愛がない異世界でも生きるしかない

夕露

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第二章:変わる、代わる

93.厄介な感情

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梓は贅沢に時間を使ってゆっくりと眠りから覚めていく時間が好きだった。
どうやら朝になったらしく鳥の鳴き声が聞こえてくる。決して大きな声ではないが聞いているとゆっくり目は覚めていき、梓は幸せに微笑んだ。どこか遠くに遊びに行っていた意識が戻ってきて梓を作っていくようだ。
鳥がどこかに羽ばたいていく音が聞こえる。鳥を一目見たかったのか梓が布団のなか伸びをしたが、居心地の良い温い空間を優先したらしく身体は弛緩していく。それから少し空いてしまった空間を埋めるために身じろぎすれば、どくんどくんと大きな音が聞こえてきた。音はどんどん大きくなっていくけれどなぜか安心して梓の眠りを誘う。そのまま寝てしまおうかと思っていたら温かい空間が動いて梓を抱きしめた。少し息苦しくなってしまったけれど先ほどよりも温かい。梓も身を寄せればおかしなことに頭上で息を飲む音が聞こえた。それから頭が撫でられて、


「っ!」


ハッとして目が覚める。暗い視界。けれどいまだ頭を撫でる手を感じた。そう、手だ。温かい空間だと思っていたソレが何か分かって硬直した梓に気がついたのだろう。テイルが笑った。

「はよ」
「……おはよう」

身体を起こしてしまったせいで冷たい風が入り込んでくる。上半身裸だったテイルは「さむっ」と文句を言いながら肩を縮めて梓も「寒い」と自身を抱きしめた。そして触れた服の感触に安堵の溜め息を吐く。
――よかった、今度は服着てる。
こんな安心が普通にはなりたくはないところだが、ヴィラとのことを思い出せば油断は出来ない。テイルになら尚更だろう。
『この感情を教えたのはお前だ。責任、とれよ』
昨日のことを思い出して梓は表情を固くする。
目の前には好き勝手梓の身体に触れて、その挙げ句告白してきた男。どうしたらいいのだろう。
『私、あなた達に恋しかけてる……です』
そして自分が言ったことを思い出して梓は顔を赤くした。なにか言いかけた口は閉じて眉は情けなく下がっていく。どうしたらいいのだろう。
聖騎士は怖い人達だったはずなのに、そんな人達が気になって手を伸ばしてしまった。触れて、言葉にもしてしまった。
――恋……これは恋なんだろうか。
伸びてきたテイルの手が梓の頬に触れて、親指が肌の感触を楽しみ始める。くすぐったさに目を閉じる梓を見て緑色の瞳が細められる。その間も心臓はドキドキと鳴っていて。

「百面相だな」
「五月蠅い……あとジャム取って」
「ジャムぅ?ああ、アラストのか。んだよ人が折角良い気分だったのに」
「それはすみませんでした。取って」
「あー分かった分かった」

頭を搔きながらベッドからおりたテイルは机に置いていた服を着る。
その背中は傷だらけだった。

「またあの店に行くのかよ」
「……週末に行く」
「……週末じゃねえと駄目なのか?」
「限定品がでるから……美味しいんだよ」
「さよですか」

梓もベッドから出てお湯を沸かす。
――いつも通りだ。
ウォークインクローゼットに向かうテイルの調子は普段と同じだ。きっと自分もそう出来たはずだ。そう思うのにテイルが向かう場所を見て思い出したのは怖いほどの力と欲に濡れた目、涎で濡れた唇だ。
『なあ?今、俺は何した?』
秘部に触れてきた指の感触を思い出す。身体の中で動く指がつれてくる奇妙な感覚。腹の奥がゾクゾクと震えてじっとしていられない衝撃が……。

「どーぞ」
「っ」

すぐ近くに見えた腕に声を出しそうなほど驚いてしまう。けれど見えたジャム瓶にテイルがなんの話しをしているのかが分かって肩の力を抜いた。

「なんだよ」
「なんでも。ありがとう」

顔を覗き込んできたテイルの顔が見えて慌ててジャム瓶を受け取る。
――もうこれで大丈夫。
そのはずだったのに、ジャム瓶をなくした手が迷うように拳を作ったあと梓を抱きしめた。
テイルは梓の肩に顔をおき、温かい身体を堪能する。柔らかな感触、賑やかな心臓、赤くなっていく肌。どれもこれも最高だった。
『やめっ』
未知の感覚に怯えながらも愛液垂らしてよがる淫靡な姿は思い出すだけで喉が鳴る。
『こういうことって相手のことを考えるんじゃないの?』
ああそれでも今はまだ我慢だ。拒絶だけじゃなく触れなくなってしまうのだけはもう絶対に避けたい。その間に逃げられてしまうのも誰かに盗られてしまうのも嫌だ。誰かに。
──俺以外の男。
一妻多夫について今まで疑問に思ったことはなかった。女は奪われる。呑気に外出させたことで連れ去られてしまってもおかしくない世の中だ。それに子供のことを考えれば種は多いほうがいい。女を守ることを考えたら複数いることは必須だ。外へ狩に行くにしても女は連れて行けない。であるならば家に残って女を守る男は2人はいるべきであるし、狩へ出るにしても大所帯を養うために3人は必要だろう。万全を期すのならそれ以上が必要だ。
──ヴィラが入るんなら最低でもあと3人は我慢しなきゃなんねーのか。
テイルは梓を抱きしめる手に力を込める。
──多いな。
なにせ抱きしめるだけで梓は身体を震わせて頬を更に赤くしていく。これを知る男が増えるなんて気に入らなかった。それなのに小さな手はジャム瓶を握っていて。

「お湯、沸いてんぞ」
「え!あ……手、離して」
「離さなくても出来んだろ」
「離して」
「はいはい」

テイルが離れれば梓もようやくジャム瓶をキッチンに置いてポットを用意し始める。赤い耳は見ているだけで最高の気分になる。けれど時計を見たテイルは諦めに溜息を吐いた。

「俺、もう出るわ」
「え?朝からだったの?」
「そ」

火を消した梓が振り返る。茶色の瞳がテイルを見上げて迷うように泳ぎ……「あ」と声を出しながら何を思ったかスプーンを手に持った。梓はジャム瓶の蓋を開けるとスプーンで一杯分すくう。そして、首を傾げるテイルに「はい」と差し出した。


「甘いものがあんまり好きじゃないって知ってるけど、これ、美味しいよ」


伸びてきた小さな手。他の男からの贈り物を手に微笑んでいる梓を見てテイルはなにかよく分からない気持ちになった。
今まで疑問に思わなかったことがオカシナものになっていく。ただ気に入らないと言って終わりに出来たことが難しくなってしまった。
──コイツ俺がしたことを普通に嫌がらせって思ったのか?
甘いものが苦手だから甘いジャムを隠すなんてそんな子供じみたことはしない。
──分かんねえな。
アラストの存在を消したかったと言えば梓はどんな反応をするのだろう。考えてみたが、テイルには分からなかった。昨日のことを思い出せば、まず話が通じるかが分からない。梓はセックスを知らないからあんなにも怖がる。それならば知ればいいだけのことなのに怖がって否定する。否定する理由もよく分からないが、そこはゆっくり慣らしていく必要があるだろう。まだ時間はある。
『こういうことって相手のことを考えるんじゃないの?』
それに梓がテイルとの関係を考えて怯えていたことを思いだせば、疑問を押し込んででも我慢しようと思えた。この世界の人間を嫌ってそれでも生きるために足掻く梓が、その人間の手を取ろうとしているのだ。そんな梓が望んで触れてきたらどんなに嬉しいだろう。考えるだけでテイルの心は震える。梓がテイルを見て笑って、小さな手は自らテイルの身体に触れる。テイルと呼んだ唇が重なって互いを抱きしめ合って……。


「テイル?」


訝しむ声にテイルは目を瞬かせる。梓はもうテイルに手を伸ばしていなかった。テイルがいつまでも食べなかったせいで諦めて自分で食べてしまったのだ。「美味しいのに」と口を尖らせる梓はまだジャム瓶を持っていて、テイルも口を尖らせてしまう。そして、梓が持っていたスプーンと一緒にジャム瓶を奪ってしまうと豪快にジャムをすくってぱくりと食べた。
──思っていたよりくどくない。むしろ甘いのにサッパリしてて……確かにウマイな。
それはそれでなにやらいけ好かないのだが、テイルを見上げて何事だと眉を寄せる梓が無防備なのはいいことだ。ジャム瓶をキッチンに置いて梓に口づける。開いたままだった口のなか舌を泳がせれば声を堪えようとしているのが分かった。けれど見つけた舌を舐めてそのまま歯茎もなぞってしまえば声が聞こえてくる。
──時間がねえ。
既にもう遅刻しそうな時間だ。けれどあともう少し、もう少しと思ってしまう。これが好きという証拠ならなんて厄介な感情だろう。垂れた唾液さえ甘く感じる。いや、実際に甘いジャムの味。

「ウマイな」
「……早く、行ってきてください」
「はいはい」

真っ赤な顔は顎にまで伝っている涎に気がついていないのだろう。威嚇に失敗している梓の頭を撫でてテイルは背を向ける。
──切り替えねえとな。
なにせ今日からの魔物討伐は国境付近だ。帰るのは最低でも明後日になるだろう。しかも最近魔物が知恵をつけたような動きをしていて良くない噂が流れている。魔物討伐とあわせて情報収集も必要ときた。やることが多くある。


「テイル」


けれどドアノブに手を回したとき駆け寄ってくる足音が聞こえた。振り返ればすぐ近くに梓はいて、茶色の瞳は迷いをみせたあとテイルを見上げた。
そして伸ばされた手を見て、テイルは操られているように屈む。小さな手が頬に触れる。テイルも手を伸ばせばその手は梓の身体に触れて、遠かった空間はすぐに埋まった。

「ん……ぅ」

触れ合った唇がどちらからともなく動いて互いを食べ合う。唾液に濡れた舌はきっと魔物討伐に必要な魔力をたっぷり持っている。魔力はあればあるだけいい。望んでもないことだ。それなのに恐る恐る背中にまわされた手の感触のほうが嬉しい。
『私、あなた達に恋しかけてる……です』
最高の気分だった。これが好きな相手にだけ許されたものだというのなら、なんてイイものなんだろう。クチャリ鳴らした音を最後にテイルは口づけを止める。間近に見える赤い肌は熱い。伏せられた瞳はゆっくりとテイルを映し見て。
──俺のこと好きになればいい。
そんなことを思った。

「明後日には戻る」
「……いってらっしゃい。気をつけて」
「いってくる」

ニヤリと笑った顔がドアの向こうに消える。
嬉しそうな顔だった。

「う゛う……」

梓は真っ赤な顔を隠して蹲る。もう自分のことが分からない。
怖くてたまらなかった人なのに。

「恋しかけてる……だけなはず」

五月蠅い心臓の音を聞きながら梓は目を瞑る。以前の自分じゃ考えられない。知ってしまったこと、分かったことが頭をオカシクしてしまったんだろうか。
『なあ樹、恥ずかしいのは悪いことか?』
手に汗かいてしまうほど顔が熱を持ってしまったせいだろう。ヴィラの言葉を思い出してしまった。あのとき言えなかった答えを梓は1人呟く。


「悪いことじゃないと思うけど、恥ずかしすぎる……」


あのときでさえ恥ずかしくてたまらなかったのに、自覚してしまった今ソウイウ相手だと意識してしている状態であんなことを言われてしまえば恥ずかしさのあまり気絶出来てしまいそうだ。
──恋人だから追い詰めないでって逃げたけど、私、ちゃんと考えなきゃ。
理解できない価値観、考えのズレ、怖いほどに向けられる感情、怖いのに気になってしまう人たち……複数あるべき夫。あんな強い気持ちを向けられておきながら複数の夫を持つ……そんな光景は想像するだけで罪悪感のようなものを持ってしまう。かといって誰か1人を選ぶという選択肢はあるのだろうか。可能性があるとするのならこの城に残り続けて神子として生きる道だろう。そして夫と認めた相手にだけ愛を交わす、そんな関係。そして愛を交わさずとも恵みを与えるため他の聖騎士と過ごすのだ。
──分からない。
いくら考えても正解が分からない。ただ、この城は出たいという願いだけはあって……。


「樹」


広場へ走りに出たところで見つけたその人に梓の身体が固まる。見間違いかと思った。けれど麗巳のときのように見間違いじゃなかったらしい。

「……ヴィラさん」

梓の聖騎士ではないヴィラが、梓を見て微笑んだ。







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