愛がない異世界でも生きるしかない

夕露

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第二章:変わる、代わる

112.「……よかった」

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ヤトラと過ごし始めて2週間が経過した。最初こそお互いに壁があったものの今となっては楽しいおしゃべりが続いて一緒にとる昼食は笑いが絶えない。ヤトラが魔物討伐に行く日は「いってきます」「気をつけて」と交わす挨拶の一環で手を握り合って梓は無事を願い、ヤトラはまたこの場所に来ることが出来るようにと気を引き締める。
その姿は傍から見れば仲睦まじくみえるものだった。

「樹様、よければ買い物に行きませんか?」

今日も2人で昼食の片付けをしていたらヤトラが笑顔とともに提案する。外は晴れていてお出かけ日和だ。

「いいですね。ヤトラさん何か欲しいものがあるんですか?」
「樹様のジャムが無くなってるでしょう?代わりに砂糖を使ってますがやっぱりジャムのほうがよさそうですし」
「……やっぱり?」
「ジャムティーを飲んでるときの樹様って幸せそうな顔してるんですよ。砂糖で飲んでるときは私がカステラボールを食べるときのような顔をしてます」
「え?そんなに?」

梓は想像して、眉間にシワを寄せながら自分の頬をぐりぐりと押す。そんなに分かりやすかっただろうか。目を開ければ悪意のない眩しい笑顔がまっすぐに梓を見ている。とてもじゃないが、行きたくないとは言えない。
『君は……本当に酷い女だ』
最後にアラストと会った日のことを思い出して落ちていく視線。


「樹様?」


ヤトラを見て、少しの沈黙のあと緩んだのは口元だけだろうか。

「それじゃ、いつもの場所で」
「はい!」

明るい返事に梓は微笑んで残りの食器を一気に洗ってしまう。
片付けを終えたあと先にヤトラが、次に梓がドアの向こうに消えていった。





「――樹様の好きなジャムのお店ってあそこなんですね。最近、新しい物を次々に置くようになって話題になっているみたいなんですよ」
「そうなんですか?……そんなにお客さんいたかな」

ジャムの店主には失礼な話だが売り上げが心配になるほど人が少ないことを思い出して梓は眉を寄せる。たまに見かけることもあったがレジで並んだことは一度としてない。
――他のお店でもそうだ。
そう考えて脳裏にちらついたのは神子という言葉。これが城下町の人による神子が快適に過ごせるようにという配慮の1つだとしたら、気味悪く思えてしまうのは何故だろう。

「ああ、ウィンドウショッピングでしたっけ?私達はあまり店の中に入って買い物をすることがありませんからね。欲しいものを事前に注文して受け取りに行くぐらいのものです」
「ええ?でもこんなに人がいっぱいじゃないですか。露店だって賑わってますし」

男ばかりとはいえ大通りは人であふれている。ほとんどが忙しそうに行き来はしているが、ゆっくりと露店を眺めている人もいる。大通りに隣接する露店やお店を楽しまず目的の物を買えばそれで終わりということが信じられない。

「白那様も同じようなことを仰っていました。私もそうだったので分かるんですが、ウィンドウショッピングの楽しさを私達は知らなかったんですよ。まず魔物を倒せるように訓練、これが第一ですから。この大通りを行き来している多くは商人や傭兵ですよ」
「魔物はそんなに……沢山いるんですか」
「いるにはいますがこの国の周りのものはこの前一掃しましたし大丈夫ですよ。一匹だけで驚異的な存在なので私達は複数であたるようにしていて……ですから、怖がらなくて大丈夫です」

固い表情の梓を見てヤトラは慌てるが梓は違うと心の中で呟いた。確かに、魔物は恐ろしい。けれどいま大通りを歩く大半の人間が商人や傭兵……この国だけでなく他国を行き来している人というのが、どうにも引っかかるのだ。この国しか見ていないせいか他国というのがどうしてもイメージ出来ない。ウィドという他国の王子に会っているのに、どうしても、現実と結びつかない。
『神が降臨した日を知っている奴ならみんな間違いなくそうだろうよ……少なくともこの国の奴らは』
アランの言葉もひっかかる。
――商人が傭兵を雇って商売をしているのだとしても、あんな魔物がいる外をそこまでして行き来するもの?
訓練を積んでいるのだとしても商人や傭兵で魔物をなんとかやり過ごせるのなら、聖騎士という存在はどういうものなのだろう。
『神子と同じく聖騎士は貴重だ。その理由はお前が知っているだけだと思うか?』
テイルの問いを思い出す。
神子に選ばれ、魔法が使える存在。強く、幾度魔物と対峙しても死ぬことがなかった……だからこそ神子の傍に居ることができる。選ばれた、選ばれてしまった、ルールに縛られた存在。

「樹様」

手をとられてハッとする。
顔をあげれば微笑む顔が更に目元を緩ませて。

「私はあなたのお陰で聖騎士として魔物と戦うことが出来ています。聖騎士になれてよかった。あなたが怖がるものを少しでも減らすことが出来ます」

怖がるものにはこの国の人も含まれると言ったなら、ヤトラはどんな顔をするだろう。そう思ってすぐに想像出来た表情を消すように梓は精一杯微笑みを作る。
カランコロン、ベルが鳴る。


「いらっしゃい、樹。外は寒いし入ったら?」
「アラストさん」


明るい声で話しかけてきたアラストはそのまま微笑み浮かべて梓の手をとるヤトラを見た。ヤトラは瞬きしてアラストを見ていたが、梓がアラストの名を呼んだことで知り合いなのだと分かったのだろう。好意的な微笑みを浮かべてアラストを見ている。アラストの目がすうっと細まる。

「君も」
「ありがとうございます。樹様、入りましょう」
「あ、はい」

笑顔のヤトラに頷いて店の中に入れば、久しぶりのジャムのお店は相変わらず心弾ませる色とりどりのジャムでいっぱいだった。梓の顔に自然と笑みが浮かび、その手は籠に伸びてジャムを選び出す。
そんな梓を見て微笑み浮かべるヤトラに声をかけたのはアラストだ。

「聖騎士になったんだね」
「えっと」
「別に、もう大丈夫だよ。俺はもう聖騎士を辞めたし」
「そう、ですか……はい。聖騎士になりました」
「……2人はお知り合いなんですか?」

妙な会話に振り返れば微笑み2つ。似ているようで違う微笑みに梓はたじろいでしまう。

「訓練時代にときどき一緒になったこともあったよね」
「ありましたね。私はいつも敵いませんでした……アラストさんは城下町におりたと聞いていたんですがこの店で働いていたんですね」
「そうだよ。君はいま樹の聖騎士なんだ」
「はい」
「……楽しい?」
「はいっ!」
「そう。羨ましいなあ」

にっこり微笑むアラストに、裏もなく幸せそうに誇らしそうに笑顔を浮かべるヤトラ。梓は思わず視線を逸らしてジャムを選び始める。久しぶりに手に取ったジャムに嬉しさのあまりこの店に来たくなかった理由を忘れていたが、これは早々に店を出たほうがよさそうだ。怒声が聞こえている訳ではないのに広がる怖い空気に、梓は次々とジャムを籠に入れていく。

「お会計お願いします」
「もっとゆっくり見たらいいのに。3時間後にはじいちゃんも帰ってくるよ?」
「3時間って」

それは随分ゆっくり待つことになる。3分後とでもいうような軽い調子に梓は笑って、アラストも目元を緩ませる。
けれど会計が済んだあと表情は考え込むようになって、無言で梓を見下ろした。

「えっと」
「次の金曜日、待ってる」

静かな言葉にドキリとして、けれど梓は眉を寄せる。それは、駄目な気がした。

「今日いっぱい買ったので来週は来ません」
「えー?その日限定で新しいジャムとジャムにする前の苺も販売するんだけどなあ。特別なルートから卸したものなんだけどなあ」

ニヤリと笑う顔は意地悪く、ぐっと口淀む梓を見て実に楽しそうだ。

「……その日アラストさんは何時から働いてるんですか?」
「え?嬉しいね、俺に会いにきてくれるの?」
「だからそういうの止めたほうがいいですって」

アラストと最後に過ごした夜を思い出して言ってしまったが、優しくて甘い男は笑みを深めるだけだ。

「樹は勘違いしないでしょ?」
「そうですけど」
「なら大丈夫でしょ。あと俺は15時からだよ。会えるの、楽しみにしてるね……はい、ヤトラこれ持って」
「は、はい」

ジャムが詰まった紙袋を受け取ったヤトラは戸惑いにアラストを見る。にっこり微笑んだ顔はさっきまでと変わらないはずなのになにか妙で……


「ああ、そうか」


背後で聞こえるベルの音に、ヤトラは梓を出迎えたアラストの顔を思い出す。思わず振り返ったがそこにアラストはおらず閉まったドア。

「どうかしたんですか?」

不思議そうに首を傾げる梓の髪が揺れる。白い息がふわりと浮かんで消えていく。

「……いえ。ジャムが買えてよかったですね」
「……そうですね」

沈黙のあとに返ってきた言葉をヤトラは追求できない。
『樹は勘違いしないでしょ?』
勘違いとは、なんだろう。梓はその意味を分かっているようだった。横顔に見た眉の寄った顔は戸惑いに揺れてヤトラの知らない表情をしていた。その顔を正面で見ていたアラストはヤトラの視線に気がつくとにっこり笑って。
――目が笑っていないんだ。
違和感の答えが分かったのに、分からない。


「美味しい」
「……よかった」


ジャムティーを幸せそうに飲む梓を見てうまく笑えなかった理由が、分からない。





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