そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

文字の大きさ
458 / 502
第5部

なんだ?

しおりを挟む
 「ナオ様、王城からのお迎えの馬車が到着しました」

 1階のホールでお茶を飲みながら待機していたアシェルナオは、テュコの報告を受けて、はーい、と返事をして座っていたソファから立ち上がった。

 王妃から晩餐にお呼ばれしたアシェルナオの服装は膝丈までのジュストコール風の上衣を着ていた。前立ては閉じており、下に行くにつれ広がるシルエットで、華やかな刺繍が施されている。色はヴァレリラルドの瞳よりも少し薄い青だった。

 上衣から覗くドレスシャツとタイトなブリーチズは白だが、ロングブーツは青で、ヴァレリラルドの色を全身に纏っていた。

 両サイドの髪の毛をカールさせて垂らし、残りの髪は編み込んでいて、後頭部に銀色のヘアブローチが輝いている。同じ形のブローチが上衣の左の胸元にも光っていた。

 「行ってくるね、アイナ、ドリーン」

 「キュッキュー」

 手を振るアシェルナオと体を揺らすふよりんに、

 「ナオ様、お綺麗です」

 「楽しんでいらしてください」

 アイナとドリーンも笑顔で手を振って見送った。




 

 ヘルクヴィストの領城。

 「ハハトはもう上がっていいぞ。今夜は早めに休む。明日の朝までは部屋に誰も寄越すな」

 領主の執務机に向かうエンゲルブレクトは腕の怪我も完治し、その声はどこか浮ついているようだった。

 ハハトは自分でも不思議なほど冷静にその指示を受け止め、一礼して執務室を辞した。

 厚い絨毯の敷かれた廊下を歩くハハトの姿勢は美しく、その顔に変化はなかった。

 すれ違う使用人たちは立ち止まり、一礼する。ハハトもまた軽く会釈して通り過ぎた。

 ヘルクヴィスト領城の5階にある私室に戻ると、窓際の机の引き出しから短剣を取り出す。

 柄に流麗な彫刻が施されたその短剣は、父ベドジフの形見だった。

 ハハトの父ベドジフは、かつて先々王ビヨルブラントの筆頭侍従を務めていた。

 国王の侍従であったベドジフは、幼いハハトにとって憧れの存在だった。幼少期から父と同じ職に就くことが夢だった。

 王立学園の初等課程を修了したハハトは、高等課程に通いながら王城で侍従見習いとして働き始めた。

 はじめは国王の賓客の従者をもてなす係の補佐や、式典記録の確認といった雑務を任された。地道な仕事だったが、それも父に近づく一歩だと思えば、やりがいがあった。

 だが、やがてハハトは王城の闇に気づいていく。

 ビヨルブラントが公の場に姿を見せることはほとんどなく、議会も国王不在のまま当然のように進められていた。宰相をはじめ大臣たちは大臣は暴利を貪るためにしか議会を回してはいなかった。

 当時ハハトは奥城への立ち入りを許されていなかったが、若輩の自分でも王城の異様さに気づいていた。

 学園を卒業すると、ついに国王の従者の末席に連なり、奥城への立ち入りが許されるようになった。

 かつて奥城の庭には広大な芝生の先に四季折々の花が咲き、中央には白大理石の泉が静謐な水をたたえていたという。

 しかし今では、庭は離宮で埋め尽くされ、離宮同士をつなぐ回廊が迷路のように張り巡らされていた。

 離宮からは囁き声や物音が絶えず、花の香りは香油と煙草の匂いに取って代わっていた。使用人たちの目は死人のように淀み、感情を持たない者のように働いていた。

 淫靡で退廃。そしてこの国の腐敗のすべてが離宮にあるとハハトは察した。

 ある日、ビヨルブラントに呼ばれたベドジフの後を追って足を踏み入れた離宮で、ハハトは今までにない衝撃を受けた。寝台に腰かけていたビヨルブラント。寝台には離宮を与えられていた女が苦悶の表情を浮かべたまま息絶えていたのだ。

 「すぐに新しい住人が来る。片づけておけ」

 その一言に、ベドジフは無言で頷き、王家のマジックバッグに遺体を収めた。まるで魔獣の亡骸のように無造作に。

 通常、マジックバッグには生死を問わず人間を入れることはできない。だが、王家のそれには制限がなかった。

 倫理を無視した王家の魔道具に、ハハトは背筋が凍る思いがした。

 その夜、奥城の侍従詰所に戻ったベドジフは重い口調で語り出した。

 ビヨルブラントの残虐性について。本当はハハトを奥城の侍従にしたくなかったこと。死体の片付けを継がせるために後継者に指名せざるを得なかったこと。命令には逆らえなかったこと。妻――ハハトの母の命を握られていたこと。ビヨルブラントには異常な性嗜好があり、日に日にエスカレートしていること。

 無言で死体を処理し、新しい住人を迎えるために離宮を整えていたベドジフを目の当たりにしていたハハトは、底のない恐怖に自分も巻き込まれたことを知った。

 議会では大臣たちが自身の利益を追求するばかりで、反対する議員はすぐに放逐された。残った議員は太鼓持ちに徹するか、沈黙を貫く者ばかり。奥城では国王であるビヨルブラントが残忍な凶行を繰り返している。

 この国に未来はないのかもしれない。そんなハハトの懊悩は、1年も経たずに終わりを迎えた。

 ある朝、ビヨルブラントは起き上がることもできないほどの不調を訴えた。医師や癒し手が呼ばれたが、原因もわからぬままその日のうちに息を引き取った。

 臨月だった側妃エドラは王の死のショックで産気づき、難産の末に王子を出産したが、死産だった。エドラ自身も産褥で死亡し、それを見届けるように王妃も亡くなった。

 すべてが終わった。そう思ったが、エドラ妃の産んだ王子が奇跡的に息を吹き返した。

 だがその子は残虐なビヨルブラントと、ビヨルブラントを手玉に取るほどの欲望にまみれたエドラ妃の子。決して王にさせてはいけない王子だった。

 その王子はエンゲルブレクトと名付けられ、セーデルブラント王太子の第二王子として世に出されることになった。

 王、王妃、側妃の国葬と、王太子の戴冠式が滞りなく執り行われた。

 すべてが終わったあと、ベドジフはハハトに言った。

 「エンゲルブレクト王子の侍従となれ。もしエンゲルブレクト王子がビヨルブラントのように残虐性を示すことがあれば、お前の手で殺せ。でなければビヨルブラント王の再来となる」「私は多くの死体を処理してきた。私の手は血に汚れすぎた。お前を巻き込んですまない」

 そう言って、ベドジフは短剣で己の胸を突いた……。

 その短剣を、ハハトは懐に忍ばせて部屋を出た。

 17年前、ナオが精霊の泉に落ちてきた頃までは、まだエンゲルブレクトの嗜虐性は表面化していなかった。

 だがエンゲルブレクトが心に大きな闇を抱えていること、得体の知れない存在と通じていることには気づいていた。

 時折、何かの手段で外出し、嗜虐性を満たしているのだろうことも。

 若い頃に幾度も死体を見てきたハハトは、死の匂いに敏感だった。

 エンゲルブレクトからは、その匂いがした。

 定期的に届くラウフラージアからの箱には、生贄が入っていたのだろう。その翌日には、エンゲルブレクトから死臭が漂った。

 領内の見目の良い少年が行方不明になっていると、騎士団団長から聞いたこともある。

 ヴァレリラルドとアシェルナオの婚約式の日、アシェルナオが生きていると知ったときのエンゲルブレクトの目。あの執着に満ちた光は、まさにビヨルブラント王の再来だとハハトは感じた。

 婚約式の後、ハハトが呼び止めてもエンゲルブレクトは理由をつけて1人でシアンハウスに向かった。精霊の泉から瘴気が上がったのはその直後。サミュエルの話によれば、泉に多数の少年の遺体が投げ込まれていたことが原因だという。

 王家のマジックバッグ、あるいは同等の効果を持つ道具に死体を蓄えていたのだろう。

 その事実に気づいたハハトは、己の決断の遅さを悔いた。

 『今夜は早めに休む。明日の朝までは誰も来なくてよい』

 その言葉の意味は、すなわち今夜も凶行に及ぶということ。

 ハハトは、つい先ほど辞したばかりの執務室を再び訪れた。

 「申し訳ありません、エンゲルブレクト殿下。伝え忘れていたことがございました」

 そう言いながら、ゆっくりと執務机に歩み寄る。

 「なんだ?」

 顔を上げたエンゲルブレクトの眼前で、ハハトの短剣が閃いた――。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 感想、エール、いいね、ありがとうございます。

 クライマックスまでよろしくお願いします。
しおりを挟む
感想 152

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

クラスメイトのイケメンと二人組になったらめちゃくちゃ執着されてた

BL
「はい、じゃあ二人組作って」──あまり人付き合いが得意ではない夏稀(なつき)にとってそれは地獄の言葉。 けれど高校ではちがう。なぜなら新しくできた友達と『二人組』協定を結んだから。 もう二人組なんて怖くないと思っていた矢先、その友達が風邪で欠席。 ほかに組む相手が見つからず、先生と組むことも覚悟する夏稀だったが、そこで声をかけてきたのは美形の転校生──緒川聖夜(おがわ・きよや)だった。 「俺と二人組にならない?」 その一言をきっかけに聖夜は夏稀との距離を急速に縮めてきて──。 執着美形攻め×平凡受けのちょっと不穏な学園BL。 ※色々設定変えてたら間違って消してしまいました。本当にすみません…!

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

「呪いを解くには毎日可愛いと言ってください」と嘘をついたら、氷の聖騎士様が本気で口説きにかかってきました

たら昆布
BL
間違って呪われた青年と呪いを解除したい騎士の話 番外編はその友達たちの話

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

泣き虫だったはずの幼なじみが再会したら僕を守るために完璧超人になっていた話。

ネギマ
BL
気弱で泣き虫な高校生、日比野千明は、昔からいじめられっ子体質だった。 高校生になればマシになるかと期待したが状況は変わらず、クラスメイトから雑用を押し付けられる毎日を送っていた。 そんなある日、いつものように雑用を押し付けられそうになっている千明を助けたのは、学校中が恐れる“完璧超人”の男子生徒、山吹史郎だった。 文武両道、眉目秀麗、近寄りがたい雰囲気を纏う一匹狼の生徒だったが、実は二人は、幼い頃に離れ離れになった幼なじみだった――。

大学一軍イケメンにいちご狩りに誘われた陰キャの俺、なぜかいちごじゃなくて俺が喰われたんだが(?)

子犬一 はぁて
BL
大学一軍イケメン×大学九軍陰キャ 喰われるなんて聞いてないんだが(?) 俺はただ、 いちご狩りに誘われただけだが。 なのに── 誘ってきた大学一軍イケメンの海皇(21)に なぜか俺が捕まって食われる展開に? ちょっと待てい。 意味がわからないんだが! いちご狩りから始まる ケンカップルいちゃらぶBL ※大人描写のある話はタイトルに『※』あり

処理中です...