そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

ああっっ!!

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 いつの間にか自分が女神のいる空間にいたことも、洗礼の儀式の衣装を着ていたことも、不思議だった。懐かしい家族のもとに連れてこられたのは嬉しかったが、「どうして?」という疑問は消えなかった。それも、自分が本当に死んでしまったのなら、すべてに納得がいった。

 けれど、女神が少し前からの記憶を消しているせいで自分がなぜ命を落としたのかも思い出せず、アシェルナオは戸惑っていた。

 『ごめんなさい、ナオ。あなたの父の言う通りです。あなたは悪しき魂の者の手にかかり、命を落とそうとしています』

 「悪しき魂……?」

 女神の言葉に実感が湧かないまま、アシェルナオの脳裏にはヴァレリラルドの顔が浮かぶ。もし自分が死んだのなら、一番つらいのは……

 「僕、もうヴァルに会えないの?」

 愛するヴァレリラルドと会えなくなることだった。

 『記憶が戻れば、きっとつらい思いをするでしょう。けれど今なら、懐かしい家族のもとで新たな生を受けることができます』

 「新たな……生?」

 「家族のもとで?」

 「梛央がここに戻って来るの?」

 女神の言葉に、アシェルナオが梛央として生きることができる選択肢に、優人、晃成、琉歌の視線が薫瑠のお腹に向かう。

 「それって、この子が梛央になるってこと……?」

 薫瑠はそっとお腹に手をあてた。

 『そうです。今ならその子の命に、ナオの魂を宿すことができます。もしあなたがそれを拒めば、ナオの魂はこの世界のどこかに新たな命として生まれます』

 「この世界って……私たちは梛央の魂を見つけることはできるんですか?」

 琉歌の問いに、女神は何も答えなかった。

 「琉歌……。たとえ見つけられたとしても、梛央の魂にはその命を待っている家族がいるだろう……」

 「そんな……薫瑠……」

 琉歌は、梛央が他の家族のもとに生まれるくらいならと、すがるような目で薫瑠を見た。

 「薫瑠さん、梛央を……俺たちの子として育てよう。それが、一番いいんだ」

 琉歌の思いは、晃成と同じだろう。優人もそうなればいいと思った。

 だがアシェルナオには、すべてが現実味を持たなかった。自分が死んだこと、もうヴァレリラルドに会えないこと、そしてこの家族のもとに新たな命として生まれてくるということ、すべてがまるで他人の物語を聞いているようだった。

 自分ではない他人の話を見聞きしているように思えた。

 しばらく呆然としていたアシェルナオだが、黙って俯いている薫瑠を見て、優人の頭をコツンと叩いた。

 口うるさくて自己主張の激しい薫瑠が黙っている時は、自分自身のことで困っている時だと、弟として十数年一緒に暮らしていたアシェルナオは知っていた。 
 
 「誰にとって、一番いいことなの? それで父親になるつもりだったの? バカじゃない? カオル、ごめんね」

 アシェルナオは薫瑠の手を取り、ソファに並んで腰を下ろす。

 「お母さんになるカオルを、心配させてごめん。カオルは、お腹に赤ちゃんがいるってわかった時から、どんな子だろう、誰に似るんだろうって、いっぱい考えてたよね? 優しい子かな、気の強い子かな、って。だって、その子はカオルと優人のあいだに生まれてくる唯一無二の命で、希望と可能性に満ちて生まれてくるんだから」

 「……梛央、ごめんなさい」

 姉として、そして両親の願いを思えば、女神の申し出を受け入れるのが正しいのかもしれない。でも、アシェルナオの言う通り、命を授かったと知った日から、この小さな命をすでに一個の人間として受け止めていた。

 それが梛央の魂だとしても、生まれるのを心待ちに、お腹の中の命に愛情を注いでいた薫瑠には、どうしても受け入れられなかったのだ。

 「カオルが謝ることはないよ。その子はカオルと優人のDNAを受け継いで生まれて来る、たった1つの存在だよ」

 「ありがとう、梛央」

 薫瑠がほっとした笑顔を浮かべると、琉歌は手で顔を覆い、嗚咽をもらした。

 その様子を見て、アシェルナオは立ち上がり、琉歌と晃成の前に進み出た。

 「母さん、父さん、僕は向こうの世界に戻ります」

 「でも、梛央……」

 「僕は、父さんと喧嘩をして、家を飛び出してしまったから、本当なら17年前に魂も消えていたはずだった。でも、父さんが迎えに来てくれたから、助けにきてくれたから、父さんのために何かしたいと願った僕の魂を、女神様たちが救ってくれたんだ。またお別れするのは辛いけど、近くにあるけど遠くて、行くことができない場所……たとえば月の裏に住んでいると思って? 会えないけど、見えないけど、ちゃんとそこで生きてるから。だから母さん、泣かないで。僕の分までカオルと優人の子をいっぱい愛してあげて」

 「梛央……いやよ……母さんのそばで暮らしてほしい……」

 「琉歌、梛央が困るだろう? 梛央は、死んだんじゃない。自立して自分の道を行こうとしてるんだ。親として、喜んで送り出してやろう」

 「ああっっ!!」

 晃成の言葉を聞いて、アシェルナオは突然大きな声を出した。泣いていた琉歌も、驚いて顔をあげる。

 「どうしたんだ、梛央」

 「ごめんなさい、本当は一番に言わないといけないことだった。……んっ、んっ」

 アシェルナオは咳払いをして、姿勢を正した。

 「父さん、母さん、今まで僕を育ててくれて本当にありがとうございました」

 そして、ぺこりと頭を下げる。
 
 「なんだ、急にあらたまって。そう言われると悲しくなるよ」

 琉歌にはものわかりのいい父親を演じみたものの、晃成にとっても梛央の顔を見ただけでまた長い別れをするのは辛いのだ。

 しんみりとしたことを言われると、泣き崩れそうだった。だが、

 「僕、結婚します」

 「はぁぁぁ?」

 アシェルナオの発言に、晃成は頭のてっぺんから声を出した。

 「え、結婚?」

 驚きすぎて琉歌の涙が止まっていた。

 「結婚て、誰と」

 「へー、梛央が結婚ねぇ」

 優人は真顔になり、薫瑠はニヤニヤしている。

 「驚くかもしれないから、先に言っておくね。向こうの世界、シルヴマルク王国ってところで僕は生きてるんだ。精霊の加護があって、魔法もある国だよ。同性婚は当たり前で、男でも子どもを産めるんだ。僕はその王太子のヴァルと婚約していて、18歳になったら結婚する予定です」

 へへっ、と可愛く笑うアシェルナオ。

 「琉歌……私も梛央を帰したくなくなったぞ……。嫁に出すなんてまだ……その衣装は婚礼衣装じゃないよな?」

 「お義父さん、俺も同意見です。梛央が嫁に行くなんて……」

 晃成と優人の体は小刻みに震えていた。

 「まだ初恋を引きずってるの?」

 薫瑠は冷めた一言を発した。

 「まあ、そうなのね。母さん、梛央と別れるのは悲しいけど、梛央をお嫁さんに出すのなら我が儘言っちゃだめよね。梛央、幸せになるのよ。女神様、梛央に赤ちゃんができたら、元気に生まれるようにお願いしますね」

 さっきまで悲壮な面持ちだった琉歌が、今はまるで花嫁の母のように喜んでいた。

 『ふふ、さすがナオの家族ですね。私の想像とは違っておもしろいです。でも、いいのですか? 向こうの世界に戻るとナオは……』

 「……女神様、僕、なんとなくわかるよ。精霊の泉に落とされた人たちと同じような目に遭ったんでしょう?」

 『ええ……とても怖くて痛い思いを……心を壊してしまうかもしれません』 
 
 「でも、僕は戻るよ。僕が死んじゃうとヴァルが立ち直れない、ううん、僕のあとを追っちゃうから。だから僕は辛い状況でも、心を壊しても、ヴァルの傍にいたい」

 『……意志は固いのですね?』

 女神の問いに、アシェルナオはしっかりと頷いてみせる。

 「梛央。親としては、そんな辛い思いをする場所に梛央を帰したくないわ。でも、結婚を約束している大好きな人がいるなら、その人のために帰らなきゃね」

 「うん」

 「いつかは子供は親よりも愛する人を選ぶものですもの。母さんもそうだったのよ?」

 そう言って琉歌は、マドレーヌが入っていた袋を結んでいた赤いリボンをほどき、それをアシェルナオの左の手首に巻きつけた。綺麗に結ばれた蝶結びが、やわらかく手首に寄り添っていた。

 「これはね、こっちの世界と向こうの世界を結ぶ“絆”のしるし。もし心が壊れそうになったら、これを見て思い出して。ヴァルさんも、父さんも、母さんも、カオルも、優人くんも、みんな、あなたのことを想ってる。想ってる人のことを信じて。みんな、梛央が大好きだから」

 「母さん……」

 ヴァレリラルドとのことを祝福されて送り出してもらえるのは嬉しいのに、アシェルナオの瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちる。

 「国際結婚……いや、異世界結婚か?……向こうのご両親にも挨拶をしたいが、無理だろうなぁ。梛央、お前は私たちの自慢の子だ。愛してるよ」

 晃成はマジックで梛央の左の手の甲に『梛央をよろしくお願いします』と書いた。

 「父さんも、僕の自慢の父さんだよ」

 アシェルナオは堪えきれずにしゃくりあげながら言い、晃成は愛する息子に優しく微笑んだ。

 「じゃあ、これは私からね。梛央、幸せになるのよ。ひどい目に遭ったんなら、そいつのために心を壊すなんて、もったいないことしちゃダメよ? 私の弟として、きっちりやり返すのよ? いい? 100倍くらいにして、再起できないくらいボッコボコにしてやりなさい。じゃないと私が乗り込んで仕返しするから」

 薫瑠は個包装のマドレーヌの袋をとめていた金色のラッピングタイを取り、梛央の左手の人差し指にくるくると巻き付けた。

 「ありがとう、カオル。お腹の大きなカオルにそんなことさせないように、僕が自分で仕返しするね」

 「できたかどうか、あとで報告ね? それと、王太子でもなんでも、最初が肝心よ。ガツンと尻に敷いておくのよ」

 「……梛央に何を吹き込んでるんですか、薫瑠さん……」

 優人は呆れた声を漏らしながらも、アシェルナオの左手を取った。

 「梛央を幸せにできない奴だったら、すぐこっちに戻ってくるんだぞ。お義父さん、マジックを貸してください」

 マジックを受け取ると、アシェルナオの手のひらに、優人はそっと『♡』を描いた。

 うわぁ、引くわ……。と薫瑠が小さく呟く。

 「これは俺……みんなの、梛央への思いだ。マジックが消えても、心に刻んでほしい。みんな、梛央が大好きなんだ」

 「うん。優人、生まれて来る赤ちゃんと、薫瑠と、父さんと母さんをよろしくお願いします」

 「ああ、まかせろ。梛央、楽器を弾くのに手は大事だからな。仕返しなら俺直伝の上段蹴りだぞ」

 優人の力強い笑顔に、アシェルナオの瞳からまたぽろぽろと涙が零れた。

 「ありがとう……。父さん、母さん、カオル、優人。一緒にはいられないけど、ずっと思ってるよ。ずっと愛してるよ。僕、絶対に幸せになるから。だから、安心して。また、必ずつながるから」

 「愛してる、梛央。また会えるのを楽しみにしているわ」

 涙を流しながらも、琉歌はアシェルナオの幸せを願って、笑顔を見せた。

 「女神様、今度こそ、幸せで健康な梛央に会わせてください。約束ですよ」

 女神が頷いたように見えた瞬間、現れた時と同じような強く輝く光が女神とアシェルナオを包み込んだ。


 
 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 エール、いいね、ありがとうございます。

 最終章で書きたかったことがいくつかあって、テュコの「ふざけるな」、カオルの子はカオルの子、アシェルナオのお嫁に行きます宣言、も、その中にあります。書きたかったことはまだあるので、このあとの展開に出てきます。 
 
 ちなみに、薫瑠は梛央のことで傷心を癒せないでいる優人に絆されちゃった感じです。

 クライマックスではありますが、わりと先は長いです。

 「クライマックスが近いなら、あとでまとめて読もう」というご意見もあると思いますが、モチベーションをあげられるよう、応援いただけると嬉しいです。
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