上 下
73 / 186
第二章:変わる、代わる

73.色とりどりのジャム

しおりを挟む



久しぶりに見たアラストは相変わらず王子様のよう──ではなかった。静かに微笑むイメージが強すぎたせいか口を大きく開けて梓を見下ろすアラストはそういえば同い年だったということを思い出させる。もっといえばアラストは聖騎士の名にふさわしい騎士然とした服装か女の影を匂わせる乱れた姿のイメージしかなかったが、飾りっけのない黒の羽織を着る今はどちらの雰囲気もない。顔がいいからどの格好でも似合っているのだが。


「店の前通ったときもしかして樹かなって思ったんだけど、まさかだったよ」


いちはやく我に返ったアラストが微笑む。
──あ、王子様の顔。
以前の姿を見つけて梓も微笑んだ。

「お久しぶりです。偶然でした──あ、なんといいますか今からお宅に伺おうと思ってたんです。それでなにか差し入れをって見てて」
「お宅に伺うって、え?俺?」
「はい。でもアラストさん甘いの苦手ですよね」
「あ、うん。でも今樹が持ってる酸味が強いほうの苺ジャムなら好きだよ」
「そうなんですか?じゃあこれ買っちゃおう」

お土産と言いつつちゃっかり自分の分も籠に入れたところで店主らしき年配の男が「いらっしゃい」と声をかけてきた。店主は梓を見たあと驚いたように目を瞬かせたがすぐに柔らかく微笑む。けれど隣に立つアラストを見るとなぜかまた目を見開いて梓とアラストを交互に見た。

「もしかして兄ちゃんの噂の嫁さんか」
「え?あ、違います」
「そうだよじいちゃん、それに俺は結婚してないって」
「そうだよなあそんな感じじゃないしなあ。しかしそれならお嬢さんは誰か警護の人は……ああよかった、外に居たのか」

ホッと胸をなでおろす店主は梓を心配してくれたようだ。それが分かって梓も嬉しくなるが、外に立つ兵士が窓からちらちらと店内をのぞいているのが気になる。それにアラストも何かおかしなことを言った。
──結婚のこと聞くのは野暮かな。

「もしもし?」

悩む梓の目に紫色のジャム瓶が映る。顔を上げると瓶を持つアラストが悪戯に微笑んだ。

「これオススメだよ。赤ワインで煮込まれたブルーベリージャム。甘いけど甘すぎないし癖になる」
「わあ、それじゃあこれも買っていきます。アラストさんってジャムが好きなんですね」
「最近ね」

アラストからの思いがけないオススメに楽しみだと笑いながら梓は悩むことなく籠に追加する。流石に腕に沈みこむ重さになったが、それは一瞬でアラストが籠を奪ってしまった。
あ、と梓は手を伸ばすが「重いでしょ?」と言うだけでアラストは籠を返してくれない。梓が気まずく思った空間に店主の笑い声が響く。

「兄ちゃんはこの店を贔屓にしてくれていてね、頼んでもないのに居合わせた客にオススメ言ってくれるんだ」
「ええ?そうなんですか?」
「だって美味しいからね。ここが潰れてほしくないから俺も頑張ってるんだ」
「兄ちゃんの助けがなくても人気店だから問題ないさ」
「よく言うよ」

楽しそうに笑い合う2人は歳の差もあって祖父と孫の会話に見える。聖騎士のときも物腰柔らかで人当りのいいアラストではあったが、ここまでフランクな姿は初めてで新鮮に思う。
──城下町で過ごすのはよかったことなのかもしれない。
悲し気に微笑んでいた人が楽しそうに笑うようになったのは喜ばしいことだ。梓もつられて微笑んでいたら「いい恰好しやがって」と店主がアラストを小突いた。アラストは「五月蠅いな」と笑ってジャム瓶が入った紙袋を取るとそのまま梓に渡す。
どうやらアラストが支払ってしまったらしい。ようやく気がついた梓は動揺に首を振る。

「え?!お金、お金払います」
「酷いなぁ樹、俺にかっこつけさせてよ」
「でもアラストさん達にお土産って思って」
「それはまた今度のお楽しみにするよ」

どうやらアラストは本気でお金を受け取る気はないらしい。店のドアを開けて微笑むアラストに梓は困り果て思わず店主を見るが、店主はウィンクひとつ。

「兄ちゃんが言うように贈ってやるのは次にしな。今日は受け取ってやれよ」
「う……」

ついに2対1になって、梓はおずおずと紙袋を抱きしめた。


「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」


何故か照れくさくて俯けば紙袋の口が開いていて中のジャムが見えた。心トキめく沢山の可愛らしい色に梓の口が緩む。カランコロン、ドアが鳴った。

「樹様……?」
「あ、すみませんお待たせしました。ありがとうございます」

ドアを開けてくれていたアラストにお礼を言ったあと梓は振り返って店主にお辞儀をする。店主は考え込むようにじっと梓を見ていたが、梓が首を傾げるとにんまりと笑顔を浮かべた。

「お嬢ちゃん、もうそろそろ新作を出そうと思ってるんだ。それに週末はきまって限定のジャムを出してる。是非また来てくれ」
「そうなんですか?はいまた来ます」
「そうかそうか」
「樹、出よう」
「あ、はい。それではまた」
「待ってるよ」

微笑む店主と同じように微笑み手を振る梓と違って、アラストは店主を非難するように眉を寄せている。けれど店主はどうだといわんばかりのウィンクをしてご機嫌だ。アラストは微笑みながらドアを閉めた。
梓は兵士に待たせたことを詫びていてアラストのことを簡単に説明していた。
──そんなことしたら兵士に名前を憶えられるだろうに。
もう聖騎士ではないがアラストは梓を心配してしまう。余計なお世話だった。けれどアラストは梓の隣に並び、兵士を無言で見下ろす。視線に気がついた兵士は一歩後ずさった。
梓は梓でこれから会いに行く人と思いがけず会ってしまってこれからどうしたものかと首をひねっていた。
──白那は千佳と会えたかな。
とりあえず白那たちと合流したほうがいいだろう。そう結論づけて梓はアラストを見上げる。

「それじゃあアラストさん宅に向かいます……?」
「そのことだけど今日は止めたほうがいい」
「え?」
「千佳が結婚したのは聞いた?」
「……?え?アラストさんと結婚したんじゃないんですか?」
「違うよ。今家には千佳の夫が3人いるんだけど、そのうちの1人とは最近結婚したから新婚さんなんだ」
「???」
「ははは、凄い顔だよ樹」

話しについていけず混乱する梓をアラストは笑うがとても笑い話には出来ない。表情で語る梓にアラストは「そうだな」と曇占める空を見上げた。

「樹は1人で千佳に会いに来たの?」
「あ……白那と3名の兵士さんと一緒になんの約束もなく思い付きで遊びにきました」
「凄いな!白那の提案でしょ」
「はい」
「あははっ」

楽しそうに白那のことを話すアラストは珍しい。なんだか今日は初めて見る顔がいっぱいだ。そのぶんアラストが見慣れた表情をするときはアラストと一緒に過したひと月のことを思い出させるものだ。梓は微笑む王子様を見上げる。

「千佳は俺との結婚を望んだけど聖騎士じゃなくなったいま住む場所もお金も必要だからね。それを理由に外にも働きに出るようになって……それに城を出た状態だ。夫は複数いないと妻を守れない。あと2人ぐらい夫を迎えたらいいなとは思うんだけど、それはそれで家に居づらくてね。静かな場所がないもんだから」
「わ……あ」
「その顔!」

とてもじゃないがそうですかと頷けない価値観に梓は開いた口が塞がらない。相思相愛の関係ではないから幸せな生活ではないことは察しがついていた。それでも複数の夫を迎える現実や、一番の想い人であるはずのアラストに更に夫を増やしたらいいと言われアラストはアラストで夫婦の営みを聞きたくなくても聞かなければならない生活。
──壮絶……。
アラストが笑っていられるのが不思議だと梓は感心に溜息を吐く。そんなアラストと梓を見て居心地悪そうにしているのは兵士だ。道行く人もなんだなんだと視線を向けてくるし寒いしどうしたものだろう。そんな兵士を助けたのは普段悪魔にしか見えない白那だった。


「樹!っとあれ?!アラストじゃん!」


アラスト宅がある方向からどしどし歩いてきた白那は梓達を見つけると何があったのか鬼の形相を笑顔に変えた。手を振りながら走ってくる白那にアラストは楽しそうに笑う。

「相変わらず元気だね、白那」
「そりゃそうでしょ、ってか千佳どうなってんの?アンタ夫でしょーが!ちゃんと言わないとアイツ勝手し放題じゃん!」
「俺は夫じゃないよ」
「はあ?……あー納得!」
「それはよかった」

随分親し気なやり取りに白那らしいと梓も笑ってしまうが、アラストと目が合うと笑うに笑えない微妙な顔になる。そんな梓をアラストは「酷い顔!」と指差して笑い白那は首を傾げるが、ハッとして梓の肩に手を置いた。

「帰ろう!胸糞悪いもん見ちゃったからさっさと帰ってお菓子食べたい」
「それがいいよ」
「ほらコイツもそう言ってるし帰ろう!ってことでアラストまたねー……あとアンタもうちょっと上手いことやりなよ」
「アドバイスどうも。またね」
「……また今度」

追いつけない展開に戸惑う梓と違って白那とアラストは淡泊なものだ。なのに2人があんまりにも気軽に「またね」と言うものだから、梓も少し悩んだが言ってみた。
それを聞き逃さなかったアラストが梓を見て息を飲む。驚くアラストに合わせて笑っていた口は閉じていった。梓はなにか間違えた気がして振ろうとした手を握りしめてしまう。
以前『さよなら』と別れを告げたとき空笑いしたアラストは悲しそうな顔をした。


「また今度、樹」
「……っ。はい、アラストさん」


しかし今日は悲しそうな顔でもなければ微笑むでもなく、嬉しそうにニイッと歯を見せて笑う。だから梓も笑って力を取り戻した手をさよならと振れた。アラストも小さく手を振り返してくれて、背中を向ける。
──聖騎士じゃなくなったのは悪いことばかりじゃないんだ。
素のアラストを見れた気がして梓はよかったと胸を撫でおろしているが、隣に立つ白那はそうは思えない。先ほどよりも熱を込めて梓を誘う。

「帰ろう、そんでアラストと何があったのか話を聞かせて」
「え、いやジャムのお店で会っただけで」
「そういうのはいいの。いいから行くよっ」

ご機嫌に鼻歌をうたって先を行ってしまう白那のあとに梓も続く。冷たい風が2人の間を通り抜けた。




しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

痴漢冤罪に遭わない為にー小説版・こうして痴漢冤罪は作られるー

ミステリー / 連載中 24h.ポイント:753pt お気に入り:0

逆転世界で俺はビッチに成り下がる

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:745pt お気に入り:226

その悪役令嬢、今日から世界を救う勇者になる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:378

最上級超能力者~明寿~ 社会人編 ☆主人公総攻め

BL / 連載中 24h.ポイント:582pt お気に入り:234

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:19,468pt お気に入り:3,528

完 あの、なんのことでしょうか。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:728

【完結】【R18】オトメは温和に愛されたい

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:116

処理中です...