狂った勇者が望んだこと

夕露

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第一章 召還

19.「キスだけじゃ、駄目か?」

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力を抜いても宙に浮いている頭。素肌を探るように大きな指が髪をかきわけて支えている。
変な感じだった。覆いかぶさる身体が足に絡んで全身を押さえ込むような重さを感じるのに、その温かさが気持ちいいと思った。

「は、あ」

時々ライガがキスを止めて離れてしまう。どちらのものか分からない息が部屋に聞こえるなかあるその数秒はまるで与えられるようで、なにか悔しさを覚えて睨めば低い笑い声が聞こえて呼吸が奪われる。
気を抜けば意識がなくなりそうなのを堪えながらライガの肩を押す。少しだけ、唇が離れた。

「嫌?」
「ちが「ん、素直」

抵抗する声が口内に響くのを知りながら、ライガは言質をとったとばかりに私の両頬を包んで逃がさないようにする。まるで聞かせるようにすぐ近くで聞こえた唾液を飲む音に肌が粟立つ。なんだか暑くて頭が茹ってしまいそうだ。
なのにライガが猫みたいに頬を合わせて擦り付けてきてもどかそうという気にもならなかった。不思議な感覚。なんでだろう、落ち着くんだ。

「ぅわ、っ」

耳に息を吹きかけられて腰がぞぞぞっとしてしまう。身体を押して離れようとしたら計算づくだったらしく腕の中に閉じ込められる。ライガは笑ってやがった。

「離せこの変態!」
「ひどいわー変態とかひどいわー」
「ちょ、いい加減、離れて」
「ひどいわー」
「話聞け!」

ライガはキスが上手なんだと思う。そろそろ息が苦しくてぼんやりしてきても気がつけばまたキスをされている。でも、嫌だと思わない。身体を撫でてくる手も口の中動く舌も慣れないけれどキスだけは。
際どい部分を触ってくる手を掴めばライガが少しだけ離れる。弧を描く笑い方がよくないことを考えていることだっていうのはもう分かってる。もっと離れるように押せば、額を合わせてきて顔を覗き込んでくる。暗い藍色の瞳に私の間抜け面が映ってる。
言葉も出なくなってただ見返せば掴んでいたはずの手が逆にライガに絡めとられてしまった。近づく顔に抗議をしようと口を開けば深く口付けられて舌を舐めとられる。目を閉じてしまうのはなにか負けたようで悔しい。だけど恥ずかしくて、見られたくなくて俯く。
頭を撫でる手はそれを許してくれない。

「頼むから、待て。息が、ほんとに。っ!」

ライガの口元に置いた手がすくわれて指を咥えられる。赤い舌をみせびかすようにゆっくりと指先まで舌が這っていく。生暖かいそれが離れると温度が消えていくのに、感覚は消えない。背筋がぞわぞわとして、けれど目が離せず呆然としながらライガを見上げた。

攻防の末、片手で支えながら上半身を起こしていた私の上に跨るライガも同じように私の様子を見ている。

「キス、慣れとらんの?」
「……悪いか」
「別に。ただ自分のような奴、周りがほっとかんやろーに」
「そんなもんでもないし」

嫌なことを思い出して口元を拭う。
涎がついた手の甲が風に冷えるのを感じて眉間にシワが寄ったんだろうか。つん、というよりは鈍く力強い音で額をつつかれた。顔を戻せば目が合ったライガがニヤリと笑う。額についた指先がつうっと滑って顎を上に向かせた。
ライガの睫は茶色くて、私を映す瞳は暗い藍色。少しだけ垂れ目だ。肌は女性も顔負けするほど荒れたところがなく綺麗だけど薄っすら陽に焼けて浅黒い。そしてところどこに切り傷のような跡があった。髪を切るのが面倒なのか、伸びた髪をおでこを出すように後ろに縛るゴムから逃げ出した髪が肌をくすぐる。

「口、開けて」

からかうような低い声は意外と嫌いじゃない。急かすように指先が顎を撫でる。

「ええ子」

少し前じゃ考えられなかった。目を閉じたライガを見た後、私も目を閉じる。こんな風にキスをしているのなんて想像もつかなかった。なんだかむず痒くなって落ち着かない。

でも嫌じゃない。

それが一番、私にとって驚きだった。
薄っすら開けただけだった唇を覆うようにしてライガが口付けてくる。食んでくる熱に特に嫌悪は抱かない。口内を動く舌が自分のものじゃないのには慣れない。響く水音はいやに耳に大きく響いて、それだけは嫌だった。

「息は鼻で吸いーな」
「うる、さい」
「はいはい、こっち向いて」

俯けたのも束の間すぐに顔を起こされてキスをされる。キスで死ぬとかごめんだ。できうる限りの力でライガを押す。酸欠でむせこめば人の気も知らず頭の上で笑いやがる。

「抵抗する割には手離さへんねんな」
「掴んどかないと、なにするか分からない、から」
「ひどいわーなんもせーへんって」
「で!この手はなんだ!」
「え?期待に応えなアカンかなって」

いつのまにかまた押し倒されて床に寝転がった状態だ。見下ろしてくるライガはにこにこ笑いながら私の右手を握り締めながら、左手を腰にそえようとする。今、喉仏しか変化させてないから危うい箇所は触られたくない。必死に手を捕まえれば逆に指を絡めとられて頭の両脇におさえつけられる。
何度目か分からない視線に流石に覚えてしまって、ライガを止めるにはどうすればいいかと頭を働かせる。

「お、俺男だから」
「今更?」
「……まあ。いや、そうじゃなくて、ほんと頼む。いっぱいいっぱいだから」
「そら練習せなアカンな」
「だ!頭がくらくらしてんだよっ!多分魔力だろうけど、だから」
「…………ちなみに俺の魔力はどんな感じ?」
「今の間はなんだよ。……温かい。熱い?凄く、ホッとする」

唾液で魔力を交換していない今でも、繋いだ手から感じる温もりが凄く気持ちがいい。答えながら納得した。ホッとするんだ。身体の緊張が緩んで、まるで綺麗な景色を見たときのように口元が緩む。
ギュ、と手に力が込められる。

「ライガ?」
「あかん。あかんわ。あかんわー」
「なにがだよ」
「嫌やわーほんま嫌やわーなにこの人。怖いわー」
「だから、なんだよ」

項垂れるライガの顔は見えない。握られた手から震えが伝わってくる。笑ってるのか?コイツ。
ライガの行動を眺めていたら、ゆっくり、ライガは顔を起こした。オレンジの照明が強くあたったせいか、顔に赤みがさしているように見えた。困ったような顔を見せたライガは穏やかに微笑む。

「俺もサクの魔力、凄くホッとするで」

からかいの含まれない低い声だった。
心臓が、不整脈を起こす。驚くぐらい大きく鳴って、それから早鐘のように鳴り続ける。変な汗をかいた。

「気持ちいい」

もう何度目か分からないキスにも関わらず急に怖さを覚えてしまう。唇についた唾液を舌で舐め取ったライガは見せびらかすように親指で口元を拭う。
目が奪われる。身体を起こしたライガが楽しそうに笑っている。

「ライ、ガ?」
「せやで?」
「なんで女になってんの?」
「なんでやと思う?」

だぶついた服を着ていたから最初はあまり分からなかった。だけど顔を離したライガの顔さえ雰囲気も変わっていたし体格も違う。なにより見下ろしてくる顔よりも先に見える大きな胸は見間違いじゃないだろう。

「え?女?あ、イヤリング」
「そ。どない?女バージョン」

ライガが指差した耳についていたのは、性転換ができるというあのイヤリングだった。女に変えたのか。……なんで。

「なんで女に?」
「男同士やとヤリ辛いんやろー?しょうがないから俺が女になったろって、な?」
「……待った。……は?」
「大丈夫や。俺も女になったんは初めてやけど、することは一緒やしよくしたるわ」
「いや笑って言うことじゃねえから。待った。ちょ、だから触んな!この変態!つかそれ戻れるのか?!」

私は女だし、なによりヤルつもりはない。だというのに完全に女になってしまう代物だったならかなり申し訳がない。
嫌な汗をかいてしまう。
ライガは私の反応に面白くなさそうに口を尖らせると、握っていた私の手を自分の胸に押さえつける。柔らかい感触が広がる。温かい。視線を上にあげれば、私の様子をじっと見ていた目を見つけた。

「戻れるで?ええの?」
「いいよ!」
「俺とヤルのは嫌?あ、私?」
「あのなあ!……ってかデカ過ぎるだろ」
「元から持ってるもんがデカイから」
「死ねよ」
「ひどいわー」

押し付けてくる胸の感触にどうしたらいいか分からなくなる。こんなことは想定外過ぎて次の策が思い浮かばない。ゆっくり身体を沈めてくるライガが返答を待っているのが分かる。
唇が触れる直前で止まる。正直、これならいっそキスしてしまったほうがいい。間近に見える目が探るように見下ろしてくる。息がかかる。

私は──。


「キスだけじゃ、駄目か?」


ライガがなにかを言おうとしたのが分かって、もう一度自分からキスをする。少し首を起こしてするキスは体勢が辛くて首が痛くなる。だから圧し掛かった体重に安心した。
だけどいままでと違って噛み付いてくるようなキスに、またどうしたらいいか分からなくて肩を押した。まるで離れない。

「自分、ほんま怖いわー」
「変態野郎」
「はいはい」

満足したのかライガは笑っている。抱きしめてくる手と同じように手を伸ばしかけたけど、ギリギリのところで堪えて代わりに服を掴んだ。男の姿に戻ったライガの身体は商人のはずなのに鍛えられたものだった。魔物が出るから商人もそれなりの腕が必要なんだろうか。
色んなことが浮かんでは頭の中を埋め尽くしてく。それを全部ぜんぶ知らなかったことにしたくて目を閉じた。

温かい。

ふわふわした優しい感覚を夢の中感じた。






 
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