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第二章:変わる、代わる
108.「私なら」
しおりを挟むオレンジ色のランチョンマットの上には網かごに入った数種類のパン。ジャムと果物は花を添えるようにあって、可愛らしいサイズの取り分け皿を広げれば支度をしていたもう1人はワインのボトルをあけた。トクトクと音を鳴らして揺れる赤ワインから芳醇な香りが漂ってくる。
「樹様も飲んでみては?美味しいですよ」
「生憎私の国ではお酒は二十歳からなんです。それにほら、お酒なんかより美味しいお茶があるので」
負けじとばかりに苺ジャムを溶かした紅茶を淹れれば甘酸っぱい香りが立ち上る。梓が微笑むとヤトラは「しょうがないですね」と降参して微笑んだ。
「いただきます」
「いただきます」
向かい合って座った梓とヤトラは手を合わせる。そしてヤトラはワインを、梓はパンに手を伸ばして2人とも増々笑みを深めた。
城下町に買い物に行って以来2人は毎日一緒に昼食をとるようになった。ヤトラがお土産を持ってきたり一緒に買い出しに行ったり花の間から運んだりしながら用意した昼食を2人で囲むのはなかなか悪くなく、むしろ楽しい。ヤトラはまだ仰々しいところがあるものの最初の数日が嘘のように話題がきれないのだ。城下町のこと、オススメのお店、魔法の使い方、聖騎士や神子のこと……話し辛いと思っていた話題も、案外そうでないことを知った。
「樹様の世界では二十歳になると成人したということなんですか?」
「一応そうですね。なので私は来年です」
「私より1つ上だったんですね……」
何故か落ち込むヤトラはどうやら18歳らしい。この世界に来て経った時間を考えて思い出すのはいつの間にか過ぎていた誕生日だ。とはいえ思い出しても一つ年をとるだけの日に特に思い入れは──考えて、梓は諦めに笑う。
『酒が飲めるようになったらなんでも文句聞いてあげるわよ』
そう言って豪快に笑った母の顔が懐かしい。
「この世界では15歳になると成人したとみなされるんです。もしかしたらと思ったんですが」
「私が年上でがっかりですか?」
「がっかり?いえ、そうではなく……私が年上だったらいいなと思っただけで、もし年上だったら少しは」
段々小さくなっていく声に比例して顔を赤くするヤトラは梓から逃げるように視線を逸らすとパンを食べ始める。そして「おいしいですね」とあからさまに話を逸らす姿はヤトラが望むような大人の対応ではない。それを自覚しているヤトラは情けないと落ち込むが梓の顔は緩んでいく。
──可愛い人だなあ。
梓の心の呟きを聞いてしまえばヤトラが落ち込んでしまうのは間違いないが、神子様として微笑んだときとは違い楽しそうに目元まで緩ませている。望んだ形とは違えど梓の笑顔が見れてヤトラも表情を緩めた。
「今日もこのあと訓練に向かうんですか?」
「はい。私はまだまだ力不足ですから毎日の鍛錬は欠かせません。それに覚えることは沢山あります」
「どの世界も似たようなものなんですね」
聖騎士とはいえ新入りになるヤトラはまだまだ覚えることが沢山あるらしく日々奔放しているらしい。城の構造や階級のことは兵士であった頃に一通り習っていて問題はないのだが、聖騎士となったことで対魔物として使うようになる魔法の訓練がなかなか難しいとのこと。ソファに座って瞑想していたのも訓練の一環だったらしい。やり方を教えてもらったが魔力の流れに集中するという感覚が分からず首を傾げてヤトラに笑われてしまったことは記憶に久しい。
──明後日には遠征に行くことになるんだよね。
梓は新人特有の悩みを呟くヤトラを眺めながら紅茶を飲む。聖騎士の新人は神子と過ごすひと月のうち約1週間は魔力を満たしつつ魔法の訓練をするため遠征には行かないのだそうだ。それを考えれば遅くても明後日には遠征に行くことになる。力不足で恥ずかしいと頬をかくヤトラに何度目か分からない不安を抱いてしまうのは死んでしまった聖騎士の話を思い出してしまうからだろう。
「いつかはヴィラ様のようになりたいと思っているんです」
「ヴィラさん?……ヴィラさんって強いんですか?」
「お強いです。少し前には魔物の群生地をほとんどお一人で殲滅されたほどですよ」
魔物の群生地を殲滅。日常に縁のない言葉にあまり想像は出来なかったが、そういえば、ヴィラは団長だった。その位に負けることなくヴィラは強いのだろう。
──ヴィラさんが強いのは分かるけど。
なんとなく釈然としないのは愛だの恋だの囁いて微笑む顔を思い出すせいだろうか。梓はハッとして顔を振る。酒も飲んでいないのに顔を薄っすら赤く染めた梓にヤトラが首を傾げていた。
「えっと、同じ聖騎士なのに様付けするんですか?」
「王位を放棄したとはいえ王家の人間であることには変わりありませんからね。呼び捨てるなんて畏れ多いことです」
「え?」
「え?」
──王位を放棄した?
話しを逸らすだけだったはずが、ざらりと嫌な響きのする言葉を連れてきた。雑談のひとつとして話しただけのヤトラは悪意なく微笑んで首を傾げている。分からない。王位を放棄した?なんの話をしているのだろう。
『ヴィラと入れ替わりでの交換留学だったがシェントからずっと話に聞いていた』
『……シェントを残していけなかった』
『私は神官のシェントと申します。どうぞシェントとお呼び下さい』
『もういない』
思い出す声が話を繋げていく。頭の片隅に追いやったもしもが形になってしまう。
「……シェントさんも王家の人間なんでしょうか。神官って言ってましたけど、でも……いつ?」
「樹様?」
「教えてください」
「……シェント様も王家の人間ですがヴィラ様と同じように王位を放棄して神官になりました。王位を放棄したのはお二人とも12年前神が降臨なさったときです」
神が降臨した12年前。
梓の剣幕に戸惑いをみせてはいるがヤトラは聞けば答えてくれる。ヤトラはルールに縛られていないとでもいうのだろうか。
「この国に王様はもういないはずです。それに2人とも王位を放棄したのなら誰が次の王様になるんですか?」
「え?……いえ、御座しますが」
「いる?誰ですか」
「樹様」
「答えて」
以前この国の王の存在を尋ねたときルトは『もういない』と言っていた。もう、とはどういうことだろう。以前はいたのにもういなくなった。それならばいつ。
「お二人の父君でもあるペーリッシュ王です。次代の王は神により選ばれると聞いています」
「誰からですか」
「12年前神が私たちにそう説きました」
「それなら12年前からヤトラさんはペーリッシュ王の姿を一度でも見ましたか?」
「え……?」
なにかよくないものを感じ取ったのだろう。ヤトラが口元を手で隠してしまう。
そして悩んだ末出てきたのは否定だ。
「見てはいません、いませんが……樹様はなにを仰りたいんですか」
ヤトラはついこの前まで兵士だった。城下町の情報に明るく、けれど、聖騎士や神子の現状を知らないらしい。
──ヤトラさんの反応が城下町で過ごす人たちの一般的な反応なんだとしたら。
魔物との争いを感じさせない平和な城下町。王がいないのに混乱しない姿は平和より不気味さを覚えた。誰に守られていると思っているのだろう。神の姿を見たから、神に守られているとでも思っているのだろうか。神がいるのだから王の姿を見なくとも、時代の王がいなくとも大丈夫だと妄信しているのだろうか。それは恐ろしい話だ。今までのことから考えればこの国に王がいないことは確かだ。となれば情報規制がされているのだろう。王不在で12年が経過したことを城下町に住む人たちは知らされていなかった。
ペーリッシュ王が姿を見せなくなったのが12年前だというのなら、ペーリッシュ王は麗巳が言った沢山死んだうちの1人なのかもしれない。神が降臨したという記念日にすらなりそうな日に、神が次代の王を決めると言った日に……それは。
「ヤトラさんはルールを知っていますか?」
「ルール?……っ」
混乱していたヤトラが息を飲む。そして胸元に手をやったあとしばらく呆然としていたが、梓を見るなり立ち上がった。
「樹様申し訳ありません。お話の途中ですが失礼します、あ」
「……片付けておくので大丈夫ですよ」
テーブルの上にあるほとんど手をつけていない食事を見て焦るヤトラに梓は微笑んで首を振る。事情は分からないが普段畏れ敬う神子との食事を中断してまでのことだ。余程の事なのだろう。
「……申し訳ありません」
梓が申し出るまで片づけをするのはヤトラならではだ。
「この件のことも合わせて聞いてきます、だから」
「……また明日、です」
「……はい」
律儀に伝えるところも、そう。
再び頭を下げたあと慌ただしく部屋を出るヤトラを見送った梓は小さく振っていた手をおろして天井を見上げる。ヤトラが聖騎士となった理由が増々分からなくなったからだ。
魔物を倒せるのかと思ってしまう柔和な態度。神子を敬い慰めようと心を砕くところもあれば、背伸びしようとして失敗し落ち込み、大人らしいところを見せたがるような青年。
話しすぎる聖騎士。
「私なら選ばない」
10
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