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第二章 暗躍するもの
7 盟友
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王事務総長は麻尾の話を最後まで黙って聞いた。
その間、加藤は注意深く王を観察していた。
穏やかな表情からは思考がまったく読み取れない。このあたりはさすがに歴戦の政治屋だ。
麻尾の話を聞き終わり、たっぷり時間をかけて咀嚼してから王はようやく口を開いた。
「……つまり、そこにいる五郎の連れは、俺にとっての郭嘉……。そういうことだな?」
「そうだ。王、道筋ができたらお前の下に置くといい。日本としては惜しいんだがな」
麻尾がそう言うと、突然、王事務総長が声をあげて高笑いする。
まあ、これが当然の反応だろう。笑ったあとで、にこやかな顔のまま王が言う。
「参ったな……。確かにとびっきりの台本だ。実現すれば俺は歴史に名を刻むだろう。あくまで実現すればの話だがな。夢がある話だ。いや、楽しませてもらったよ」
やはりと冗談と受け止められたようだ。そこに麻尾が捕捉する。
「ホワイトハウスが追認する」
王の顔色が変わった。
「……なんだと? 根回し済みなのか?」
「いや、まだだ。根回しはたった今、この場所からだ」
王の表情に野心が浮かぶ。
そうだ……。これがこの人の本当の顔だ。
まずは本性を見せてもらわないと取引にもならない。
「……本気なんだな? そこの男だけではなく、五郎、お前も」
「そうだ。あいにく俺は今でもロマンチストなんだよ。この手の話に弱い」
王が長考する。計算しているのは実現可能性と……リスクだ。
「まあ、そうだな……。表立って何か言わないかぎり俺に損はない。事務総長としてどうするかは、もうちょっと様子を見てから決める。それでいいな?」
麻尾の口元に笑みが浮かぶ。
上々の答え……。麻尾の顔はそう語っていた。
「ああ、もちろんだ。加藤も、それでいいな?」
「はい、それはもう」
「加藤というんだな、この若いのは」
加藤は最大限の誠意を見せようと、王に向かって深々と頭を下げた。
「はいそうです。加藤仁といいます。事務総長、この件……どうかよろしくお願いいたします」
「分かった。で、五郎、俺は何をすればいい?」
「アメリカ大統領に手紙をひとつ書いてくれ。加藤に持たせる」
「ブラウンに? ……なんの手紙だ?」
「簡単だ。『アメリカが乗るなら国連が音頭をとるから、まずはこの加藤という日本人の話を聞いてやってくれ』と書け。世界大統領からの手紙なら無視できんはずだ」
「まあ、そりゃいいけど……五郎、自分で言うのもアレなんだが、ブラウンを説き伏せるなら俺の手紙ひとつでは弱いぞ。はっきり言って」
ここで加藤が会話に加わる。
「事務総長、書いていただく親書の封筒は、割印だけして封をせずに託していただけませんか」
「……誰に見せる?」
「黒幕です。表のトップと裏のトップ、二通の密書でブラウン大統領と勝負します。ブラウン大統領もある意味傀儡ですから、お膳立てさえできれば可能性はあるかと」
「黒幕……富豪の元締め、か。それこそ会うのも至難……。あ、まさか五郎、お前も一肌脱ぐのか?」
「そうだ王、俺もリスクを負う」
「そうか……。お前の家は由緒正しい金持ちだったな。しかし、機嫌を損ねたらただじゃ済まないぞ」
「世界大統領殿の親書があるんだ、心配ないさ。失敗してもお前が笑い者になる程度で収めるよ。だから黙って書け」
「相変わらずだな五郎。そんなに惚れ込んでるのか? この若い台本屋に」
「いや、正しくはこいつのホラ話に、だ。今の世の中には夢がなさすぎる」
「そうか……。よし、分かった。五郎に免じて書いてやる。そしてどこまでやれるか見ててやろう。ホワイトハウスが追認するなら国連に体制を組んで加藤くんの席を用意する」
ほぼ満点の結果だ。もう一度頭を下げながら加藤は心の中でガッツポーズをする。
「じゃあ書け、王」
「え……今すぐか?」
「あたりまえだ。封をしてない親書なんか誰にも預けられないだろ」
王がやれやれ、というジェスチャーをする。しぶしぶペンを手に取り親書をしたためながら王が呟く。
「……なあ五郎、懐かしいな。俺が韓国、お前が日本の外務大臣だったころも俺たちの国は仲が悪かった。あのとき一気に関係を親密にしたのは俺たちだった。日本じゃ韓国ブームまで巻き起こったのに……。今じゃまたケンカしてやがる。なあ?」
「ああそうだ。そして今やお前は世界大統領、俺は色々あって未だに脇役だ」
「そういや、これが上手くいったなら五郎、お前は首相に返り咲くのか?」
「それはない。俺はもう老兵だよ。まあ、国の行く末は案じてるがな」
「寂しいこと言うなよ五郎。また一緒にやろうぜ。俺が韓国に戻ったら、また日本と韓国は仲良しだ」
「今はそう簡単じゃないぞ。王」
「そうでもないさ。俺がもし大統領選に勝ったなら、それは即ち国民が反日政策に辟易している証だからな。よし、これに割印だけして……と。ほら、できたそ」
王は加藤に封書を差し出した。注文どおり、割印はあるが封はされていない。加藤は「失礼します」と言ってから親書の中身を改めた。よし、内容も注文どおり……いや、それ以上だ。
「ありがとうございます事務総長。確かにお預かりします」
「加藤くん……死ぬなよ。今度は二人で五郎の悪口を言おう」
「……了解しました」
「じゃあ帰るぞ加藤。王、韓国も大変な岐路にあるが、正しく導けよ」
「それは国民が決めることだ。国民は馬鹿じゃないと信じるだけだよ、俺は」
「上手くいくさ、お前ならな。それに風向きも悪くない」
「ああ、確かにな。そうだ加藤くん、人質を繋ぎ止めるのに土産話が要るだろう」
「……事務総長、そこまで気を遣っていただくわけには……」
「大した話じゃない。木曜日に国連がテロ対策の行動計画を打ち出したのは当然知ってるな?」
「はい」
「それとは別に、今月の終わりの週に事務総長名の呼びかけを世界に流す」
「呼びかけ……ですか」
「そうだ。世界の国の力関係が判りづらくなっているこの時を突いて、今一度国連の存在感を高めるためだ。なんだかんだで俺もまだ任期があるからな」
「分かりました。お心遣いありがとうございます」
「吉報を待つよ」
「はい、失礼します」
「じゃあな……王」
麻尾と加藤は連れ立って退室した。
加藤は思う。麻尾と王……この二人もお互いにかけがえのない戦友……盟友なのだ。……間違いなく。
帰りの機内で加藤は、麻尾と王の武勇伝を嫌というほど聞かされた。
帰国した日曜日の夜に加藤は敵……インターネット屋の村田から電話を受けた。
相変わらずタイミングがいやらしい、そう思いながら加藤は出た。
(夜分にすみません。そろそろ一度、お酒でも一緒にいかがでしょうかと思いまして)
まっぴらだ。まっぴら御免だが断れない。
こいつを……いつかこいつを黙らせてやらなきゃならない。
だが今はまだその時ではないのだ。加藤は怒りを押さえ込む。
「……分かった。で、どこに行けばいい?」
(課長さんがいつも電車を乗り換える駅の近くに『ふる里』という料亭があります。明日は何時ごろお帰りですか?)
「おそらく9時には会社を出る」
(では9時半に、村井という名で部屋をとっておきます)
それだけで電話が切られた。本名を名乗らず、用件も語らず……。念の入ったことだ。
場所も中途半端だし、そもそも村田という名前が本名であるかすら怪しいのだ。
しかし、知らない方がお互いに安全であることは加藤にも解っていた。
そして翌日、仕事を終えた加藤は料亭「ふる里」の一室にいた。10分ほど待ったところで村田がやってきた。
「ああどうも、加藤さん。お待たせしました」
「いや、たいして待ってない。いっそこのまますっぽかしてくれないかと期待していたところだ」
村田の口の端が歪む。加藤と同じ歳くらいの小男だが、陰でうごめく男の貫禄をしっかり纏っている。
「まあそう言わないでくださいよ。これから長い付き合いになるんですから」
そうはさせない。もしそうなるのなら職を辞す。
加藤は本心でそう思っていた。くそ……美咲さえ人質に取られていなければ。
「美咲に変わりはないのか?」
「え? ……ああ、娘さんですか。はい、お変わりありません」
「俺が美咲を見捨てれば、この関係は終わるのか?」
「加藤さん、それは加藤さんがその気になったときにお話しましょうよ。早速ですが、なんで今回、麻尾さんは加藤さんを連れて行ったんですか? 内野さんや山下さんじゃなくて」
内野は局長、山下というのは企画調整課長だ。
たしかに事務総長に年頭の意気込みを伝える訪問なら加藤ではなくこの二人のどちらかが随行するのが自然だ。
「それは判らん。麻尾さんの気まぐれだろう。もしかしたら俺に気分転換させてくれたのかもしれない」
村田の眼に猜疑が走る。
こんなのと長い付き合いをしていたらこっちが死にたくなるな……。
あるいはそのうち慣れてしまうのか……。
「頼むからそんな目で見ないでくれ、俺はウサギのようにデリケートなんだ。本当に」
「……分かりました。でも、くれぐれも嘘はナシですよ、加藤さん」
「ああ分かった。努力する」
それから加藤は、麻尾と王の世間話の内容を当たり障りなく村田に伝えた。
「……それで、ヨーロッパがすっかり弱くなって、アメリカが大統領選を控えているこの時期に、国連が世界の舵を取り戻すために今月末に王さんが呼びかけをするらしい」
「そうですか。……国連は本腰なんですか?」
「本腰というか、必要とあらばやりますよ、というスタンスだろう。だからみんなで担いでくださいねってな」
「起つのなら請われて……ということですね」
「ああそうだ。俺も王さんが出すという呼びかけの中身までは知らない。……というか、本人しか知らないんじゃないか?」
「そうですか。……加藤さん、次はいつ会えますか?」
「正直言って今月は忙しい。時間が作れて来月だ」
本当はもう二度と会いたくない。だが本心を言えば美咲が本当に三途の川を渡る。
「加藤さん、また月末に連絡しますよ」
「待て。本当に今月は忙しいんだ。……今から独りごとを言う。代償は一ヶ月の猶予だ」
「……聞きましょう」
「……今月末、日銀がマイナス金利に踏み切るという噂がある」
村田の眼が嫌な輝きを見せる。
「マイナス……本当ですか?」
「いくら刷っても金が回らないんだ。採りうる手段は残り少ない」
「……確かな話ですか?」
「畑違いの同期から聞いた話だ。いいかげんなものじゃない。だがこれは、この時期、そしてあくまでも噂だからこぼれた独り言だ。確証が欲しいなら別のツテを当たってくれ」
「分かりました。では一ヶ月後にまた連絡します」
加藤はようやく解放された。だが気分は最悪だった。
こんなことはこれが最初で最後にしてやる。
加藤はそう決意した。
その週、ささくれ立った心のまま加藤はルーチンワークだけをこなしながら過ごしていた。
早くしないと、このままでは操り人形になる。
村田からは一ヶ月の猶予を得たが、一刻も早く作戦を進めなければならない……。
たまりかねた加藤は水曜日の昼、麻尾に電話をかけた。
(どうした? 何かあったか?)
「いえ何も。でも、早くしないと私がどうにかなりそうです」
電話口で麻尾が唸る。考えているようだ。
(……そうだよな。よし分かった。加藤、お前、明日から風邪を引け)
「……それで、どうするんですか?」
(アメリカに行って治してこい。俺が予約しておく。ニューヨークだ)
「分かりました」
(明日中にニューヨーク入りしろ。明後日に医者を予約する)
「了解です」
(加藤)
「はい」
(俺にできるのはここまでだ。……こじらせるなよ)
「はい。王さんと一緒に大臣の悪口を言うまでは死にません」
(……じゃあ、お大事に、な)
よし、いつまでも村田に害されてこんな気分でいては本当に腐ってしまう。
前を見よう。
その晩、加藤が帰宅して最小限の着替えをキャリアバッグに詰め込んでいたところ、インターホンがなった。
午後9時を過ぎている。常識をわきまえた者が連絡なしに訪れる時間じゃない。
常識がない……。もしかして岩崎か?
加藤がドアスコープを覗くと、果たしてそこにいたのは加藤の分身、三上少年だった。
加藤は満面の笑みで玄関を開けた。
「いらっしゃい。……塾の帰り……ってとこか?」
「はい。お父さんは夜じゃないといないので寄ってみました」
美咲が遺したもので一度は打ちのめされたに違いないのに、三上の顔はこの前より精悍だ。
……化けたか?
「三上くん……君は今でも美咲が好きか?」
三上は胸を張り、加藤の目を見て答える。
「はい、大好きです」
こいつは俺の新しい盟友になるのかもしれない……。
加藤はそう思った。
「上がってくれ。今日は美咲が好きだった豆で淹れよう」
「ありがとうございます」
三上はひとつ成長した分身を招き入れた。
その間、加藤は注意深く王を観察していた。
穏やかな表情からは思考がまったく読み取れない。このあたりはさすがに歴戦の政治屋だ。
麻尾の話を聞き終わり、たっぷり時間をかけて咀嚼してから王はようやく口を開いた。
「……つまり、そこにいる五郎の連れは、俺にとっての郭嘉……。そういうことだな?」
「そうだ。王、道筋ができたらお前の下に置くといい。日本としては惜しいんだがな」
麻尾がそう言うと、突然、王事務総長が声をあげて高笑いする。
まあ、これが当然の反応だろう。笑ったあとで、にこやかな顔のまま王が言う。
「参ったな……。確かにとびっきりの台本だ。実現すれば俺は歴史に名を刻むだろう。あくまで実現すればの話だがな。夢がある話だ。いや、楽しませてもらったよ」
やはりと冗談と受け止められたようだ。そこに麻尾が捕捉する。
「ホワイトハウスが追認する」
王の顔色が変わった。
「……なんだと? 根回し済みなのか?」
「いや、まだだ。根回しはたった今、この場所からだ」
王の表情に野心が浮かぶ。
そうだ……。これがこの人の本当の顔だ。
まずは本性を見せてもらわないと取引にもならない。
「……本気なんだな? そこの男だけではなく、五郎、お前も」
「そうだ。あいにく俺は今でもロマンチストなんだよ。この手の話に弱い」
王が長考する。計算しているのは実現可能性と……リスクだ。
「まあ、そうだな……。表立って何か言わないかぎり俺に損はない。事務総長としてどうするかは、もうちょっと様子を見てから決める。それでいいな?」
麻尾の口元に笑みが浮かぶ。
上々の答え……。麻尾の顔はそう語っていた。
「ああ、もちろんだ。加藤も、それでいいな?」
「はい、それはもう」
「加藤というんだな、この若いのは」
加藤は最大限の誠意を見せようと、王に向かって深々と頭を下げた。
「はいそうです。加藤仁といいます。事務総長、この件……どうかよろしくお願いいたします」
「分かった。で、五郎、俺は何をすればいい?」
「アメリカ大統領に手紙をひとつ書いてくれ。加藤に持たせる」
「ブラウンに? ……なんの手紙だ?」
「簡単だ。『アメリカが乗るなら国連が音頭をとるから、まずはこの加藤という日本人の話を聞いてやってくれ』と書け。世界大統領からの手紙なら無視できんはずだ」
「まあ、そりゃいいけど……五郎、自分で言うのもアレなんだが、ブラウンを説き伏せるなら俺の手紙ひとつでは弱いぞ。はっきり言って」
ここで加藤が会話に加わる。
「事務総長、書いていただく親書の封筒は、割印だけして封をせずに託していただけませんか」
「……誰に見せる?」
「黒幕です。表のトップと裏のトップ、二通の密書でブラウン大統領と勝負します。ブラウン大統領もある意味傀儡ですから、お膳立てさえできれば可能性はあるかと」
「黒幕……富豪の元締め、か。それこそ会うのも至難……。あ、まさか五郎、お前も一肌脱ぐのか?」
「そうだ王、俺もリスクを負う」
「そうか……。お前の家は由緒正しい金持ちだったな。しかし、機嫌を損ねたらただじゃ済まないぞ」
「世界大統領殿の親書があるんだ、心配ないさ。失敗してもお前が笑い者になる程度で収めるよ。だから黙って書け」
「相変わらずだな五郎。そんなに惚れ込んでるのか? この若い台本屋に」
「いや、正しくはこいつのホラ話に、だ。今の世の中には夢がなさすぎる」
「そうか……。よし、分かった。五郎に免じて書いてやる。そしてどこまでやれるか見ててやろう。ホワイトハウスが追認するなら国連に体制を組んで加藤くんの席を用意する」
ほぼ満点の結果だ。もう一度頭を下げながら加藤は心の中でガッツポーズをする。
「じゃあ書け、王」
「え……今すぐか?」
「あたりまえだ。封をしてない親書なんか誰にも預けられないだろ」
王がやれやれ、というジェスチャーをする。しぶしぶペンを手に取り親書をしたためながら王が呟く。
「……なあ五郎、懐かしいな。俺が韓国、お前が日本の外務大臣だったころも俺たちの国は仲が悪かった。あのとき一気に関係を親密にしたのは俺たちだった。日本じゃ韓国ブームまで巻き起こったのに……。今じゃまたケンカしてやがる。なあ?」
「ああそうだ。そして今やお前は世界大統領、俺は色々あって未だに脇役だ」
「そういや、これが上手くいったなら五郎、お前は首相に返り咲くのか?」
「それはない。俺はもう老兵だよ。まあ、国の行く末は案じてるがな」
「寂しいこと言うなよ五郎。また一緒にやろうぜ。俺が韓国に戻ったら、また日本と韓国は仲良しだ」
「今はそう簡単じゃないぞ。王」
「そうでもないさ。俺がもし大統領選に勝ったなら、それは即ち国民が反日政策に辟易している証だからな。よし、これに割印だけして……と。ほら、できたそ」
王は加藤に封書を差し出した。注文どおり、割印はあるが封はされていない。加藤は「失礼します」と言ってから親書の中身を改めた。よし、内容も注文どおり……いや、それ以上だ。
「ありがとうございます事務総長。確かにお預かりします」
「加藤くん……死ぬなよ。今度は二人で五郎の悪口を言おう」
「……了解しました」
「じゃあ帰るぞ加藤。王、韓国も大変な岐路にあるが、正しく導けよ」
「それは国民が決めることだ。国民は馬鹿じゃないと信じるだけだよ、俺は」
「上手くいくさ、お前ならな。それに風向きも悪くない」
「ああ、確かにな。そうだ加藤くん、人質を繋ぎ止めるのに土産話が要るだろう」
「……事務総長、そこまで気を遣っていただくわけには……」
「大した話じゃない。木曜日に国連がテロ対策の行動計画を打ち出したのは当然知ってるな?」
「はい」
「それとは別に、今月の終わりの週に事務総長名の呼びかけを世界に流す」
「呼びかけ……ですか」
「そうだ。世界の国の力関係が判りづらくなっているこの時を突いて、今一度国連の存在感を高めるためだ。なんだかんだで俺もまだ任期があるからな」
「分かりました。お心遣いありがとうございます」
「吉報を待つよ」
「はい、失礼します」
「じゃあな……王」
麻尾と加藤は連れ立って退室した。
加藤は思う。麻尾と王……この二人もお互いにかけがえのない戦友……盟友なのだ。……間違いなく。
帰りの機内で加藤は、麻尾と王の武勇伝を嫌というほど聞かされた。
帰国した日曜日の夜に加藤は敵……インターネット屋の村田から電話を受けた。
相変わらずタイミングがいやらしい、そう思いながら加藤は出た。
(夜分にすみません。そろそろ一度、お酒でも一緒にいかがでしょうかと思いまして)
まっぴらだ。まっぴら御免だが断れない。
こいつを……いつかこいつを黙らせてやらなきゃならない。
だが今はまだその時ではないのだ。加藤は怒りを押さえ込む。
「……分かった。で、どこに行けばいい?」
(課長さんがいつも電車を乗り換える駅の近くに『ふる里』という料亭があります。明日は何時ごろお帰りですか?)
「おそらく9時には会社を出る」
(では9時半に、村井という名で部屋をとっておきます)
それだけで電話が切られた。本名を名乗らず、用件も語らず……。念の入ったことだ。
場所も中途半端だし、そもそも村田という名前が本名であるかすら怪しいのだ。
しかし、知らない方がお互いに安全であることは加藤にも解っていた。
そして翌日、仕事を終えた加藤は料亭「ふる里」の一室にいた。10分ほど待ったところで村田がやってきた。
「ああどうも、加藤さん。お待たせしました」
「いや、たいして待ってない。いっそこのまますっぽかしてくれないかと期待していたところだ」
村田の口の端が歪む。加藤と同じ歳くらいの小男だが、陰でうごめく男の貫禄をしっかり纏っている。
「まあそう言わないでくださいよ。これから長い付き合いになるんですから」
そうはさせない。もしそうなるのなら職を辞す。
加藤は本心でそう思っていた。くそ……美咲さえ人質に取られていなければ。
「美咲に変わりはないのか?」
「え? ……ああ、娘さんですか。はい、お変わりありません」
「俺が美咲を見捨てれば、この関係は終わるのか?」
「加藤さん、それは加藤さんがその気になったときにお話しましょうよ。早速ですが、なんで今回、麻尾さんは加藤さんを連れて行ったんですか? 内野さんや山下さんじゃなくて」
内野は局長、山下というのは企画調整課長だ。
たしかに事務総長に年頭の意気込みを伝える訪問なら加藤ではなくこの二人のどちらかが随行するのが自然だ。
「それは判らん。麻尾さんの気まぐれだろう。もしかしたら俺に気分転換させてくれたのかもしれない」
村田の眼に猜疑が走る。
こんなのと長い付き合いをしていたらこっちが死にたくなるな……。
あるいはそのうち慣れてしまうのか……。
「頼むからそんな目で見ないでくれ、俺はウサギのようにデリケートなんだ。本当に」
「……分かりました。でも、くれぐれも嘘はナシですよ、加藤さん」
「ああ分かった。努力する」
それから加藤は、麻尾と王の世間話の内容を当たり障りなく村田に伝えた。
「……それで、ヨーロッパがすっかり弱くなって、アメリカが大統領選を控えているこの時期に、国連が世界の舵を取り戻すために今月末に王さんが呼びかけをするらしい」
「そうですか。……国連は本腰なんですか?」
「本腰というか、必要とあらばやりますよ、というスタンスだろう。だからみんなで担いでくださいねってな」
「起つのなら請われて……ということですね」
「ああそうだ。俺も王さんが出すという呼びかけの中身までは知らない。……というか、本人しか知らないんじゃないか?」
「そうですか。……加藤さん、次はいつ会えますか?」
「正直言って今月は忙しい。時間が作れて来月だ」
本当はもう二度と会いたくない。だが本心を言えば美咲が本当に三途の川を渡る。
「加藤さん、また月末に連絡しますよ」
「待て。本当に今月は忙しいんだ。……今から独りごとを言う。代償は一ヶ月の猶予だ」
「……聞きましょう」
「……今月末、日銀がマイナス金利に踏み切るという噂がある」
村田の眼が嫌な輝きを見せる。
「マイナス……本当ですか?」
「いくら刷っても金が回らないんだ。採りうる手段は残り少ない」
「……確かな話ですか?」
「畑違いの同期から聞いた話だ。いいかげんなものじゃない。だがこれは、この時期、そしてあくまでも噂だからこぼれた独り言だ。確証が欲しいなら別のツテを当たってくれ」
「分かりました。では一ヶ月後にまた連絡します」
加藤はようやく解放された。だが気分は最悪だった。
こんなことはこれが最初で最後にしてやる。
加藤はそう決意した。
その週、ささくれ立った心のまま加藤はルーチンワークだけをこなしながら過ごしていた。
早くしないと、このままでは操り人形になる。
村田からは一ヶ月の猶予を得たが、一刻も早く作戦を進めなければならない……。
たまりかねた加藤は水曜日の昼、麻尾に電話をかけた。
(どうした? 何かあったか?)
「いえ何も。でも、早くしないと私がどうにかなりそうです」
電話口で麻尾が唸る。考えているようだ。
(……そうだよな。よし分かった。加藤、お前、明日から風邪を引け)
「……それで、どうするんですか?」
(アメリカに行って治してこい。俺が予約しておく。ニューヨークだ)
「分かりました」
(明日中にニューヨーク入りしろ。明後日に医者を予約する)
「了解です」
(加藤)
「はい」
(俺にできるのはここまでだ。……こじらせるなよ)
「はい。王さんと一緒に大臣の悪口を言うまでは死にません」
(……じゃあ、お大事に、な)
よし、いつまでも村田に害されてこんな気分でいては本当に腐ってしまう。
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……化けたか?
「三上くん……君は今でも美咲が好きか?」
三上は胸を張り、加藤の目を見て答える。
「はい、大好きです」
こいつは俺の新しい盟友になるのかもしれない……。
加藤はそう思った。
「上がってくれ。今日は美咲が好きだった豆で淹れよう」
「ありがとうございます」
三上はひとつ成長した分身を招き入れた。
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