狂った勇者が望んだこと

夕露

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第二章 旅

101.「ねえ、起きて」

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「じゃあ私がコイツの名前を言ってもラスさんたちには聞こえてないんですか?」
「はい、聞こえません。正確にはリーシェさんがレオルさんの真名を言ったとき、真名ではなく通り名のほうで聞こえるようになっています。無理矢理変換される感覚ですので詳しい者ならすぐ違和感を拾ってしまいますね」
「はあ……そうなんですか。不思議ですね。どんな仕組みなんだか……」
「あ、その、真名を魔力で交わせばそれは契約のような効力を持ってつまり「交わった相手に血とともに直接真名を告げればそれは相手に刻まれる。その瞬間、真名はお互いを結びつけてお互いにしか分からない言葉になる」

しどろもどろに話すラスさんをレオルドが遮る。恥じらいもなくこう話してくれるのは有り難いのかそうじゃないのか微妙なところだ。なんともいえない気持ちになりながらレオルドに真名を教えられたときのことを思い出す。交わり、血、直接の言葉――
左手の薬指に残ったままの指輪のような黒い線を、魔力計測器の指輪の上から撫でる。


「真名は相手を現す記号ですからそれを渡せばいいように使われかねません。奴隷にだってされる可能性もありますからね。なので片割れといえど真名を明かさないこともあります。命を賭けるのと等しいですから……」


名前を使って奴隷にされた春哉を思い出す。この世界で名前は凄く大切にしておかなければならないもの。
レオルドが言った『唯一俺を殺せる人』というのはそういうことなんだろうか。そう思った瞬間なにかずしりとした重さを感じてごくりと唾を飲み込む。責任、不安、恐怖……なにかよく分からない気持ちに急かされて、頭の隅に置いておいた問題が私に考えろと主張してくる。
『チャンスが来たとき私はアンタを置いていく』
『そのときはちゃんとレオルドに言う、から』
可能性は薄いけれどいまだ諦めきれない帰るという選択肢にのしかかっていく。

利用して利用されてそれでいい。卑怯なことだってする。

それでもときどき息苦しくなるのは事実で、今まであった色んなことまで鮮明に思い出して吐きそうになる。安心したときに突然やってくるんだ。この世界に連れてこられたときのこと、暴力、奴隷。魔物を殺した感触も腕を斬られた瞬間だって、人を殺してしまって……怒りで人を殺したことがふとしたとき頭を過る。私を殺そうと襲ってくる魔物の口の中や武器を向けて殺意や悪意を持つ人の顔が浮かぶ。治したはずなのに射抜かれた痛みや負った傷の痛みを感じる。許せないこと悔しいこと泣きたくなることなんて数え切れなくて――そのときそのとき決断したことが急に姿を現して私に聞いてくる。本当によかったのか?って。
結局、そうなんだ。
帰るために色々やってきたことが意味がないって、帰れないって答えが出てしまったらなんのために動けばいいか分からなくて不安なんだ。これからが生々しくなってしまう。


……人まで殺したのにな。


生きるためだったしまたあの瞬間に戻っても同じ事をするけれど、それでも思わずにはいられない。女々しい自分に我ながら嗤える。終わったことを、変えようがない過去のことをグチグチ悩んでも仕方がないだろうに――ああ、本当救いようがない。
私の手を握るレオルドの手に肩の力が抜けてしまえるんだから。
お前のことも悩みの一つなんだけどな。
笑うに笑えなくてレオルドを見上げれば、見透かしたように微笑む顔が見えた。レオルドはあのときのように私の薬指に口づける。


「サク。言ったでしょ?俺が助けるって。それに片割れのこともサクが俺のことをそうしたいと思ったときでいいんだ」


そんな殊勝な言葉を落としながらレオルドは息が詰まってぐらりとしていた私の頭を自身の胸元に柔らかく押しつける。私がもたれかかったのを確認するとまた薬指にキスして――あのときのように、信じない私に言い聞かすように一つ一つゆっくり話す。

「君が帰りたいのなら俺もできる限り力を貸す」
『信じないだろうけど、俺はね?君が帰りたいのならできる限り力を貸す』

春哉の奴隷魔法を解いたあとのことだ。魔力が枯渇してとばされたレオルドの部屋は明るくて普段と違ったから違和感を覚えたっけ。
風呂上がりのレオルドは私の様子を見て笑って、私を抱くときも笑っていた。散々好きなように人の身体で遊んだくせに、一線を越えるときはひどく真面目に話すもんだから返事をするのが精一杯だった。


「俺は好きなようにやっているだけだから君が気に病むことはない。基本的に俺は君が幸せなほうが嬉しいんだから」
『君のことだから気にするんだろうけれど俺は好きなようにやってるよ。君が幸せなほうが嬉しいからね。まあ、君といたいから俺なりにちゃんとそこは色々してるけど』


レオルドは私の頭に顔を寄せたらしい。声が優しく、低く――振動する。


「君は君に伸ばされる手や願望、事実に囚われる必要はないんだよ。ただこのままもっと……君のしがらみが増えたらいいと思うけど」
「……矛盾してね?」
「いいや?君の考えを埋めるものはあればあるだけいいんだ。ただ、君がそれに潰される必要はないってだけ」
「はあ」

よく分からない理屈を満足そうに語るレオルドの身体は温かく、なんだか眠たくなってくる。騒がしい奴が黙っていることも原因の一つだろう。
……そういえばオーズとラスさんと話している最中だったっけ。

ああ、でもなんか眠いな。

頭がぐらぐらして思考が定まらない。おかしいな。
この症状は魔力欠乏症になったときによくあるものだけど、レオルドのこともあって魔力は十分にあるはずだ。使った魔法は図書館で本を集めてコピーしたぐらいだけだし……。おかしいな。

指、震えてる。

力が抜けてお腹のうえにおちていた私の手。そのはずなのにまるで自分の手じゃないみたいに力が入らない。動揺する気持ちでなにか言いたくなるのを堪えながら、レオルドの身体に沿わせていたもう一つの手に力を込める。


「サク?」


異変を感じ取ったレオルドがゆっくり身体を動かして私の顔を覗き込もうとする。
その間に魔力計測器の指輪と浮かび上がった赤い色を見つけた。完全に魔力欠乏症らしい。なんだ?なにが原因だ。こんなに一気に魔力が減ってしまったのは――ああ、もしかして。
思い当たった答えに笑ってしまった。
きっと梅が魔法を使えるようになったんだ。
暴走したのか必要にかられたのかなんなのか……魔法を使いすぎるなと言ったのになあ。


「レオルド、貰うぞ」


切羽詰まっているからと信じたいけど、もう人前だとかそういう意識も恥じらいもなくなっている。これはいいことなのか悪いことなのか……まあ、いいか。
レオルドにキスして魔力を大量に貰う。なにか察したらしいレオルドがじっと私を観察するから、お願いすることにした。

「あと頼むわ。寝る」
「分かった。おやすみ、サク」

突然のことでも任されてくれるのってかなり有り難いよな……。
遠のく意識のなかぼんやり考えていると、手をぎゅっと握られてお腹まわりが温かくなった。
戸惑う外野の声が聞こえる。

「え?」
「は?おいリーシェどうした」
「ゆっくり休んで」
「お前俺の目の前で好きなようにやりやが……なんだ?この魔力の動き。おいリーシェお前なにしたって……もしかして孕んだのか」
「え!」
「サクはそうと望まない限り孕まないよ。そういう魔法をかけてる」

流石にオーズはなにか気がついたらしいけど見当違いもいいところだ。レオルドはオーズのとんちんかんな問いに冷静に答えている。とはいっても言葉足らず過ぎて周りを動揺させるのは必至だ。現にラスさんは戸惑った声を出していた。

「え……え?」
「さあ、サクが寝てるあいだに進んでおきたいんだけど?」
「あ、はい。い、行きましょうか」
「勝手に話しを進めんじゃねえ!」

とりあえず次起きたらしなくてもいい余計な話しをしたレオルドを小突くことにしよう。それで、少しぐらい感謝しよう。
コイツがいなかったら梅を守る魔法もかけられなかった。
……梅。元気にやってんのかな。
瞼を閉じた真っ暗な視界に太陽のように笑う梅の顔が、明るい梅の声が響き渡る。



「サク」



朝でも夜でも変わらず、楽しくてたまらないといった気持ちをにじみ出しながら話す梅の言葉は最初慣れなかった。無邪気に笑って抱きついてきて行動が予想できない。お姫様なんて形容が似合う可愛い女の子なのに芯は強くて、めげそうなことながあってもくじけず精力的に行動する。

「ねえ、起きて」

私のことを凄い、羨ましいと何回かこぼしていたけれど、梅のほうが凄いとよく思った。私には考えられなかった考えで物事を立ち回って、何事も笑ってしまえる強さは私のほうが羨ましかったぐらいだ。ことあるごとに『桜』と私の名前を呼んでそれに困らされることも多かったけど、それ以上に楽しかった。予想外なことをひきつれてくるのは面白かったし、くるくる動き回る姿を見るのも楽しかったし、梅を通して見る世界は私の世界を広くした。

「……梅」
「……へへっ。おはよ、サク」

思わず口にした言葉に、返事がかえってくる。
女性の声だった。もっといえば知った声で、耳慣れた声。
変な沈黙が流れる。最初に目に映ったのは知らない部屋だった。きっとレオルドが寝ていた私をここまで運んでくれたんだろう。それは予想がつくのに、視界の端に映る蜂蜜色の髪に、白い肌に、微笑む顔に脳がついていかない。


――梅がいた。


目が合うと梅は、元の世界で最後に見たときのように満面の笑みを浮かべていく。泣きそうに震える唇は、いまにも零れそうな言葉を堪えているようだった。
力の入らない身体をベッドから起こして、梅と向き合う。
まだ夢を見ているんだろうか。
呆然としながらなんとか「梅?」と言葉を口にする。そして心臓が止まりそうになった。
プロレスを連想させる勢いで梅にタックルかまされたのだ。冗談抜きで痛いし一瞬でも呼吸が止まる。
懐かしい感覚はこの経験を何度も積んだ結果私の腹筋を鍛えさせたことを思いださせる。ひどくどうでもよくて、笑えた。
そして私の腹に抱きついてぐりぐりと顔を押しつけていた梅が顔を起こしてやかましく叫ぶ。


「サクッ!ようやく会えた!!」






 
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