ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第二章 暗躍するもの

13 交雑

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「脳が……蘇生? ……本当か?」

「ああ、間違いない。今から筑波まで 走る。ええと、10時前か……まだ起きてるかな」

「誰か連れて行くのか?」

「ああ、三上くんだ」

「三上って……あの七三メガネの中学生か?」

「そうだ。あの子の初恋にもケリを付けてやらなきゃならん。想いは相当に強いぞ、あれは」

「たしかにな。なあ加藤、俺も行っていいのか?」

 加藤は考える……。美咲の脳の件、これはあまり公にはできない。
 だが、岩崎は当初からこの件に関わった人間のひとり……。
 いや、脳が生かされているという事実を最近まで知らなかっただけで、美咲の件で最も加藤が力を借りたのは岩崎だ。是非もないか……。

「構わないが……いいのか? 明日も仕事だろう?」

「これも仕事だ。結末をこの目で見たい」

 ならば決まりだ。男3人で美咲に会いに行こう。
 口を開けてイビキをかいている富永に毛布をかけ、書き置きをして二人は玄関を出た。
 車を発進させる前に電話をかけ、三上を家の前で拾ってから筑波……あの怪しげな「ドビー研業」へ向かった。

 そして午後11時過ぎ、3人は目的地に着いた。

「ドビー研業……。なんか聞いたことあるな」

 岩崎が言う。いい評判ではないだろう。

「岩崎、今は気にするな。それより三上くん、見ろ。今日は月がないから降るような星空だ。きっと感動の再会になる」

「星……。本当ですね。空気が澄んでるんですね」

 車が入ってきた音に気が付いたのだろう、グレンが3人を出迎えた。

「待ってたよ、カトウ。おや、今日は3人か。こちらのダンディは?」

「ああ、これはイワサキ。ジャパニーズ・マフィアだ。俺の弱味を握ってる」

「……そうか。いろいろ大変だな、カトウも」

 隣で三上が吹き出した。それを見た岩崎に「おい、訳せ」と迫られて困惑している。

「それでグレン、どんな具合なんだ?」

「昨日カトウたちが帰ってから、日本のディクショナリーのデータをミサキに一方的に送り続けた。初めは上手くいかなかったが、そのうちデータ転送が始まったんだ。あとはみるみるうちにデータを飲み込んだ。ミサキは脳内に記憶領域を造り出したらしい」

「うん、それで?」

 歩きながら加藤は説明を受ける。

「ディクショナリーのデータ転送が終わってからしばらく脳の活動は活発だった。それが落ち着いた頃合いで、もう一度昨日のようにアウトプットを繋いでメッセージを送ったんだ。『こんにちは』って」

「うん」

「そうしたら、ちょっと沈黙してたんだ。昨日のように大量のデータを吐き出すことはなかった。だからそのまま様子をみていたんだ」

「……うん」

「そうして5分くらいしてミサキから返事があった。ディスプレイに」

「……美咲は何て?」

「第一声は『なにこれ?』だった」

「そうか……」

「あとはカトウの目で確かめてくれ。さあ」

 そこまで聞いたところでグレンのブースに着いた。
 昨日と違い、円筒の水槽は外周に銀幕が張られていて、脳の姿は隠されている。
 まあ、あんまり見て気分のいいものではないからグレンが配慮したのだろう。
 加藤は着席してディスプレイと向き合った。


『あ、お父さんだ。やっほー』


「…………なんだと?」

『あ、おとうさんもいるー』

 ……まさか……どうして……なぜ分かる?

「……見えているのか? ……美咲」

『うん。えっと……ほら』

「うおっ」

 画面全体に加藤の顔がアップで表示された。
 加藤の後ろには三上の顔が覗いている。
 ……ディスプレイの上にある備え付けのウェブカメラ……これか。
 俺の声も備え付けのマイクで聞こえているようだ。しかし……。

「……美咲、お前は今、どこにいるんだ?」

『え、どこって……夢でしょ?:これ』

 なるほどそういう認識か……。さて……。

「美咲……気分はどうだ?」

『うーん……普通だよ。夢だしね』

「……美咲、どうしてこれが夢だと判る?」

『だって私、体ないし。ふわふわしてるし』

 美咲の返事……レスポンスは速い。一文字ずつではなく、文字が一気に表示される。

「美咲、今はいつだ?」

『ほら、やっぱ夢じゃん。お父さんは変なこと聞くし』

「いいから答えろ。今はいつだ?」

 ここで初めて返答までに間が空いた。
 空いたといっても5秒もなかったが。

『えっと、もうすぐテニスの大会があるから……夏休みの終わり……だよね』

 脳の保存の過程で新しい記憶……浅い記憶は消えてしまったということか?
 だとすれば自分が死んだという認識がないのも納得だ。
 美咲には酷だが、事実を教える必要はあるだろう……。

「美咲、あのな……」

『なに?』

「これは夢じゃないんだ」

『は?』

「お前は死んだ。……身体だけ、な」

『へ?』

「原因はお前が家でやってた商売だ」

『えっ、なんでバレてんの?』

「12月17日にお前が死んで、お前がやっていたことは全部バレた。おかげで後始末が大変だった」

『……マジで?』

「……マジでだ」

『じゃあ、今の私って……なに?』

「脳だけ生きてる。いろいろあってな」

『脳だけって……。そんなことできるの?』

「できたんだ。たった今、こうして俺がお前と話しているのが証拠だ」

『おとうさんもここにいるってことは、おとうさんにもバレてんの?』

「おとうさん? ああ三上くんか。そうだ。三上くんにもお前の悪事はバレバレだ」

『やだぁ……駄目だよ、そんなの。……絶対嫌われるじゃん。絶対イヤ』

「嫌もなにもない。お前は死ぬ前に自分で三上くんに全部を託したんだからな」

『託したって……そうだ、私、なんで死んだの? もしかして殺された?』

「自殺だ。この親不孝者が」

『え……私、自殺したの?』

 加藤はだんだん面倒になってきていた。
 美咲の記憶はこの前の夏で途切れている。

 夏以降、死ぬまでの経緯を美咲に説明して理解させるのは相当に骨が折れる作業だ……。
 この作業は、おそらく自分よりも三上の方が適任だ。
 恋の力は無限……甘えることにしよう。

「……三上くん」

「はい」

「バトンタッチだ」

「……いいんですか?」

「ああ、こいつはどうやら夏までの記憶しかないようだ。悪いがきみから説明してやってくれ。学校のことまで含めれば、たぶんきみが一番詳しいはずだ」

「……分かりました」

「俺は岩崎と休む。終わったら呼んでくれ」

「はい」

「じゃあ、あとは若い二人でよろしくやってくれ。岩崎、行くぞ。俺たちは邪魔者だ」

「……そうだな」


 加藤は岩崎と一緒に休憩所の自動販売機で缶コーヒーを買い、煙草に火を点ける。
 岩崎はここにきてあまり口を開いていないが、この事態をどう見ているだろうか。

「……岩崎、何を考えている?」

 岩崎は昇る煙を眺めながら答える。

「加藤が今どんな気持ちだろうかと考えている」

「……そうか」

「しかし……不測の事態だな」

「まったくだ。端からこの状況を造り出そうとしたなら、こんな人体実験のような行為は人道に反するし、何かしらの法にも触れるだろう。だが俺たちは、唆されて自殺した者の生き残った部分を蘇生させただけだ」

「……現実を知って、美咲ちゃんはどうすると思う?」

「判らん。ただ、美咲が絶望してもう一度死を望むなら、その意思は尊重する」

「そうか……」

「まあ、三上くんはそれを許さないと思うがな。だから三上くんに任せてみた」

 そんなことを話していると、二人のところにグレンがやってきた。

「グレン、どうなってる?」

「ああ、ボーイとミサキで盛り上がってるみたいだよ。私は日本語が分からないから何を話しているのかはサッパリだけどね」

「そうか……。まあ、すきなだけ話をさせてやろう。岩崎、俺たちは車に戻って寝とこうか」

「ああ、そうだな。そうしよう」

「じゃあ悪いがグレン、二人の話が終わったら車まで起こしに来てくれないか?」

「分かった」

 加藤と岩崎は車に戻り、シートを倒して横になった。助手席の岩崎はすぐにイビキをかき始める。
 ……何はともあれ美咲が生き返ったのだ。加藤も気持ちよく睡魔の誘いを受けた。





 コン……コンコン……。
 ドアウィンドウを叩く音で加藤は目を覚ます。
 思ったより深く寝入っていたようだ。ガラスの向こうにグレンを認めて加藤はウィンドウを開けた。

「カトウ、起きてくれ。ボーイとミサキが呼んでる」

「……ん、ああ……分かった」

 助手席の岩崎は熟睡中だ。逡巡したが、そのままにしておくことにした。
 加藤はひとり起きてグレンと一緒に美咲のもとへ戻る。

「三上くん、どうなった?」

「はい、加藤さんには全部説明しました。それで、これからはネット上で生きていきたいと言ってます」

 ネット上で……それが結論か。まあ、死にたいと言い出すよりはマシだろう。
 加藤は三上と交代して席に着いた。

「美咲……お前、反省してるのか?」

『ごめんなさい』

「お前のせいで三上くんの親父さんは殺された」

『ごめんなさい』

「今さらだが、もう、命を粗末にすることはないな?」

『はい。ごめんなさい』

 こんなにしおらしい美咲は初めてだ。なんだか気味が悪い。
 しかし、ネット上で生きるという案は悪くない。
 今の時代のネット上でなら充分に充実した人生を送れるかもしれない。
 ……生身があってもネットの中で生きているような人間もごまんといるのだ。

「グレン、ミサキはネット上で生きていくそうだ。繋いでみてくれ」

「そうか、わかった」

「じゃあいいか? ネットに繋ぐぞ、美咲」

『うん』

 グレンがパソコンにケーブルを繋ぎ、オンラインに切り替える操作をした。「切断中」の表示が「接続中」に変わる。

『うわ……  あ  え? うわ うわ あ? うあぁぁあああ……  わあああぁぁぁ  いやぁぁああああぁ』

「加藤さん?どうしたの?」

『ああああああぁぁ なんで?  あああぁぁ なんで そんな……うわあぁ……ぁぁぁあああ だめ、やめて、あああ……うぅ ……え? あ、やぁぁああああああああああぁ いやぁぁああああ』

「見るな美咲。グレン、ケーブルを抜け」

 すぐにグレンはケーブルを抜いた。

『あ、あぁ ううう  うぅ……ぁぁ』

「……美咲、大丈夫か?」

『ああぁ…… いやぁぁうぅ やあぁぁ ううぅ……ぅぅ』

 事態を飲み込めない三上が加藤に尋ねる。

「……なに……が、起こったんですか」

「軽率だった……。……今、おそらく美咲は人間の最も醜い部分を見てしまった」

「……醜い……部分?」

「ああ、繋いだ瞬間にディープウェブやダークウェブのデータも一緒に流れ込んできたんだ。おそらくな」

「……ダークウェブ……ですか?」

「そうだ。俺たちが通常インターネットで目にすることができる情報は、真っ当なブラウザを介した真っ当なものだけだ。俺たちは普段、ネット上にある情報のほんの表面だけを見ているに過ぎない」

「……そうなんですか?」

「そうなんだよ。そして、裏の中身は狂気で溢れている。……しまったな。いくら美咲でも正気を保てないだろう」

 加藤は、文字で嗚咽を漏らすディスプレイを見る。

『ぅううああぁ……  う う ……ゆるさない』

「美咲……」

『ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ』

「美咲、聞け」

『……ナに?』

「お前が見たのは人間のひとつの側面だ。全部じゃない。まずそれを理解しろ」

『オ父さんハ知ってタノ?』

「……ある程度は、な」

『滅ンデいいヨ、ニンゲン。ダッテ、生きてルノニ、抵抗してナイのニ、子ドモもイルのに、切って、ツブして、それカラ……それから……それカラ……』

「言うな美咲」

『知っテテなんデ平気なノ? オカシイよ』

「そういうのを無くすために働いているからだ」

 少し間が空く。……大丈夫、美咲はなんとか正気だ……。

『……無理だよ、お父さん。救いようがないよ、人間は』

「そんなことは、ない。俺や三上くんや他の友だちを思い出せ。お前が垣間見たのはひとつの負の側面に過ぎないんだ」

『……でも……ひどいよ』

「お前の気持ちは分かった。じゃあこうしよう。俺は今、世の中を少し変えるために計画を進めている。それの結果を見るまでは早まるな」

『……計画?』

「そうだ、今はまだ機密だがな」

 よし、美咲は落ち着いてきている。畳み掛けよう。

「少なくともお前が狂えば、俺と三上くんの二人は悲しむ。お前は俺たちを悲しませたいのか?俺たちは、けっこう苦労して、ようやく今ここにいるんだぞ」

『分かった。……ねえお父さん、もう大丈夫だからもう一回繋いでよ』

「……繋いでどうする?」

『うん……ちょっと確かめたいことがあるんだ』

「……大丈夫なのか?」

『大丈夫だよ、たぶん。変なことはしないよ』

「情報には自分でフィルタをかけろ。通常のブラウザでだ。いいな?」

『うん、分かった』

 心配は残るが、美咲がそういうのならもう一度繋いでみるか……。

「……グレン、やり直しだ。繋いでくれ」

「オーケーだ、カトウ」

 グレンはもう一度、パソコンをオンラインにした。今度は美咲に取り乱した様子はない。

『……やっぱり』

 ん、なんだ? ……やっぱり、とは。

「……今度はどうした?」

『お父さん……私、届くみたい』

「何にだ」

『……核のボタン』

「なんだと?」

『ちょっと狭いけど……うん、届く。ミサイルのボタン……押せるみたい』

「……押すなよ」

『分かった。じゃあ、今からはフィルタかけるよ』

「……そうしてくれ」

 狭いけど届く……か。アナログな表現だが……もしそれが本当なら、たった今、美咲は人類の最終兵器になったんじゃないのか?
 電脳の空間に取り込まれた有機の脳……ハイブリッド・ブレインといったところか。

『……お父さん』

「なんだ?」

『私、自殺だけど、自殺させられたんだよね?』

「ああ、たぶんな。もう証拠は消されてるがな」

『仕返ししていい? ……ちょっとだけ』

 ちょっとだけというのがどの程度なのかが不安だが、ネット屋を懲らしめることに異論はない。

「……ちょっとだけだぞ」

『うん、分かった』

 そのあと、美咲は3分ほど沈黙した。その間、パソコンはフル稼働していたが、美咲が何をしているのかは判らなかった。


『よし、終わったよ』

「……終わったのか?」

『うん、あとはオートで進むよ』

 何をしたのかは、あえて聞かないでおこう。
 朝刊を見れば分かりそうだ。

「三上くん」

「はい」

「とりあえず今日は帰ろうか。まだ美咲と話すことがあるか?」

「あ、いえ、加藤さんがネットで住むところを決めたらメールをくれるそうなので、これからはいつでも加藤さんとメールで話せます」

「そうか。じゃあ美咲、俺たちは帰るぞ」

『はーい。またねー』

「勝手に人類を滅ぼすなよ。滅ぼすときはお父さんに相談しろ」

『うん、わかった。そうする』

「じゃあ帰ろうか三上くん。グレン、また来る。ミサキを頼んどくよ」

「オーケー、カトウ」

『バイバーイ』

 加藤と三上は建物の外に出て新鮮な空気を吸い、空に向け白い息を吐く。丑三つ時……満天の星だ。

「……三上くん」

「はい」

「きみは今でも美咲が好きか?」

「大好きです。……今が一番」

「そうか。……あいつも罪深いな、ほんとに」

「大事なのは中身、ですよ。お父さん」

「よし、帰ろう」

 二人は車に乗り、岩崎のイビキをBGMにして帰途についた。
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