そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

文字の大きさ
464 / 502
第5部

え? 僕、また死んじゃったの……?

しおりを挟む
 「三階だ。行くぞ」

 逸る心を抑えきれないヴァレリラルドは馬を降りる。

 「他に誰かいるかもしれない。慎重に」

 ヴァレリラルドを先走らせてはいけない、と、ケイレブやテュコ、クランツ、ウルリクたちも馬を降りる。

 馬車で同行していたシーグフリードも緊張した顔つきで合流した時、手のひらほどの光が上空からふわりと現れた。

 「この光は……」

 かつてこの光を見たことのあるヴァレリラルドとケイレブ、クランツは息を飲む。

 光を見ていたふよりんは毛を逆立てた。

 「キュィィィ――――ッ!」

 ふよりんの絶叫のような咆哮がシンと静まり返る夜の街に響き渡る。

 「え……」

 絶句するクランツと、咆哮に驚く人々の前でふよりんはみるまに体を大きくして成獣の姿になった。

 わふ!

 ヴァレリラルドに向けて一声発するふよりんに、クランツは震える声で「乗れと言っています」と通訳した。

 ヴァレリラルドは迷わずにふよりんの背中に飛び乗る。

 「殿下!」

 「ラル!」

 叫ぶ者たちの心配をよそに、光に先導されるようにふよりんは三階の窓に向けて飛びあがった。

 「クランツ、ふよりんは何を叫んだんだ」

 顔面蒼白のクランツに、シーグフリードが詰め寄る。

 「ナオ様が……天に召されたと……」

 一瞬クランツが何を言っているのかわからなかったシーグフリードだが、理解すると同時に駆け出す。それより早く、テュコが真っ先に玄関の扉を蹴破って屋敷の中に飛び込んだ。






 リビングの南向きの大窓は、アイボリーの木枠のサッシに縁どられ、厚手のグレージュのカーテンが両脇に優雅に束ねられている。
 
 フローリングは足音を柔らかく吸収する白樺材で、リビングの中央には濃紺のビロード地の三人掛けソファがどっしりと構えていた。

 その前にはクラシックなオーク材のローテーブル。テーブルの上には花柄の陶器のキャンドルホルダー。

 壁際にはアイボリーの飾り棚があり、家族写真が飾られている。その大半は赤ちゃんの頃から高校生になるまでの梛央の写真だった。

 ベルリンのシャルロッテンブルク地区にあるクラシックな建築様式を残した改装済みアパルタメント。その三階と屋根裏を占有するメゾネットの住人は晃成と琉歌で、新婚旅行で滞在した時の住み心地に良さが気に入った薫瑠とその夫も最近越してきていた。

 薫瑠夫婦は妊娠が発覚してからの結婚で、あと数か月で新しい命が誕生しようとしていた。

 「梛央、あなたもうすぐ叔父さんになるのよ」

 琉歌は写真の中の梛央に語り掛ける。

 新しい家族が加わるのはこの上ない喜びで、孫が生まれればきっと可愛いに決まっている。

 けれど、梛央に向ける以上の愛情を注げるかといえば、そうではない。あくまでも生まれて来る孫は薫瑠の子。琉歌にとってお腹を痛めて生んだ梛央とは愛情の深さは違うのだ。

 今でも梛央の写真を見ると胸が痛んで仕方がない。会いたくて仕方がない。でも、別の世界で生きている梛央の無事を願うように、こうして毎日梛央に語り掛けていた。

 「ただいまー。あー、あったかーい」

 散策から帰ってきた薫瑠がマフラーをはずしながらリビングに顔を出した。

 「ただいま」

 薫瑠の後ろから背の高い男性が笑顔で会釈する。

 「おかえりなさい、薫瑠、優人くん。外は寒かったでしょう? お茶にしましょうね。優人くん、書斎にいるパパを呼んできて」

 はい、と頷いて優人が書斎に向かうと、薫瑠は外套をソファの背もたれにおいてキッチンで手を洗い、琉歌の手伝いをする。

 「日本より寒いけど、この街すごく素敵。ここに越してきてよかった」

 薫瑠は上機嫌で、買ってきたマドレーヌをデザート皿に盛りつける。

 「初めての出産だから、一緒に暮らすのは私も賛成よ? でも優人くんはよかったの? 仕事もあるでしょう?」

 「今までもほとんどリモートワークだったし、ベルリン支社に異動扱いになってるから大丈夫って」
 
 「薫瑠はそう言うけど、優人くん、年下だから無理して合わせてくれてるんじゃない?」

 「そんなことはないです。俺の仕事は融通がきくし、俺も薫瑠さんが安心して出産できるのでありがたいです」

 晃成と一緒にリビングに入ってきた優人の表情には苦笑が浮かんでいた。

 「ほら、ね」

 勝ち誇ったように腰に手を当てる薫瑠に、

 「音楽活動を制限されてストレスが溜まっている薫瑠の相手は優人くんだけでは難しいからな」

 「ひどぉい、パパ。私が尻に敷いてるみたいじゃない」

 実際そうなのだが、それを享受している優人は人当たりのいい笑顔でソファに座り、琉歌に渡されたコーヒーカップを手に取る。

 もう、と口を尖らせながら自分で淹れたハーブティーを口にする薫瑠は、目の前になにかキラキラするものが落ちてきているのに気付いた。

 「やだ、天井から埃が落ちて来てるわ……」

 薫瑠の言葉に、優人、晃成、琉歌も天井を見上げた。

 古典的なバロック模様のレリーフが縁取りに入っている漆喰の天井からキラキラしたものが落ちていた。

 「薫瑠、これ、埃じゃない」





 「……ナオ」

 自分を呼ぶ声でアシェルナオは瞳を開けた。

 そこは見渡すかぎりのやわらかな白の世界で、アシェルナオ自身も白い衣装を身に纏っていた。

 その衣装には見覚えがあった。17年前にアルテアンに作ってもらった洗礼の儀式のための衣装だった。

 「もしかして、女神様?」

 自分の衣装を見ながら、アシェルナオは確信をもって呟く。

 『……そうです。ナオ、本当にごめんなさい』

 洗礼の儀式と、大浄化の時に姿を見せてくれた女神がアシェルナオの目の前に現れた。

 「僕、女神様にごめんなさいさせるようなこと、した?」

 アシェルナオは身に覚えがなくて、どうしてこんなところにこの衣装でいるのかも見当がつかなくて、小首をかしげる。

 『少し前からのナオの記憶を消しました。……ナオ、私のせめてもの罪滅ぼしです。おいでなさい』

 女神の声とともに、アシェルナオの体が落下した。




 落ちる、と身を強張らせたアシェルナオだったが、実際はふわりと白樺材のフローリングに着地した。

 どこかの家のリビングらしいそこは、大窓の外に近代的なビルとヨーロッパ風の建物が混在した景色が見えて、
 
 「ん? ここ、どこ?」

 アシェルナオは首を捻って、ソファに座る人たちを眺めた。

 お茶の時間だったらしく、カップを手にしたまま固まっている人々を見て、アシェルナオも瞳を見開く。

 「梛央!」

 なぜ、という思いでアシェルナオが口を開く前に、1人の男性が立ち上がって抱きしめて来た。

 その男性の顔には見覚えがあった。17年前からそれ相応に年を重ねた容姿になっていたが、面影ははっきりとあった。

 「え? え? もしかして、優人? えぇ、大人になってる! しかもイケメンな大人になってる」

 きつく抱きしめてくる人物の顔を見て、アシェルナオも嬉しくなって、ぎゅっと抱きしめ返す。

 「梛央、ごめん。俺、あの日、不審者が出没していることも、梛央が悩んでいることもわかっていたのに……。あれからずっと、どうしてあの日梛央と一緒に帰らなかったのか、それか俺の家に泊めなかったのか、ずっとずっと後悔してた。ごめん、梛央」

 「そうなんだ。優人はずっと後悔していたんだ……。ごめん、優人。あれは僕が悪かったから、もう自分を責めないで……って、どうして優人がいるの?」

 おそらく両親の暮らす家なのだろうと思ったが、そこに優人がいる理由がわからなくて、アシェルナオは戸惑った。

 アシェルナオと優人の間に割って入った薫瑠が優人の胸を押す。

 「入婿のくせして、なに一番乗りしてるのよ!」

 怒った時の口調も態度も昔のままの、妙齢になった薫瑠を、アシェルナオはまじまじと見つめた。

 「カオルもおば……大人になったんだ……でも、相変わらず落ち着きないね? え、もしかして、僕のことで負い目のある優人を下僕にしたの?」

 「下僕じゃなくて、授かり婚した夫よ。17年経ってるから大人になってるの当たり前でしょ? てか、おばさんて言おうとしなかった? 梛央こそ、どうして前と同じ姿なの?」

 「梛央!」

 突然目の前に現れた、髪の毛の長さ以外は17年前と同じ姿の息子を見て固まっていた琉歌は、ようやく目の前にいるのが生きた我が子だとわかると立ち上がってしっかりと抱きしめた。

 「母さん……」

 17年前より年を取っているが、まだ若くて美しい琉歌を見て、アシェルナオは胸が詰まった。

 「梛央、会いたかった」

 以前より貫禄がついた晃成も遅ればせながら抱き合う琉歌とアシェルナオに歩み寄ると、両手を広げて2人を抱きしめる。

 「いつか、必ず梛央に会えると信じていたわ。やっと会えた。梛央、私の梛央」

 毎日欠かさず梛央の写真に語りかけていた琉歌は、こらえきれずに泣きじゃくりながらも、アシェルナオを抱きしめる手を決して緩めなかった。
 
 「寂しい思いをさせて、本当にごめんなさい。僕も会いたかったよ。父さんや母さんに届くように、向こうで歌っていたよ」

 「一度だけ、聴こえたわ。梛央が元気なんだってわかった。でも、聴くだけじゃなくて、会いたかった……」

 会いたかった、の言葉に、気持ちがこもりすぎて、琉歌の瞳から後から後から涙が溢れ出る。

 「うん、会いたかった……」

 そうできないことをしてしまった申し訳なさに、アシェルナオも後悔と会えた嬉しさの混じった涙を零した。

 「それで、あの方は、梛央の行った世界の神様なのか?」

 我が子を決して離すまいと抱きしめる手に力をこめながら、晃成はアシェルナオの後ろにいる、光に包まれた女神に視線を向けた。

 「うん。女神様だよ。僕も突然連れてこられたんだ。里帰り的なものなのかな?」

 ここに連れてこられた経緯がわからないアシェルナオは、女神を見て首をひねる。

 「女神様……梛央を連れて来ていただいてありがとうございます。それで、梛央は17年前と同じ姿ですが、向こうの世界は年を取らない世界なのでしょうか? 梛央はこっちの世界に帰ってきたということでいいんでしょうか」

 「向こうもね、年は取るんだよ? 前に会いに来たでしょう? 僕、あの時向こうで一度死んじゃって。向こうの世界に戻って生まれ変わったから、ちょうどいま、前と同じ16歳なんだ」

 てへ、と笑うアシェルナオに、晃成の目が険しくなる。

 「女神様。17年前にこの世界で死んだとき、梛央は向こうの世界に行ったのですよね? 梛央は、生きるためには向こうの世界に行くしかなかったと言いました。そして17年前に向こうで死んだから、その時に梛央は私たちに会いに来ることができたのでしょう? ならば、なぜ今梛央はここにいるんです? 梛央は向こうの世界で、また死んだということですか? 向こうの世界とは、何度も死ぬほど危険な世界なのですか?」

 大事な我が子がまた死ぬような目に遭ったのかと思うと、晃成はやるせない思いだった。

 「えっ、僕……また死んじゃったの……?」

しおりを挟む
感想 152

あなたにおすすめの小説

その首輪は、弟の牙でしか外せない。

ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。 第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。 初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。 「今すぐ部屋から出ろ!」 独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。 翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。 「俺以外に触らせるな」 そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。 弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。 本当にこのままでもいいのか。 ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。 その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。 どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。 リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24) ※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。 三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。

クラスメイトのイケメンと二人組になったらめちゃくちゃ執着されてた

BL
「はい、じゃあ二人組作って」──あまり人付き合いが得意ではない夏稀(なつき)にとってそれは地獄の言葉。 けれど高校ではちがう。なぜなら新しくできた友達と『二人組』協定を結んだから。 もう二人組なんて怖くないと思っていた矢先、その友達が風邪で欠席。 ほかに組む相手が見つからず、先生と組むことも覚悟する夏稀だったが、そこで声をかけてきたのは美形の転校生──緒川聖夜(おがわ・きよや)だった。 「俺と二人組にならない?」 その一言をきっかけに聖夜は夏稀との距離を急速に縮めてきて──。 執着美形攻め×平凡受けのちょっと不穏な学園BL。 ※色々設定変えてたら間違って消してしまいました。本当にすみません…!

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

「呪いを解くには毎日可愛いと言ってください」と嘘をついたら、氷の聖騎士様が本気で口説きにかかってきました

たら昆布
BL
間違って呪われた青年と呪いを解除したい騎士の話 番外編はその友達たちの話

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

俺は夜、社長の猫になる

衣草 薫
BL
冤罪で職を追われた葵は、若き社長・鷹宮に拾われる。 ただし条件は――夜は“猫”として過ごすこと。 言葉を話さず、ただ撫でられるだけの奇妙な同居生活。 タワマン高層階の部屋で、葵は距離を崩さない鷹宮に少しずつ惹かれていく。 けれど葵はまだ知らない。自分が拾われた本当の理由を。

泣き虫だったはずの幼なじみが再会したら僕を守るために完璧超人になっていた話。

ネギマ
BL
気弱で泣き虫な高校生、日比野千明は、昔からいじめられっ子体質だった。 高校生になればマシになるかと期待したが状況は変わらず、クラスメイトから雑用を押し付けられる毎日を送っていた。 そんなある日、いつものように雑用を押し付けられそうになっている千明を助けたのは、学校中が恐れる“完璧超人”の男子生徒、山吹史郎だった。 文武両道、眉目秀麗、近寄りがたい雰囲気を纏う一匹狼の生徒だったが、実は二人は、幼い頃に離れ離れになった幼なじみだった――。

大学一軍イケメンにいちご狩りに誘われた陰キャの俺、なぜかいちごじゃなくて俺が喰われたんだが(?)

子犬一 はぁて
BL
大学一軍イケメン×大学九軍陰キャ 喰われるなんて聞いてないんだが(?) 俺はただ、 いちご狩りに誘われただけだが。 なのに── 誘ってきた大学一軍イケメンの海皇(21)に なぜか俺が捕まって食われる展開に? ちょっと待てい。 意味がわからないんだが! いちご狩りから始まる ケンカップルいちゃらぶBL ※大人描写のある話はタイトルに『※』あり

処理中です...