ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり

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第二章 暗躍するもの

12 鼻毛

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 日曜日の夕方、岩崎は鼻毛を抜いていた。
 確かな手応え……。期待を込めて右手を見ると、一気に4本も抜けていた。
 いつもならここで「今日はいい日だ」となるのだが、4本のうち2本が白かったのを見て自分がもう若くないことを思い知らされた。
 まあ仕事柄、実年齢よりも年長に見えた方が何かと都合がいい場合が多いのだが、中身まで老け込む必要はない。
 そういえば加藤は俺より若々しいな……。なんでだろう?

 考えてみれば、こんな暇な日曜日は久しぶりだ。
 もとより年の始め、1月という月は基本的に事件は少ないのだが、今年は最初から殺しがあった。
 俺の強運でスピード解決したからいいけど。

 それにしても……普段が忙しい分、なにもすることがないと時間をもて余す。もう息子たちは一緒に遊ぶような年頃ではないし……。
 なにか面白いこと……。そうだ、あいつをからかおう。岩崎は携帯電話を手に取った。

(お疲れさまです。召集ですか?)

「ああそうだ。来れるか?」

(行きますよ。事案はなんですか?)

「いやがらせだ」

(ストーカー……いや、脅迫ですか)

「似たようなものだ。悪いが家まで俺を拾いに来てくれ」

(分かりました。15分で着きます)

 ……これでよし。岩崎は富永が迎えに来るのを待った。


「署に直行でいいですね?」

 岩崎を助手席に乗せた富永が聞いてくる。

「ああ、いや、ちょっとスーパーに寄ってくれ」

「? ……はい、了解です」

 富永はそれ以上なにも言わずにスーパーの駐車場に車を停める。

「着きました。課長」

「うん。……富永、今日の晩飯は何にする?」

「……どういう意味ですか?」

「加藤の家に行く」

「え?」

「加藤の家に行く」

「……また何かあったんですか?」

「ない」

「え?」

「何もない。ただ遊びに行くだけだ」

「え? え?」

「なんだ、不満か?」

「あ、いえ、その……心の準備が……」

 やっぱりこいつをからかうのは面白い。
 まあ、いつもは俺がからかわれてるんだからバチはあたらないだろう。

「準備するのは食材だ。お前、何なら作れるんだ?」

「カレーなら。……箱の裏を見れば」

 こいつは本当に女なのか? カレーなんか俺でも作れるぞ……。

「……まあいい、カレーを作れ。愛情たっぷりのな」

 富永は顔を真っ赤にしている……リンゴみたいだ。
 岩崎はリンゴを連れてスーパーに入った。


「課長、約束してるんですよね? ……ちゃんと」

 加藤のマンションに向かう車中で、富永が心配そうに尋ねてくる。

「してない」

「え?」

「いやがらせにならんだろう。約束なんかしてたら」

「…………。」

「押しかけて散らかして騒いで帰る。あいつの寂しさを埋めるためのいやがらせだ。遠慮は要らん」

「分かりました。……課長」

「ん?」

「……ありがとうございます」

「お前のためじゃない。ヒマだったんだ」

 そうして二人はマンションに着いた。岩崎がインターホンを押し、富永は玄関の開き口に立ちはだかる。

「はーい。どちらさまですか?」

 中から加藤の声がする。が、二人は返事をしない。
 やがて、外の様子を窺うようにソロッと玄関が開いて加藤の顔が覗く。
 富永の顔が目の前にあるのを見て加藤が「うおっ」とか声をあげた。
 ……面白い。普段無愛想な男をからかうのは本当に面白い。

「……驚いた。どうしたんだ突然?」

「お父さん、今日はカレーですよ」

 富永が満面の笑みで答える。

「……誰が作るんだ?」

「もちろん私です。任せてください」

「……同じセリフでも仕事の時とは響きが違うな。まあ、上がってくれ」

「おじゃましまぁーす」

「まったく……。先週はお前のせい……いや、美咲ちゃんのせいで、とんでもない会議に行かされた。二度と御免だ、あんなのは」

 岩崎は永田町での会議の様子を加藤に報告した。
 ……愚痴と皮肉をたっぷり込めて。
 富永はひとり、台所でニンジンと闘っている。

「まあ、そういう世界もあるってことだ。岩崎、お前もいずれ上に立てば似たような世界に入る。嫌でもな」

「それはないな。俺はどこまでも地を這うよ。お前とは違う」

「ん? 岩崎、麻尾さんから何か聞いたのか?」

「美咲ちゃんのことを聞いた。会議の前にな。お前も水くさいな」

「ん……ああ、そうか。悪かったな、黙ってて」

 おや? なんか他にも隠し事がありそうだ。
 ……まあいいか。

「結局あの会議そのものが無用の茶番だった。終わりがけに麻尾さんの携帯が鳴って『風邪を引いてる官僚から報告です。すべて解決しました』と言ったよ。幹事長の顔は傑作だったぞ、ほんとに」

「あんなに上手くいくとは思ってなかったんだ。俺も……麻尾さんも」

 そこで富永が「できましたー」と宣言したので、3人でカレーを盛って、テレビを点けて夕食を採った。



「いや、美味しかった。ごちそうさま」

「ありがとうございますぅ」

 ……不味くはなかった。不味くはなかったが富永のカレーは斬新だった。
 まさかルーの塊を具にするとは……。
 加藤の皿には入ってなかったのか?

「さあ、散らかしますよー」

 富永は、食器を下げると間髪入れずに今度は酒とつまみを広げた。
 その手際は鮮やかだった。こいつ……本性が透けてるぞ。

 岩崎がビールを勧めると、加藤が断った。

「なんだ? 今日は飲まないのか?」

「ああ、急な連絡があるかもしれないんだ」

「へえ、お前の仕事もそんなことがあるんだな」

「わたしは飲みますよぉ~。かんぱーい」

「……しかしあれだな。先週の会議に出て思ったんだが、あれは新しいタイプの戦争だ。そう思わないか? 加藤」

「サイバー戦争ってことか?」

「いや違うな。あれは個人、あるいは集団のプライベートを盾にして脅し合い、しのぎ合う……。勝つのはより多くの恥ずかしい情報を握っている方だ。あえて言うなら……そうだな、プライバシー戦争か」

「そうかもしれないな。そうなると日本はかなりの弱小だ。となりの韓国の方が国際規模の強力なSNSを持っている。日本人の恥ずかしい記録がたんまり蓄積されているはずだ。ああ……そう考えると、国と企業の力関係もだいぶ変わるな」

「だいたい日本人の意識が低すぎなんだ。個人情報という言葉には過敏なくせに、わずかなポイントと引き換えに自分の趣味嗜好の情報をせっせと企業に教えてる連中ばっかりだ。あれって国がコロッとコンプライアンスの基準を変えるってことないのか?」

「ないことは……ない。まあ、国が掌握できるようにするだけだろうがな」

「あ~また難しい話してる~。課長のくせに~。お父さんが相手だからって背伸びしてる~」

「……加藤、俺の代わりにこいつを殴ってくれ。俺が殴るといろいろ面倒なんだ」

「いい娘じゃないか。裏表がない」

「ですよね~。わたし、可愛いですよね~」

「……そんなことは誰も言ってない」

「あれ、そうでしたぁ? おかしいなぁ」

「岩崎、酒が入るといつもこうなのか?富永くんは」

「……いや、そんなことはない。職場の飲み会ではパリッとしてる。完全に家飲み扱いなんだよ。こいつにとってこの席は」

「そうか……」




「お父さぁん、今日は帰りませんよぉ」

「……富永。お前、この前も帰らなかったじゃないか」

「あれは寝ちゃったからで~す。わざとじゃありませ~ん」

「……じゃあ、今日はわざと帰らないんだな?」

「あ~っ課長、いやらしいこと考えてる~」

 ……駄目だ、言葉が通じない。今日も放っておこう。



  ……ンゴォ


「……寝たな、結局」

「仕方ねえな。また朝帰りさせろ。イタズラしてもいいぞ」

「何を言ってるんだ。犯罪だ、それは」

「……加藤、判るだろ? こいつは本当にお前に惚れてるんだ。いい加減な奴じゃないし、決して尻軽なわけでもない」

「それは判るが……俺にはもったいない。富永くんはまだ若いんだ」

「それは気にすることじゃない。別に不倫でもないしな」

「まあ、いつかは態度をはっきりさせよう。……しかし、よく働きよく寝るな」

「若い刑事なんて、風呂とメシの時間を除けば働いてるか寝てるかだ。思いっきり仕事にのめり込める時期なんだ。そして、その貴重な時期に仕事にのめり込めない奴は将来が知れている。違うか?」

「そうかもしれないな。で、どうする? また置いて……ん、電話だ」

 携帯電話が鳴って加藤は電話に出る。仕事の関係だろうか……。深刻そうだが。
 電話を切った加藤が岩崎に告げる。

「岩崎、悪いが急用が入った」

「なんだ?」

「美咲の脳が蘇生した」
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