そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

どんな顔をしていた?

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 王城の南門前、噴水が煌めく迎賓用の馬車寄せに馬車が到着すると、出迎えたのは白髪を後ろで一つに纏めたカサンドラと、星の離宮の執事のダリミルだった。

 カサンドラは王妃テレーシアの侍女頭で、一見すると厳しそうにも見える硬質な顔つきだが、その目は慈愛に満ちているところが琉歌の母に似ていて、アシェルナオは勝手に親近感を覚えていた。

 ダリミルが馬車の扉を開け、先に降りたテュコが中に向けて手を差し出す。

 その手を取って馬車を降りたアシェルナオはカサンドラとダリミルを見て笑顔になった。

 「お待ちしておりました、アシェルナオ様。本日は王妃陛下のお招きに応じていただき、ありがとうございます」

 「はーい。……あ、お招きいただいたことを嬉しく思います」

 正式な招待ということを思い出して、アシェルナオはあらたまった挨拶をした。

 「キュッ」

 ふよりんもピシっと挨拶をする。

 「王妃陛下もアシェルナオ様と会えることを大層お喜びです。アネシュカ殿下と首を長くしてお待ちですよ。さあ、どうぞ」

 テレーシアの意向を汲んで形式ばらずに案内するカサンドラに、アシェルナオも笑顔で歩き出す。

 先頭はテレーシア付きの護衛騎士2人。その後ろにカサンドラ。その後ろを歩くアシェルナオにはダリミルが横についていた。

 「ナオ様、また星の離宮にもお越しください。うさうさもきっと喜びます」

 「うさうさ? うさうさに会いたい。ね、ダリミル。テュコに内緒で遊びに行ってもいい?」

 「いいわけがありません」

 ダリミルのお誘いに可愛くねだるアシェルナオだが、後ろにいるテュコが速攻で反対した。

 「もう、テュコがだめって言うから、内緒で、って言ってるんだよ? ふよりんもうさうさに会いたいよね?」

 「キュウ?」

 「ふよりんをだしにしてもダメです」

 可愛く口を尖らすアシェルナオと、うさうさって何? という声で体を揺らすふよりん。あっさり却下するテュコを見てカサンドラは頬を緩める。

 「アシェルナオ様と王太子殿下の結婚が待たれます。きっと王城が華やかになるでしょう」

 「うん。学園を卒業したらね」

 「オリヴェル様もシーグフリード様も、学園を卒業しても当分先と言っておられます」

 「テュコ殿、あんまり父親のしめつけが厳しいと、娘は駆け落ちするものですよ」

 うんうん、と頷くキナクに、

 「誰のしめつけが厳しいんだ?」

 「誰が娘?」

 テュコとアシェルナオが同時に振り向く。

 「本当に待ち遠しいです」

 ナオの消失で心を失くしていたヴァレリラルドを、また笑顔にしてくれた。テレーシアもだがカサンドラもまた、アシェルナオに感謝してもし足りなかった。
 



 奥城につながる廊下に行くための回廊に足を踏み入れたアシェルナオは、向かい側の回廊にいる人物を見つけて息を詰める。

 濃藍の上衣に黒のブリーチズをまとったその男は、王城を訪れたというより執務の合間に少し抜け出してきたような雰囲気で陽の差す回廊に立っていた。

 それは、アシェルナオの心の奥深くに潜んでいる恐れをことあるごとに呼び覚ます存在、エンゲルブレクトだった。

 アシェルナオがエンゲルブレクトに恐れを覚えるようになったのは、17年前に出会ってすぐの頃だった。エンゲルブレクトの口にした言葉が、かつて黒い車の男が発したものとそっくりで、アシェルナオは偶然とはいえ怖さを感じた。

 言葉だけでなくエンゲルブレクトの痩せぎみの長身と眼鏡、冷えた目元が黒い車の男に似ていたせいで、黒く大きな馬車に彼と乗り込むのが怖くてテュコやヴァレリラルドにわがままを言ったこともあった。

 アシェルナオに生まれ変わってからも、エンゲルブレクトに対する恐怖は心の奥底に根を張ったままだった。デビュタントに来るのかもしれない。その可能性を思うだけで、胸の内がざわざわと波立ったこともあった。
 
 メイエの件で倒れたときには、夢の中で“黒い車の男”の顔がエンゲルブレクトへと変わっていた。あの目、あの声、あの気配が、全身を覆うように迫ってきて恐ろしかった。

 婚約式で再び顔を合わせたときには、エンゲルブレクトは意味ありげにアシェルナオが加護を受けた年齢を口にした。なぜ知っているのか、心が騒いでしかたなかった。

 そのエンゲルブレクトから、アシェルナオは視線を外せなかった。

 陽が傾き、柔らかな光が斜めに差し込む。その光の中で、エンゲルブレクトの金髪が風に揺れた瞬間、アシェルナオの胸がドクンと脈打った。

 そういえば。

 安らぎの家からエンロートの古城に戻ったとき、真っ先に目に入ったヴァレリラルドの金髪が怖かった。思い返せば、それは17年前のあの時の記憶を間近に感じたからだった。
 
 なぜ、そんなにも“あの日”を間近に感じたのだろう?

 『どんな顔をしていた?』

 かつてシーグフリードに問われた言葉が、唐突に胸によみがえった。

 不規則に跳ねる鼓動が、アシェルナオをあの日の記憶へと引きずり込む。

 自分を押さえつけ、暴力をふるい、恐怖を植え付けて征服しようとした男。その男はどんな顔をしていた?

 その顔を、思い出せない。思い出してはいけないと、心が必死で警鐘を鳴らす。

 だが、それでも、シーグフリードの問いに答えたいという思いが、記憶の封印に手をかける。

 記憶の中に入り込んで、アシェルナオは恐怖と戦いながら懸命に目を開ける。

 見えたのは、ヴァレリラルドよりもくすんだ金色の髪。神経質そうな面差しに、歪んだ欲望を貼りつけた表情。痺れるような嫌悪を呼び起こす、あの悍ましい手つき。

 そして。

 『ナオ様、続きはまた』

 その声。

 その囁き。

 それは、紛れもなくエンゲルブレクトだった。

 恐怖と混乱の中で封印していた真実を見つけたアシェルナオの動揺を見透かすように、エンゲルブレクトは薄い唇の端を吊り上げる。

 その目は狂気を孕んでアシェルナオを見ていた。まるで、逃げ出した獲物を見つけた捕食者のように。

 記憶の奥底からあの日の恐怖が這い出してくる。アシェルナオの背中を、冷たいものが這う。体が震え、喉がひとりでに鳴った。

 「ナオ様?」

 ふいに立ち止まったアシェルナオをテュコが訝しむ。その声に、アシェルナオは我に返ってテュコとキナクをすり抜けるように駆け出した。

 「キュッ!」

 「ナオ様!」

 「アシェルナオ様?」

 得体の知れないものに魅入られた恐怖に捕らわれたアシェルナオは、自分はもう見つかってしまったが、それでもテュコたちを巻き込んではいけないという衝動に駆られていた。

 来た道を全力で駆け戻るアシェルナオと、突然駆け出したアシェルナオをすぐに追いかけるテュコたちの耳に、「キィィン……」という高い音が響いた。

 音はアシェルナオとテュコが装備している、空間の歪みを検知してアラームを鳴らす魔道具からだった。

 「ダリミル、緊急警報を鳴らせ! キナク、護衛騎士を呼べ! 緊急事態だ!」

 アシェルナオを追いかけながらテュコが叫ぶ。

 一瞬で空気が張り詰めた王城内。

 高音のアラーム音に「ギュ、ギギィ……」と空気が裂けるような不協和音が混ざり始める。それは近くに恐ろしいものがいることを表しているようで、聞いていて背筋が寒くなる不快な機械音だった。

 「ナオ様!」

 背後でテュコが叫ぶ。

 この世の絶望が集まったような、この世界の終焉を告げるようなアラーム音に怯えるアシェルナオの目の前で空間に裂け目が出来た。




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