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第5部
お願いです……女神様……
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ヴァレリラルドはふよりんの背中に飛び乗ると、そのホワイトシルバーの毛並みをしっかりと掴む。ふよりん四本の逞しい足が宙を駆けるように跳躍する。
ウオオオォーッ!
咆哮をあげながら、ふよりんは三階の、明かりの漏れていた部屋の窓を目がけて一直線に突入した。
窓の大きさを凌駕するふよりんは、轟音を立てながら窓枠とその周囲の壁ごと、まるで紙のように突破する。
粉塵と瓦礫を巻き上げながらふよりんが室内に飛び込むと、砕けた窓ガラスや壁の破片が雨のように降り注いだが、聖獣の纏う加護がヴァレリラルドを守っていた。
「照明点灯!」
ふよりんから飛び降り、砕けた壁が巻き上げる砂ぼこりをマントで振り払いながら、ヴァレリラルドは魔法で部屋の照明を点灯する。
「ナオーッ!」
寝台に横たわるアシェルナオの姿が目に飛び込む。しかし、その身体の首から下は光に包まれていた。
その瞬間、ヴァレリラルドの脳裏に17年前の光景が蘇る。
目の前で光に包まれて消えていった梛央の姿。あのとき守れなかった無念が、今また目の前で繰り返されようとしていた。
肩口の留め金を外してマントを脱ぎ、それでアシェルナオの体を包んで胸の中にかき抱く。
「嫌だ! ナオ! 戻ってきてくれ! 女神よ、ナオを連れて行かないでくれ!」
アシェルナオの後頭部を左の手のひらで支え、自分の胸に引き寄せても、華奢な体は壊れた人形のように反応はなかった。
「どうして……私はまた何もできなかった……」
梛央を失ったと思っていた後悔の日々も、二度と同じ悲劇は繰り返さないと鍛錬に明け暮れ剣の技も、アシェルナオと再会して一生護り抜くと誓ったことも。何1つ意味をなさなかった……。
「お願いです……女神様……私の命を差し出してもいい……ナオを返してください……」
生きていく上で一番大切なものを失った喪失感にうちひしがれたヴァレリラルドの瞳から涙が零れ落ち、アシェルナオの顔に降り注ぐ。
やがて階段を駆け上がってきたテュコ、シーグフリードたちが、扉を蹴破る勢いで室内へと飛び込んできた。
室内に舞い上がる粉塵の中、息を吞んだのはテュコだった。
寝台の横に跪いたヴァレリラルドが抱きしめている、マントで包まれたアシェルナオが、17年前に消えてしまった時と同じように光に包まれていたからだ。
視界に写る、シーツに染み込んだ血の染み。
ふよりんはアシェルナオが天に召されたと言ったが、まさかという思いが強かった。だが、それを信じさせるような夥しい量の血だった。
「アシェルナオ……」
絶望を突きつけられたシーグフリードの体がふらつく。すかさずベルトルドがそれを支えた。
テュコは愕然としながらその場に立ち尽くす。
背中を斬られたテュコに光の精霊の加護を与えたアシェルナオが。自分がいなくても幸せになれと言おうとしていたアシェルナオが。こんな無残な目に遭って命を落とすとは……。
侍従だろうがなんだろうが、この世界で最初にできた友達と言ってはばからない愛する主人の死に、テュコの唇は怒りと悲しみでわなないていた。
「……ナオ様……」
テュコは震える手で、寝台の横に落ちていたアシェルナオの上衣を拾い上げた。晩餐会に出席するためにアイナとドリーンに着せてもらった上衣。ヴァレリラルドの瞳の色にちなんだ青い上衣。
それには両方の肩に刃物の痕があり、血の染みが広がっていた。軽い傷ではないとわかる範囲の血の染みだった。
「許さない……」
テュコが憎しみを噛み殺すように呟いた。
「くそっ……くそっ……!」
ウルリクが拳を握りしめる。その頬を、怒りの涙が濡らしていた。
「ナオォ……消えないでくれ……」
アシェルナオが梛央のときと同じように消えてしまわぬよう、ヴァレリラルドは必死にその身体を抱きしめた。
ケイレブやクランツたちはこの惨状に、ヴァレリラルドの慟哭に、言葉なく立ちすくんでいた。
夜風が破壊された壁から吹き込み、瓦礫の上をすべるように通り過ぎる。
その風の冷たさは、もう二度とアシェルナオの頬を撫でることはないのだと告げているようだった。
このタウンハウスに来てから、実際にはほとんど時間が経っていないはずだった。だが、終わりの見えない悪い夢を長く見続けているような感覚の中、アシェルナオの身体がビクンと大きく跳ねた。
ヴァレリラルドは胸に抱くアシェルナオの体を少し離して、その顔を食い入るように見つめる。
「はぁっ……」
瞳は閉じたまま、深い水の底から水面に顔を出したかのように、アシェルナオは大きく息を吸った。
「ナオ!」
「ナオ様!」
「アシェルナオ!」
悲嘆にくれていたヴァレリラルド、テュコ、シーグフリードたちがアシェルナオの周りに集まる。
「……あ、あ、あああ」
まだ呼吸が整わないのか、声を震わせて大きく息を吸う。それはアシェルナオが生きているということで、室内の空気が一気に安堵に満ちた。
「ナオ、よかった。よかった。女神よ、ありがとうございます」
この世界の全てに感謝するように喜びを噛みしめるヴァレリラルドだが、かすかに開いたアシェルナオの瞳は空虚な黒曜石のようで、目の前の婚約者の顔を写していなかった。
ヴァレリラルドの、テュコの、見守るシーグフリードたちに不安が去来する。
「ナオ、ナオしっかり。もう大丈夫だよ」
やがて空虚な瞳に恐怖の色が浮かび上がる。アシェルナオが見ているのは脳裏に焼きついて離れない、うす暗がりの中で煌めく刃だった。
「……っ、ぁ……あ、ああぁぁ……!!」
アシェルナオの喉の奥から、言葉にならない声が噴き出した。それは魂が引き裂かれるような絶叫だった。
「いやっ……いやあああああっっ!!」
アシェルナオは目を見開き、天井を仰ぎ、両手を振り上げて虚空をかきむしる。その瞳にはエンゲルブレクトの悦楽に歪む幻影が映し出されていた。
「やめてっ……やだ……っ、こな……で……来ないで……!」
恐怖に怯えながらマントの下で激しく身を捩る。
「アシェルナオ! しっかりしろ、もうあいつはいないんだ!」
「ナオ、怖い思いをしたね。もう大丈夫。大丈夫だ」
アシェルナオが生きていると知ったシーグフリードが駆け寄る。だが、兄の声もヴァレリラルドの声も届かなかった。
手足をバタつかせようとヴァレリラルドの抱える腕の中で暴れ、目に見えない何かから逃れようと首を振る。
「いやああっっ!! 痛い、痛いぃ……もういやぁぁぁ……!!」
アシェルナオの絶叫に、駆けつけた者たちの胸は張り裂けそうだった。
「……ナオ……もう、終わったんだよ……来るのが遅くなってすまない……」
ヴァレリラルドはアシェルナオにをしっかりと抱きとめる。アシェルナオがどんなに恐ろしい目に遭ったのか、錯乱している様子を見ればわかった。強い恐怖はアシェルナオの心を壊しているかもしれなかった。
それでも、自分のエゴだとしても、ヴァレリラルドはアシェルナオが死なないでいてくれたことが嬉しかった。
「ごめん……ナオ……それでも生きていてくれてありがとう……」
ヴァレリラルドの声は、すすり泣きのようだった。
「ひぃぃ、いやぁぁぁぁぁっ!」
拘束されているのが恐ろしいのか、アシェルナオの左手がマントから出る。
その手首に巻かれたリボンを目にして、アシェルナオの動きが止まる。
『ヴァルさんも、父さんも母さんも、カオルも、優人くんも、みんな、あなたのことを想ってる。想ってる人のことを信じて。みんな、梛央が大好きだから』
歌うような琉歌の声がアシェルナオの頭に響いてきた。
手の甲にはマジックで書かれた『梛央のことをよろしくお願いします』の文字。
『梛央、お前は私たちの自慢の子だ。愛してるよ』
厳つい顔で、優しく微笑んでくれた晃成。
ラッピングタイは歪に巻かれていて、薫瑠の雑な性格を表している。
『ひどい目に遭ったんなら、そいつのために心を壊すなんて、もったいないことしちゃダメよ? 私の弟として、きっちりやり返すのよ? いい? 100倍くらいにして、再起できないくらいボッコボコにしてやりなさい』
小さい頃はいじめられて帰ってきた梛央を引っ張って、いじめっ子をいじめ返してくれた薫瑠。
手のひらには♡のマーク。
『みんな、梛央が大好きなんだ』
薫瑠と結婚していた、幼馴染みの優人。
全力で愛してくれる大好きな家族が、全力で『負けるな』『幸せになれ』と応援してくれた。幸せな気持ちが、アシェルナオの正気を取り戻していた。
「ナオ……?」
急に大人しくなったアシェルナオを、ヴァレリラルドは心配げに覗き込む。
「ううっ……ヴァル……ヴァルぅ……」
うぅぅぅ、と顔をくしゃくしゃにして、アシェルナオは声をあげて泣きじゃくる。
「ナオ……戻って来てくれてありがとう……」
アシェルナオを、ヴァレリラルドは大事そうに、精一杯の愛情をこめて抱きしめる。口づけする勢いでアシェルナオの頬に自分の頬を擦り付ける。
自分のもとにアシェルナオの心が戻ってきたことに、ヴァレリラルドの瞳にも涙が滲んでいた。
「ヴァル……、……て……」
アシェルナオはヴァレリラルドに囁く。その言葉が耳に入るや否や、ヴァレリラルドは自分のマントに包んだアシェルナオを抱き上げたまま立ち上がる。
「シグ、星の離宮に行く。後は頼む」
「何を言ってるんです、ショトラ医師の診察が先です」
「しばらく誰も通さないようにダリミルに指示する。ふよりん、奥城の星の離宮だ。ナオを落とさないように頼むぞ」
ヴァレリラルドの言葉に、ふよりんは乗りやすくするために身を屈める。
「ナオ様に無体なことをしたら許しませんよ!」
テュコの怒声が響く中、ヴァレリラルドとアシェルナオを乗せると、聖獣は自分が破壊した窓から颯爽と夜を駆ける。
「俺たちも王城に戻る。ここに王弟殿下がいないということは、逃亡したということだ。態勢を整えてヘルクヴィスト領城に向かうぞ」
アシェルナオが命を落とさなくて本当によかったが、だからといってエンゲルブレクトの罪が軽くなるかといえば、決してそうではない。夥しい血を流すほど痛めつけられて錯乱状態に陥っていたアシェルナオの姿に、ケイレブだけではなくクランツも他の者も激しい憎悪を昂らせていた。
ケイレブはクランツとともに王城に戻るべく階下を目指す。
「俺も、ラルに変わって行きたい」
ウルリクがケイレブに直談判した。ヴァレリラルドの愛するアシェルナオが、シーグフリードが慈しんでならないアシェルナオが、凄惨な目に遭ったのだ。じっとしていられなかった。
「気持ちはわかるが、お前たちは殿下の護衛だ。殿下とともにいなくてどうする」
ケイレブに一喝されたウルリクは、悔しいが頷くしかなった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
感想、エール、いいね、ありがとうございます。
更新できるように応援いただけて嬉しいです。
手にほんの少しのものしか残らなくても、それはとてもいとおしくて、力になります。
ナオちゃんの物語が無事完結できるよう、最後まで応援いただければ嬉しいです。
ウオオオォーッ!
咆哮をあげながら、ふよりんは三階の、明かりの漏れていた部屋の窓を目がけて一直線に突入した。
窓の大きさを凌駕するふよりんは、轟音を立てながら窓枠とその周囲の壁ごと、まるで紙のように突破する。
粉塵と瓦礫を巻き上げながらふよりんが室内に飛び込むと、砕けた窓ガラスや壁の破片が雨のように降り注いだが、聖獣の纏う加護がヴァレリラルドを守っていた。
「照明点灯!」
ふよりんから飛び降り、砕けた壁が巻き上げる砂ぼこりをマントで振り払いながら、ヴァレリラルドは魔法で部屋の照明を点灯する。
「ナオーッ!」
寝台に横たわるアシェルナオの姿が目に飛び込む。しかし、その身体の首から下は光に包まれていた。
その瞬間、ヴァレリラルドの脳裏に17年前の光景が蘇る。
目の前で光に包まれて消えていった梛央の姿。あのとき守れなかった無念が、今また目の前で繰り返されようとしていた。
肩口の留め金を外してマントを脱ぎ、それでアシェルナオの体を包んで胸の中にかき抱く。
「嫌だ! ナオ! 戻ってきてくれ! 女神よ、ナオを連れて行かないでくれ!」
アシェルナオの後頭部を左の手のひらで支え、自分の胸に引き寄せても、華奢な体は壊れた人形のように反応はなかった。
「どうして……私はまた何もできなかった……」
梛央を失ったと思っていた後悔の日々も、二度と同じ悲劇は繰り返さないと鍛錬に明け暮れ剣の技も、アシェルナオと再会して一生護り抜くと誓ったことも。何1つ意味をなさなかった……。
「お願いです……女神様……私の命を差し出してもいい……ナオを返してください……」
生きていく上で一番大切なものを失った喪失感にうちひしがれたヴァレリラルドの瞳から涙が零れ落ち、アシェルナオの顔に降り注ぐ。
やがて階段を駆け上がってきたテュコ、シーグフリードたちが、扉を蹴破る勢いで室内へと飛び込んできた。
室内に舞い上がる粉塵の中、息を吞んだのはテュコだった。
寝台の横に跪いたヴァレリラルドが抱きしめている、マントで包まれたアシェルナオが、17年前に消えてしまった時と同じように光に包まれていたからだ。
視界に写る、シーツに染み込んだ血の染み。
ふよりんはアシェルナオが天に召されたと言ったが、まさかという思いが強かった。だが、それを信じさせるような夥しい量の血だった。
「アシェルナオ……」
絶望を突きつけられたシーグフリードの体がふらつく。すかさずベルトルドがそれを支えた。
テュコは愕然としながらその場に立ち尽くす。
背中を斬られたテュコに光の精霊の加護を与えたアシェルナオが。自分がいなくても幸せになれと言おうとしていたアシェルナオが。こんな無残な目に遭って命を落とすとは……。
侍従だろうがなんだろうが、この世界で最初にできた友達と言ってはばからない愛する主人の死に、テュコの唇は怒りと悲しみでわなないていた。
「……ナオ様……」
テュコは震える手で、寝台の横に落ちていたアシェルナオの上衣を拾い上げた。晩餐会に出席するためにアイナとドリーンに着せてもらった上衣。ヴァレリラルドの瞳の色にちなんだ青い上衣。
それには両方の肩に刃物の痕があり、血の染みが広がっていた。軽い傷ではないとわかる範囲の血の染みだった。
「許さない……」
テュコが憎しみを噛み殺すように呟いた。
「くそっ……くそっ……!」
ウルリクが拳を握りしめる。その頬を、怒りの涙が濡らしていた。
「ナオォ……消えないでくれ……」
アシェルナオが梛央のときと同じように消えてしまわぬよう、ヴァレリラルドは必死にその身体を抱きしめた。
ケイレブやクランツたちはこの惨状に、ヴァレリラルドの慟哭に、言葉なく立ちすくんでいた。
夜風が破壊された壁から吹き込み、瓦礫の上をすべるように通り過ぎる。
その風の冷たさは、もう二度とアシェルナオの頬を撫でることはないのだと告げているようだった。
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「はぁっ……」
瞳は閉じたまま、深い水の底から水面に顔を出したかのように、アシェルナオは大きく息を吸った。
「ナオ!」
「ナオ様!」
「アシェルナオ!」
悲嘆にくれていたヴァレリラルド、テュコ、シーグフリードたちがアシェルナオの周りに集まる。
「……あ、あ、あああ」
まだ呼吸が整わないのか、声を震わせて大きく息を吸う。それはアシェルナオが生きているということで、室内の空気が一気に安堵に満ちた。
「ナオ、よかった。よかった。女神よ、ありがとうございます」
この世界の全てに感謝するように喜びを噛みしめるヴァレリラルドだが、かすかに開いたアシェルナオの瞳は空虚な黒曜石のようで、目の前の婚約者の顔を写していなかった。
ヴァレリラルドの、テュコの、見守るシーグフリードたちに不安が去来する。
「ナオ、ナオしっかり。もう大丈夫だよ」
やがて空虚な瞳に恐怖の色が浮かび上がる。アシェルナオが見ているのは脳裏に焼きついて離れない、うす暗がりの中で煌めく刃だった。
「……っ、ぁ……あ、ああぁぁ……!!」
アシェルナオの喉の奥から、言葉にならない声が噴き出した。それは魂が引き裂かれるような絶叫だった。
「いやっ……いやあああああっっ!!」
アシェルナオは目を見開き、天井を仰ぎ、両手を振り上げて虚空をかきむしる。その瞳にはエンゲルブレクトの悦楽に歪む幻影が映し出されていた。
「やめてっ……やだ……っ、こな……で……来ないで……!」
恐怖に怯えながらマントの下で激しく身を捩る。
「アシェルナオ! しっかりしろ、もうあいつはいないんだ!」
「ナオ、怖い思いをしたね。もう大丈夫。大丈夫だ」
アシェルナオが生きていると知ったシーグフリードが駆け寄る。だが、兄の声もヴァレリラルドの声も届かなかった。
手足をバタつかせようとヴァレリラルドの抱える腕の中で暴れ、目に見えない何かから逃れようと首を振る。
「いやああっっ!! 痛い、痛いぃ……もういやぁぁぁ……!!」
アシェルナオの絶叫に、駆けつけた者たちの胸は張り裂けそうだった。
「……ナオ……もう、終わったんだよ……来るのが遅くなってすまない……」
ヴァレリラルドはアシェルナオにをしっかりと抱きとめる。アシェルナオがどんなに恐ろしい目に遭ったのか、錯乱している様子を見ればわかった。強い恐怖はアシェルナオの心を壊しているかもしれなかった。
それでも、自分のエゴだとしても、ヴァレリラルドはアシェルナオが死なないでいてくれたことが嬉しかった。
「ごめん……ナオ……それでも生きていてくれてありがとう……」
ヴァレリラルドの声は、すすり泣きのようだった。
「ひぃぃ、いやぁぁぁぁぁっ!」
拘束されているのが恐ろしいのか、アシェルナオの左手がマントから出る。
その手首に巻かれたリボンを目にして、アシェルナオの動きが止まる。
『ヴァルさんも、父さんも母さんも、カオルも、優人くんも、みんな、あなたのことを想ってる。想ってる人のことを信じて。みんな、梛央が大好きだから』
歌うような琉歌の声がアシェルナオの頭に響いてきた。
手の甲にはマジックで書かれた『梛央のことをよろしくお願いします』の文字。
『梛央、お前は私たちの自慢の子だ。愛してるよ』
厳つい顔で、優しく微笑んでくれた晃成。
ラッピングタイは歪に巻かれていて、薫瑠の雑な性格を表している。
『ひどい目に遭ったんなら、そいつのために心を壊すなんて、もったいないことしちゃダメよ? 私の弟として、きっちりやり返すのよ? いい? 100倍くらいにして、再起できないくらいボッコボコにしてやりなさい』
小さい頃はいじめられて帰ってきた梛央を引っ張って、いじめっ子をいじめ返してくれた薫瑠。
手のひらには♡のマーク。
『みんな、梛央が大好きなんだ』
薫瑠と結婚していた、幼馴染みの優人。
全力で愛してくれる大好きな家族が、全力で『負けるな』『幸せになれ』と応援してくれた。幸せな気持ちが、アシェルナオの正気を取り戻していた。
「ナオ……?」
急に大人しくなったアシェルナオを、ヴァレリラルドは心配げに覗き込む。
「ううっ……ヴァル……ヴァルぅ……」
うぅぅぅ、と顔をくしゃくしゃにして、アシェルナオは声をあげて泣きじゃくる。
「ナオ……戻って来てくれてありがとう……」
アシェルナオを、ヴァレリラルドは大事そうに、精一杯の愛情をこめて抱きしめる。口づけする勢いでアシェルナオの頬に自分の頬を擦り付ける。
自分のもとにアシェルナオの心が戻ってきたことに、ヴァレリラルドの瞳にも涙が滲んでいた。
「ヴァル……、……て……」
アシェルナオはヴァレリラルドに囁く。その言葉が耳に入るや否や、ヴァレリラルドは自分のマントに包んだアシェルナオを抱き上げたまま立ち上がる。
「シグ、星の離宮に行く。後は頼む」
「何を言ってるんです、ショトラ医師の診察が先です」
「しばらく誰も通さないようにダリミルに指示する。ふよりん、奥城の星の離宮だ。ナオを落とさないように頼むぞ」
ヴァレリラルドの言葉に、ふよりんは乗りやすくするために身を屈める。
「ナオ様に無体なことをしたら許しませんよ!」
テュコの怒声が響く中、ヴァレリラルドとアシェルナオを乗せると、聖獣は自分が破壊した窓から颯爽と夜を駆ける。
「俺たちも王城に戻る。ここに王弟殿下がいないということは、逃亡したということだ。態勢を整えてヘルクヴィスト領城に向かうぞ」
アシェルナオが命を落とさなくて本当によかったが、だからといってエンゲルブレクトの罪が軽くなるかといえば、決してそうではない。夥しい血を流すほど痛めつけられて錯乱状態に陥っていたアシェルナオの姿に、ケイレブだけではなくクランツも他の者も激しい憎悪を昂らせていた。
ケイレブはクランツとともに王城に戻るべく階下を目指す。
「俺も、ラルに変わって行きたい」
ウルリクがケイレブに直談判した。ヴァレリラルドの愛するアシェルナオが、シーグフリードが慈しんでならないアシェルナオが、凄惨な目に遭ったのだ。じっとしていられなかった。
「気持ちはわかるが、お前たちは殿下の護衛だ。殿下とともにいなくてどうする」
ケイレブに一喝されたウルリクは、悔しいが頷くしかなった。
※※※※※※※※※※※※※※※※
感想、エール、いいね、ありがとうございます。
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手にほんの少しのものしか残らなくても、それはとてもいとおしくて、力になります。
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