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第5部
魔獣襲来・下町の神殿
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その少し前。
ブレンドレルとマロシュたちは、魔獣と応戦している場所から少し離れた南の下町区にいた。
木と石で建てられた商家と木造住宅が入り混じるこの一帯は狭い路地が入り組み、建物同士が密集しているため、いざという時に倒壊や炎上の危険が高い場所でもあった。
誘導先の中央統括神殿は王都の中心の北東寄りの高台に建っており、広場から続く大通りを北上するのが最短だが、その道はすでに魔獣の出没で混乱している。
ブレンドレルたち第二騎士団の騎士と従卒は、狭い路地の中でも比較的広い道を選んで住民たちの長い行列を誘導していた。
そんな中、マロシュは人波の向こうの細い路地に人影を見つけた。
「ブレンドレルさん、奥の通りに人影が見えました。あの先は行き止まりだから、こっちの道に誘導します」
「俺は持ち場から動けない。頼む。だが、無茶はするな」
ブレンドレルの言葉にマロシュは力強くうなずき、人波をかき分ける。流れに飲まれそうになりながらも、ようやく人影を見つけた地点にたどり着いた。
そこには怯えた母子のほか、高齢者を中心に数人が身を寄せ合っていた。
「みなさん、向こうに合流しましょう。みんなで中央統括神殿まで行くんです」
マロシュは恐怖を煽らぬよう、落ち着いた声で話しかける。
「……あっちにはもう魔獣が来ているんでしょう? いやだ、こわい」
三、四歳の女の子が首を振る。
「この子が嫌がって……それに、向こうは人がたくさんで、流れに押しつぶされそうで」
若い母親も、不安そうに娘を抱き寄せた。
「私らは足が悪くて」
「魔獣が来ても、逃げられません」
高齢の男女も首を振る。
「大丈夫。安全な道を探しながら避難しましょう」
マロシュは通信機を握りしめた。
「ブレンドレルさん、足の悪い方と小さな子ども連れの方が人波に不安を抱いています。こちらで別ルートを探しながら進み、あとで合流します」
『わかった。気をつけろ』
その直後、轟音が空を裂き、地面が揺れた。魔獣が建物にぶつかった衝撃が石畳を伝ってきたのだ。
路地裏の木造の壁がきしみ、梁が悲鳴をあげる。
「伏せて!」
マロシュが咄嗟に母子を抱えて地に伏せた瞬間、すぐ近くの民家の外壁が崩れ落ち、白い粉塵が通りを飲み込んだ。
視界が真っ白になり、息を吸うたびに砂の味がする。
「……無事ですか?」
母子がうなずくのを確かめ、マロシュは瓦礫の上に立ち上がった。
『マロシュ、そっちで砂埃が上がっているが大丈夫か!』
通信機からブレンドレルの焦った声が聞こえる。その背後で群衆の悲鳴が上がるのは、マロシュのいる場所からも伝わっていた。
恐怖に駆られた人波がパニックを起こしているのだ。
「大丈夫です。退路がふさがれましたが、引き続き前進します」
『……よかった。了解だ』
ブレンドレルに報告を終えると、マロシュは残された人々を見回す。全部で六人。幸い怪我はなかったが、皆蒼白な顔をしていた。
来た道は完全に塞がれ、前方は行き止まり。
どうする……
ブレンドレルには別ルートを探すと言ったが、魔獣はすぐそこまで来ている。マロシュ一人の応戦でこの者たちを守り抜くのは厳しかった。
周囲に避難できる堅牢な建物もない。
その時マロシュの頭の奥に浮かんだのは、何年も前のシーグフリードの言葉だった。
『頭の中だけでなく、王都の地理を身体で覚えてほしい』
それは調査の一環としての言葉だったが、マロシュはいつどんな指示が来てもいいように実践していた。
マロシュは目を閉じ、頭の中で王都の地図を思い描いた。
北と東へは行けない。広場の西通りは閉鎖。
残るは……。
「……神殿に行きましょう」
マロシュの声に、不安げだった人々が顔を上げた。
「中央統括神殿までは距離がある。無理だ」
「いえ、この近くにあります」
マロシュは左右の手で高齢の夫婦を支えながら家と家の細い隙間を抜け、裏路地を南へ下った。
振動に耐えられず倒壊した建物の間を縫うように走り、井戸沿いの小径を抜ける。
やがて、狭い路地の先に生成り色の壁が見えた。
そこは下町にある小さな神殿だった。
神殿長や神官たちは避難しているだろうが、一時的にここに避難させてもらおう。
そう思いながら扉を開けたマロシュだったが、そこにはチドとウジェーヌ、それに数人の住民が、今まさに扉を家具で塞ごうとしているところだった。
奥の礼拝堂には少なくはない住民の姿が見える。
「あら、あなたは……」
突然の訪問者にチドは驚いた。
「チド神殿長……?避難していなかったのですか?」
「ここに避難してきた人たちがいてね。どうしてもここにいるというものだから、私たちも残ったの。ここはそれほど頑丈じゃないけれど、他よりはましでしょう?」
「民家よりも頑丈で、女神の加護もあり、多くの人が身を寄せ合える礼拝堂もありますからね。俺もそう思ってここに来ました。この人たちも一緒に身を寄せてもいいでしょうか。ここに人がいることは報告しておきます。俺は、まだ逃げ遅れている人がいないか見てきます」
「ええ、女神は誰も拒みませんよ」
「マロシュさん? 外は危険です。どうか気をつけて」
心配そうなウジェーヌに声をかけられると、勝手な思い違いを発端にブレンドレルと両思いになったマロシュは、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「じゃあ俺はこれで! 出入り口を重たい家具で塞いでください!」
マロシュは口早にそう言うと、外に飛び出した。そして、ふいに上空を見上げた。
黒く濁った空では禍々しい瘴気が渦を巻き、生き物のように蠢いていた。
その中心には漆黒のフードを深く被った人物がいた。
その人物は口元を歪め、笑いとも怒りともつかぬ表情をしていた。
《前の愛し子は、みつは、ひとりで魔獣の群れからエンロートの西門を護った》
その低く湿った声が、空から滴るように落ちてきた。
マロシュ、避難誘導にあたる第二騎士団、魔獣と戦う第一騎士団、王城橋前広場の統括騎士団、逃げ惑う住民。
皆が一斉に顔を上げ、凍りついたように動きを止めた。
《今の愛し子は何をしている? 護るどころか隠れて出て来もしない腰抜けではないか!》
声が風を裂き、夜空がざらりと軋む。
《みつは……心美しく、勇敢だった。みつは偉大な愛し子だった!》
怒りと怨嗟が交じり、空気そのものが悲鳴を上げた。
《みつを見殺しにした報いを受けるがいい!》
その叫びと同時に、瘴気が弾けるように広がった。
ヘッダの憎しみの強さを示す瘴気の重苦しさに、外にいた人々は息苦しさを覚えた。
空気が凍りつき、肌にまとわりつく黒い靄が喉を締め付ける。
目に見えぬ圧が全身にのしかかり、誰もがその場に膝をつきそうになる。
「な、なんだ……息が……!」
「空が……黒く……」
恐怖が伝染していく。
魔獣の咆哮ではない、人の言葉の“呪い”そのものが王都を覆っていた。
鐘楼の鐘が鳴り続けても、その音さえ瘴気の唸りに掻き消される。
闇が、音をも呑み込んだ。
「なにを勝手なことを! ナオを貶めるつもりか!」
王城へと続く橋の手前の広場で、ヴァレリラルドは剣の柄を握りしめ、大声を張り上げた。
「ナオとみつ様とでは、状況が何もかも違う。二百年前も、王が騎士団を出動させていれば、みつ様が一人で魔獣の前に立つことはなかった。当時の王を恨む気持ちは理解できる。だが、それとナオを一緒にするな!」
上空に向かって叫ぶヴァレリラルドに、ヘッダの視線が向かう。
《王の血を引く者が何を言う! 憎しみの源め!》
その声は王都全域に響き渡り、直後、瘴気がうねりを上げて爆ぜ、夜空を裂くような衝撃波が走った。
※※※※※※※※※※※※※※※※
エール、いいね、ありがとうございます。
毎回読みに来ていただいてありがとうございます。おかげで頑張れます。
クライマックスまでもう少し。頑張れ、私。頑張れ、みなさん。
ブレンドレルとマロシュたちは、魔獣と応戦している場所から少し離れた南の下町区にいた。
木と石で建てられた商家と木造住宅が入り混じるこの一帯は狭い路地が入り組み、建物同士が密集しているため、いざという時に倒壊や炎上の危険が高い場所でもあった。
誘導先の中央統括神殿は王都の中心の北東寄りの高台に建っており、広場から続く大通りを北上するのが最短だが、その道はすでに魔獣の出没で混乱している。
ブレンドレルたち第二騎士団の騎士と従卒は、狭い路地の中でも比較的広い道を選んで住民たちの長い行列を誘導していた。
そんな中、マロシュは人波の向こうの細い路地に人影を見つけた。
「ブレンドレルさん、奥の通りに人影が見えました。あの先は行き止まりだから、こっちの道に誘導します」
「俺は持ち場から動けない。頼む。だが、無茶はするな」
ブレンドレルの言葉にマロシュは力強くうなずき、人波をかき分ける。流れに飲まれそうになりながらも、ようやく人影を見つけた地点にたどり着いた。
そこには怯えた母子のほか、高齢者を中心に数人が身を寄せ合っていた。
「みなさん、向こうに合流しましょう。みんなで中央統括神殿まで行くんです」
マロシュは恐怖を煽らぬよう、落ち着いた声で話しかける。
「……あっちにはもう魔獣が来ているんでしょう? いやだ、こわい」
三、四歳の女の子が首を振る。
「この子が嫌がって……それに、向こうは人がたくさんで、流れに押しつぶされそうで」
若い母親も、不安そうに娘を抱き寄せた。
「私らは足が悪くて」
「魔獣が来ても、逃げられません」
高齢の男女も首を振る。
「大丈夫。安全な道を探しながら避難しましょう」
マロシュは通信機を握りしめた。
「ブレンドレルさん、足の悪い方と小さな子ども連れの方が人波に不安を抱いています。こちらで別ルートを探しながら進み、あとで合流します」
『わかった。気をつけろ』
その直後、轟音が空を裂き、地面が揺れた。魔獣が建物にぶつかった衝撃が石畳を伝ってきたのだ。
路地裏の木造の壁がきしみ、梁が悲鳴をあげる。
「伏せて!」
マロシュが咄嗟に母子を抱えて地に伏せた瞬間、すぐ近くの民家の外壁が崩れ落ち、白い粉塵が通りを飲み込んだ。
視界が真っ白になり、息を吸うたびに砂の味がする。
「……無事ですか?」
母子がうなずくのを確かめ、マロシュは瓦礫の上に立ち上がった。
『マロシュ、そっちで砂埃が上がっているが大丈夫か!』
通信機からブレンドレルの焦った声が聞こえる。その背後で群衆の悲鳴が上がるのは、マロシュのいる場所からも伝わっていた。
恐怖に駆られた人波がパニックを起こしているのだ。
「大丈夫です。退路がふさがれましたが、引き続き前進します」
『……よかった。了解だ』
ブレンドレルに報告を終えると、マロシュは残された人々を見回す。全部で六人。幸い怪我はなかったが、皆蒼白な顔をしていた。
来た道は完全に塞がれ、前方は行き止まり。
どうする……
ブレンドレルには別ルートを探すと言ったが、魔獣はすぐそこまで来ている。マロシュ一人の応戦でこの者たちを守り抜くのは厳しかった。
周囲に避難できる堅牢な建物もない。
その時マロシュの頭の奥に浮かんだのは、何年も前のシーグフリードの言葉だった。
『頭の中だけでなく、王都の地理を身体で覚えてほしい』
それは調査の一環としての言葉だったが、マロシュはいつどんな指示が来てもいいように実践していた。
マロシュは目を閉じ、頭の中で王都の地図を思い描いた。
北と東へは行けない。広場の西通りは閉鎖。
残るは……。
「……神殿に行きましょう」
マロシュの声に、不安げだった人々が顔を上げた。
「中央統括神殿までは距離がある。無理だ」
「いえ、この近くにあります」
マロシュは左右の手で高齢の夫婦を支えながら家と家の細い隙間を抜け、裏路地を南へ下った。
振動に耐えられず倒壊した建物の間を縫うように走り、井戸沿いの小径を抜ける。
やがて、狭い路地の先に生成り色の壁が見えた。
そこは下町にある小さな神殿だった。
神殿長や神官たちは避難しているだろうが、一時的にここに避難させてもらおう。
そう思いながら扉を開けたマロシュだったが、そこにはチドとウジェーヌ、それに数人の住民が、今まさに扉を家具で塞ごうとしているところだった。
奥の礼拝堂には少なくはない住民の姿が見える。
「あら、あなたは……」
突然の訪問者にチドは驚いた。
「チド神殿長……?避難していなかったのですか?」
「ここに避難してきた人たちがいてね。どうしてもここにいるというものだから、私たちも残ったの。ここはそれほど頑丈じゃないけれど、他よりはましでしょう?」
「民家よりも頑丈で、女神の加護もあり、多くの人が身を寄せ合える礼拝堂もありますからね。俺もそう思ってここに来ました。この人たちも一緒に身を寄せてもいいでしょうか。ここに人がいることは報告しておきます。俺は、まだ逃げ遅れている人がいないか見てきます」
「ええ、女神は誰も拒みませんよ」
「マロシュさん? 外は危険です。どうか気をつけて」
心配そうなウジェーヌに声をかけられると、勝手な思い違いを発端にブレンドレルと両思いになったマロシュは、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「じゃあ俺はこれで! 出入り口を重たい家具で塞いでください!」
マロシュは口早にそう言うと、外に飛び出した。そして、ふいに上空を見上げた。
黒く濁った空では禍々しい瘴気が渦を巻き、生き物のように蠢いていた。
その中心には漆黒のフードを深く被った人物がいた。
その人物は口元を歪め、笑いとも怒りともつかぬ表情をしていた。
《前の愛し子は、みつは、ひとりで魔獣の群れからエンロートの西門を護った》
その低く湿った声が、空から滴るように落ちてきた。
マロシュ、避難誘導にあたる第二騎士団、魔獣と戦う第一騎士団、王城橋前広場の統括騎士団、逃げ惑う住民。
皆が一斉に顔を上げ、凍りついたように動きを止めた。
《今の愛し子は何をしている? 護るどころか隠れて出て来もしない腰抜けではないか!》
声が風を裂き、夜空がざらりと軋む。
《みつは……心美しく、勇敢だった。みつは偉大な愛し子だった!》
怒りと怨嗟が交じり、空気そのものが悲鳴を上げた。
《みつを見殺しにした報いを受けるがいい!》
その叫びと同時に、瘴気が弾けるように広がった。
ヘッダの憎しみの強さを示す瘴気の重苦しさに、外にいた人々は息苦しさを覚えた。
空気が凍りつき、肌にまとわりつく黒い靄が喉を締め付ける。
目に見えぬ圧が全身にのしかかり、誰もがその場に膝をつきそうになる。
「な、なんだ……息が……!」
「空が……黒く……」
恐怖が伝染していく。
魔獣の咆哮ではない、人の言葉の“呪い”そのものが王都を覆っていた。
鐘楼の鐘が鳴り続けても、その音さえ瘴気の唸りに掻き消される。
闇が、音をも呑み込んだ。
「なにを勝手なことを! ナオを貶めるつもりか!」
王城へと続く橋の手前の広場で、ヴァレリラルドは剣の柄を握りしめ、大声を張り上げた。
「ナオとみつ様とでは、状況が何もかも違う。二百年前も、王が騎士団を出動させていれば、みつ様が一人で魔獣の前に立つことはなかった。当時の王を恨む気持ちは理解できる。だが、それとナオを一緒にするな!」
上空に向かって叫ぶヴァレリラルドに、ヘッダの視線が向かう。
《王の血を引く者が何を言う! 憎しみの源め!》
その声は王都全域に響き渡り、直後、瘴気がうねりを上げて爆ぜ、夜空を裂くような衝撃波が走った。
※※※※※※※※※※※※※※※※
エール、いいね、ありがとうございます。
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クライマックスまでもう少し。頑張れ、私。頑張れ、みなさん。
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