そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

魔獣襲来・獣潮奔流

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 『任されてやるから、泣くんじゃないよ、団長!』

 先ほどロイへ返した言葉を、そのまま胸に刻み込むように、カレンは唇を噛んだ。 

 カレン率いる第十小隊は、防御と対処を得意とする小隊で、狭い道・障害物・段差を利用した戦術に長けている。

 団長のロイに与えられた任務は、前方で討ち漏らした中型以下を確実に葬ること。

 カレンたちは忠実に遂行し、王城前広場へ続く大通りは、もはや戦場というより魔獣の掃き溜めのような有様になっていた。

 「そっち押せ! そいつはまだ生きてる、下がるな!」

 スレインの群れが四度目の突進を仕掛け、ブルガルが横合いの家屋を破壊しながら牙をむく。

 討伐した魔獣の数に比例して、第十小隊のほぼすべての騎士たちの剣は刃こぼれし、盾は割れ、鎧は裂け、息は荒く、体力も魔力も限界に近づいていた。

 それでもカレンは声を張り上げる。

 「第二列、抜けるな! ここを越えられたら、王城に魔獣が流れ込むぞ!!」

 三十名ほどの騎士たちが、食らいつくような闘志だけで前へ出る。

 従卒十二名も、慣れない武器で負傷者の退避と布陣の再構築に奔走していた。

 すでに騎士の三分の一は傷を負い、魔力切れ寸前の者も少なくなかった。

 それでも、誰一人として後退の二文字を口にしない。

 なぜなら、もうすぐここにバルモランが来ることがわかっているからだ。

 「バルモランが来る前になるだけ仕留めろっ!」

 スレインを斬り倒し、ブルガルの突進を盾で受け止め、ザグルの刃腕を紙一重でかわして体勢を整えた――その時だった。

 ズ……ン。

 地面の底から鈍い脈動が響いた。

 「来たぞ! バルモランだ!」

 瓦礫が震え、空気がうねり、騎士たちの戦意さえ一瞬すくみ上がる。

 次の瞬間、通りの奥で家屋の壁が“破裂”した。

 バルモランの巨体が現れた。

 ロイたちの前線をすり抜け、血と瘴気にまみれたまま、一直線に王城へと向かって来る。

 「……でかい……」

 足がすくむのを必死に堪えながら、誰かが呟いた。

 バルモランの背後には、巻き込まれるように小型魔獣が五体ほど付き従っている。

 第十小隊はまだ何体もの魔獣を相手にしている最中だった。

 まともに迎撃する余裕など、どこにもない。

 それでも──

 『カレン! エドだ!』

 通信機から統括騎士団に臨時で編成されている第四小隊のエドの声が聞こえた。

 「カレンだ。いまからバルモランの相手だ。あまり余裕がない」

 『俺たちはすぐ後ろにいる! 王太子殿下から遊撃を任された。加勢する!』

 振り返ったカレンの目に、エドを先頭にした第四小隊の騎士たちの姿があった。

 「ありがたい。みんな、バルモランはここで倒すぞ! そのためにこぼれた魔獣は第四小隊に任せる!」

 カレンの言葉に、疲弊しきった騎士たちが、もう一度力強い応えを返した。

 「バルモランの脚を狙え! 踏み潰されないように気をつけろ! ハルバードを持つ者は後ろ脚の腱を狙え!」

 カレンの号令で第十小隊の騎士たちが総がかりでバルモランを包囲する。

 バルモランが吠えた。その圧に思わず呑み込まれそうになる。

 「踏ん張れぇええっ!!」

 カレンの喉が裂けるような声とともに、盾列がわずかに、しかし確実にバルモランの脚を止めた。

 だが、それは一瞬の膠着にすぎなかった。

 バルモランが前脚を振り上げる。

 その影が騎士たちを丸ごと呑み込むかのように広がったその瞬間、背後の路地から、荒い息遣いと甲冑の擦れる音が一斉に押し寄せた。

 西門でエレナ隊として死闘を繰り広げ、満身創痍のまま戻ってきた第十小隊の面々だった。

 魔獣の血と土にまみれ、今にも倒れそうなほど疲弊している。それでもその瞳だけは、燃えるように強かった。

 「カレン隊長、合流しますっ!」

 叫びと同時に、魔法攻撃が得意な騎士がバルモランの頭上へ巨大な火球を投下した。

 火球が唸りを上げて落ちた瞬間、バルモランの頭上で赤い閃光が弾けた。

 爆ぜる熱風に黒い鬣がちぎれ飛び、厚い皮膚が焼け弾けて肉が露わになる。

 巨体が揺らぎ、怒号とも悲鳴ともつかぬ咆哮が渦を巻くように響いた。

 焦げた瘴気が白い煙となって立ち昇り、周囲の騎士たちの視界を覆い隠す。

 灼熱の炎に包まれたバルモランは、牙を剥いて暴れ回り、地面を抉りながら身をよじった。
 
 「バルモランから離れろ! 次はもっと大きいのを落とす!」

 バルモランに群がっていた第十小隊が蜘蛛の子を散らすように飛び退く。

 次の瞬間、大きな火球がバルモランの上半身を覆い尽くした。

 肉の焼ける匂いが辺りに漂い、断末魔をあげてバルモランの巨体が石畳の通りにドオッと倒れた。

 「やった!」

 歓声があがる。

 「まだだ、全員構え!」

 カレンの怒号とともに、倒れたバルモランの奥から魔獣の群れが押し寄せてくるのが見えた。

 「陣形、崩れるな!!」

 ロトも声を張り上げる。

 スレインやザグルが群れをなして、バルモランの体を飛び越えるように襲い掛かってきた。

 必死に応戦するも、対処できずに走り抜けていく魔獣も多かった。

 「そっちに行ったぞ!」

 カレンがザグルに斬りかかりながらエド隊に向けて叫ぶ。

 『数が多い!』

 『王城前広場に流れていく!』

 まるで、手のひらから零れ落ちる砂のように、第十小隊と第四小隊の「指の間」をすり抜け、小型・中型の魔獣たちが王城側へと流れ込んでいった。

 『ロイだ。深追いするな。王城前広場の殿下たちを信じて、俺たちは第一騎士団に課せられた任務を着実にやるんだ』

 ロイの言葉に、カレン率いる第十小隊、エド率いる第四小隊は目の前の魔獣を一体でも倒すことに頭を切り替えた。

 それが、今やるべきこと。

 「聞いたな、エド」

 『ああ。俺たちは今いる魔獣を一体でも減らすぞ! ここから先は数を削る戦いだ! 全部守ろうとするな、倒せる分だけ確実に倒せ!!』

 「応!」

 『応!』

 第十小隊と第四小隊の騎士たちが、互いの陣形を噛み合わせるように動き始めた。




 アシェルナオは一階の自室の大窓の前に座り、カーテンの隙間から外を見つめていた。

 『ナオ、私たちは王城に戻る。ここにいれば大丈夫だから、決して公爵邸から出ちゃだめだよ』

 ヴァレリラルドがそう言い残してから、どれだけ時間が経っただろう。

 結界に守られたエルランデル公爵家は静かだった。

 その静けさが、かえって外の惨状を想像させた。

 どんな悲鳴も、どんな咆哮もここには届かない。

 だからこそ、王都が今、どれほどの苦境にあるのか想像するしかなかった。

 魔獣はすでに王都へ侵入しているはずだ。

 ヴァレリラルドをはじめ、多くの騎士が戦い、傷つき、倒れているかもしれない。

 逃げ惑う住民たちが、いまこの瞬間も助けを求めているかもしれない。

 アシェルナオは大窓から空を見上げた。

 空は夕闇より深く、夜より濁り、黒い泥を流し込んだように重く垂れこめていた。

 雲ではない。瘴気だ。蠢き、尾を引き、ひび割れるような光が瞬く。

 空全体が怒っているようだった。

 だが、怒っているのは空ではない。ヘッダの怒りだ。みつを見殺しにした国王への憎しみ。その炎はまだ消えていない。

 こんな時に自分だけが安全な場所にいることに、アシェルナオは強烈な引け目を感じ、拳を握った。

 王都のどこかで泣いている誰かがいるかもしれない。

 助けを待つ声があるかもしれない。

 自分が行けば、何かできる。少なくとも瘴気を浄化することはできる。

 行かなければ――

 そう思った瞬間、両肩と足首に鋭い痛みが走った。

 エンゲルブレクトに素肌をまさぐられ、体を自由にされたおぞましい感触は、愛するヴァレリラルドとのおきよめせっくすで上書きされた。

 けれど、エンゲルブレクトそのものへの恐れは消えない。

 特に、優し気な語り口で狂気の言葉を口にしながら剣を突き立てられた恐怖。

 短剣の先端が骨にあたってもギリギリと力をこめる残忍な凶行。左肩だけでなく右肩にも剣を突き立てられ、肩から全身に走った激痛。

 それらを思い出すと体が縮こまる。息ができなくなる。外に出れば、エンゲルブレクトがいるかもしれない。そう思うと外に出るのが怖かった。

 胸の奥に巣食った「恐怖」は、まだ完全には消えていないのだ。

 動きたい自分と、動けない自分。

 二つの思いが胸の中でぶつかりあい、アシェルナオは大窓の縁に額を寄せた。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 エール、いいね、ありがとうございます。

 更新が止まってしまってすみません。

 ようやくナオが登場しました。

 魔獣との闘いがもうちょっと続きますが、また応援いただけると嬉しいです。
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