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【閉ざされた、】
36.オカシナ夜
疲れたな、とドアを開けたところでアラストはおや?と首を傾げた。静かなのはいつものことだがドアを開ける度聞こえてくる「こんばんは」と言う声が聞こえない。もしや寝ているのかと思ったが蝋燭はまだ点いているしベッドを見るもその様子ではない。いや、ソファで寝ているのか?
アラストはソファで微動だにしない梓に近づく。
「起きてる?」
「え、ぅっわ!」
「その反応は傷つくな」
「え?あ、ああ、お帰りなさい」
驚きのあまり膝の上から落ちた本を拾いながら梓はアラストを見上げる。部屋に入って来たのにまったく気がつかなかった。
そんなことを言外に訴える梓をアラストは微笑みながら眺める。そして梓の視線が棘のあるものになる前に椅子に腰かけた。
「うたた寝?」
「あー……はい」
いつになくぼおっとしていて様子がおかしいものの、梓は今日もアラストのことがどうでもいいらしい。梓と過ごす一月になってから初めてまともな格好をしているというのに何も言わない。
──といってもあの奇妙な夜以上に驚くことはないだろうし、こんなこと樹にとってはどうでもいいことだろう。
アラストは四人で過ごした夜を思い出す。正確には一緒に過ごす神子を入れ替えた前代未聞の夜のことだ。
千佳の聖騎士が終わって他の神子の元へ通っているあいだ千佳はアラストを「私のものだ」と主張しその神子の部屋へ向かう前に必ず身体を要求するようになった。千佳は「私のこと好き?」といった……つまり、心も欲しいと要求していたがそれは望む言葉を返しているから問題はない。頭を悩ませるのは身体の要求だ。思い留まらせようとしても「不安」「寂しい」など泣きながら言い身体を要求してくる。
──樹が千佳とまるで正反対だからよかった。
これでもし樹も身体の要求をする神子であったなら心労で魔物退治にならなかっただろう。千佳もそれは分かっているはずなのに、だからこそあの夜が成立したというのに不安を叫び続ける。ついさっきも「行かないで」と泣いていた。
アラストは深いため息を吐いてしまう。
魔力が回復する大きなメリットはあるものの梓の部屋に行くたびゴミを見るような目で見られるのだ。それはそれで面白いとは思っていたが最近なにやら同情を込めた視線が強くなってそれはなかなか心にくるものがある。
──まさか神子に同情されるなんて。
それがアイツにとっても新鮮だったのだろうか。
「お疲れですか?」
「……え?」
思わぬ事態にアラストは目を瞬かせる。梓が話しかけてきたことは挨拶をのぞけばこのひと月の始めぐらいのものだ。それを自覚しているらしい梓は驚くアラストを見たあと気まずそうに視線を逸らす。
梓のことだからこのまま口をつぐむことは目に見えている。アラストは咳ばらいをひとつしたあと答えた。
「いや、ちょっと……あの夜のことを思い出して。四人で過ごした夜、かな」
「それはそれは……そういえば会うのはあの夜以来ですね。あの日はどうも。お疲れ様でした」
「樹こそ」
「そうですね。思わぬ事態が起きたものですから」
毒を含んだ微笑みにアラストもにっこりと微笑み返す。
「女性の願いを叶えないわけにはいかないから」
「それは素敵な心構えだと思いますが周りへの配慮も捨てないでほしかったですね」
「樹の願いも聞かせてほしいな?」
「たったいま言ったこと以外にですか?それならこの部屋に入るなら今日みたいな状態だと嬉しいですね」
梓の目がアラストの全身、主に服装に移る。アラストの口元が緩んだ。
「今日は素敵な俺になれなくてね」
アラストの返しに今度は梓が目を瞬かせる。アラストが深い溜め息を吐いたことも驚きだったがこれはどうしたことだろう。アラストの微笑みは疲れを帯びていて形になっていない。
「……たまにはいいんじゃないですか」
「……優しいね」
「どちらかというと酷い気がしますけど」
なにせはっきりとした理由は分からないにせよ会話の前後でアラストが浮かべる疲れの原因をいくつか予想できたのになにもしてやれないのだ。なにもする気がなく、ただ止めればと他人事の意見しか言えない。そこに関与したら最後千佳からは確実に敵扱いをされるだろうし、無能な神子という称号に更に余計な情報がついていくことだろう。
我関せずが一番安全なのだ。
「樹はどう?今日は様子がおかしいみたいだけど。俺に話しかけてくるなんてよっぽどだろ」
「そのものさしはどうかなと思いますけど……まあ、はい。ちょっと悩んでますね」
言いながら思い出すのは二日前のことだ。あの夜が終わったあとに会った白那のことが頭から離れない。白那は明らかに様子がおかしかったが梓はなにも言えなかった。なにかあったのか改めて話を聞きたくてもメイドに伝言を頼むしか白那に会う機会は作れなくて、けれどそれをする勇気がわいてこなくて。勇気。ただ「どうしたの?」と聞けば簡単に解決するはずのことなのに怖くなってしまうのは白那の反応が覚えのあるものだからだ。仲の良かった友達が急に気まずそうに視線をそらしてぎこちない挨拶をしたかと思えば「もう話しかけてこないで」と言ってきた状況と凄く似ている。
「もしかしてフランのこと?」
「へ?フランさん?」
かけられた思わぬ人物の名前に梓はすっとんきょうな声を出してしまう。予想が外れたと肩をすくめるアラストに梓は溜息を吐いた。
「なんで急にフランさんが出てくるんですか」
「だって樹あの夜フランの部屋に行っただろ?それで何かあって今も悩んでるのかって思ったんだけど」
「あの夜は千佳の部屋にいましたけど。五月蠅くて最悪な状況だったのでフランさんにシールドを張ってもらった状況で、ですけど」
「ふうん?」
突然の話に内心ヒヤヒヤしながら梓は目の前で疑いの視線を向けてくるアラストを眺める。
──本当に今日のアラストさんは様子がおかしい。
「それじゃあ樹はなにに悩んでるのかな。それとも誰に?興味あるな」
「悪趣味ですね」
「だって無能な神子って言われているのを知っててもほとんど悩んでなかった樹がそれだけ悩んでるんだよ?興味でるでしょ」
「そちらの求める神子じゃなかったと言われてもそうですかってぐらいですが……というかそれでなんでフランさんが出てくるんですか」
梓が悩んでいることに本当に驚いて興味を持っているのは分かったが、その悩みの原因がフランだとあたりをつけた理由が分からず梓は首を傾げる。
「教えてくれたら俺も教えてあげるけど?」
沢山ある会話のひとつでどうでもいいことに分類されるものが改めて言われると気になってしまう。梓はなんとなく癪に障るものの別にいいかと本を片付けついでに答えた。
「私が悩んでたのは白那のことです。白那が元気なくって……でも聞けなくて」
「白那?あー……イールの神子か。なんだ」
「なんだってなんですか。私にとっては凄く深刻なんですよ」
興味を持っていたにしてはあんまりな態度に梓は怒ってみせたが先ほどより気持ちが軽くなっていることに気がつく。言ってもしょうがないことではあったものの口に出してみると少し楽になれるものらしい。それとも梓にとって深刻な内容がアラストにとってはどうでもいいものだったことに気がついて客観的になれたからなのか。
──うん、やっぱり白那に聞いてみよう。明日メイドさんに伝言を頼まなきゃ。
心に決めてしまえば悩んでいたのが嘘のようにスッキリしてしまう。梓は本棚に本を並べたあと今日はもう寝てしまおうとスナッファーを手に取った。
「ねえ、樹」
ベッドから離れた場所にある蝋燭をひとつ消したところでアラストが思い出したように話し出した。梓は返事をしながら次の蝋燭を消す。
「フランは自分の部屋に神子を入れたことは一度もないんだ。今までの神子がどれだけせがんでもね」
「……だから私はフランさんの部屋には行ってないんですが」
興味ある内容だったがやんわりと否定はしておく。
それでもついあの夜のことを思い出してしまった。『俺の部屋に来る?』そう言ったのはフランだ。アラストの話を信じるのならあの言動はおかしいものではある。
──あのとき私よっぽど情けない顔してたのかな。
千佳の嬌声響く部屋を思い出して頭を抱えたい羽目になる。忘れたかった余計なことを思い出させたアラストを睨めばそういえば千佳を抱いていた男だったということも思い出してしまって梓の顔が僅かに赤くなる。部屋が暗くなっていてよかった。
「話の意図が読めないんですが。変な探り入れてるつもりならフランさんに聞いたほうが早いかと思いますよ」
「アイツにはもう聞いたよ」
「そうですか」
もうどうでもいいやといわんばかりの梓の表情を見てアラストは千佳を思い出した。そういえば会話らしい会話をしたのは久しぶりかもしれない。だから口も滑るのだろう。
「樹は俺達と距離をとってるだろ?その樹があのフランと夜を過ごせたのなら何かあったんじゃないかって思うのは自然じゃないか」
「フランさんって何者なんですかって思うぐらいの言い方ですね」
「俺たちの中で一番の女嫌いで人間不信」
「……あのフランさんが?」
「あのフランだから」
「それならここまでしつこく疑ってくるのも理解できます。まったく信用できないですが」
「酷いね樹」
表情を取り繕うのも忘れて驚く梓を見てアラストは楽しそうに笑う。アラストの笑い声に梓が眉を寄せたのだっておかしくてしょうがない。
「どうしたんですか?ちょっと気味悪さを覚えるぐらいなんですが」
「気味悪いって!そんなこと言われたことなかったよ」
「小さな世界ですね」
「ふふっ、そうだね。そうだったよ」
笑うアラストを見下ろす梓の顔は言葉通りのものだ。けれど数秒後には困ったようにスナッファーを机に置いたかと思うと、机に置いてあったポットに手を伸ばす。そして食器棚から取り出したカップに注ぐと咽るアラストの前に置いた。
「甘いのって大丈夫ですか?」
「……最近大丈夫になったよ」
「それはそれは、鍛えられてなによりです。ジャムいれますか?」
「……もらおうかな」
ティースプーンに赤い色をしたジャムが少しだけのってカップの中に落ちていく。くるくる、くるくる。混ぜられたジャムが小さな形を残して紅茶の中を泳いでいた。
──甘酸っぱいな。
口の中に広がる甘い香り。苺ジャムを噛めばジャリと砂のような音が聞こえた。
梓は蝋燭を消さない。ベッド周りを照らす蝋燭の光は花の間の応接室のような明るさなのに。代わりに溜息を吐いて自分のカップにも紅茶を注いだ。
「私ここに連れてこられてから……落ち込んでたときがあったんです。そのときフランさんに会って色々話を聞いてもらって気が軽くなって……。フランさんって近所のお兄さんみたいなんです。そしたらフランさんも私のことを妹みたいに思ってたって。アラストさんのいう何かは見当違いですよ」
特別なことはないと言う梓にアラストは素直に危ないなと思う。
周りをよく見ていて調和を保たせるフランなら確かに不安に思う神子を宥めるため神子の願いを聞くだろうしその願いをくみ取った行動をするだろう。樹があまりにも聖騎士に要求をしないから匙加減が分からなかった、ということなら理解できる。
けれど疑いを持ってしまうのはやはりあのフランだからに尽きる。樹は一貫してフランの部屋には行っていないと言うが、二人がドアの向こうに消えていくのを確かにこの目で見た。
──破る魔法は俺のほうが得意なんでね。
紅茶を飲み干しカップを机におけば丁度梓も紅茶を飲み終わったらしい。二つのカップが机に並ぶ。
アラストは机に置かれたスナッファーを手に取った。そして近くにあった蝋燭をひとつ消す。
「樹は知ってる?あの夜は少なくとも今の俺達にとってはありえない出来事だった」
「……どういうことですか?」
眉を寄せる梓にアラストは笑みを深める。蝋燭をもう一つ消してしまえば話の続きを待つ顔が暗くなっていく部屋のなか不安そうに浮かんだ。アラストは内緒話でもするように顔を近づけ囁く。
「聖騎士は自分の神子以外の神子に会ってはいけない決まりがあるんだ……おかしいね?」
──そしてそれは言ってはいけないんだ。
アラストは微笑みながら近くにある瞳を見返す。夜に染まった瞳に揺れる蝋燭を見つけた。
けれどその瞳に自分の姿を描けなくて──最後の蝋燭を消す。
「……もう寝ようか」
きっと考え込んでいるんだろう。
梓はついに何も言うことはなかった。
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