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次の日は、朝からセリシアの心を反映させたかのような曇天だった。帽子や日傘で肌を隠せば出かけられそうな重たい空だったが、どうにも外に出ようという気にはならない。
部屋の中で刺繍の続きをする事にして、セシリアは窓辺に置いてあるソファーに身を委ねる。
「……きっと、夜には雨が降るわね」
予想していた通り、昼間の曇り空はいつしか雨へと変わった。昨日まではあれほど星が瞬いていた空は顔を隠している。
しとしとと降り続いていた雨の中、セシリアは窓へと近寄る。彼がやって来るはずの時間を幾分か過ぎてしまっていた。
「セイン?」
きっと、この雨で到着が遅れているだけだろうと言い聞かせる。糸雨はいつしか先が見えない程の大雨へと変わった。それでもセインはやって来ない。
背中を駆け上がっていく寒気に、セシリアはベッドから布団を引きずって窓際でうずくまった。きっと、たぶん、絶対に、セインは逢いに来てくれる。そうして「ごめん、遅くなって」と言って眉を八の字に寄せるのだ。
「…………セシリア」
微かに聞こえた彼の声に、弾かれたように顔を上げる。
しとどに濡れた髪をかき上げようともしないセインが立っていた。足元に落とされた布団につんのめりながら窓を開ける。
「セイン! 大丈夫だった? ああ、こんなに濡れて。さあ、入ってちょうだい」
セインは中へ入れようとするセシリアを制すと、言葉を続ける。
「ごめん、今日はもうここへは来ないって伝えに来ただけだから」
「なん……なんで?」
先ほど得た安堵とは打って変わり、声が上ずり、喉が急速に乾いていく。
顔が歪な笑みを浮かべるのが分かった、自分は彼と同じ顔をしている。
「別に、理由なんてないよ。もう君とは会わないだけだ」
「ま……!」
引き止めようと伸ばす手は空を掻いて、セインは雨の中を去って行ってしまった。
頽れたセシリアは哀哭する。
なぜ、どうして、好きだと言ったのが悪かったのか。それとも、もっと前から思う所があったのか。
絶え間なく湧き上がってくる疑問符と、絶望に落とされた心だけが、セシリアに声が嗄れても垂涙することを止めさせなかった。
夜が明けて、朝が暮れ、幾度の夜がやって来ても、セシリアは悲しみに呑まれていた。
「もう、秋が終わるのね」
二人が別れてから数か月が経ち、季節は冬の香りを滲ませていた。
彼は何故、あのようにして背を向けてしまったのだろうか。もっとはっきりと嫌いだと言われていればこの心にも諦めがついていたのだろうか。
眠れずにいたセシリアは、誰もやって来ない窓を見つめ物思いに耽る。今も彼の残した声と表情がこびりついている。苦虫を嚙み潰したような顔と、絞り出すかのように震える声音。
「…………でも」
そこまで思い出していて、セシリアははたと思いついたような顔をする。
セシリアが愛を謳ったあの時、彼の瞳には確かにセシリアと同じだけの喜びと深い熱が宿っていた。
彼は本当に自分への愛が迷惑だったのだろうか、本当に会いたくないと思っていた?
分からない、それでも確かに彼は自分と同じ感情を抱いていた。セシリアは上着も羽織りきらないまま花畑へと駆けだす。
息を切らして駆けるセシリアは、何度も足をもつれさせながら彼と出会った花畑へと辿り着く。当然セインは何処にも居なかった。その事に悲しみと納得の混じる深い息を吐く。
「そう、居るわけがないのよ」
花畑に寝ころび、息を整えるセシリアは独り言ちる。明日も来るのだから別に落胆する必要なんかない。
どうせ諦めきれない想いなのだから、彼が根負けして出てくるまで通いつめればいいと、空が白み始めるのを確認したセシリアはその場を後にした。
その日からセシリアは毎夜花畑へと出かけては、花を一つ植えた。ある日にはビオラを、またある日にはカランコエを。
黄色の花を植え続け、ぽつりぽつりと黄色が目立つようになる頃には、また一つ季節は進んでいた。
今日は生憎の雨催いに、セシリアを見下ろしていた冬月も隠されている。
「……雨が降りそうね」
そう呟くと同時に、セシリアの鼻先に雨が一粒落ちた。きっとすぐに雨脚は強くなるだろう、早い所植えてしまおうと土を掘り起こし始める。
音をたてて強まる雨の中、花を植え終えたセシリアは濡れそぼった髪をかき上げた。吐き出された白い息が雨に消える。
「さ、早く帰らないと」
辺りを確認したセシリアは、帰路につく。
部屋の中で刺繍の続きをする事にして、セシリアは窓辺に置いてあるソファーに身を委ねる。
「……きっと、夜には雨が降るわね」
予想していた通り、昼間の曇り空はいつしか雨へと変わった。昨日まではあれほど星が瞬いていた空は顔を隠している。
しとしとと降り続いていた雨の中、セシリアは窓へと近寄る。彼がやって来るはずの時間を幾分か過ぎてしまっていた。
「セイン?」
きっと、この雨で到着が遅れているだけだろうと言い聞かせる。糸雨はいつしか先が見えない程の大雨へと変わった。それでもセインはやって来ない。
背中を駆け上がっていく寒気に、セシリアはベッドから布団を引きずって窓際でうずくまった。きっと、たぶん、絶対に、セインは逢いに来てくれる。そうして「ごめん、遅くなって」と言って眉を八の字に寄せるのだ。
「…………セシリア」
微かに聞こえた彼の声に、弾かれたように顔を上げる。
しとどに濡れた髪をかき上げようともしないセインが立っていた。足元に落とされた布団につんのめりながら窓を開ける。
「セイン! 大丈夫だった? ああ、こんなに濡れて。さあ、入ってちょうだい」
セインは中へ入れようとするセシリアを制すと、言葉を続ける。
「ごめん、今日はもうここへは来ないって伝えに来ただけだから」
「なん……なんで?」
先ほど得た安堵とは打って変わり、声が上ずり、喉が急速に乾いていく。
顔が歪な笑みを浮かべるのが分かった、自分は彼と同じ顔をしている。
「別に、理由なんてないよ。もう君とは会わないだけだ」
「ま……!」
引き止めようと伸ばす手は空を掻いて、セインは雨の中を去って行ってしまった。
頽れたセシリアは哀哭する。
なぜ、どうして、好きだと言ったのが悪かったのか。それとも、もっと前から思う所があったのか。
絶え間なく湧き上がってくる疑問符と、絶望に落とされた心だけが、セシリアに声が嗄れても垂涙することを止めさせなかった。
夜が明けて、朝が暮れ、幾度の夜がやって来ても、セシリアは悲しみに呑まれていた。
「もう、秋が終わるのね」
二人が別れてから数か月が経ち、季節は冬の香りを滲ませていた。
彼は何故、あのようにして背を向けてしまったのだろうか。もっとはっきりと嫌いだと言われていればこの心にも諦めがついていたのだろうか。
眠れずにいたセシリアは、誰もやって来ない窓を見つめ物思いに耽る。今も彼の残した声と表情がこびりついている。苦虫を嚙み潰したような顔と、絞り出すかのように震える声音。
「…………でも」
そこまで思い出していて、セシリアははたと思いついたような顔をする。
セシリアが愛を謳ったあの時、彼の瞳には確かにセシリアと同じだけの喜びと深い熱が宿っていた。
彼は本当に自分への愛が迷惑だったのだろうか、本当に会いたくないと思っていた?
分からない、それでも確かに彼は自分と同じ感情を抱いていた。セシリアは上着も羽織りきらないまま花畑へと駆けだす。
息を切らして駆けるセシリアは、何度も足をもつれさせながら彼と出会った花畑へと辿り着く。当然セインは何処にも居なかった。その事に悲しみと納得の混じる深い息を吐く。
「そう、居るわけがないのよ」
花畑に寝ころび、息を整えるセシリアは独り言ちる。明日も来るのだから別に落胆する必要なんかない。
どうせ諦めきれない想いなのだから、彼が根負けして出てくるまで通いつめればいいと、空が白み始めるのを確認したセシリアはその場を後にした。
その日からセシリアは毎夜花畑へと出かけては、花を一つ植えた。ある日にはビオラを、またある日にはカランコエを。
黄色の花を植え続け、ぽつりぽつりと黄色が目立つようになる頃には、また一つ季節は進んでいた。
今日は生憎の雨催いに、セシリアを見下ろしていた冬月も隠されている。
「……雨が降りそうね」
そう呟くと同時に、セシリアの鼻先に雨が一粒落ちた。きっとすぐに雨脚は強くなるだろう、早い所植えてしまおうと土を掘り起こし始める。
音をたてて強まる雨の中、花を植え終えたセシリアは濡れそぼった髪をかき上げた。吐き出された白い息が雨に消える。
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辺りを確認したセシリアは、帰路につく。
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