そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

ふざけるなっ!

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 「アシェルナオ様っ!」

 キナクが悔し気に、すでに何もなくなった空間を睨みつける。

 「ナオは!」

 「何があった、テュコ!」

 真っ先に駆けつけたのはヴァレリラルドとウルリク、ベルトルドだった。それから少し遅れてシーグフリードとイクセル。間を置かずにケイレブやクランツら統括騎士団や近衛騎士団も駆けつけ、立ち尽くすキナクと片膝をつくテュコを取り囲む。

 「エンゲルブレクト殿下が突然現れて、アシェルナオ様を空間の裂け目に連れ去りました」

 キナクの報告を聞いて、ヴァレリラルドの理性が軋んだ。

 エンゲルブレクトがアシェルナオを連れ去って何をしようとしているのか。そう思うだけで肌が粟立った。怒りもあるが、それを凌駕するのは恐怖だった。

 「叔父上が……くそっ、ナオはどこに!」

 拳を握りしめ、ヴァレリラルドが感情を露わにする。

 「王城を閉鎖しろ。王城の陛下、奥城の王妃陛下と姫殿下の警護を厚くしろ。周囲の警戒を怠るな」

 ケイレブの指示で近衛騎士団と統括騎士団の騎士たちが散っていく。
 
 「ふざけるな……」

 テュコは肩で息をしながら奥歯をギリリと噛みしめた。

 「テュコ、大丈夫か!」

 クランツが手を貸そうとするのを拒んで、テュコは怒りに満ちた顔で立ち上がる。その背中はキラキラと光っていた。

 「ふざけるなっ」

 背中から温かな気が全身に巡っていた。痛みもほとんどなくなっていた。それはアシェルナオが大きいぴかに助けを求め、大きいぴか、つまり光の精霊がそれに応えてくれたからだった。

 侍従として理性的な行動を心がけているテュコだが、今は威圧感すら漂う憤怒の表情を浮かべていた。

 「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! あなたのいない人生のどこに幸せになれる要素があるんですかっ!」

 激昂の原因は連れ去られる前にアシェルナオが言いかけた『僕がいなくても、幸せな……』という言葉だった。

 アシェルナオはテュコに光の精霊の加護を与え、自分の亡き後は幸せな人生を送ってほしいと願ったのだろう。そんなアシェルナオにテュコは憤っており、それ以上に己の不甲斐なさに激昂しているのだ。

 「テュコ殿がマジギレしてる……」

 その迫力に、キナクは震えた。 

 「ケイレブ、マフダルに連絡を。17年前のあの場所にナオが拉致されていないか確認するように伝えろ。シグ、私は転移陣でヘルクヴィストに行く。何かわかれば連絡を。ウルとルド、それにクランツとイクセルを連れて行くが、叔父上の行方がわかれば戻り次第奪還に向かう。その時の手配を頼む。それにフォルシウスとオルドジフを呼び寄せろ。メーヴィスはいらない」

 ヴァレリラルドは早口で指示を飛ばしながら転移陣の間に向かおうとしたが、

 「私も行きます」

 テュコが背後から待ったをかけた。

 「テュコは休んでいろ。ナオは必ず私が奪還する」

 「私は今とてつもなく怒っています。黙って連れて行け」

 不敬上等。テュコはヴァレリラルドを睨みつける。

 「血が流れ過ぎだ。足手まといに」

 「ならない」

 食い気味にテュコは言い返す。アシェルナオのこととなると絶対に引かないテュコに誰も何も言えなかった。が、

 「その恰好で行くのか? 傷は治ったようだが、その服を見るとアシェルナオが心配する」

 シーグフリードが眉を顰める。

 光の精霊が傷を治癒してくれても服はそのままで、テュコの服の背中には大きな裂け目ができていた。

 指摘されて言葉に詰まるテュコに見覚えのある使用人がシャツと騎士服の上着を差し出す。

 「星の離宮に準備しておいたテュコ用の服だ」

 使用人の後ろからダリミルが声をかける。

 テュコが背中を斬られた時に、こういう事態になるかもしれないと、ダリミルはすぐに星の離宮の使用人に服を持って来るように連絡したのだ。

 「助かる、ダリミル。殿下、さっさと行きますよ。キナク、屋敷に戻って報告を。ナオ様は必ず私が連れ戻す」

 ダリミルの介助で着替えをしながら、テュコはヴァレリラルドらとともに足早に転移陣の間に向かった。




 ヘルクヴィスト領城。

 中庭に面した別棟に位置する転移陣の間は堅牢な石造りで、そこにヴァレリラルドを先頭にテュコたちの姿が現れると、

 「お待ちしておりました」

 連絡を受けて待ち構えていた家令のケーレマンスが背筋を伸ばして腰を折る。

 「事情は聞いていると思う。叔父上の執務室に案内してくれ」

 天井の高い転移陣の間にヴァレリラルドの声が響く。いつもは気にならない微かな残響が聞こえるほど、ヴァレリラルドたちからはピリピリした雰囲気があった。

 「聞いておりますが、エンゲルブレクト様はハハトと一緒に、午後からずっと執務室にいらっしゃるとばかり……」

 ケーレマンスには先ほどエンゲルブレクトが王城に現れたことが伝えられていたが、監視していた身としては信じられずに困惑しているようだった。

 「ハハトが一緒……」

 ヴァレリラルドはハハトを物心ついたときから知っているが、温厚で決して悪いことのできる人物ではないと評価していた。そのハハトが、エンゲルブレクトの行き先を知っていて隠しているのだろうか。

 一行は疑問を抱えながら転移陣の間を出て、主塔の上層階の東向きの角部屋にある領主の執務室に向かう。

 「変わったことは?」

 エンゲルブレクトの執務室の扉の前に来ると、ケーレマンスは扉の両脇にいる衛兵を見た。

 「ハハト様が一度退出されましたが、すぐに戻って来られました。他に変わったことはございません」

 衛兵の言葉に頷きながら、ケーレマンスは扉を叩いた。

 「エンゲルブレクト様。ケーレマンスです。王太子殿下が急ぎの用でお見えです。お通しします」

 言うと同時に扉を開ける。

 執務室の中はいつものように整然としていた。壁際に並んだ分厚い書棚、壁掛け時計のかすかな刻音、窓の側に置かれた、大理石の天板を持つ執務机。

 執務机の陰にうつぶせに倒れている人影を見てケーレマンスが駆け寄る。

 「ハハト!」

 ハハトの体の下から血が染み出し、絨毯を暗く染めていた。

 ケーレマンスに続いて執務室に駆け込んだヴァレリラルドたちは、エンゲルブレクトによく尽くし、エンゲルブレクトも全幅の信頼を寄せていたハハトがなぜ、と疑問を深くした。

 「息があります」

 ケーレマンスの言葉に、イクセルが膝をつき、ハハトの体をそっと仰向けにする。ハハトの顔色は青白く、意識は微かにあるようで薄く目を開いていた。

 「ハハト、しっかりしろ。何があった」

 「王太子殿下……申し訳……ありません……生まれてすぐからお側にいたエン……殿下に……情がわいていたようです……」

 ビヨルブラントの再来にはさせない。

 父の意志というより、エンゲルブレクト自身のためにハハトは刃を向けたが、一瞬のためらいを見せたがために返り討ちに遭っていた。

 それでもすぐに絶命させなかったのは、エンゲルブレクトもまた、ハハトに対して非情になりきれなかったのかもしれなかった。

 「叔父上がナオを連れ去った。叔父上の行き先に心当たりはないか」

 「ナオ様が……」

 純粋な心で誰にでも優しく接する愛し子が、エンゲルブレクトの魔の手にかかろうとしている。そう思うとハハトは自分の甘さを呪った。

 「ナオを助けたい。頼む、ハハト。教えてくれ」

 「王都……アシュトル区の西端……三の塔裏通り……亡きタルマン卿の甥名義のタウンハウス……ナオ様を……」

 「ああ、必ずナオは取り戻す。ケーレマンス、ハハトを頼む」

 「私はもう……」

 「死ぬな、ハハト。ハハトが死ねばナオが悲しむ」

 ヴァレリラルドはハハトの手を強く握りしめた。

 その言葉に、生き延びるのは嫌だが、アシェルナオを悲しませたくないと願ってしまうハハトだった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 感想、エール、いいね、ありがとうございます。

 次回はナオちゃんの危機です。書きたくありません。でも書かないといけない場面です。応援いただけると嬉しいです。
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