そのステップは必要ですか?  ~精霊の愛し子は歌を歌って溺愛される~

一 ことり

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第5部

アシェルナオ、それ齟齬だってばよ

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 ようやく人々の待つ一階の広間に姿を見せたヴァレリラルドは、その腕にアシェルナオを大事そうに抱きかかえていた。

 アシェルナオは柔らかなミスティグレイの絹混のドレスローブ風の部屋着に長い上衣を羽織っていて、レースの裾から部屋着と同じ素材の光沢のあるルームシューズが覗いている。

 一旦は光に包まれたアシェルナオだが、すぐにその光は消えた。おそらく光が傷を治癒したのだと思われる、という報告をシーグフリードとテュコから受けていたものの、自分たちの目でアシェルナオの無事な姿を確認することができた一同は安堵の息を漏らした。

 人々の視線を受けながら、ヴァレリラルドはアシェルナオを膝の上に乗せたままソファに座る。

 アシェルナオは誰の顔も見ようとせずにヴァレリラルドの胸にぴたりと顔をつけていた。エンゲルブレクトにされたことを思えば、心配してくれた人たちに面と向かって『僕は大丈夫』と言えなかった。

 できれば心が落ち着くまで静かに見守っていてほしかった。

 アシェルナオの気持ちがわかるヴァレリラルドは、細い体に回す手に力を込める。

 そんな2人は、互いを信じ、委ね合う想いが静かに重なり合い、自分たちだけの世界に入っているようだった。

 特にアシェルナオには、今までの純真無垢な表情に艶やかな気配が加わったように感じられた。

 その様子に、ピクリと眉を動かしたのはテュコとオリヴェルだった。

 コホン(先陣を切ってください)。オリヴェルが咳ばらいをする。

 「うむ……。ナオ、怖い思いをさせたな。一時は光に包まれて、17年前の二の舞になるところだったと聞いた。肝が冷えたが……よかった」

 ベルンハルドは心から安堵していた。アシェルナオはヴァレリラルドの胸に顔をつけたまま頷く。

 「よかった……。本当に、無事でよかった」

 しみじみと息を吐くオリヴェルの言葉に、アシェルナオはヴァレリラルドにしがみつく手に力を入れる。

 「エンゲルブレクトは爵位剥奪、王籍からの抹消とした。奴を捕縛したならば、さらに重い罪に処す」

 ベルンハルドが厳しい声をあげたところで、

 「少し、よろしいですか?」

 ショトラが口を挟んだ。

 ヴァレリラルドの胸から顔をあげようとしないアシェルナオが気になっていたのだ。

 「ナオ様、診察をしてもよろしいですか?」

 いくら傷口が消えたとしても、多量に血が失われたのなら対処が必要だった。それ以前に、恐ろしい思いをしたというのに、たった一晩で心身が回復しているとは考えられなかった。

 アシェルナオは首を振ってそれを拒む。

 「アシェルナオは殿下と親密になったのね? でも、そろそろ殿下のお膝から降りて、母様にもハグさせて?」

 柔らかく語り掛けるパウラに、初めてアシェルナオが反応する。だが、チラリとパウラを見るとすぐにヴァレリラルドの胸に頬をくっつけた。

 「ナオ、ちょっとすまない」

 ヴァレリラルドは断りを入れてアシェルナオの両耳を手で塞ぐ。そしてアシェルナオを注目する人々を苛立ちながら見回した。

 「いいですか? 傷が癒えても、傷を負った時の痛みの記憶は消えないんです。体が元気になったからと言って、心が元気になったとは限らないんです。単に無事だったかどうかを確かめたいだけで、ナオのことを考えずに押しかけてどうするんです。しばらくはそっとしておいてください。それに、父上。恐ろしい目に遭ったというのに、何を無神経に叔父上、いや、エンゲルブレクトの話をするんですか」

 アシェルナオの耳に入らないように、声は抑えているが、隠せない威圧を放っていた。

 「無神経だった。すまない」

 議会で威風堂々と宣言したのと同じ人物ではないように、ベルンハルドは身を小さくする。

 納得はできないが、謝罪を受け入れたヴァレリラルドはアシェルナオの耳を塞いでいた手を外す。

 「殿下、一つだけ確認を」

 だが、オリヴェルには譲れない強い疑問があった。

 「アシェルナオと、いたしたんですか?」

 「……必要なことしかしていない」

 ヴァレリラルドは腕の中のアシェルナオの髪を愛しそうに撫でる。 

 「婚約しているとはいえ、アシェルナオはまだ16です」

 「だから、必要なことだけだ」

 アシェルナオの悲痛な思いを知っていて、欲望に身をまかせることなどできなかった。ヴァレリラルドにも最後までいたしたかったという思いがあるだけに、不機嫌な口調になっていた。

 「ですが、殿下とアシェルナオの雰囲気はどう見ても……。殿下、約束が違います」

 「ラル、アシェルナオを……」

 恨めしそうなオリヴェルと、表情は変わらないが怒りを秘めているシーグフリードが剣呑な視線をヴァレリラルドに向ける。

 「最後まではしていない」

 「結婚式までは清い体で、と言ったはずです」

 怒りがおさまらないオリヴェルが声を荒げる。

 「だから、最後まではしていない」

 最後までいたしていないのだから引きようがないヴァレリラルドが受けて立つ。

 「何の話?」

 さすがに不穏な空気を感じてアシェルナオが言葉を発する。

 「……私とナオが、赤ちゃんができるようなことをしたと、オリヴェルとシーグフリードが言ってるんだ」

 赤ちゃん? 赤ちゃん……。赤ちゃん! 赤ちゃんができるようなこと!

 「と、父様、何言ってるんですか!」

 アシェルナオの声が上擦る。

 「ヴァルは、おきよめせっくすしただけです。それはね、ちょっとはその……エッチなことしたけど……」

 頬を染めて、アシェルナオはヴァレリラルドの胸に顔を押し付ける。

 一瞬の沈黙後、「やっぱりいたしたんじゃないですか」「まあ、まあ、まあ……」「若さゆえの暴走か?」「ナオが……」と、オリヴェル、パウラ、シーグフリード、オルドジフが小声で恨み節を呟く。

 「ナオ……」

 ヴァレリラルドは困ったことに、困ったことを言うアシェルナオが可愛くてたまらなかった。だが、今は少し頭が痛かった。

 最初にアシェルナオから『お清めセックス』の言葉を聞いた時は、ヴァレリラルドもオリヴェルと同じような反応をしたのだが……。

 「ナオ様はこういうお方です」

 アシェルナオの能天気に何度も煮え湯を飲まされてきたテュコはしたり顔で言った。

 「アシェルナオ、いくらやんちゃな男の子でも、直接的な発言はよろしくありません」

 「アシェルナオがセックスなんて……」

 公爵夫人として我が子の言動を注意するパウラと、うちの天使がセックスなんて言うわけがない、と、現実逃避するシーグフリード。

 「え、兄様、何言ってるんですか」

 きゃっ、と顔を両手で覆うアシェルナオ。

 「いや、アシェルナオが言ったんだよ?」

 自分とて公爵家の嫡男なのだから、ベルンハルドたちも同席する場で自分からセックスなんて言うわけがない、と、シーグフリードはアシェルナオの反応に動揺した。

 「僕はおきよめせっくすって言っただけです」

 「だからセックスって」

 「兄様、何度も言わないで」

 箱入り公爵家次男のアシェルナオは、また両手で顔を覆う。

 さすがにここまで来ると、自分たちとアシェルナオの間に明らかに齟齬があるのだと思い当たった。

 「あー……ナオのいた世界では、好きではない者に不快なことをされた時に、好きな人に同じことをしてもらって上書きするという意味の『おきよめせっくす』という単語がある。それは『セックス』とは違うんだ……」

 「もう、ヴァルまで、エッチ」
 
 「すまない、ナオ」

 ああ……

 そうなのですね……

 アシェルナオだから……

 ナオ様だから……

 ナオだから……

 「ん?」

 アシェルナオは首を傾げる。

 とりあえず純潔は守られたことに安心する、どこか遠い目をしている人々だった。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※

 エール、いいね、ありがとうございます。

 すみません、書きたかったもので……テヘッ

 次回からは少しシリアスになります。



 うちの老犬が、午前1時に寝た私を午前2時に起こしました。

 寝ぼけながら撫でて、手が止まると「ほりほり」攻撃するので、また撫でて。それを4時半まで続けて仕方なく起床。そして今は5時半。老犬、寝ています……。

 昼夜逆転現象が起きているのか、最近たびたびこういうことがあります。

 この暑さで寝不足はしんどい……。

 
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