そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

なんだ?

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 「ナオ様、王城からのお迎えの馬車が到着しました」

 1階のホールでお茶を飲みながら待機していたアシェルナオは、テュコの報告を受けて、はーい、と返事をして座っていたソファから立ち上がった。

 王妃から晩餐にお呼ばれしたアシェルナオの服装は膝丈までのジュストコール風の上衣を着ていた。前立ては閉じており、下に行くにつれ広がるシルエットで、華やかな刺繍が施されている。色はヴァレリラルドの瞳よりも少し薄い青だった。

 上衣から覗くドレスシャツとタイトなブリーチズは白だが、ロングブーツは青で、ヴァレリラルドの色を全身に纏っていた。

 両サイドの髪の毛をカールさせて垂らし、残りの髪は編み込んでいて、後頭部に銀色のヘアブローチが輝いている。同じ形のブローチが上衣の左の胸元にも光っていた。

 「行ってくるね、アイナ、ドリーン」

 「キュッキュー」

 手を振るアシェルナオと体を揺らすふよりんに、

 「ナオ様、お綺麗です」

 「楽しんでいらしてください」

 アイナとドリーンも笑顔で手を振って見送った。




 

 ヘルクヴィストの領城。

 「ハハトはもう上がっていいぞ。今夜は早めに休む。明日の朝までは部屋に誰も寄越すな」

 領主の執務机に向かうエンゲルブレクトは腕の怪我も完治し、その声はどこか浮ついているようだった。

 ハハトは自分でも不思議なほど冷静にその指示を受け止め、一礼して執務室を辞した。

 厚い絨毯の敷かれた廊下を歩くハハトの姿勢は美しく、その顔に変化はなかった。

 すれ違う使用人たちは立ち止まり、一礼する。ハハトもまた軽く会釈して通り過ぎた。

 ヘルクヴィスト領城の5階にある私室に戻ると、窓際の机の引き出しから短剣を取り出す。

 柄に流麗な彫刻が施されたその短剣は、父ベドジフの形見だった。

 ハハトの父ベドジフは、かつて先々王ビヨルブラントの筆頭侍従を務めていた。

 国王の侍従であったベドジフは、幼いハハトにとって憧れの存在だった。幼少期から父と同じ職に就くことが夢だった。

 王立学園の初等課程を修了したハハトは、高等課程に通いながら王城で侍従見習いとして働き始めた。

 はじめは国王の賓客の従者をもてなす係の補佐や、式典記録の確認といった雑務を任された。地道な仕事だったが、それも父に近づく一歩だと思えば、やりがいがあった。

 だが、やがてハハトは王城の闇に気づいていく。

 ビヨルブラントが公の場に姿を見せることはほとんどなく、議会も国王不在のまま当然のように進められていた。宰相をはじめ大臣たちは大臣は暴利を貪るためにしか議会を回してはいなかった。

 当時ハハトは奥城への立ち入りを許されていなかったが、若輩の自分でも王城の異様さに気づいていた。

 学園を卒業すると、ついに国王の従者の末席に連なり、奥城への立ち入りが許されるようになった。

 かつて奥城の庭には広大な芝生の先に四季折々の花が咲き、中央には白大理石の泉が静謐な水をたたえていたという。

 しかし今では、庭は離宮で埋め尽くされ、離宮同士をつなぐ回廊が迷路のように張り巡らされていた。

 離宮からは囁き声や物音が絶えず、花の香りは香油と煙草の匂いに取って代わっていた。使用人たちの目は死人のように淀み、感情を持たない者のように働いていた。

 淫靡で退廃。そしてこの国の腐敗のすべてが離宮にあるとハハトは察した。

 ある日、ビヨルブラントに呼ばれたベドジフの後を追って足を踏み入れた離宮で、ハハトは今までにない衝撃を受けた。寝台に腰かけていたビヨルブラント。寝台には離宮を与えられていた女が苦悶の表情を浮かべたまま息絶えていたのだ。

 「すぐに新しい住人が来る。片づけておけ」

 その一言に、ベドジフは無言で頷き、王家のマジックバッグに遺体を収めた。まるで魔獣の亡骸のように無造作に。

 通常、マジックバッグには生死を問わず人間を入れることはできない。だが、王家のそれには制限がなかった。

 倫理を無視した王家の魔道具に、ハハトは背筋が凍る思いがした。

 その夜、奥城の侍従詰所に戻ったベドジフは重い口調で語り出した。

 ビヨルブラントの残虐性について。本当はハハトを奥城の侍従にしたくなかったこと。死体の片付けを継がせるために後継者に指名せざるを得なかったこと。命令には逆らえなかったこと。妻――ハハトの母の命を握られていたこと。ビヨルブラントには異常な性嗜好があり、日に日にエスカレートしていること。

 無言で死体を処理し、新しい住人を迎えるために離宮を整えていたベドジフを目の当たりにしていたハハトは、底のない恐怖に自分も巻き込まれたことを知った。

 議会では大臣たちが自身の利益を追求するばかりで、反対する議員はすぐに放逐された。残った議員は太鼓持ちに徹するか、沈黙を貫く者ばかり。奥城では国王であるビヨルブラントが残忍な凶行を繰り返している。

 この国に未来はないのかもしれない。そんなハハトの懊悩は、1年も経たずに終わりを迎えた。

 ある朝、ビヨルブラントは起き上がることもできないほどの不調を訴えた。医師や癒し手が呼ばれたが、原因もわからぬままその日のうちに息を引き取った。

 臨月だった側妃エドラは王の死のショックで産気づき、難産の末に王子を出産したが、死産だった。エドラ自身も産褥で死亡し、それを見届けるように王妃も亡くなった。

 すべてが終わった。そう思ったが、エドラ妃の産んだ王子が奇跡的に息を吹き返した。

 だがその子は残虐なビヨルブラントと、ビヨルブラントを手玉に取るほどの欲望にまみれたエドラ妃の子。決して王にさせてはいけない王子だった。

 その王子はエンゲルブレクトと名付けられ、セーデルブラント王太子の第二王子として世に出されることになった。

 王、王妃、側妃の国葬と、王太子の戴冠式が滞りなく執り行われた。

 すべてが終わったあと、ベドジフはハハトに言った。

 「エンゲルブレクト王子の侍従となれ。もしエンゲルブレクト王子がビヨルブラントのように残虐性を示すことがあれば、お前の手で殺せ。でなければビヨルブラント王の再来となる」「私は多くの死体を処理してきた。私の手は血に汚れすぎた。お前を巻き込んですまない」

 そう言って、ベドジフは短剣で己の胸を突いた……。

 その短剣を、ハハトは懐に忍ばせて部屋を出た。

 17年前、ナオが精霊の泉に落ちてきた頃までは、まだエンゲルブレクトの嗜虐性は表面化していなかった。

 だがエンゲルブレクトが心に大きな闇を抱えていること、得体の知れない存在と通じていることには気づいていた。

 時折、何かの手段で外出し、嗜虐性を満たしているのだろうことも。

 若い頃に幾度も死体を見てきたハハトは、死の匂いに敏感だった。

 エンゲルブレクトからは、その匂いがした。

 定期的に届くラウフラージアからの箱には、生贄が入っていたのだろう。その翌日には、エンゲルブレクトから死臭が漂った。

 領内の見目の良い少年が行方不明になっていると、騎士団団長から聞いたこともある。

 ヴァレリラルドとアシェルナオの婚約式の日、アシェルナオが生きていると知ったときのエンゲルブレクトの目。あの執着に満ちた光は、まさにビヨルブラント王の再来だとハハトは感じた。

 婚約式の後、ハハトが呼び止めてもエンゲルブレクトは理由をつけて1人でシアンハウスに向かった。精霊の泉から瘴気が上がったのはその直後。サミュエルの話によれば、泉に多数の少年の遺体が投げ込まれていたことが原因だという。

 王家のマジックバッグ、あるいは同等の効果を持つ道具に死体を蓄えていたのだろう。

 その事実に気づいたハハトは、己の決断の遅さを悔いた。

 『今夜は早めに休む。明日の朝までは誰も来なくてよい』

 その言葉の意味は、すなわち今夜も凶行に及ぶということ。

 ハハトは、つい先ほど辞したばかりの執務室を再び訪れた。

 「申し訳ありません、エンゲルブレクト殿下。伝え忘れていたことがございました」

 そう言いながら、ゆっくりと執務机に歩み寄る。

 「なんだ?」

 顔を上げたエンゲルブレクトの眼前で、ハハトの短剣が閃いた――。



 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 感想、エール、いいね、ありがとうございます。

 クライマックスまでよろしくお願いします。
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