよ、アドレス」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 あのときは必死に平然を装ったけど、僕の胸は爆発寸前……夢のようだった。
 なにしろ僕は一年生のときから、放課後に隣のコートで躍動する加藤さんに心を奪われていたのだから……。

 加藤さんは僕への最初のメールで「私のメアド、みんなには内緒にしてね」と言ってきた。
 無断で口外するつもりなど端からなかったが、加藤さんのメールアドレスがレアものであることは後から知った。
 ごく一部の親しい人しか知らない……。
 頼んでも教えてくれない……そういう性質のものだった。

 加藤さんは、メールを通じて学級委員の僕をサポートしてくれた。
 自分が推した責任も感じていたんだろうけど「今日の司会はよかったよ」とかの励ましだけじゃなく、「島田さんが仲間外れにされかけてるから、井上さんにひとこと言うといい」など、クラスの人間関係に精通した加藤さんならではの裏情報を送ってきたりもした。
 そのお陰で、僕は「頼りになる学級委員」を演じ続けることができたんだ。それなのに……。
 もう僕に神通力はない。ただの小心者だ。
 まだ何事も起こっていないにも拘わらず、三上の心は沈む一方だった。


 授業はそっちのけで三上の回想は続く。

 そういえば加藤さんは将来、何になりたかったんだろう……。
 三上の疑問は、加藤美咲の勉強の方向性がさっぱり読めなかったことにある。
 一学期の期末テスト前に突然、三上に「今度の期末から本気だすから。三上くん、勝負ね」と言ってきたのだ。
 三上は冗談だと思っていたのだが、結果は僅差、7教科で21点差だった。三上は学年で1位、18点差で1組の瀬川が2位を取ったので、加藤美咲は僅か3点差の3位だった。
 結果が発表されたとき、加藤美咲は爽やかに「やっぱりおとうさんにはかなわないね」と笑っていたが、普段から寝る間を惜しんで勉強している三上は充分にたまげた。
 加藤さんには欠けるものがない……。そう思った。

 ちなみに、このときの加藤美咲のセリフが仇となり、三上のあだ名は「おとうさん」になった。
 本来、あまり人付き合いを得意としない三上にとって初めてのあだ名……その名付け親が初恋の人だったのだ。
 三上はそのあだ名のお陰で、単なるガリ勉というイメージに親しみ易さがブレンドされた。
 もしかしたら全部が加藤さんの計算だったのではないか……。今となってはそう思える。

 それにしても、加藤さんは平日のあんな時間に、あんなところで事故に遭うなんて、いったい何をしていたんだろう?
 ……知りたい、どうしても。いや、知らなければならないのだ。

 先生は不注意による事故としか説明しなかった。
 不注意とは加藤さんの不注意か、それともトラックの不注意か、それすらもはっきり告げられなかった。
 しかし、先生にそれを追及することは憚られたし、しても無意味だったと思う。

 加藤さんと親しかった女の子なら何か知っているかもしれない。
 そう考えた三上は、おそらくクラスで一番加藤美咲と通じていたと思われる清水有紀の机の前に立つ。

「あれ? ……どうしたの、おとうさん」

 ……清水さん。クラスごとの学力の偏りを考えるなら、僕と清水さん、そして加藤さんが同じクラスになることはなかった。
 加藤さんが一年生のときから本気を出していれば、の話だけど。
 二学期の中間テストでは、この3人で1位と3位、4位を占めた。……清水さんは最近伸び悩んでいるみたいだけど。
 加藤さんは群れない人だったから、清水さんの友達グループみんなと仲良しだったわけじゃない。清水さんが個人的に加藤さんと仲が良かったのだ。

 加藤さんが死んでから二学期が終わるまで、清水さんの顔は真っ青だった。
 後を追って死んでしまうんじゃないかと思うくらいに。

 新学期になってもそのままだったら話しかけられる雰囲気じゃなかったけど、今日はいつもどおりの清水さんに戻っていたので聞いてみることにした。

「あの、加藤さんのことなんだけど」

「えっ」

 清水さんの顔色が変わる。……まだ聞くのは早かったかな。でも、言い出してしまったものはしょうがない。

「うん。加藤さんの事故がどんな事故だったのか、清水さんなら知ってるかなと思って」

 清水さんが、ふう、と息を吐く。
 ……なんだ? 今のは。
 安心した? ……何を聞かれると思ったんだろう。

「ああ、事故のことね。私もニュースで見たことしか知らないの。ほんと、何してたんだろうね。あんな時間に」

「今、事故以外のことを聞かれると思わなかった?」

「え? ……ううん。美咲の名前が出たからびっくりしちゃっただけだよ」

「そう、それならいいけど……」

「美咲は掴みどころのない人だったから想像がつきにくいよね、ほんと」

「ねえ清水さん、清水さんは加藤さんの家にお邪魔したこと、ある?」

「え? ……うん。何回か……だけどね」

「ふーん。じゃあ知ってるかな」

「……なに、を?」

「加藤さんって、クワガタ飼ってたの?」


 清水さんの顔が真っ青になった。  
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